1~30件を表示中(全64件中)
アープラヴァシ・ガート
Aapravasi Ghat
アフラージュ-オマーンの灌漑システム
Aflaj Irrigation Systems of Oman
アフラージュとは、井戸の底を横穴でつなげた灌漑システムのことです。そのもととなるファラジ(アフラージュはファラジの複数形)はオマーンに約3,000あると言われています。その歴史は古く、紀元前2500年頃から存在していたという説もあります。アフラージュでは地下水や地表水などの限られた水資源が収集され、家庭用およびナツメヤシを含めた農業用水として公平に分配されました。その際、日時計などで各水路に水を流す時間を管理していました。このあたりは年間降水量が非常に少ないため、水の分配は命に関わることでした。先人たちの知恵により造られたこれらの灌漑施設は、今でも現役で稼働しており、重要な役割を果たしています。
アマルフィ海岸
Costiera Amalfitana
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観
Al-Ahsa Oasis, an Evolving Cultural Landscape
アルト・ドウロのワイン生産地域
Alto Douro Wine Region
ヴァッハウ渓谷の文化的景観
Wachau Cultural Landscape
ドイツ南部から中・東欧を抜けて黒海へと注ぐドナウ川の流域のうち、オーストリア北東部の都市メルクとクレムスの間に広がるヴァッハウ渓谷は、特に風光明媚なことで知られ、訪れる人に感動を与えてくれます。この地域の歴史は非常に古く、先史時代の遺物が数多く出土しており、ガルケンベルクでは約3万2,000年前の、ヴィレンドルフでは約2万6,000年前のものと推定される像が発見されています。その後の青銅器時代、鉄器時代を経て、ケルト人の王国ノリクムや、ローマ帝国の国境都市マウテルンが置かれるなど、歴史の舞台となりました。中世にはバーベンベルク家の支配下で町や修道院が発展し、11〜12世紀には現在の街の基礎が築かれました。ヴァッハウはドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にも登場し、地域の歴史的重要性を物語っています。
ウンム・アル・ジマール
Umm Al-Jimāl
エーランド島南部の農業景観
Agricultural Landscape of Southern Öland
スウェーデン南東部バルト海に浮かぶエーランド島の南部には、先史時代から現代に至るまで、人々が農業とともに生きたことを伝える景観が残っています。石灰岩質の痩せた土壌にもかかわらず約5,000年もの間、人々はこの島の地形に適応しながら暮らしてきました。現在見られる農業景観や地域社会には、鉄器時代にまで遡る土地利用・区分、地名といった独自の文化的伝統が残されています。また、青銅器時代や鉄器時代の墓所や、16~18世紀につくられた大小400基もの風車も残っています。島民は現在でも、何世代にも渡って耕されてきた土地を耕し、何千年と受け継いできた牧草地で家畜の放牧を行っています。この類稀な文化継承は「生きた農業景観」として将来世代へ受け継ぐ重要性を語っています。
普洱(プーアル)の景邁山古茶林の文化的景観
Cultural Landscape of Old Tea Forests of the Jingmai Mountain in Pu’er
中国南西部の雲南省普洱(プーアル)市にある景邁(けいまん)山は、普洱茶の原産地と考えられている場所です。10~14世紀頃にこの地へ移り住み、野生の茶樹を発見した少数民族の布朗族(プーラン族)と傣族(タイ族)は、自然林の一部の樹木と低木を間引きし、そこに茶樹を植える林下栽培という手法で茶の生産を行ってきました。古茶林は高木層、低木層、草本層の3つに分かれ、茶樹は主に低木層に生育します。森林の生態系を生かし、普洱茶の生育に理想的な環境をつくり出しました。また、布朗族と傣族がもつ茶祖信仰や伝統的な儀式は、千年以上にわたり古茶林の景観を維持するのに重要な役割を果たしてきました。布朗族と傣族は景邁山に定住し茶樹を発見して栽培を始めた先祖を「茶祖」として崇拝しており、毎年4月に茶祖に祈りを捧げる祭りがとり行われています。世界遺産には古茶林のほか、集落や防護林なども登録されています。
エルチェの椰子園
Palmeral of Elche
オーストラリアの囚人収容所遺跡群
Australian Convict Sites
オリーヴとワインの土地-バッティールの丘:南エルサレムの文化的景観
Palestine: Land of Olives and Vines – Cultural Landscape of Southern Jerusalem, Battir
オリンダの歴史地区
Historic Centre of the Town of Olinda
オルチア渓谷
Val d'Orcia
カルメル山の人類の進化を示す遺跡群:ナハル・メアロット/ワディ・エル・ムガラ洞窟
Sites of Human Evolution at Mount Carmel: The Nahal Me’arot / Wadi el-Mughara Caves
キナリグ人の文化的景観と移牧の道「カッチ・ヨル」
Cultural Landscape of Khinalig People and “Köç Yolu” Transhumance Route
キューバ南東部におけるコーヒー農園発祥地の景観
Archaeological Landscape of the First Coffee Plantations in the South-East of Cuba
キューバがスペインの植民地だった19世紀につくられた、初めてのコーヒー農園の跡です。世界遺産に登録された範囲は、東京23区の総面積の約1.3倍の814.75㎢にもおよびます。171のプランテーションからなる広大な敷地には、所有者の家、水道橋、製粉所、発酵タンク、乾燥小屋のほか、加工したコーヒー豆を市場に運ぶための道路なども含まれ、開拓当時のコーヒー生産と、農業技術を示す文化的景観が残されています。コーヒー農園は20世紀まで続けられましたが、他国の新しい生産の手法におされ、やがてキューバでの生産は衰退していきました。現在は、農園のオーナーの屋敷跡や農園跡地が点在しています。19世紀に本格化したコーヒー農園の経営は、原生林を開拓した当時の農業形態を今に伝える世界で唯一の遺構とされています。
キンデルダイク-エルスハウトの風車群
Mill Network at Kinderdijk-Elshout
ククの古代農耕遺跡
Kuk Early Agricultural Site
オーストラリア大陸の北、パプアニューギニアの南部に位置するククの古代農耕遺跡は、7,000~6,400年前頃に植物の利用から農業へと転換した技術革新を示しています。海抜1,560mのクク湿地帯は、ニューギニア高地の山間の谷に位置しています。ここに人類は2万5,000年前頃の更新世後期に定住したと考えられています。30年にわたる遺跡の発掘調査によって、少なくとも7,000年前、おそらくは1万年前までには、この遺跡で耕作が行われていた証拠が見つかっています。また、7,000年前から4,000年前までの間に、自生している植物の採集から、排水された畑での体系的な農業へと、独自の大きな進化が起こったことが明らかになっており、これはオセアニアにおける植物の栽培化に関する最古の証拠です。サトイモ、ヤムイモ、その他のデンプン質の食物の加工に関わる石器も発見されており、この地域の住民は大きな土塁の上でバナナとヤムイモを栽培し、土塁の縁などでは湿った地面に耐えられるタロイモを栽培していたようです。バナナの中には、後に世界最大の栽培化されたバナナの元となった野生種も含まれていました。最近の遺伝子研究は、バナナが当初ニューギニアで栽培化され、その後東南アジアに広まったことを示唆しています。
クジャター・グリーンランド:氷冠周縁部におけるノース人とイヌイットの農業地域
Kujataa Greenland: Norse and Inuit Farming at the Edge of the Ice Cap
グラン・プレの景観
Landscape of Grand Pré
ここはカナダ東部ノヴァスコシア州のミナス湾の湿原帯と考古遺跡群で、広さは13㎢以上あります。ここには17世紀にフランス系入植者(アカディア人)が環境に適応して農地開発を進めてきた歴史が残されています。彼らは世界で最も干満差が激しい(平均11.6m)といわれるこの地に、堤防や木製水門システム(アボトー)を用いて広大な干拓農地をつくり出しました。さらに、その土地区画の方法や作物栽培法は何世紀にもわたって受け継がれ、彼らの生活様式の跡と合わせて、きわめて重要な考古学的遺跡ともなっています。アカディア人は1755年のグラン・デランジュマンと呼ばれる出来事でこの地を追放されてしまいましたが、彼らの入植と農地開発の象徴的な風景が残されています。
ゲデオの文化的景観
The Gedeo Cultural Landscape
エチオピア高原東部の断崖に沿って広がるゲデオの文化景観は、地域社会が長い年月をかけて自然環境を抑制された中で最大限に活用する共生システムを考案してきたことを示す類いまれな例です。先住民ゲデオ族は長年にわたり、そして今もなお、「アグロフォレストリー(森林農業)」という文化的伝統を守っています。アグロフォレストリーは、同じ土地に樹木と農作物を植え、農業と林業を同時に行う手法です。この地域では、主要な食用作物エンセーテを巨木が覆い、さらにその下には主要な換金作物であるコーヒーなどの低木が植えられている様子が見られます。樹木を階層的に栽培し、作物の生育環境を確保しているのです。自然の生態系に近い、持続可能な土地利用ができる農法として注目を集めています。
コースとセヴェンヌ:地中海性農業牧草地の文化的景観
The Causses and the Cévennes, Mediterranean agro-pastoral Cultural Landscape
コネリアーノとヴァルドッビアーデネのプロセッコ栽培丘陵群
Le Colline del Prosecco di Conegliano e Valdobbiadene
コネリアーノとヴァルドッビアーデネは、イタリア北東部ヴェネト州の2つのコムーネ(自治体)で、ヴェネツィアから北へ55㎞ほど離れた丘陵地帯に位置し、プロセッコと呼ばれるブドウの品種を使用した発泡性の白ワインの産地として知られています。「ホッグバック」と呼ばれる長くて狭い尾根が見られる丘陵地や、「チリオーニ」と呼ばれる草が茂った狭い段丘を利用して、17世紀から小さな区画で仕切られたブドウ畑が作られました。そこには、傾斜に沿って垂直に交わったブドウの列が見られて、チェス盤のような独特な景観がつくり出されました。背の高いブドウを左右に並べて、トンネルのように枝を張らせる「ベルッセラ」という独特の栽培法が19世紀に開発されて、美しいブドウ畑の景観が拡がりました。点在する集落や周囲の森などと合わせた文化的景観としての価値が、世界遺産として認められています。
コルドバのイエズス会管区教会堂と農園跡
Jesuit Block and Estancias of Córdoba
コロンビアのコーヒー農園の文化的景観
Coffee Cultural Landscape of Colombia
多くの方に嗜好品として愛されるコーヒーですが、その農園が世界遺産になるケースもあります。コロンビアのコーヒー農園はその代表例のひとつです。コロンビア西部、18の都市と6ヵ所の農業地帯からなる一帯は「エヘ・カフェテロ」(コーヒーの栽培の軸)と呼ばれて、19世紀からコロンビア北西部のアンティオキアからやってきた人々により農地が拓かれました。55度以上の傾斜をもつ急峻な山脈で、伝統的なコーヒー豆の生産が行われ、数世代にわたって今でもコーヒー豆が生産されているのが、非常に価値のあるものとみなされています。現在、コロンビアのコーヒー豆の生産量は世界3位(ブラジル、ベトナムに次ぐ)であり、この地域のコーヒー生産が少なくともそれに貢献していることは間違いありません。
コンソの文化的景観
Konso Cultural Landscape
エチオピアのコンソ高原には、石積みの段々畑と要塞化された集落が広がっています。約400年前、この地に移住してきたコンソ族は、20世代以上に渡り独自の文化を育んできました。山の斜面に沿って築かれた段々畑には、土壌を浸食から守り、限られた水を確保する工夫が凝らされています。段々畑を登った丘の上には、石壁によって要塞化された集落が形成されており、茅葺の家屋や倉庫、「モラ」と呼ばれる公共広場が点在しています。また、儀礼や埋葬の際に使われる、神聖なる森林が3つあります。この地では、崇敬された人物や英雄たちの死後、「ワカ」と呼ばれる木像にしてたたえるという葬儀の習俗が続いており、カラの森やモラ、城門近くで木像を見ることができます。
サン・テミリオン地域
Jurisdiction of Saint-Emilion
ジェルバ:島嶼部への入植様式の証拠
Djerba: Testimony to a settlement pattern in an island territory
9~18世紀のチュニジアのジェルバ島では、自給自足的な集落が形成されていました。住居兼農業生産の場であるメンゼルには、半乾燥地帯で水を有効活用するための設備が備わり、メンゼルの集合体であるフーマには、織物や陶器などの生産施設が置かれました。また、外部からの攻撃に 備えた要塞のような外観も特徴です。フームはメディナのように密集したユダヤ人地区のハラとつながっていて、イスラム教イバード派の人々とユダヤ人が平和的に共存していました。イバード派とはイスラム教の宗派のひとつで、スンナ派、シーア派より早く成立し、寛容な姿勢と平和主義が特徴です。現在、アラビア半島の国オマーンではこの宗派が大多数を占めています。
慈善のための居住地群
Colonies of Benevolence
『慈善のための居住地群』は、啓蒙主義思想に基づいて行われた、19世紀の社会改革の実験にまつわる遺産です。ナポレオン戦争後に成立したネーデルラント連合王国(現在のオランダとベルギー)は、経済的に疲弊し、都市部の貧困問題に頭を悩ませていました。この状況に対応するため、人里離れた荒れ地に農業を基盤とした居住地を設立するという取り組みが進められました。貧しい人々が農業を通じて生計を立てると同時に、人々が勤勉で自立した市民となり、国の富を増やす存在になることが期待されていました。最盛期の19世紀半ばには、オランダ国内の居住地だけで1万1,000人以上、ベルギーでは1910年に約6,000人が居住地で生活をしていました。