ヴァティカン美術館
全長120mに及ぶ「地図の間」。16世紀に建設されたギャラリーで、イタリアと教皇領の40点の地図が描かれている

見どころDATA

教皇ユリウス2世が築いた彫刻コレクションの始まり

16世紀初頭に在位した第216代ローマ教皇ユリウス2世は、自身が所蔵する芸術作品を展示するために「ヴァティカン美術館」の基盤となる建物の整備を始めました。1503年、教皇は建築家ドナート・ブラマンテに、ヴァティカン宮殿の修築を依頼しました。この修築には、壮大な「ベルヴェデーレの中庭」とそれに隣接する「彫像の中庭」の建設が含まれていました。彫刻の中庭の壁に設けられたくぼみには、『ラオコーン』や『ベルヴェデーレのアポロン』といった傑作を含む、古代彫像の教皇コレクションが飾られました。こうしてこの場所が、今日のヴァティカン美術館の最初の展示室となったのです。

文化財保護を担いコレクションを拡大する美術館

18世紀から19世紀は大理石ラッシュと呼ばれるほど、ヴァティカン美術館のコレクションが大幅に増加した時代です。違法な発掘や輸出による流出の脅威から芸術作品を保護するため、1806年、教皇ピウス7世はアントニオ・カノーヴァに命じてヴァティカン美術館内に「キアラモンティ美術館」を設立しました。また、1820年のパッカ枢機卿の勅令によって、考古学の発掘が規制され、出土品に対する優先購入権を公立コレクションに保証する法律が制定されたことで、文化財の保護が明文化されました。これらの規制により、19世紀初頭に教皇領の一部であった南エトルリアで大規模な発掘調査によって得られた出土物は、1837年、教皇グレゴリウス16世によって開館した「グレゴリアン・エトルリア博物館」の貴重なコレクションとなっています。またその直後の1839年には、ナイル川探検とフランス人シャンポリオンによる象形文字解読の研究によってエジプトへの関心が高まったことを受け、「グレゴリアン・エジプト博物館」も開館しました。

新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォ)
19世紀初頭に新古典主義様式で建設された新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォ)。ローマ時代の彫刻が並ぶ(©Corey Buckley/Unsplash)
二重らせん階段
1932年にジュゼッペ・モモが設計した二重らせん階段(©Jonathan Singer/Unsplash)

美術館の壮大なフィナーレを飾る「システィーナ礼拝堂」

ヴァティカン美術館の膨大なコレクション鑑賞は、その中心的存在である「システィーナ礼拝堂」で締めくくられます。この礼拝堂は、現在でも枢機卿たちがコンクラーベと呼ばれる教皇選挙を行う神聖な場所です。教皇シクストゥス4世によって、1477年から1480年にかけて建てられ、15世紀後半に活躍した著名な芸術家たちのフレスコ画によって彩られています。1481年から翌年にかけて、ピエトロ・ペルジーノが中心となってサンドロ・ボッティチェッリらとともに、南壁にモーセの物語、北壁にキリストの物語、そして上部に初期の教皇たちを描いた壁画が完成しました。さらに1508年から1512年にかけては、ミケランジェロ・ブオナローティによって天井画が描かれます。ミケランジェロはその20年後、1533年、教皇クレメンス7世の依頼により祭壇の壁画制作に取り組みます。壁画は1536年から教皇パウルス3世の治世下で制作が進められ、1541年、ヴァティカンを代表する名作『最後の審判』が完成しました。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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