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アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
アビラの旧市街と城壁外の教会群
Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches
アボメーの王宮群
Royal Palaces of Abomey
アルタの岩絵群
Rock Art of Alta
アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画
Cave of Altamira and Paleolithic Cave Art of Northern Spain
イスタンブルの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
ウアスカラン国立公園
Huascarán National Park
円形都市ハトラ
Hatra
カジランガ国立公園
Kaziranga National Park
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群
Göreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia
ケオラデオ国立公園
Keoladeo National Park
ケベック旧市街の歴史地区
Historic District of Old Québec
古代カルタゴ都市ケルクアンとそのネクロポリス
Punic Town of Kerkuane and its Necropolis
ケルクアンのポエニ都市は、海を見下ろすボン岬の先端に位置し、フェニキア人によるカルタゴ時代の都市計画の貴重な証拠となっています。カルタゴ、ティルス、ビブロスとは異なり、このフェニキア都市の上にはローマ都市が建設されることはなく、その港、城壁、住宅街、商店、工房、通り、広場、神殿、ネクロポリスが紀元前3世紀の姿のまま残されています。カルタゴの町ケルクアンの遺跡は1952年に発見され、発掘調査が行われました。この遺跡で最も古い証拠は紀元前6世紀に遡ると考えられていますが、現在見ることのできる遺構は紀元前4世紀末から紀元前3世紀前半のもので、高度な都市計画が確認できます。アルグ・エル・ガズワニのネクロポリスは、町から1キロ未満の岩の丘の上に位置し、この時代のポエニの葬祭建築の貴重な証拠となっています。この遺跡はケルクアンの大ネクロポリスの中でも最も保存状態の良い部分で、その墓はボン岬の沿岸丘陵地帯に点在しています。
コンゴーニャスのボン・ジェズス聖域
Sanctuary of Bom Jesus do Congonhas
砂漠の城クセイル・アムラ
Quseir Amra
ヨルダン東部の砂漠地帯に8世紀初頭に隊商宿を増改築して建設されたウマイヤ朝時代の離宮の跡です。ここには謁見の間(応接ホール)とハンマームと呼ばれる浴場施設が非常に良好な状態で残されており、いずれも当時の世俗的な題材による絵画で飾られています。謁見の間の床はモザイクタイルで覆われ、天井には神話や踊り子などのフレスコ画が描かれています。浴場施設は脱衣所や温・冷水浴室の他にカルダリウムと呼ばれるサウナのような施設もあり、そこにはイスラム社会では珍しい裸婦や異教世界の図柄も見られます。また、半球形のドーム天井には平面以外に描かれたものとしては最古の現存する天文図があります。この施設は、カリフが居住するというだけでなく、この地の部族との交流を目的にしたものであることから、娯楽的・世俗的な要素も包含した、イスラム建築としては独特なものとなっています。
サルヴァドル・デ・バイアの歴史地区
Historic Centre of Salvador de Bahia
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
Santiago de Compostela (Old Town)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
スヴェシュタリのトラキア人の古墳
Thracian Tomb of Sveshtari
ブルガリア北東部、スヴェシュタリ村近郊で1982年に発見されたこの古墳は、紀元前3世紀ごろに築かれたトラキア人の王墓です。直径約70m、高さ11.5mの墳丘の内部は、ドロモス(通路)と3つの玄室で構成されており、トラキアの祭祀建築の基本的な構造原理を示しています。古墳は現在「スボリャノヴォ」と呼ばれる考古学保護区の一角に位置しており、周囲には40基以上のトラキア人の墳墓や複数の聖域、古代および中世の集落跡、要塞、霊廟、オスマン帝国時代のミナレットなど、多数の遺構が存在します。こうした構成は、カザンラクのトラキア人墳墓のようなクーポラをもつ墳墓とは異なり、マケドニアや小アジア、エジプトなどで確認されるヘレニズム期の建築モデルと共通しています。
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
隊商都市ペトラ
Petra
タドラールト・アカークスの岩絵遺跡群
Rock-Art Sites of Tadrart Acacus
チャビンの考古遺跡
Chavin (Archaeological Site)
ディヴリーイの大モスクと病院
Great Mosque and Hospital of Divriği
トルコ中央部のディヴリーイに、大モスクと病院が残っています。この大モスクは1229年頃に首長のアフメット・シャーにより建造されたものであり、アフメット・シャーの妻トゥラン・メレクの命令によって、ダルシュ・シファと呼ばれる病院も併設されました。これらは1077年に興ったルーム・セルジューク朝の代表作として知られています。なお、ルーム・セルジューク朝とは、スンナ派王朝セルジューク朝の一派がニケーアを首都として成立させた王朝です。これらの複合施設は、ルーム・セルジューク朝のイスラーム建築の最高傑作として高く評価されています。15世紀から度々修復作業が施されてきたため、これまで大きな損壊を免れてきたようです。
トロオドス地方の壁画教会群
Painted Churches in the Troodos Region
キプロス島西部のトロオドス山脈南麓の丘陵地帯に残る11世紀から16世紀にかけて建造された10の教会が世界遺産に登録されています。キプロス島は7世紀から10世紀まではイスラム勢力に支配されていましたが、11世紀以降は西欧からの聖地回復の動きとともに十字軍の前線基地となりました。11世紀以降に建造されたこれらの教会は、石造りの土台の上に木造で建てられており、外見はとても素朴に見えます。しかし、内部は華麗なフレスコ画のイコンが壁一面に描かれており、これらは当時のビザンティン美術の傑作群と言えます。加えて、これらは約500年間に亘り描かれ続けてきましたので、各時代の多様な様式が見られ、ポストビザンツの宗教画の歴史を示す貴重な例ともなっています。
バゲルハット:モスクを中心とした歴史都市
Historic Mosque City of Bagerhat
バングラデシュのパグルハットは、13世紀前半に湿地帯であったこの地を開拓した、トルコ系の武将ウルク・ハーン・ジャハーンによって建設された都市の遺跡です。50㎢の敷地には、60のドームを持つシャット・グンバド・モスクをはじめ、モスクやダルガー(聖者廟)など約50の建築物が残されています。その多くがレンガ造りで多くのドームを持つハーン・ジャハーン様式と呼ばれ、イスラム建築の要素とインドの伝統的建築技術が融合した独特の様式を備えています。シュンドルボンの湿地帯が敵の侵入を妨げたため、バゲル・ハットには要塞はつくられませんでした。シュンドルボンはマングローブが生い茂る世界最大のデルタ地帯で、自然遺産にも登録されています。また、ベンガル地方におけるイスラム建築の発展において重要な建物群が含まれています。
パハルプールの仏教遺跡
Ruins of the Buddhist Vihara at Paharpur
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミヒャエル聖堂
St Mary's Cathedral and St Michael's Church at Hildesheim
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
Pont du Gard (Roman Aqueduct)
フランス南部オクシタニー地域に位置する「ポン・デュ・ガール」は、紀元前19年頃に古代ローマの政治家アグリッパが建設を命じた水道橋です。古代ローマの植民都市ネマウスス(現在のニーム)に水を供給するために1世紀中頃に建設された全長約50kmの水道の一部で、ユゼス近郊のウールの泉から水を運ぶ役割を果たしていました。水道橋は三層構造となっており、最上部までの高さは49m、水路部分の長さは下層から142.35m、242.55m、275mと上層になるほど長くなっています。岩盤の上に築かれた水道橋は、地形と調和しながら力強いラインを描いており、ローマ建築技術の偉業であると同時に、風景を一変させる芸術作品でもあります。
マナス野生動物保護区
Manas Wildlife Sanctuary
マラケシュの旧市街
Medina of Marrakesh