World Heritage Sites

英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国) | 世界遺産一覧

ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会

Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
ロンドン中心部のテムズ川沿いに位置するウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビー(修道院)、そしてセント・マーガレット教会は11世紀に建てられた歴史的建築物として世界中に広く知られています。何世紀にもわたって共に変化してきたこれらの建築物は、英国王室と議会、そして教会の絡み合った歴史を物語っており、今も英国の社会と政治において極めて重要な役割を果たしています。宮殿とウェストミンスター・アビーは、11世紀に敬虔なキリスト教徒であったエドワード王によって建てられました。前者は現在国会議事堂として使用されており、後者は国王及び女王の戴冠式、結婚式などの王室行事の場として機能しています。
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エディンバラの旧市街と新市街

Old and New Towns of Edinburgh
エディンバラの旧市街と新市街
小高い岩山の上に建つエディンバラ城は旧市街の代表的建築物で、7世紀につくられた砦が起源だとされています。11世紀後半からスコットランド王の居城となり、王国間の抗争やイングランドとの戦いの舞台となりました。現在見られるノルマン様式を用いた城の建物は、18世紀以降に再建れたものです。城内の宮殿は軍事博物館として使用され、歴代のスコットランド王の戴冠式で使われたスクーンの石が展示されています。エディンバラ城の東には、現在でも王室の滞在地として使用されているホリールードハウス宮殿があります。エディンバラ城とこの宮殿を結ぶ道はロイヤルマイル(王宮通り)と呼ばれ、旧市街の中心街になっています。
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海事都市グリニッジ

Maritime Greenwich
海事都市グリニッジ
ロンドン南東部、テムズ川沿いに位置するグリニッジはイギリスにおける水上交通の要となった海事都市です。かつては王宮の1つに過ぎなかったグリニッジですが、大航海時代~19世紀末までイギリスの海の玄関口として大いにその役割を果たしてきました。その大航海時代の名残を見られるのが1675年建造のグリニッジ天文台です。バロック様式の天文台で観測された恒星図によってイギリスの位置と時間が定められました。そして1884年の国際会議によってグリニッジ天文台が経度0度の本初子午線が通る基点として決定されます。その後、天文台はサセックスへ移転しますが、子午線の位置が変わることはありませんでした。王立天文台でのロバート・フックとジョン・フラムスティードの研究は、地球の動きを正確に測定することを可能にし、航海術の発展にも貢献しました。
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キューの王立植物園

Royal Botanic Gardens, Kew
キューの王立植物園
ロンドン南西部、テムズ川沿いに位置する『キューの王立植物園』は132万m2の敷地面積を持つ世界最大規模の植物園です。1759年、イギリス王室のジョージ3世の母によって創建されて以来、何世紀にもわたって集められてきた莫大な植物学的コレクション(希少植物、海外から採集した植物、資料など)が展示されています。また国際的に知られている造園家のチャールズ・ブリッジマンやウィリアム・ケント、ランスロット・ブラウンなどの作品も見ることができます。キュー植物園の景観デザインや庭園、建物、植物コレクションは後に世界中に広まったガーデンアートと植物科学の発展の礎となっており、文化的景観の価値も認められています。
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ジャイアンツ・コーズウェイとその海岸

Giant's Causeway and Causeway Coast
ジャイアンツ・コーズウェイとその海岸
緑豊かな自然が広がるアイルランド島の北端の海岸線には、正六角形をした約4万本の玄武岩の石柱が、約8㎞にわたって陸から海へとなだらかに続く石の道のように伸びています。この不思議な光景は、この地に伝わる巨人伝説にちなみ、「ジャイアンツ・コーズウェイ」(巨人の石道)と名付けられています。これらの石柱は人間が意図的に並べたように見えますが、約6,000万年前の火山の大爆発の際に、大量のマグマが冷えて固まる過程の自然現象でつくられたものです。他にも、この海岸では、12mの高さの柱が60本並ぶ「巨人のオルガン」や、浸食により崖から切り離された多くの柱が見られることから「煙突口」と呼ばれる独特の景観を見ることができます。
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ジョドレルバンク天文台

Jodrell Bank Observatory
ジョドレルバンク天文台
イングランド北西部マンチェスター郊外の田園地帯に位置するジョドレルバンク天文台は、世界最大級の電波天文観測所として知られています。送電線が無く電波干渉が最小限であることからこの地が選ばれました。広大な農村地帯に現れる巨大な望遠鏡が印象的ですが、電波天文学の発展に重要な役割を果たしている天文台でもあります。流星や月の研究、クエーサーと呼ばれるブラックホールに物質が吸い込まれる際のエネルギーによって輝く天体の発見、量子工学、宇宙船の追跡などあらゆる分野で大きな科学的成果をあげてきました。ジョドレルバンク天文台は旧来の光学天文学から電波天文学への移行を著しく証明する遺産です。また、世界遺産条約の意義の中には新しい分野の文化遺産の定義があり、ジョドレルバンク天文台はUNESCOがICOMOSやIAU(国際天文学連合)と共に進める天文遺産の分野で高い評価を受けていたこともあり、2019年に世界遺産に登録されました。
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ストーンヘンジ、エイヴベリーの巨石遺跡と関連遺跡群

Stonehenge, Avebury and Associated Sites
ストーンヘンジ、エイヴベリーの巨石遺跡と関連遺跡群
イギリス南部のソールズベリー平原にあるストーンヘンジとエイヴベリーは、先史時代に築かれたとされる、謎を秘めた巨石遺跡群です。ストーンヘンジの建設時期は大きく3つに分けられています。第1期は紀元前3100〜前2200年頃の直径100mもの外周部が形成された時期、第2期は前2100〜前2000年頃のブルー・ストーンと呼ばれる青みのある石でメンヒル群(直立石の上に水平に石を載せて連結したもの)が形成された時期、第3期は前2000〜前1100年頃の直径30mの環状列石とその内側に3つの石を門形に組んだトリリトン(三石塔)5組が馬蹄形に配置された時期とされています。これらの巨石遺跡が担っていた役割については未解明ですが、夏至の朝に環状列石の外にあるヒールストーン付近から太陽が昇り、中心部を照らすことなどから石の配置には天文学的な意味があるのではないかと考えられています。 ストーンヘンジ周辺にはダーリントン・ウォールズなどのています。
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ダラム城と大聖堂

Durham Castle and Cathedral
ダラム城と大聖堂
『ダラム城と大聖堂』は、イングランド北部、スコットランドとの国境近くにあるU字形に湾曲して流れるウェア川を見下ろす小高い丘の上に立っています。ダラム城はイングランド最大のノルマン様式の城で、1072年、ウィリアム1世がスコットランドの侵攻に備えて築きました。国王はイングランド北部の境界を守る見返りとして、実質的な自治権を歴代のダラム司教に与え、城での居住を認めました。それにより、司教は「王子司教」として宗教指導者と世俗権力の両方を握りました。1837年に城はダラム大学に寄付され、1840年以降は大学の学生寮として使用されています。
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ドーセット及び東デヴォン海岸

Dorset and East Devon Coast
ドーセット及び東デヴォン海岸
イングランド南西の沿岸部で、デヴォン州エクスマスからドーセット州スタットランド湾にかけてのイギリス海峡に面した海岸には、生物進化の過程を示す多様な化石が埋まっています。2001年に世界遺産『ドーセット及び東デヴォン海岸』として登録された155㎞に及ぶ範囲には、約2億5,200万年前の三畳紀から、ジュラ紀、白亜紀まで、約1億8,500万年にわたる中生代の地層が露出した場所が存在し、幅広い年代にまたがった多数の化石が発掘されています。そこでは、代表的なアンモナイトを始めとして、魚類、海生・陸生の爬虫類、哺乳類、そして樹木に至る多様な生物の化石が見られます。それらの化石は18世紀から今日に至るまで、300年以上にわたって古生物学や古気候学の貴重な研究史料となっています。なお、地質時代区分の古生代デヴォン紀の名称は、この東デヴォン海岸に由来しています。
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ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
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バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
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フォース鉄道橋

The Forth Bridge
フォース鉄道橋
スコットランド東部を流れるフォース川には、19世紀後半当時、新素材だった軟鋼を大量に使用し、また先端土木工学の設計原理と工法によって鉄道橋が建設されました。大きな3つのひし形の構造部分は、トラス構造と呼ばれる三角形を組み合わせた形をして強度を誇っています。また、このひし形をカンチレバーと呼び、世界で最初に複数のカンチレバーを採用したトラス橋として評価され、世界遺産に登録されました。なおこの鉄橋の工事監督には、日本の土木技術史の父とも呼ばれる渡邊嘉一氏が関わっており、20ポンド札にも登場します。1890年の開通以来、現在も鉄道が通る鉄橋として使用され続けています。
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ブレナム宮殿

Blenheim Palace
ブレナム宮殿
ロンドンの北西約90kmにある英国のバロック建築の代表例です。この宮殿は1704年のブレンハイムの戦いの勝利を讃えて、初代マールバラ公ジョン・チャーチル将軍にアン女王から下賜されたものです。完成は1722年で英国で最も著名な建築家ジョン・ヴァンブラーの最高傑作といわれます。庭園は18世紀にランスロット・ブラウンにより自然の景観を生かしたイギリス式庭園に造り替えられました。この庭園は「自然主義的なヴェルサイユ」とも呼ばれています。第二次世界大戦時の宰相ウィンストン・チャーチルはジョン・チャーチル将軍の子孫で、この宮殿で生まれました。
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ヘンダーソン島

Henderson Island
ヘンダーソン島
南太平洋ポリネシアの東端に位置する英領ピトケアン諸島のひとつで、面積37㎢の環状サンゴ礁の無人島です。17世紀初頭にスペイン人が上陸しましたが、18世紀以降は無人島となり、手つかずの原始のままの環境が残りました。ここには固有種が多く生息しており、飛べない鳥ヘンダーソンクイナをはじめとして陸鳥4種すべてが固有種です。また絶滅危惧種のヘンダーソンミズナギドリの唯一の繁殖地となっています。
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モラヴィア教会入植地

Moravian Church Settlements
モラヴィア教会入植地
モラヴィア教会は、ルター派教会の1つで、モラヴィア兄弟団とも呼ばれています。このモラヴィア教会に関係する4つの集落が国境を超えて4ヵ国に存在し、世界遺産に登録されています。これらの集落はヘルンフート(ドイツ)、ベツレヘム(アメリカ)、グレースヒル(英国)、クリスティアンスフェル(デンマーク)です。いずれの集落も、プロテスタントの理想を反映した都市計画に基づいて設立されており、平等とヒューマニズムが重視された街づくりがなされています。
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ヨーロッパの大温泉都市群

The Great Spa Towns of Europe
ヨーロッパの大温泉都市群
イタリア、英国、オーストリア、チェコ、ドイツ、フランス、ベルギーの7ヵ国に点在する11の温泉都市で構成される、国境を越えたひとつの世界遺産です。18世紀初頭から1930年代にかけて、ヨーロッパにおける温泉文化が最も隆盛を極めたことを示しています。これらの都市は、互いに影響しあいながら街づくりをし、絵画のような景観の中で、美しくデザインされたレクリエーション施設や治療・療養環境が整えられていきました。ヨーロッパの温泉文化の発展に貢献した数百の温泉地の中でも、最も洗練された大規模な都市が世界遺産に選ばれました。そのひとつである英国の「バース」は、古代ローマの温泉の遺構が残る現役の温泉施設で、1987年に『バースの市街』として単独でも世界遺産に登録されています。
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ロンドン塔

Tower of London
ロンドン塔
ロンドン市内、テムズ川のほとりに、多くの塔を含む六角形のような壁に囲まれた建築がそびえたちます。征服王とも呼ばれる11世紀にイングランド王ウィリアム1世によって、ローマ時代の城壁の一部を利用して、テムズ川を外敵から守るために建設された要塞が現在残る原型となり、歴代の王によって増改築されてきました。壁の内部で古くから造られたのは「ホワイトタワー」と呼ばれる中央に位置する宮殿のような建物で、他にも宝物庫や礼拝堂等も備えています。全体として窓は小さく、石造りで重厚な建築はノルマン様式と呼ばれ、その後のイギリス各地における要塞建築のモデルとなりました。なお軍事施設としての機能以外にも、要塞のあとは王立造幣局や、王立武器庫、さらには動物園であった時代もあり、そして刑務所や監獄として使われていた時代もありました。中世イングランドの黄金期の君主であったエリザベス1世も、若き日に異母姉のメアリー1世によって陰謀論によって一時投獄され、また母アン・ブーリンも処刑されました。(428)
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