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アルダブラ環礁
Aldabra Atoll
オリンダの歴史地区
Historic Centre of the Town of Olinda
カホキア・マウンド州立史跡
Cahokia Mounds State Historic Site
キレーネの考古遺跡
Archaeological Site of Cyrene
キレーネの考古遺跡は、リビア北東部にあるギリシャ式の都市の遺跡です。その起源は、エーゲ海のテラ島(現在のサントリーニ島)の人々によって築かれたとされています。言い伝えでは、人口増加や干ばつに苦しんだテラ島の人々が、デルフィで信託を受け、サントリーニ島から船でリビアへ渡り、新天地に都市を建設したといいます。都市名キレーネは、アポロンに愛された泉の女神に由来すると伝えられています。キレーネは地中海貿易の拠点として栄え、アテネやシラクサに次ぐ規模のアクロポリスも築かれました。前4世紀にはアレクサンドロス大王に服属し、その後エジプトのプトレマイオス朝の支配を経て、ローマ帝国の属州となりました。ローマ支配下ではその後、反乱による破壊、ハドリアヌス帝による再建、地震と津波などを経験し、都市は次第に衰退しました。そして7世紀後半、イスラム勢力によって征服され、歴史の舞台から姿を消しました。
サブラータの考古遺跡
Archaeological Site of Sabratha
サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所
From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt
シーギリヤの古代都市
Ancient City of Sigiriya
スリランカ中部にそびえる『シーギリヤの古代都市』は、高さ約200mもある巨大な岩山の宮殿跡です。5世紀後半、シンハラ王国のカッサパ1世という王によって、岩山の頂上に都が築かれました。彼は王である父ダートゥセナを殺し、正当な継承者だった弟モッガラーナを追放して王に即位しました。その後罪の意識に苛まれ、復讐を恐れたカッサパ1世は、父を供養し、かつ弟の報復から身を守るために、父が構想していた城砦の建設に着手しました。カッサパ1世は人が簡単には登れない岩山の上に、宮殿や庭園、貯水池などを含んだ要塞都市をつくり、自らの安全を確保しました。わずか十数年この場所で暮らしましたが、最後は弟に敗れて命を絶ちます。短い歴史を持つ都ながら、その劇的な背景と大胆な建造物は、現代の私たちにも強い印象を残しています。
ジェミーラの考古遺跡
Djémila
城壁都市シバーム
Old Walled City of Shibam
聖地アヌラーダプラ
Sacred City of Anuradhapura
セルー動物保護区
Selous Game Reserve
タイ国立公園
Taï National Park
タスマニア原生地帯
Tasmanian Wilderness
タッシリ・ナジェール
Tassili n'Ajjer
ティパサの考古遺跡
Tipasa
ティムガッドの考古遺跡
Timgad
ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区
National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers
ハイチ北部にあるラミエの国立歴史公園には、ハイチの独立に関連するシタデルとサン・ スーシ宮が残っています。17世紀末からフランス統治下のハイチでは、50万人もの黒人奴隷がいましたが、 その後奴隷が解放され、ハイチは1804年に独立しました。独立運動の指導者ジャン・ジャック・デサリーヌを倒して権力を握った黒人将軍アンリ・クリストフは、その権威の象徴としてヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮を建設しました。ポツダムやウィーンのものを彷彿とさせる階段状の庭園も特徴です。背後のラ・フェリエール山 にあるシタデルは、高さ50m、厚さ5mもの城壁を持ち、約5,000人を収容できる兵舎と365もの大砲を備えていた城塞です。現在はどちらも廃墟となっています。ハイチ唯一の世界遺産です(2025年11月現在)。
ハバナの旧市街と要塞群
Old Havana and its Fortification System
この地にスペイン人が入ってきたのは、1492年のコロンブスのキューバ上陸の頃です。彼は約40日間に渡りキューバを探検しましたが、彼は亡くなるまでこの地をアジアと思っていました。その後、この地はアジアではなく一つの島であることが判明し、1511年、ディエゴ・ベラスケスがキューバを征服してからは、キューバに居住区が次々と建設されていきます。しかし、16世紀まではまだまだ街といえるほどのものではなく、街が発展していくのは17世紀に入ってからです。徐々に発展し、バロック様式とイスラームの要素を取り入れたスペインのムデハル様式が合体したスペイン・バロック様式が採用されていき、後述する要塞と合わせて、ヨーロッパの世界観を醸し出す市街が形成されていくのです。
フィレンツェの歴史地区
Historic Centre of Florence
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
ポロンナルワの古代都市
Ancient City of Polonnaruwa
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
ムザブの谷
M'Zab Valley
リオ・プラタノ生物圏保存地域
Río Plátano Biosphere Reserve
レプティス・マグナの考古遺跡
Archaeological Site of Leptis Magna
レプティス・マグナは、紀元前10世紀にフェニキア人が築いた古代植民都市レプティスを起源としています。海洋国家カルタゴの衛星都市として発展し、後にローマ支配下では商業・港湾都市として繁栄を極めました。同名の別都市と区別するため、「マグナ(偉大な)」という形容詞を冠したとされています。紀元前146年の第3次ポエニ戦争によるカルタゴの滅亡後、ローマ人の入植が進むと、アウグストゥス帝の時代以降多くのローマ式建築物が建てられ、ハドリアヌス帝の時代には大公共浴場が建設されました。この地出身の皇帝セプティミウス・セウェルスは地中海の海上輸送網を整備し、街はローマの都に匹敵する巨大都市へ成長して、黄金期を迎えました。
ロード・ハウ群島
Lord Howe Island Group