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アユタヤの歴史都市
Historic City of Ayutthaya
タイ中部のアユタヤ県に位置する『アユタヤの歴史都市』は、約400年間にわたるアユタヤ王朝の繁栄を象徴する遺産です。アユタヤは1350年に建設され、15世紀にはアンコール朝を滅ぼしてスコータイを併合し、強大な王朝を築きました。この地域は3つの川に囲まれた恵まれた立地にあり、外交や商業が急速に発展していきました。また、シャム湾の潮汐波より高い場所に位置しているため、海上軍艦による攻撃を防ぐことができました。こうした戦略的な位置を活用することで、アユタヤは繁栄を続け、アユタヤ王朝第2の都市として中心的存在となりました。しかし、1767年にビルマ軍による攻撃を受け、アユタヤは壊滅的な被害を受けます。その後は再建されることなく、広大な考古学的遺跡としてその歴史が語り継がれています。遺跡にはプラ・プラーン様式という、砲弾状の高い塔堂を特徴とした建築様式がみられるのも特徴的です。
アンコールの遺跡群
Angkor
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)
Masjed-e Jāmé of Isfahan
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)は、8世紀後半のアッバース朝時代につくられたモスクを起源とする、イスファハーンで最も古いモスクです。創建時は日干しレンガ造りでしたが、12世紀の大火後に再建され、ササン朝ペルシア時代の宮殿建築で用いられた「4(チャハル)イーワーン」と呼ばれる様式をイスラム教の宗教建築と融合させた最初の建築となりました。「イーワーン」とは、三方を壁で囲み、開けた前方部たアーチが設けられた空間のことです。それを4つ向かい合わせ、中庭を4方向から取り囲むのが「4イーワーン」です。これによりモスクはより壮大なものとなり、モスク設計における新しいレイアウトと美学の原型となる建築物となりました。
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
開城歴史遺跡地区
Historic Monuments and Sites in Kaesong
胡朝の要塞
Citadel of the Ho Dynasty
古都ホイアン
Hoi An Ancient Town
ゴレスタン宮殿
Golestan Palace
鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
Kulangsu, a Historic International Settlement
厦門に面した小さな島、鼓浪嶼(コロンス島)に残る931の歴史的建造物からなっています。1842年に結ばれた南京条約によって、翌1843年に厦門が開港し、1903年に鼓浪嶼に共同租界が設立されると、中国における海外貿易の重要な窓口となりました。様々な国の外国人がここに住み着いたことから、世界の様々な様式の建築が建てられ、文化的な混交が生まれました。アール・デコやモダニズムなどの西洋の建築様式と、厦門周辺地域の文化が融合して生まれた「アモイ・デコ様式」という鼓浪嶼独自の建築様式は、その一例になっています。共同租界とは、清朝や中華民国内に築かれた外国人居留地で鼓浪嶼では各国が共同で外国人居留地を管理しました。
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
シ・テープの古代都市と関連するドヴァラヴァティ王国の遺跡群
The Ancient Town of Si Thep and its Associated Dvaravati Monuments
シャンティニケタン
Santiniketan
インド東部西ベンガル州の農村部に、詩人で哲学者のラビンドラナート・タゴールが1901年に設立した寄宿制の学校兼芸術センターがあります。1921年にはヴィシュヴァ・バーラディ大学(世界大学)となり、タゴールの「人類の一体化」という理念を象徴する存在となっています。タゴールはアジア人として最初のノーベル文学賞を受賞し、さらにインド国歌の作詞作曲をするなど、インドの国民的偉人です。彼は「世界が一つのカゴとなる」という宗教的文化的境界を超えた人類の統一・一体化という思想をここに具現化しようとしました。この学校では、屋外授業・農村での労働と生活・芸術制作などを通じ、すべてが調和した環境下で教育・自然・芸術を組み合わせた「総合芸術」を指向しました。
水原の華城
Hwaseong Fortress
スコータイと周辺の歴史地区
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns
石窟庵と仏国寺
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
Chhatrapati Shivaji Terminus (formerly Victoria Terminus)
昌徳宮
Changdeokgung Palace Complex
宗廟
Jongmyo Shrine
バガン
Bagan
『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺
Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon, the Depositories for the Tripitaka Koreana Woodblocks
河回村と良洞村の歴史的集落群
Historic Villages of Korea: Hahoe and Yangdong
ビガンの歴史地区
Historic City of Vigan
フィリピン北部、ルソン島の南シナ海を望む港街ビガンは、スペイン植民地時代の面影を色濃く残しています。 16世紀後半にスペインの植民地として築かれ、中国やメキシコとの交易の拠点として繁栄しました。街はスペインの都市計画に基づいて碁盤目状に整備されています。石畳の通りには、外観はスペイン風だが、中国やフィリピンの伝統的な建築様式が採用された家屋が並んでいます。石と木を組み合わせた家屋はタガログ語で「バハイ・ナ・バト」と呼ばれています。中国やイロカノ、フィリピンの要素が混在しているという点で、スペイン植民地であったラテンアメリカの諸都市とは顕著な違いが見られます。イロカノとは、ルソン島北西部のイロコス地域に住むマレー系の民族のことです。
フエの歴史的建造物群
Complex of Hué Monuments
ブッダガヤの大菩提寺
Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
武当山の道教寺院群
Ancient Building Complex in the Wudang Mountains
プランバナンの寺院群
Prambanan Temple Compounds
北京と瀋陽の故宮
Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang
北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群
Beijing Central Axis: A Building Ensemble Exhibiting the Ideal Order of the Chinese Capital
中国の首都・北京の中心部を南北に貫く中軸線は、北の鐘鼓楼から万寧橋、景山公園、紫禁城(故宮)、天安門などを経て、南の永定門に至るまで、全長7.8kmにわたって延びています。この都市軸は、北京の歴史的中核を形づくるとともに、中国の皇帝制と伝統的都市計画の理念を現在に伝えるものです。歴史的には、元代(1271~1368年)の首都・大都の建設とともに1267年に初めて建設され、明代(1368~1644年)、清代(1636~1912年)にかけて拡張・形成されました。元代に大都が建設された際、現在の什刹海(シチャハイ)東岸周辺を基準点として、南方向に都市の軸線が設定されました。これに沿って宮城が築かれ、都市の四方の境界が画定されるとともに、街路は碁盤目状に整備されました。この軸線は中国古代に編纂された、儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルが具体化されたものでした。明代に入ると、紫禁城を中心とする内城とその南側に外城が建設され、南北へと延長されました。15世紀前半には、紫禁城の北側に景山が築かれ、東西には太廟と社稷壇(しゃしょくだん)が配置されました。さらに内城の南には天安門と正陽門が整備され、16世紀半ばまでに外城が完成すると、中軸線は永定門まで延び、現在見られる7.8kmの全体像が成立しました。その後の清代にかけて、建造物の改修や景観の整備が進められ、中軸線は皇帝制のもとで維持・発展していきました。
ポロンナルワの古代都市
Ancient City of Polonnaruwa
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群
Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai