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ヴルコリニェツの伝統的集落
Vlkolínec
エル・ビスカイノ鯨保護区
Whale Sanctuary of El Vizcaino
エンゲルスベリの製鉄所
Engelsberg Ironworks
スウェーデン、ヴェストマンランド地方にある『エンゲルスベリの製鉄所』は、17~19世紀にかけてスウェーデンの鉄鋼産業に多大な影響を残しました。ここは、スウェーデンの基幹産業が、鉄鉱石の採掘、製鉄となるに至る歴史を伝える場所です。12世紀に農業活動を補うために、この地で鉄鉱石の採掘、製錬のための工場建設が始まりました。そして18世紀末には、鉱石粉砕機や炭貯蔵庫、そして現在も残る高炉などが当時の最新技術で導入され、生産量が大幅に増加します。しかし、技術の進歩に追いつけず、最終的には1919年に操業を停止しました。現在では高炉の他に、検査官の家や庭師の家、工場主の木造家屋など50軒以上の建物がほぼ完全な形で保存されています。
コロとその港
Coro and its Port
サカテカスの歴史地区
Historic Centre of Zacatecas
ザビードの歴史地区
Historic Town of Zabid
ザビードはイエメン西部、紅海沿いにある古都です。820年、反乱鎮圧のため、アッバース朝の総督だったムハンマド・イブン・ズィヤードがこの地に派遣されてきたことを機に発展しました。13~15世紀の最盛期には200以上のマドラサ(高等教育施設)やモスクが林立。イスラム学者により大きく発展していた科学などを学ぼうとする学生を世界中から受け入れました。今もザビードにはイエメン最多の86のモスクが集中しています。多くは簡素なレンガ造りですが、中には精巧な彫刻や漆喰の装飾が施されたものもあります。スークに囲まれた大モスクやマドラサなど、かつての名声を偲ばせる建造物が多数原型をとどめており、それがこの都市を卓越した考古学的・歴史的遺産にしているのです。
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院
Royal Monastery of Santa María de Guadalupe
スペイン西部、山々に囲まれた渓谷を見下ろす美しい街グアダルーペにある『サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院』は、スペインにおけるマリア信仰の中心地です。ここには、聖人ルカが1世紀に彫ったとされる黒い木彫りの聖母像(マリア像)が祀られています。8世紀、イスラム勢力から逃れたキリスト教徒が水辺に聖母像を隠しました。13世紀後半に聖母像が発見されると、その場所に教会が建てられます。一連の噂は時のカスティーリャ王アルフォンソ11世の耳に届き、この地へ訪れると教会は拡張されました。その後も4世紀にわたって増改築が繰り返され、現在ではムデハル様式、ゴシック様式の回廊を含む、多種多様な建築様式を持つ8つの主要建造物が王立修道院を構成しています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
Routes of Santiago de Compostela: Camino Franc?s and Routes of Northern Spain
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、キリスト教の巡礼路です。1993年に、ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く巡礼路が、世界遺産に登録されました。「サンティアゴ」とは、スペイン語で、キリスト教の使徒のひとりである聖ヤコブのこと。聖ヤコブがスペインにおいて福音を説いたという伝説は、7世紀初頭には存在していました。「使徒の休む場所は、福音を説いた場所にあるべきである」という聖ヒエロニムスの教えがあることから、聖ヤコブの遺体は、殉教地のエルサレムからスペインに移送されたと信じられていました。9世紀に聖ヤコブの墓が発見されると、この報せが西ヨーロッパの各地に広がり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ヴァティカンに次ぐ聖地としてカトリック世界に定着していきました。
サンフランシスコ山地の洞窟壁画
Rock Paintings of the Sierra de San Francisco
サンフランシスコ山地の洞窟壁画は、バハ・カリフォルニア半島、エル・ビスカイノ生物圏保護区内に位置する、世界有数の岩絵が残る遺跡です。岩絵は紀元前1100~後1300年ごろまでこの地域に暮らしていた先住民によって描かれ、スペインの植民地以前の歴史を残す重要な場所でもあります。岩絵は非常に良好な状態で残っており、人間や動植物が写実的に描かれていると同時に、抽象的な絵も赤や黄色、オレンジ、白、黒など天然素材から生成された顔料で色彩豊かに描かれています。一部の壁画は非常に高い位置や岩の張り出し部分に描かれ、その巨大さが強調されているなど、さまざまな技法が用いられています。さらに洞窟内には顔料を混ぜるためのパレットとして使用されたと考えられる、岩の窪みなども残っています。
白神山地
Shirakami-Sanchi
セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギエフ大修道院
Architectural Ensemble of the Trinity Sergius Lavra in Sergiev Posad
ロシア教会建築の「真珠」とも称されるトロイツェ・セルギエフ大修道院は、モスクワの北東70kmの地点にあるセルギエフ・ポサド市にあります。1337年、ロシアの偉大な修道院長であり、ロシア正教会の聖人の中でも最も崇敬される人物の一人である、セルギー・ラドネシスキーによって建立されました。トロイツェとは正教会の用語で他の教派でいう「三位一体」を示します。セルギーはモスクワ大公であったドミトリー・ドンスコイの精神的な助言者として高い名声を博し、1380年のクリコヴォの戦いではドンスコイに祝福を授けました。彼はまた、共住制修道生活の理念をロシアに広めたことでも有名です。この修道院はマコヴェツ丘陵の小さな木造教会として始まり、時代とともに発展し、強固なものとなっていきました。
デリーのクトゥブ・ミナールとその関連施設
Qutb Minar and its Monuments, Delhi
デリーのフマユーン廟
Humayun's Tomb, Delhi
トゥバッタハ岩礁自然公園
Tubbataha Reefs Natural Park
パラナ川沿いのイエズス会布教施設群:ラ・サンティシマ・トリニダ・デ・パラナとヘスス・デ・タバランゲ
Jesuit Missions of La Santísima Trinidad de Paraná and Jesús de Tavarangue
パラグアイは、周囲をアルゼンチン、ブラジル、ボリビアに囲まれた内陸国です。同国の南部、ラプラタ川の源流のひとつバラナ川北岸に残るミッションは、イエズス会修道士たちが先住民のグアラニ人とともに暮らしたレドゥクシオンの跡です。グアラニ人は、南アメリカの先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけての地域に住んでいました。レドゥクシオンとは、16世紀以降南アメリカで、イエズス会が、先住民をキリスト教化するために設置した大規模集落のことです。ここでの農業と工芸は大きな利益をあげ、一帯は「パラグアイのイエズス会国家」と呼ばれました。 1609年にスペイン王がパラグアイの国境地帯をイエズス会に譲渡し、バラナ川流域にイエズス会伝道団ごとに30ヵ所のレドゥクシオンが築かれたことから始まります。最古の歴史を持つサン・コスメ・イ・ダミアンでは学校や墓地、住居、日時計などの遺構が残っています。タパランゲには、広場を中心に建物が建設される教化集落特有の市街地があります。約4,000人が暮らしたとされるラ・サンティシマ・トリニダ・デ・パラナは、最も熱心に伝道に取り組んだ場所で、パラナ川流域の伝道の中心地でした。イエズス会の建築家フアン・バウティスタ・プリモーリの設計したラ・サンティシマ・トリニダ聖堂は、1706年に築かれ、キリスト教の聖堂建築とグアラニ人の装飾芸術が融合したものとなっています。
バンスカー・シチアウニツァの鉱山都市と近隣の技術遺産
Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity
バンベルクの旧市街
Town of Bamberg
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州北部フランケン地方に位置しています。町の基本的な構造は初期中世の都市計画をよく残しており、中世の宗教建築や世俗建築が数多く現存している中央ヨーロッパの都市の好例となっています。バイエルン公ハインリヒ2世が1007年にドイツ王となった際、彼はバンベルクを司教座の所在地とし、「第二のローマ」とすることを意図しました。現在の町が示している、農業(市場向けの菜園やブドウ畑)と都市の流通拠点との結びつきは、特に興味深いものです。10世紀以降、バンベルクはスラヴ諸民族、特にポーランドやポメラニアの人々との重要な交流拠点となりました。12世紀以降の最盛期には、この町の建築は北ドイツやハンガリーに強い影響を与えました。18世紀後半には、バンベルクは南ドイツにおける啓蒙思想の中心地となり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルやE.T.A.ホフマンといった著名な哲学者や作家がここに住んでいました。
姫路城
Himeji-jo
ビルカとホヴゴーデン
Birka and Hovgården
スウェーデンで3番目に広い湖、メーラレン湖には「ビョルケー島」と「アデルスエー島」が浮かんでいます。ビルカとホヴゴーデンは、この2つの島に位置しており、ヴァイキングの交易地であった遺跡が残っています。ビョルケー島のビルカは、ヴァイキングの交易地として8~10世紀にかけて繁栄したほか、9世紀にはハンブルク=ブレーメン大司教のアンスガールが訪れたことで、スウェーデンのキリスト教化のはじまりの拠点となりました。ここでは城壁や2,000を超える墳墓、ゲルマン人が用いたとされるルーン文字の石碑などが見つかっており、墳墓の副葬品からはヴァイキングが遠く離れたビザンツ帝国とも交易を行っていたことが証明されています。また、アデルスエー島のホヴゴーデンではヴァイキング時代の王宮跡と思われる遺跡も見つかっています。
フィリピンのバロック様式の教会群
Baroque Churches of the Philippines
フエの歴史的建造物群
Complex of Hué Monuments
ブハラの歴史地区
Historic Centre of Bukhara
ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群
Brú na Bóinne - Archaeological Ensemble of the Bend of the Boyne
『ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群』は、アイルランドに現存する最大の先史遺跡であり、首都ダブリンの北約40km、ボーニャ川とマトック川に挟まれた尾根に位置しています。現在は主に農地として利用されているこの地域は、100年以上にわたり考古学者や歴史学者によって広範囲に調査され、多くの特徴が発掘調査によって明らかになってきました。遺産は、ニューグレンジ、ノウス、ダウスの3カ所にある大型石室墓と、点在する40以上の古墳で構成されています。これらの古墳群は、古代における重要な儀式の中心地であったと考えられているほか、鉄器時代、初期キリスト教時代、中世といった後の時代にも遺跡が築かれており、極めて重要な歴史的価値を有しています。
法隆寺地域の仏教建造物群
Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
『法隆寺地域の仏教建造物群』は、法隆寺に属する47棟と法起寺の三重塔1棟の合計48棟で構成されています。法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔など、7世紀後半から8世紀にかけて建立された11棟の建造物は、現存する世界最古級の木造建造物です。中国の優れた政治や文化、仏教を積極的に取り入れていた厩戸王(聖徳太子)は、601年に斑鳩宮を築き、推古天皇と共に移り住みました。そして、その西に607年頃、若草伽藍(斑鳩寺)を建立しました。これが法隆寺の起源とされています。同じ頃に中宮寺や岡本宮(法起寺)も建立され、斑鳩伽藍群が完成したと考えられています。622年に厩戸王が没すると、643年には蘇我入鹿の兵によって斑鳩宮が焼き払われ、斑鳩寺も670年に焼失しました。若草伽藍の遺構は、法隆寺境内の地下に「若草伽藍跡」として残されています。現在の法隆寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、現在の法隆寺西院の位置に再建されたものです。
ホヤ・デ・セレンの考古遺跡
Joya de Cerén Archaeological Site
エルサルバドル西部の「ホヤ・デ・セレンの考古遺跡」は600年頃のロマ・カルデラ火山の噴火によって埋もれた農村集落の遺跡です。200人ほどの住民が暮らしていたと考えられていますが、突然の火山の噴火によって急に集落を放棄せざるを得なかったためか、豆の入った鉢などが散在した状態で見つかるなど、当時の生活の様子をそのまま伝える貴重な遺跡です。この集落跡は1976年に穀物貯蔵庫を建設する工事の際に偶然見つかったものですが、その後の発掘調査により、スペイン到達前のメソアメリカにおける村落の様子が非常に良好な保存状態で見つかっています。日干しレンガでつくられた住居跡や共同浴場跡、木製農耕具がほぼ完全な状態で発掘されたほか、陶器や香具、染料などの日用品やトウモロコシやカカオ豆といった食料までもが発見されています。
ホレズの修道院
Monastery of Horezu
ルーマニア中部ワラキア地方西部のホレズ近郊に1690年に建てられた修道院です。当時の領主であったコンスタンティン・ブルンコヴァヌ公によって建造されたもので、彼とその家族はワラキアの多くの修道院や教会の建設に尽力し、それらは彼の名を取ったブルンコヴァヌ様式と呼ばれています。ホレズの修道院はこの様式を代表する建造物として知られ、ギリシャ十字型の土台の中央に主聖堂のカトリコン聖堂が置かれ、東西南北の四端に付属聖堂としての使徒聖堂、聖母聖堂、聖ステファヌス聖堂、天使聖堂が配置されています。主聖堂のカトリコン聖堂は1690年から1692年にかけて建設され、内装を含めてさらに2年後に完成しました。3つの側廊を持ち、非常に大きなナルテクス(拝廊)を持っており、これは16世紀初頭に建造されたクルテア・デ・アルジェシュ修道院の大聖堂に倣ったものです。内部下層の壁面は、コンスタンティン・ブルンコヴァヌとその妻、11人の子供達の奉納画で埋め尽くされており、エクソナルテクスの東壁には「最後の審判」が描かれています。これらの内部装飾や外観はワラキア独自の文化とギリシャから伝わった様式の融合が見られます。
マウルブロンの修道院関連建造物群
Maulbronn Monastery Complex
1147年に設立されたシトー会のマウルブロン修道院は南ドイツに位置します。アルプス以北で最も完全かつ保存状態の良い中世修道院群とされています。城壁に囲まれた主要な建物は12世紀から16世紀にかけて建造されたもので、ロマネスクからゴシックへの過渡期にあたります。聖堂は三廊式で、縦に長いラテン十字型のプランを持つロマネスク様式で創建されましたが、13世紀の初めにゴシック様式の柱廊玄関ホールなどが加えられました。北ヨーロッパから中央ヨーロッパの多くの地域のゴシック建築の普及に大きな影響を与えたと考えられています。修道院は町外れに位置し、かつ城壁に囲まれていることから市街地とは明確に区別され隔たれており、これは第一世代のシトー会建築の典型例の一つです。また、併設されていた神学校は、作家のヘルマン・ヘッセや詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンなどが学んでいたことでも知られています。ヘッセの自伝的小説である『車輪の下』はマウルブロン神学校での体験を元にしているとされています。
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
「サッシ」とはイタリア語で岩を意味するサッソ(sasso)の複数形で、ここマテーラにおいては洞窟住居を指します。イタリア南部バジリカータ州のマテーラには深いグラヴィーナ渓谷があり、その石灰岩層に約3,300の洞窟と150以上の岩窟教会が残されています。洞窟住居は約7,000年前から造られ始め、その後屋根等を拡張して居住スペースを広げたものも多く造られるようになりました。しかし、20世紀になって人口が急増し、住環境や衛生状態が悪化したため、1950年代に住民1万5,000人が郊外に強制的に移住させられ、無人の廃墟となってしまいました。近年は世界遺産登録を契機に観光客が増加し、洞窟の5分の1ほどが再利用されているということです。ここには旧石器時代の遺跡もあり、古代からの人々の生活の様相と文化を伝える歴史的価値が高く評価されています。
メリダの考古遺跡群
Archaeological Ensemble of Mérida
モルドヴァ地方の教会群
Churches of Moldavia