World Heritage Sites

世界遺産一覧

("負の遺産"関連)

アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)

Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウは、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心とする民族の絶滅を目的に設立した最大の強制収容所であり、ホロコーストの象徴的な現場です。1940年にポーランドのオシフィエンチムに設立され、1942年から1944年にかけて、ユダヤ人を中心に約150万人が組織的に殺害されました。この場所が選ばれた理由は、鉄道での輸送・運搬が容易で、周囲からの隔離が比較的簡単にできること、そしてナチス・ドイツが考える劣等民族をドイツ本国内に入れないようにするためでした。この地にて殺害された人の大半はユダヤ人だったとされ、他にも政治犯や犯罪者、精神や身体に障害のある人、ロマなどの少数民族なども命を落としました。この収容所は、20世紀における人類の残酷さの象徴です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (vi)
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ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点

ESMA Museum and Site of Memory – Former Clandestine Centre of Detention, Torture and Extermination
ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点
『ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点』は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに所在する旧海軍技術学校(ESMA)の敷地内に位置する旧士官宿舎です。ESMAは1928年から2004年まで使用されていました。アルゼンチンでは、1976年から1983年にかけて軍事独裁政権が続き、その間に国家主導によるゲリラ組織や左翼勢力への弾圧が行われました。この時代は「汚い戦争」とも呼ばれ、反政府的と見なされた活動家、ジャーナリスト、学生など、約3万人の市民が秘密裏に誘拐・殺害されたとされています。ESMAはその拠点のひとつであり、アルゼンチン海軍によって5,000人以上の人々が拘禁されたとされています。
地域: 南米 / 国名: アルゼンチン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (vi)
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オーストラリアの囚人収容所遺跡群

Australian Convict Sites
オーストラリアの囚人収容所遺跡群
『オーストラリアの囚人収容所遺跡群』は、18世紀から19世紀に大英帝国によってオーストラリアにつくられた約3,000の刑務所のうち、ポート・アーサーの刑務所、カスケーズ女子工場、ダーリントン保護観察所、フリーマントル刑務所など11の施設で構成されています。当時のオーストラリアは大英帝国の流刑地で、1787年から1868年までの約80年の間に、約17万人もの成人男女や子どもが囚人としてオーストラリアに送られ、港や道路、農地、造船所の建設などインフラ整備に従事させられました。
地域: オセアニア / 国名: オーストラリア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ガーナのベナン湾沿いの城塞群

Forts and Castles, Volta, Greater Accra, Central and Western Regions
ガーナのベナン湾沿いの城塞群
西アフリカ・ガーナのベナン湾沿いには、およそ500㎞にわたり城塞群が点在します。これは、15世紀末から18世紀末にかけてヨーロッパ人により築かれたものです。もとは、ポルトガルからの航海者たちが、この地の金鉱脈に目をつけ、交易拠点として建設したのが始まりです。ガーナは「黄金(ゴールド)海岸(コースト)」という呼び名があるほどの金の産地で、そのほかにも、象牙や香辛料などが取引されていました。やがて、スペイン人、デンマーク人、スウェーデン人、オランダ人、ドイツ人、イギリス人も交易に参入し、覇権争いが繰り広げられることになります。そのような歴史のなかで築かれた城塞は60にも及びました。そのうちの3分の1程度が現存し、博物館や学校として活用されているものもあります。
地域: アフリカ / 国名: ガーナ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (vi)
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ゴレ島

Island of Gorée
ゴレ島
セネガル共和国のダカールの対岸にある『ゴレ島』は、奴隷貿易の歴史とその深い傷跡を今に伝える遺産です。ゴレ島はアフリカ大陸の最西端に位置しており、アメリカ大陸への渡航に適した地理的条件を持つため、三角貿易の重要な拠点として栄えました。その歴史は長く、15世紀から19世紀にかけて、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなどの列強が支配し、奴隷貿易の中心地として機能し続けました。この島からは、多くのアフリカの人々が奴隷として新世界へと送り出されました。
地域: アフリカ / 国名: セネガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (vi)
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人権と自由、和解:ネルソン・マンデラの遺産

Human Rights, Liberation and Reconciliation: Nelson Mandela Legacy Sites
人権と自由、和解:ネルソン・マンデラの遺産
『人権と自由、和解:ネルソン・マンデラの遺産群』は、南アフリカの故ネルソン・マンデラ元大統領にゆかりのある施設や、アパルトヘイト体制下での悲劇を記憶する場所など、14の遺産で構成されています。反アパルトヘイト運動の指導者であったマンデラは、国家反逆罪で終身刑の判決を受け、約27年にわたり獄中で過ごしました。アパルトヘイトの撤廃に人生を捧げ、白人と有色人種の和解に尽力したマンデラは、1993年にノーベル平和賞を受賞しています。1994年に実施された全人種による初の総選挙では、同国で黒人初の大統領となりました。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (vi)
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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広島平和記念碑(原爆ドーム)

Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
広島平和記念碑(原爆ドーム)
原爆ドームは、1945年8月6日に広島に投下された人類史上初の原子爆弾によって被曝した建物です。爆心地からわずか西北約150mの至近距離で壊滅的な被害を受けながらも、中心部分は倒壊を免れ、今なお当時の姿をとどめています。この建物は核兵器の悲惨さを伝える象徴であり、核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う平和記念碑として、国境を越えて半世紀以上にわたり平和の尊さを伝え続けています。毎年8月6日には、原爆慰霊碑の前で「平和記念式典」が行われ、原爆投下の時刻に合わせて黙とうが捧げられます。この式典では平和宣言が読み上げられ、未来に向けた核兵器廃絶の誓いが世界に向けて発信されます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (vi)
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ル・モルヌの文化的景観

Le Morne Cultural Landscape
ル・モルヌの文化的景観
モーリシャス南西部に位置する『ル・モルヌの文化的景観』は18~19世紀にかけて脱走した奴隷たちが身を隠して生活した岩山です。逃亡奴隷たちは天然要塞としても機能したル・モルヌ山の山頂付近や洞窟に集落を形成し隠れ家として利用しました。東方奴隷貿易の重要な拠点であった、モーリシャスには多くの奴隷(マルーン)が住んでいたことから「マルーン共和国」とも呼ばれていました。またアフリカ本土だけでなく、マダガスカルや東南アジアの奴隷の出身地とも関連のある遺物も見つかっています。現在は奴隷制への抵抗や自由の象徴となっています。
地域: アフリカ / 国名: モーリシャス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ルワンダ虐殺の記憶の場:ニャマタ、ムランビ、ギソジ、ビセセロ

Memorial sites of the Genocide: Nyamata, Murambi, Gisozi and Bisesero
ルワンダ虐殺の記憶の場:ニャマタ、ムランビ、ギソジ、ビセセロ
ルワンダ内戦中の1994年4月から7月の約100日間にかけて行われた「ジェノサイド(大量虐殺)」を伝える遺産です。フツ族とツチ族の民族対立から広がった争いは「インテラハムウェ」と呼ばれる民兵武装集団により、ルワンダ全土で推定100万人が犠牲となる悲劇を生むことになりました。この遺産は、将来への教訓を伝える「負の遺産」と考えられると同時に、2023年の世界遺産委員会では「近年の紛争(リーセント・コンフリクツ)」における議論を前提とした「記憶の場」に関する世界遺産として登録されたうちの1件でもあります。(残り2つは「ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点(アルゼンチン共和国)」「第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場(ベルギー王国/フランス共和国)」)
地域: アフリカ / 国名: ルワンダ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (vi)
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ロベン島

Robben Island
ロベン島
南アフリカ南部、ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島は、今でこそ島全体が博物館になり、観光客が日々訪れていますが、1991年までは監獄として使われていました。この島には、人種差別や人権抑圧に抵抗し、民主主義と自由のために闘った歴史を伝える建造物が残っています。周囲の海流が激しく、自力で脱出することは困難であったため、17世紀頃、オランダやイギリスの植民地時代から流刑地として使われていました。また、時代によって、ハンセン病患者の隔離施設や精神病院、さらには国防訓練基地としても用いられてきました。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(vi)
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