ルクセンブルク市の旧市街と要塞
ルクセンブルク市街地。写真手前はノートル・ダム大聖堂

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : ルクセンブルク大公国 分類 : 文化遺産 登録年 : 1994年 登録基準 : (iv) 遺産の面積 : 0.2994㎢ バッファ・ゾーン : 1.0873㎢ 座標 : N49 36 36 E6 7 60

about

ヨーロッパの重要位置にあり城塞都市として発展した歴史ある街

この街の歴史は、ジーゲフロイド伯が「ボックフェルゼン」と呼ばれる岩山に小さな城を築いたところから始まりました。ルクセンブルクはヨーロッパの要衝にあたることから城塞都市として発展していき、近代ヨーロッパ最大の要塞の一つに数えられています。12世紀には城の近くの集落が石造りの城壁に守られるようになり、14世紀と15世紀には城壁が拡張されました。ブルゴーニュ軍に占領されたのちに、相続によりハプスブルク家に渡りスペイン領となるなど、発展の背景には様々な変遷の歴史があります。

スペイン統治時代の「大公宮殿」

16世紀のスペイン統治時代に建造された「ルクセンブルク大公宮殿」には、「イスパノ・モレスク様式」と呼ばれる8~13世紀に流行したイスラム教徒支配下のスペイン芸術様式の浮き彫りが施されています。また、同じくスペイン統治時代に建造が始まった「カゼマッテ」と呼ばれる地下道要塞の一部も残っています。ルイ14世統治下のフランスによって征服されると、築城の名手ヴォーバンにより要塞は強化・拡張されることになりました。ヴォーバンについては「ヴォーバンによる要塞建築群」として手掛けたフランスの12の建造物群が世界文化遺産として登録されています。

「3個のどんぐり」を擁するテュンゲン要塞

有名な要塞の一つが19世紀のプロイセン占領下に完成した「テュンゲン要塞」です。この要塞に備わる特異な3基の塔はその形状から「3つのどんぐり」と呼ばれています。要塞都市として発展してきたルクセンブルクは1867年のロンドン条約により要塞の大部分が取り壊されることとなりました。現在はヨーロッパの金融の中心として発展しているルクセンブルクですが、城壁や砦、城砦などの名残が残っており歴史的な城塞都市の傑出した例となっています。

アクセス

日本からルクセンブルクへの直行便はないため、ヨーロッパの主要都市で乗り継いで入国する。空港から旧市街までは車で約30分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/保育士/社会福祉士

保育士の資格を取得後、2005年より児童関係の仕事に就く。仕事をしながら社会福祉士の資格を取得し、興味を持っていた世界遺産検定にも挑戦。世界遺産検定1級を複数回合格。現在は仕事と並行しながら保育や世界遺産を中心としたブログも執筆している。

Details

Bock Casemates / Bockfiels or Um Bock
963年、ジークフリート伯爵が「ボックフェルゼン」と呼ばれる岩山に小さな城を築きました。この城が、後のルクセンブルクの礎となります。「ボックの砲台」は数kmにわたる地下トンネル(カズマット)を巡らせた巨大な要塞です。スペイン統治下の17世紀から掘削が始まって以降、2度にわたって拡張され、18世紀半ばにはオーストリア人によってさらに強固なものへと整備が進められました。その重要性と堅牢さから「北のジブラルタル」とも呼ばれています。
St Michael's Church in Luxembourg / Méchelskierch
987年に創建された「サン・ミッシェル教会」は、ルクセンブルク市で最も古い教会です。もとはルクセンブルク伯爵の居城にあった礼拝堂の跡地に建てられました。その後、数世紀にわたり幾度も破壊されましたが、そのたびに再建・改築・拡張が重ねられてきました。現在の姿は、1688年までに改築されたもので、ロマネスク様式とゴシック様式、そしてバロック様式が美しく調和しています。教会の内部は簡素なつくりですが、17世紀中頃に制作された教会の守護聖人「ミカエル像」や、1690年に寄贈された「ピエタ像」などが見どころとなっています。
Grand Ducal Palace / Groussherzogleche Palais
「ルクセンブルク大公宮」は、ルクセンブルクの象徴的な存在です。現在の宮殿がある場所には、1418年に建てられた、ルクセンブルク市で最初の市庁舎がありました。1554年、フランシスコ会修道院の屋根裏部屋に保管されていた火薬の爆発により市庁舎が全焼したため、再建が行われました。ルネサンス様式の正面外壁(ファサード)は、この時期につくられたものです。18世紀に拡張された市庁舎は、その後、中央行政機関や県庁舎として使用されました。さらに、1815年のウィーン会議によってルクセンブルクがオランダ王家との同君連合による大公国となると、1817年にはこの建物が総督公邸に指定されました。オラニエ=ナッサウ大公ヴィルヘルム1世(オランダ国王ウィレム1世)の治世下では、政府機関として使用されたほか、州議会や、1859年までは下院など、様々な行政機関が使用していました。
Cathedral Notre-Dame / Cathédrale Notre-Dame
1613年に建設が開始された「ノートル・ダム大聖堂」は、もとはイエズス会の教会として建てられました。主に後期ゴシック様式で建てられているものの、ルネサンス様式に影響を受けた様々な装飾も見られ、高さ40mに達する2つの塔を含む3つの塔が印象的な外観を見せています。正面の入り口に刻まれた日付から、その完成は1621年であったことが分かります。1773年にイエズス会が解散すると、宣教師たちはルクセンブルクを去り、教会の運営は国に移管されました。その後、1778年にオーストリア皇后マリア・テレジアからルクセンブルク市に寄贈されたこの教会には、奇跡を起こし苦しむ人々を慰める聖母として、ルクセンブルク市とルクセンブルク大公国の守護聖人となっていた聖母マリア像が安置されました。1844年からは「ノートル・ダム教会」として知られるようになり、1870年にルクセンブルク司教区が設立されると、教皇ピウス9世によって大聖堂へ昇格しました。その後、増加する信者に対応するため、聖堂は何世紀にもわたって拡張されました。1935年から1937年にかけて、南側に翼廊や新しい聖歌隊席、そして地下聖堂が増築・拡張され、現在の姿となりました。
Holy Ghost Citadel / Citadelle Saint-Esprit
「聖霊の砦」があるこの高台には、1234年に同じ名前を持つ修道院が建設されました。14世紀に第3の環状城壁が築かれた際、この高台は城壁の内側へと組み込まれました。16世紀半ばから始まるスペイン統治時代には、その軍事的・戦略的な重要性が注目されるようになります。その後1685~1687年にかけて、フランスの軍事要塞建築家ヴォーバンが砦の敷地を拡張し、城壁を強固な稜堡へと補強したことで、現在見られる砦の基本的な形が整えられました。現在、この場所には裁判所などが集まり、ルクセンブルクの司法の中心地となっています。
Église Saint-Jean-du-Grund
グルント地区にある「サン・ジャン教会」は「聖ヨハネ教会(洗礼者聖ヨハネ教会)」とも呼ばれ、1309年の文書には、「サン・ジャン病院」と「サン・ジャン教会」の名がすでに記されていました。1606年にはノイミュンスター修道院とサン・ジャン教会が同時に再建されますが、1683~1684年にフランス軍に破壊されたため、1688年から1705年にかけて同じ場所に再建されました。現在の姿はこの当時から残るものです。ルネサンス様式の入り口、豪華なバロック様式の調度品、1710年製のパイプオルガンなどを鑑賞することができ、なかでも14世紀にケルンのパルラー派によって制作された「黒い聖母マリア像」は、この教会の最大の見どころとなっています。

遺産DATA

分類 : 文化遺産
登録年 : 1994年
登録基準 : (iv)
遺産の面積 : 0.2994㎢
バッファ・ゾーン : 1.0873㎢
座標 :N49 36 36 E6 7 60

アクセス

日本からルクセンブルクへの直行便はないため、ヨーロッパの主要都市で乗り継いで入国する。空港から旧市街までは車で約30分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/保育士/社会福祉士

保育士の資格を取得後、2005年より児童関係の仕事に就く。仕事をしながら社会福祉士の資格を取得し、興味を持っていた世界遺産検定にも挑戦。世界遺産検定1級を複数回合格。現在は仕事と並行しながら保育や世界遺産を中心としたブログも執筆している。