World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(iii))

大ジンバブエ遺跡

Great Zimbabwe National Monument
大ジンバブエ遺跡
ジンバブエ中南部の都市マスビンゴから約30kmの場所にある『大ジンバブエ遺跡』は、11〜15世紀頃にバンツー語系のショナ族によって築かれた巨大な都市遺跡群です。遺跡群は丘の上に築かれた「アクロポリス(丘の遺跡)」、高い石壁に囲まれた「大神殿(大囲壁)」、石の住居が並ぶ「谷の遺跡」の3つの要素で構成されています。宗教的中心地だったアクロポリスは、王族の居住地や儀式の場があったと考えられています。大神殿は14世紀に築かれたもので、その囲いはモルタルを用いず、加工した花崗岩を積み上げてつくられました。高さ約11mの円錐形の塔や住居跡が残されています。谷の遺跡は谷間に点在する住居群で、日干しレンガや石積みの壁でつくられた建物が特徴です。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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大足石刻

Dazu Rock Carvings
大足石刻
重慶市の北西に位置する大足石刻は、唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて、山の岩壁に掘られた彫刻群の総称です。一帯には、石像が5万体以上、石碑文は10万点以上が現存し、75ヵ所ある文化財保護区域のうち、5ヵ所が世界遺産に登録されています。多くは大乗仏教の石刻ですが、道教や儒教の像も刻まれており、中国三大宗教の石刻がそろっているのが大きな特徴となっています。中でも宝頂山石刻群の石刻は評価が高く、特に大仏湾と呼ばれる崖の磨崖仏群、全長およそ31mの釈迦涅槃像が有名です。中国には、世界遺産に登録されている『雲岡石窟』や『龍門石窟』などの石窟芸術が残りますが、大足石刻はその中でも最も保存状態の良いものひとつに数えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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タスマニア原生地帯

Tasmanian Wilderness
タスマニア原生地帯
オーストラリア大陸の南に位置するタスマニア島は、かつてゴンドワナ大陸の一部でオーストラリアと陸続きだった島です。2万1,000年前頃に、海水面の上昇によって本土と海峡で隔てられました。タスマニア島では、太古の姿を保った植物や独自の進化を遂げた動物が見られます。1982年に自然遺産として世界遺産登録されましたが、1989年には文化遺産の価値も認められて、複合遺産になりました。氷河の流動によって大地が浸食され、平坦な山頂や荒々しい斜面、多数の湖が誕生し、世界最大規模の壮観な原生地帯だといわれています。世界遺産には7つの国立公園にまたがる、総面積約1万5,842㎢のエリアが登録されています。
地域: オセアニア / 国名: オーストラリア連邦 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)(vii)(viii)(ix)(x)
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タフテ・ソレイマーン

Takht-e Soleyman
タフテ・ソレイマーン
イラン北西部の火山地帯にあり、「火」を神聖視するゾロアスター教の聖地となっていました。ゾロアスター教は世界最古の宗教のひとつで、紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア時代にはすでに信仰されており、その後のササン朝ペルシア時代には国教となりました。タフテ・ソレイマーンには国家的祭祀を行った聖なる拝火壇「アザル・ゴシュナスブ」がおかれ、聖地として発展しました。歴代のササン朝の王は王位を受け継ぐ際に、この場所で火を捧げたと言われています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ダラム城と大聖堂

Durham Castle and Cathedral
ダラム城と大聖堂
『ダラム城と大聖堂』は、イングランド北部、スコットランドとの国境近くにあるU字形に湾曲して流れるウェア川を見下ろす小高い丘の上に立っています。ダラム城はイングランド最大のノルマン様式の城で、1072年、ウィリアム1世がスコットランドの侵攻に備えて築きました。国王はイングランド北部の境界を守る見返りとして、実質的な自治権を歴代のダラム司教に与え、城での居住を認めました。それにより、司教は「王子司教」として宗教指導者と世俗権力の両方を握りました。1837年に城はダラム大学に寄付され、1840年以降は大学の学生寮として使用されています。
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タリンの歴史地区

Historic Centre (Old Town) of Tallinn
タリンの歴史地区
バルト三国の一国であるエストニアの首都タリンにある歴史地区は、バルト海周辺における北ヨーロッパの交易都市として現在でも非常に良い状態で街並が保存されています。タリンの都市開発は、13世紀にドイツ騎士修道会が城を建築したことから始まり、13世紀後半からハンザ都市として栄えました。この都市を中心に、13世紀から16世紀まで北ヨーロッパの交易の重要な拠点として交易が盛んに行われました。15世紀以降、ハンザ同盟が次第に衰退する一方で、タリンは商業都市としての地位を失うことなく、街には公共建築や住居が整備されていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: エストニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)
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チャコ文化

Chaco Culture
チャコ文化
ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンで発見された集落は、10〜12世紀にかけて先住民アナサジ族によって築かれた集落群です。大規模な集落は12、小規模なものは400以上に及びます。アナサジ族は当時、独自の石工技術を用いて、数百の部屋を備えた多層構造の「グレートハウス」と呼ばれる巨大な石造建造物を建設しました。これらの建物は計画的に設計・建設されており、2〜5階建ての集合住宅となっています。壁は砂岩と泥モルタルで構築され、屋根梁には松材が使用されています。これらはチャコ文化の全体像を示す、良好な保存状態の考古学的遺跡です。多層構造と洗練された石積みを特徴とする高度に組織化された大規模建造物は、当時の社会構造の複雑化を物語っています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (iii)
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チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)

Chhatrapati Shivaji Terminus (formerly Victoria Terminus)
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅は、インドのムンバイにある鉄道の駅です。1661年に英国の支配下に置かれたムンバイ(当時はボンベイ)は、造船業と綿花貿易の拠点として発展し、駅舎の建設が計画されました。英国の建築家フレデリック・ウィリアム・スティーブンスによって設計され、1878年に工事が始まりました。英国のヴィクトリア女王の即位50周年にあたる1887年に完成し、当初は「ヴィクトリア・ターミナス駅」と命名されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iv)
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チュニスの旧市街

Medina of Tunis
チュニスの旧市街
チュニジア北東部の肥沃な平野地域に位置し、海から数kmの場所にあるチュニスのメディナは、698年に設立されたマグリブ地方で最初のアラブ・イスラムの街のひとつです。12世紀から16世紀にかけて、ムワッヒド朝とハフス朝の統治下で、チュニスはアラブ世界で最も偉大で豊かな都市のひとつとされました。この時期およびそれ以前の時期の証拠は、現在も数多く残っています。16世紀から19世紀にかけては、新たな勢力が都市に多くの宮殿や邸宅、大モスク、ザウィア、マドラサを建てました。登録された土地は約3㎢におよび、アラブ・イスラム都市のすべての特徴を備えています。それは、中央メディナ(8世紀)と北と南の郊外(13世紀)から構成されています。およそ700の歴史的建造物が7つのエリアに分布しており、特に注目すべきものには、ザイトゥーナ・モスク、カスバ・モスクなどがあります。
地域: アフリカ / 国名: チュニジア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (ii)(iii)(v)
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チロエの教会堂群

Churches of Chiloé
チロエの教会堂群
チリ南部にあるチロエ諸島には、1567年からのスペイン統治下で建てられた木材教会堂が残されています。17世紀のイエズス会は、年に一度各地のミッションを巡回・滞在する「巡回宣教」を行っており、その活動のため教会堂が建設されるようになりました。19世紀末までに100棟以上が建てられ、50棟あまりが現存しています。1767年にイエズス会がスペインの海外領土から追放された後は、フランシスコ会がチロエでの活動を継承しました。教会群は現在も信仰の場であり、地元コミュニティによる宗教行事が定期的に行われています。
地域: 南米 / 国名: チリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ティカル国立公園

Tikal National Park
ティカル国立公園
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: グアテマラ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(ix)(x)
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ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群

Precolumbian chiefdom settlements with stone spheres of the Diquís
ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群
コスタリカ南部のディキス・デルタには4つの考古遺跡があります。そこにはコロンブスが新大陸にやってくる以前(500年頃~1500年頃)の首長制集落構造物が残ります。舗装された広場、人工塚や墓も残り、当時の首長の力関係を示す遺構が残ります。その中でも最も印象的なのが、直径0.7~2.57mの完璧な球形をした石球です。これらの石球がなぜ作られたのか、またどうやって作られたのかは不明な点も多く、多くの学者を魅了するものになっています。なお、本遺跡はコスタリカ初の文化遺産となりました。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: コスタリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (iii)
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デリーのフマユーン廟

Humayun's Tomb, Delhi
デリーのフマユーン廟
インドの首都デリーにあるムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの墓廟です。初代皇帝バーブルの跡を継いだフマユーンは生涯戦いに明け暮れ、一時インドから追われてペルシャに亡命するなど波乱の生活を送りましたが、16世紀半ばにようやく北インドの支配を奪還しました。しかしその翌年に不慮の事故で亡くなったことから、「悲劇の皇帝」ともいわれます。彼の死後にペルシア出身でイスラム教徒である王妃のベーグムによりこの墓廟が建設されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
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デルフィの考古遺跡

Archaeological Site of Delphi
デルフィの考古遺跡
デルフィはギリシャ中部のパルナソスの山腹にあります。ここは、古代ギリシャの予言の神アポロンの聖地として、当時広く知られていました。「世界のへそ」と言われているのは、神々の指導者であるゼウスが世界の中心がどこかを探るため、世界の両端から2羽の鷲を放ち、その2がこの地の上空で出会い、舞い降りたためとされています。この地には先述したアポロンを祀る神殿があり、また古代オリンピックに起源であるオリュンピアと同様のピュティア競技会場もあったため、数多くの巡礼者が訪れました。なお、ピュティアとはデルフィの神託所に仕えた巫女のことを指します。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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デロス島

Delos
デロス島
エーゲ海のほぼ中央、キクラデス諸島にあるデロス島は、伝説によると太陽神アポロンと月の女神アルテミスが誕生したとされている島です。紀元前3世紀に活躍した詩人カリマコスは、デロス島を「すべての島の中で最も神聖な島」と評しています。特にアポロンはオリンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子でもあることから、非常に重要な神とされていましいた。デロス島全体が考古遺跡となっており、ギリシャの遺跡の中でも最大級の規模を誇ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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天壇:北京の皇帝祭壇

Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing
天壇:北京の皇帝祭壇
北京市にある天壇は、1420年に明の第3代皇帝・永楽帝(在位:1402〜1424年)が造営した祭祀施設です。1402年に即位した永楽帝は、南京から北京へ都を移し、紫禁城の造営とともに天地壇をつくりました。1530年、第9代皇帝の嘉靖帝の時代に、天と地を祀る祭壇に分けられ、元の天地壇は「天壇」と呼ばれました。明・清代の歴代皇帝はこの地を訪れ、天と地の仲介役として祈りと犠牲を捧げました。1911年に祭祀が禁止されるまで、約490年にわたり儀式が執り行われていました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市

Dholavira: a Harappan City
ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市
「古代四大文明」のひとつ「インダス文明(別名ハラッパー文明)」の代表的遺跡です。インダス側流域には紀元前3000年頃から人々が住み始め「モヘンジョ・ダーロ」や「ハラッパー」などの都市ができましたが、紀元前2000年頃から徐々に衰退して紀元前1500年頃にはほぼ廃墟となりました。文明衰退の理由は、川筋の移動や気候変動などが推測されていますが定かではありません。ドーラヴィーラはインダス川本流から少し離れた、インド西部のカッチ湿原に浮かぶカディール島にあり、雨季には2つの川が出現し水に囲まれます。また出土する工芸品などから、メソポタミア文明との交流があったことが窺われ、ここは古代文明間の水運交易の中継地であったとも言われます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ドゥブロヴニクの旧市街

Old City of Dubrovnik
ドゥブロヴニクの旧市街
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観

Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
ハンガリー北東部、ティサ川流域のトカイ地方は世界三大貴腐ワイン(他はフランスのソーテルヌとドイツのラインガウ)の一つ、アスーワインの産地として知られています。火山岩やミネラル豊富な土壌とその気候条件によってブドウ栽培に適した地域として古くから知られ、その伝統は1,000年以上にも及ぶとされています。また、この地域は1737年のカール6世(神聖ローマ皇帝、ハンガリー王としてはカール3世)の勅令によって、世界初の閉鎖型ワイン産地として定められたことを契機として300年近くにわたって生産が厳格に管理されてきた地域でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (iii)(v)
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トスカーナのメディチ家の別荘と庭園

Medici Villas and Gardens in Tuscany
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
フィレンツェのメディチ家は15世紀に銀行業で成功し、莫大な財を蓄えました。その資金力を背景に政治力を発揮して、市政の実質的な支配権を握りました。その後は、トスカーナ大公国の君主になり、一族からローマ教皇も輩出し、300年間にわたりフィレンツェに君臨しました。一方で、文化・芸術の保護に力を入れ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリなどの芸術家を支援し、ルネサンス期の文化の形成に大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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富岡製糸場と絹産業遺産群

Tomioka Silk Mill and Related Sites
富岡製糸場と絹産業遺産群
富岡製糸場と絹産業遺産群は、高品質な生糸の大量生産を実現させた技術革新と交流の証です。構成遺産は「富岡製糸場」「田島弥平旧宅」「高山社跡」「荒船風穴」の4件で、生糸の大量生産に必要な製糸技術と、原料となる繭の増産を支える養蚕技術の両面で大きな発展がありました。中心的な役割を担ったのが、1872年に日本政府がフランスから最新の器械製糸技術を導入して設立した富岡製糸場です。その後日本は、独自の伝統と西洋技術の融合によって、世界に通用する絹の生産拠点となっていきました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(iv)
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敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
九州北西部に点在する『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、17世紀から19世紀にかけて築かれた10の集落、城郭跡、そして教会堂で構成されており、禁教下でも信仰を守り抜いた人々の歴史を今に伝えています。信者たちは弾圧を逃れるため、海辺や離島など人目を避けられる場所に移り住み、「天草の﨑津集落」や「黒島の集落」などの共同体を形成しました。彼らは仏教や神道に似せた形式で信仰を装いながら、キリスト教の精神を独自に受け継ぎ、祈りや儀礼を工夫して、2世紀にわたり信仰を継承しました。そして1873年に禁教が解かれると、彼らは再び表舞台に立ち、教会建築などを通して現代へと引き継がれていきます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)
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ナスカとパルパの地上絵

Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
ナスカとパルパの地上絵
ナスカとパルパの地上絵は、ペルー南部の乾燥したナスカ高原とパルパ平原に広がる約450㎢の地域に点在しており、紀元前500年から紀元後500年にかけて、数千点以上の地上絵が描かれました。この地は年間平均降水量が10mm以下の乾燥地帯で、台地の表面に広がる褐色の小石を取り除くと、白い砂が露出するため、この色の違いを利用して地上絵が制作されました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市

Nice, Winter Resort Town of the Riviera
ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市
地中海沿岸、アルプス山脈の麓に位置するニースは、その温暖な気候と、海と山に挟まれた美しい自然環境を活かし、18世紀半ば頃から冬のリゾート地として発展してきました。とりわけイギリスから訪れた貴族階級の家族に人気を集め、冬の避寒地として定着していきました。その後の約1世紀にわたり、滞在者の増加と社会的・文化的な多様性が、旧市街周辺での新たな都市区画の段階的な開発を促進しました。こうした冬の訪問者による影響に加え、気候や風景を最大限に活かそうとする意識が都市計画や建築様式に反映され、ニースは国際的な冬のリゾート都市としての地位を確立していきます。また、1860年までサルデーニャ王国に属していたこと、さらに欧州各地や世界中からの旅行者の流入により、ニースは特に建築の分野において、多様な文化的影響が交差する場ともなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)
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ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
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ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区

Historic Centre of Sheki with the Khan’s Palace
ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区
カフカス山脈東部の南側斜面に位置する歴史都市シェキは、紀元前6世紀にまで遡る古い歴史を持っています。現在の歴史地区は、1772年の土砂洪水の後、それまでの場所より東にある山間の谷の高台に再建されました。重要な交易路に接していることから、多様な文化的影響を受けてきました。キリスト教は1世紀にはすでに伝わり、イスラーム教は7世紀に広まりました。18世紀まで、シェキはサファヴィー朝、オスマン帝国、カージャール朝など、さまざまな勢力の支配下にありました。1743年には、コーカサス地方で最初かつ最も強力なハーン国として独立し、その後19世紀初頭にはロシアの支配を受けました。こうした多様な文化の影響は建築にも見られます。ハーンの宮殿には、ムカルナスなどのイスラーム建築技法、美しい中庭、そしてヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状に組み込んだステンドグラス「シェベケ」など、18世紀アゼルバイジャン建築の粋が凝縮されています。
地域: 西・南アジア / 国名: アゼルバイジャン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(v)
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