ティーンの聖母聖堂
ティーンの聖母聖堂の起源は、外国人商人のためのロマネスク様式の病院教会にさかのぼる

見どころDATA

外国人商人のための敷地から始まる

高さ約80mの2本の尖塔を持つ「ティーンの聖母聖堂」は、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の右岸、チェコのプラハ旧市街の東側に位置するゴシック様式の教会です。ティーンとは、かつて周囲を柵で囲んでいた敷地「ティンスキー・ドヴール」に由来します。13世紀半ば、ここは外国人商人たちが宿泊し、関税を支払うための場所として使われていたことから、この呼び名が定着しました。この場所の最も古い記録は、1135年の文献で、「聖母マリア教会」と「病院」があったことが記録されています。13世紀半ばになると、名前の由来にもなった教会の隣にある敷地が、外国人商人のための施設として使われ始めました。13世紀末から14世紀初頭にかけて、教会は地域の中心である教区教会となり、信者の増加に対応するため大規模な改築と拡張工事が行われました。これにより、3つの通路(身廊)や地下室、西側の塔を持つ新しい建物となり、1310年には塔に鐘が吊るされました。この時代の建物で現存しているのは「聖ニコラス礼拝堂」のみです。

度重なる修復によりゴシック様式の外観に統一される

14世紀後半には、「聖ヴィート大聖堂」などを手掛けた当時の最先端かつ一流の建築職人によって大聖堂の建設が始まり、約20年かけて聖歌隊席や側廊が完成しました。15世紀に入ると、大聖堂の西側正面(ファサード)が作られ、その後、1419年から1434年に起こったフス戦争の間にも、中心部分にあたる中央の主要な空間に丸天井(ヴォールト)が架けられました。その後、1457年に司祭ヤン・ロキツァナによって教会の屋根組みが作られると、1463年に西の切妻(ファサードの三角形の壁)が、1466年に北の塔が、1506年に南の塔が完成しました。これら教会を象徴する2本の塔には、手すり付きの回廊と複数のピラミッド型の屋根が架けられています。また、2本の塔に挟まれた中央の切妻には、かつてフス派のシンボルである巨大な「黄金の聖杯」が掲げられ、当時はフス派の本拠地として知られていました。しかし、17世紀に入りカトリックへの回帰が進められると、黄金の聖杯は取り外されます。その後、聖杯を溶かした金を用いて、後光を背負った初期バロック様式の金色の「聖母マリア像」が、小尖塔に囲まれるようにして飾られました。1679年、落雷による火災でゴシック様式の丸天井が焼け落ちたため、バロック様式の新しい丸天井へと架け替えられ、それに伴い内陣の窓はゴシック様式特有の尖頭アーチの形状を失うことになります。さらに1819年、再び落雷による火災に見舞われ、今度は北の塔にあった鐘が失われました。鐘の修復は1835年に完了しましたが、1876年から1895年にかけて、教会全体をゴシック様式へと統一する方針のもと、大規模な修復が行われました。その後、20世紀初頭に聖具室が、1906年から1908年にかけて北の正面玄関が修復され、現在の姿へと至っています。

中世の建設職人集団「パルレール工房」の傑作

この教会は3つの通路を持つ三廊式の空間(バシリカ)として建設され、それぞれの通路の奥は多角形に突き出た構造になっています。壁面には泥灰岩が使用され、外壁を支える支柱の一部や、連続するアーチ構造の空間には砂岩が用いられました。複数ある入口の中で、最も美しいとされるのが北側の正面玄関です。1380年代から1390年代末にかけて制作され、当時の最先端の建築技術と極めて高い芸術性を併せ持つ職人集団「パルレール工房」の作品です。大聖堂にふさわしい開放的な前室を持つ非常に精巧な構成となっており、繊細な彫刻装飾を保護するための天蓋(バルダヒン)で飾られています。入口上部の半円形の欄間(ティンパヌム)には、チェコの中世彫刻における最高傑作に数えられる、浮き彫り(レリーフ)が施された石板がはめ込まれています。そこには、キリストの受難の場面である『鞭打ち』『イバラの冠の戴冠』『キリストの磔刑』が描写されています。これら貴重なレリーフは1998年までにすべての場面が複製に差し替えられ、オリジナル作品は国立美術館へと移管されています。

バロック様式で装飾された教会内部

教会の内部は、1679年の落雷による火災後にバロック様式に作り直され、特に主祭壇はチェコのバロック絵画や彫刻、美術工芸の見事な装飾で彩られています。そこに掲げられている『聖母被昇天』と『聖三位一体』は、17世紀チェコのバロック絵画の巨匠カレル・シュクレータによって描かれた名作です。また、床に敷き詰められた数多くの墓碑の中で、最も注目を集めるのが、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に仕えた天文学者ティコ・ブラーエのものです。主祭壇に向かって右側にある最初の柱の近くに位置しており1601年に亡くなった彼本人と、その3年後に亡くなった妻がここに埋葬されました。さらに、教会内には1673年に作られたプラハ最古のパイプオルガンが今も残されており、その豊かに響く音色は現在もコンサートなどで多くの人々を魅了しています。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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