1~13件を表示中(全13件中)
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
Ir.D.F.ヴァウダヘマール:D.F.ヴァウダ技師による蒸気水揚げポンプ場
Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)
ウィレムスタットの歴史地区:キュラソーにある内陸都市と港
Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao
オランダの水利防衛線群
Dutch Water Defence Lines
オランダの行政・経済の中心地周辺に200㎞以上にわたって設けられた防衛システムです。「アムステルダム防衛線」と「新オランダ水防線」からなります。この防衛線は「水」を国の防衛に利用するという独創的なものです。オランダの人々は歴史的に長きに亘り水利を重要視し、水力工学を発展させてきましたが、その専門知識を国の防衛目的にも活用しました。複雑な堤防設備や水門、運河、揚水ポンプなどと連携する96の要塞からなるネットワークで、一時的に土地を水没させ、歩いては侵入できず、かつ船での侵入も困難という絶妙な水位(0.5~1.0m)で外敵の侵入を防ぐことがポイントです。このシステムは1815年から1940年にかけて建設されました。
キンデルダイク-エルスハウトの風車群
Mill Network at Kinderdijk-Elshout
慈善のための居住地群
Colonies of Benevolence
『慈善のための居住地群』は、啓蒙主義思想に基づいて行われた、19世紀の社会改革の実験にまつわる遺産です。ナポレオン戦争後に成立したネーデルラント連合王国(現在のオランダとベルギー)は、経済的に疲弊し、都市部の貧困問題に頭を悩ませていました。この状況に対応するため、人里離れた荒れ地に農業を基盤とした居住地を設立するという取り組みが進められました。貧しい人々が農業を通じて生計を立てると同時に、人々が勤勉で自立した市民となり、国の富を増やす存在になることが期待されていました。最盛期の19世紀半ばには、オランダ国内の居住地だけで1万1,000人以上、ベルギーでは1910年に約6,000人が居住地で生活をしていました。
スホクラントと周辺の干拓地
Schokland and Surroundings
ファン・ネレ工場
Van Nellefabriek
フラーネカーのエイシンハ・プラネタリウム
Eisinga Planetarium in Franeker
ベームスター干拓地(ドゥローフマーケライ・デ・ベームスター)
Droogmakerij de Beemster (Beemster Polder)
ベームスター干拓地は、17世紀初頭に造られた、オランダにおける干拓地の並外れた事例です。この干拓地は、新しい農地と田舎の住宅地の開発、さらに低地における洪水対策を目的に、1612年にベームスター湖を干拓して完成したものです。それ以前にも干拓は行われていましたが、風車技術の改良によって、ベームスター干拓地は約72㎢という広大な面積を対象とした最初の大規模干拓事業となりました。干拓地は、古典期およびルネサンス期の都市・建築理論に基づいて、合理的かつ幾何学的なパターンによって設計されています。この知的かつ創造的な景観は、古代とルネサンスの理念を干拓景観の設計に応用した計画の傑作であり、のちのヨーロッパおよび世界各地の干拓事業に深く、長期的な影響を与えました。
リートフェルト設計のシュレーダー邸
Rietveld Schröderhuis (Rietveld Schröder House)
『リートフェルト設計のシュレーダー邸』は、オランダの首都アムステルダムから、南に30kmほどのユトレヒトにある一戸建ての住宅です。トゥルース・シュレーダー・シュラーダー夫人の依頼により、建築家ヘリット・トマス・リートフェルトが設計し、1924年に建設されました。この小さな邸宅は、内部空間の柔軟な配置と視覚的・形式的な特徴により、1920年代のオランダの芸術家・建築家集団「デ・ステイル」が掲げた理想を大規模に表現した最初の試みとなりました。デ・ステイルとは、造形の純粋かつ抽象表現を追求する芸術運動のことです。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にヨーロッパで広まり、はじめは絵画、次に家具や建築へと理念を展開していきました。シュレーダー邸は、デ・ステイル運動だけでなく、近代建築運動の象徴のひとつとみなされています。
ローマ帝国の境界線:低地ゲルマニアのリーメス
Frontiers of the Roman Empire – The Lower German Limes
ワッデン海
Wadden Sea