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アウクスブルクの水管理システム
Water Management System of Augsburg
アフラージュ-オマーンの灌漑システム
Aflaj Irrigation Systems of Oman
アフラージュとは、井戸の底を横穴でつなげた灌漑システムのことです。そのもととなるファラジ(アフラージュはファラジの複数形)はオマーンに約3,000あると言われています。その歴史は古く、紀元前2500年頃から存在していたという説もあります。アフラージュでは地下水や地表水などの限られた水資源が収集され、家庭用およびナツメヤシを含めた農業用水として公平に分配されました。その際、日時計などで各水路に水を流す時間を管理していました。このあたりは年間降水量が非常に少ないため、水の分配は命に関わることでした。先人たちの知恵により造られたこれらの灌漑施設は、今でも現役で稼働しており、重要な役割を果たしています。
アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)
Cultural Sites of Al Ain (Hafit, Hili, Bidaa Bint Saud and Oases Areas)
アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観
Al-Ahsa Oasis, an Evolving Cultural Landscape
Ir.D.F.ヴァウダヘマール:D.F.ヴァウダ技師による蒸気水揚げポンプ場
Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)
ウニアンガ湖群
Lakes of Ounianga
チャドはアフリカ大陸中央部に位置する内陸国です。同国の北部、年間降水量2mm以下の極乾燥地域にあるウニアンガ湖群は18の湖から成り立っています。 地下水を水源とする塩湖、超塩湖、淡水湖からなり、約1万年前には1つの湖でしたが、 現在は2つのグループに分類されています。ウニアンガ・ケビル(大ウニアンガ)群には4つの湖があり、最大のヨアン湖は超塩湖で、藻類とわずかな微生物しか生息していません。他方、ウニアンガ・スリ(小ウニアンガ)群には14の湖があり、多くは淡水湖です。水面を覆うアシが水の蒸発を防いでいて、水生生物が暮らしています。蒸発が激しい塩湖のテリ湖に、透水性のある砂丘で隔てられた周囲の湖から淡水が流れこんで、湖群全体の塩化が防がれるという独自の水文システムが特徴になっています。436haの面積を持つテリ湖は最も広いですが、深さは10m未満です。高品質の淡水を持つこれらの湖のいくつかは、水生動物、特に魚の生息地となっています。
ウンム・アル・ジマール
Umm Al-Jimāl
エルチェの椰子園
Palmeral of Elche
オランダの水利防衛線群
Dutch Water Defence Lines
オランダの行政・経済の中心地周辺に200㎞以上にわたって設けられた防衛システムです。「アムステルダム防衛線」と「新オランダ水防線」からなります。この防衛線は「水」を国の防衛に利用するという独創的なものです。オランダの人々は歴史的に長きに亘り水利を重要視し、水力工学を発展させてきましたが、その専門知識を国の防衛目的にも活用しました。複雑な堤防設備や水門、運河、揚水ポンプなどと連携する96の要塞からなるネットワークで、一時的に土地を水没させ、歩いては侵入できず、かつ船での侵入も困難という絶妙な水位(0.5~1.0m)で外敵の侵入を防ぐことがポイントです。このシステムは1815年から1940年にかけて建設されました。
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
キンデルダイク-エルスハウトの風車群
Mill Network at Kinderdijk-Elshout
グラン・プレの景観
Landscape of Grand Pré
ここはカナダ東部ノヴァスコシア州のミナス湾の湿原帯と考古遺跡群で、広さは13㎢以上あります。ここには17世紀にフランス系入植者(アカディア人)が環境に適応して農地開発を進めてきた歴史が残されています。彼らは世界で最も干満差が激しい(平均11.6m)といわれるこの地に、堤防や木製水門システム(アボトー)を用いて広大な干拓農地をつくり出しました。さらに、その土地区画の方法や作物栽培法は何世紀にもわたって受け継がれ、彼らの生活様式の跡と合わせて、きわめて重要な考古学的遺跡ともなっています。アカディア人は1755年のグラン・デランジュマンと呼ばれる出来事でこの地を追放されてしまいましたが、彼らの入植と農地開発の象徴的な風景が残されています。
京杭大運河
The Grand Canal
ゲディの旧市街と考古遺跡
The Historic Town and Archaeological Site of Gedi
ケレタロの歴史的建造物地区
Historic Monuments Zone of Querétaro
コースとセヴェンヌ:地中海性農業牧草地の文化的景観
The Causses and the Cévennes, Mediterranean agro-pastoral Cultural Landscape
ゴールの旧市街とその要塞
Old Town of Galle and its Fortifications
国境防衛都市エルヴァスとその要塞群
Garrison Border Town of Elvas and its Fortifications
ポルトガルのアレンテージョ地方、平野を見下ろす丘陵上にあるエルヴァスは、人口数万人の穏やかな街です。ここは、スペインとの国境近くに位置し、古来、軍事上の要地として知られていました。大掛かりな要塞化が進められたのは17世紀に入ってからで、特に、独立をかけたスペインとの戦争において重要拠点となりました。さまざまな軍事施設が建設され、世界最大級の空堀と稜堡という防御構造を持つ街へと変貌していきました。後には、ナポレオン軍との戦闘の舞台にもなりました。構成資産のひとつでもあるアモレイラ水道橋は、全長が7㎞あり、イベリア半島最長です。要塞が長期間の包囲攻撃に耐えるために、水の供給は最重要課題となっていました。
サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
Pythagoreion and Heraion of Samos
エーゲ海南東部、アナトリアに近い場所に浮かぶサモス島は、全能の神ゼウスの正妻であるヘラの生誕地とされており、神話上極めて重要な島です。島がポリュクラテスという僭主(独裁者)によって支配されていた紀元前6世紀頃までに、サモス島は東地中海の主な航行拠点となりました。「ヘラ神殿(ヘライオン)」の起源は、前750年頃に建築された小規模な神殿で、前670年頃の水害で崩壊しました。その後すぐに再建された神殿は、正面に二重の列柱をもつ最初の例でした。前570年頃には2倍の面積をもち、100本以上の柱で支えられたイオニア式の神殿が建築されるのですが、今度は戦火により崩壊してしまいます。そこでポリュクラテスが命を出し、パルテノン神殿をも凌ぐ、幅55.16m、奥行き108.63mの巨大な神殿を建てようとしました。しかし、250年にもわたる工事を施したにもかかわらず、結局完成することはなく、3世紀のゲルマン人の侵入により破壊されてしまいました。
サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所
From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt
シューシュタルの歴史的水利システム
Shushtar Historical Hydraulic System
スホクラントと周辺の干拓地
Schokland and Surroundings
青城山と都江堰水利施設
Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System
聖書ゆかりの遺丘群:メギド、ハゾル、ベエル・シェバ
Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
タカリク・アバフ国立考古公園
National Archaeological Park Tak’alik Ab’aj
タラゴナの考古遺跡群
Archaeological Ensemble of Tarraco
タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水管理システム
Tarnowskie Góry Lead-Silver-Zinc Mine and its Underground Water Management System
ポーランド南部のシロンスクに位置するタルノフスキェ・グルィ地域は、ヨーロッパ有数の鉛、銀、亜鉛鉱山として知られています。16世紀半ばから19世紀後半にかけて、鉱山の発展とともに、地下水の大量流入という難題に直面し、これを解決するために50㎞以上の主要排水トンネルや、無数の坑道・竪坑を含む広大な排水網が築かれました。18世紀後半にはイギリスから蒸気機関が導入され、地下深くの水を汲み上げることができるようになりました。重力による排水坑道と蒸気揚水技術が組み合わさることで、排水に加え、鉱山水を周辺都市や産業地区の飲料水・工業用水として活用する画期的なシステムが実現しました。このシステムは、19世紀には上シレジア工業地帯(カトヴィツェ周辺)など広域への給水も担い、2001年まで稼働が続きました。
チャムパーサックの文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺跡群
Vat Phou and Associated Ancient Settlements within the Champasak Cultural Landscape
ティヴォリのエステ家別荘
Villa d'Este, Tivoli
イタリア中部、ローマ郊外にある街ティヴォリは、ローマの貴族の別荘地として名高い場所でした。北イタリアの有力な貴族であったエステ家の出身である枢機卿イッポリート・デステは、1550年にティヴォリ総督に任命された際に、新しい地位にふさわしい宮殿の建設を計画しました。ベネディクト会の修道院だった建物を住居として改装して、その周囲に大規模な庭園を造らせました。別荘全体の総面積は4万5000㎡に及び、革新的な設計はナポリの建築家ピッロ・リゴーリオが担当しました。丘を削って二つの斜面をつくり、水道橋や地下運河を築いて、近くを流れるアニエーネ川からの豊富な水を確保し、500以上の噴水を持つ庭園を築き、ルネサンス庭園の代表作となりました。