World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iii)(iv))

スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群

Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian
スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群
クロアチア南部の港町スプリトには、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝(在位:284〜305年)が退位後に余生を過ごした宮殿が存在しました。ディオクレティアヌスは、軍人皇帝時代を終結させた後に専制君主政を始め、またローマ帝国最大かつ最後のキリスト教徒迫害を行ったことで知られている人物です。305年に帝国の再建を見届けると、故郷サロナ近郊のスプリトに造営していた宮殿に移り住みました。東京ドーム3分の2ほどの大きさを誇る広大な宮殿に、ディオクレティアヌスは11年間過ごしたと言われていますが、没後は帝国の衰退とともに宮殿は放置されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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聖山アトス

Mount Athos
聖山アトス
エーゲ海に突き出たアクティ半島は、全体がギリシャ正教の聖地です。その東南端にそびえる標高2,000mを越える山がアトス山であり、「聖山アトス」と呼ばれています。この世界遺産は同じくギリシャ正教徒の聖地である『メテオラの修道院群』と同じ1988年に、どちらも複合遺産として登録されました。このあたりの海岸線は非常に複雑であり、その結果、ギリシャでもっとも多くの種類の植物が育っているのです。なお、陸のルートは封鎖されており、巡礼者や観光客は船からしか聖山アトスに行けなくなっています。ダフニ港が入山するための唯一の入り口なのです。修道士がこの地に最初に修道院を築いたのは10世紀半ばと言われていて、以降、次々と修道院が建てられていきます。現在活動する修道院の数は約20です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vi)(vii)
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聖山スレイマン・トー

Sulaiman-Too Sacred Mountain
聖山スレイマン・トー
キルギスのフェルガナ渓谷のオシ市に位置するスレイマン・トーはイスラーム以前から信仰されていた聖なる山です。この山は中央アジアシルクロードの重要な街道の交差点に位置しており、旅人にとっては灯台の役割を果たしていました。スレイマン・トーはイスラーム以前からも信仰の対象とされていて、また、イスラーム以前とイスラームの文化がうまく融合した結果、さまざまな遺跡や建築物が残っているところが非常に特徴的だと言えるでしょう。
地域: 西・南アジア / 国名: キルギス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2009年 / 登録基準: (iii)(vi)
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聖地アヌラーダプラ

Sacred City of Anuradhapura
聖地アヌラーダプラ
スリランカのアヌラーダプラは、シンハラ王朝最初にして最長の都です。紀元前5世紀に興ったとされるシンハラ王朝において、ティッサ王はインドからやってきたマヒンダ王子の説法を聞きます。マヒンダ王子はマウリヤ朝の王、アショーカ王の息子であり、その説法に感銘を受けたティッサ王はすぐに仏教に帰依し、ここからスリランカ仏教の歴史が始まりました。それ以降、アヌラーダプラはシンハラ朝の都としてあり続け、10世紀末まで栄えました。10世紀には南インドのチョーラ朝の侵攻を受け衰退しましたが、ブッダにゆかりのある品々が遺されており、今でも聖地として多くの参拝者が訪れます。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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聖地キャンディ

Sacred City of Kandy
聖地キャンディ
スリランカのキャンディには、仏教の中でも重要な遺物「ブッダの犬歯」が納められた聖地があります。16世紀にヴィマラ・ダルマ・スーリヤ1世がキャンディに都を移した際、仏歯を祀るために建てたダラダーマーリガーワ寺院です。祀られた犬歯は、4世紀にインドからスリランカに嫁いだ王女によってもたらされたもので、長い間王国の象徴として守られてきました。さらにこの犬歯は都が移るたびに一緒に移動したといわれており、仏教世界においてその存在の重要性が伝わります。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (iv)(vi)
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聖都アブー・メナー

Abu Mena
聖都アブー・メナー
エジプト北部地中海岸のアレクサンドリアの南西45kmにある、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心地で、原始キリスト教の流れをくむコプト教の聖地です。3世紀にはローマ帝国によるキリスト教弾圧が強まり、ここで聖者メナスが殉教しました。その埋葬地がここです。キリスト教が後任された後、ビザンツ帝国歴代皇帝の庇護を受け、4~5世紀にかけ巡礼地として発展しました。しかし、8世紀以降はイスラム勢力がここを支配し、10世紀には砂漠の民ベドウィンにより破壊され、13世紀には放棄されました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (iv)
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セゴビアの旧市街とローマ水道橋

Old Town of Segovia and its Aqueduct
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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石窟庵と仏国寺

Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
石窟庵と仏国寺
韓国の南東部にある吐含山(トハムサン)には、8世紀、新羅王朝の首都・慶州で栄えた仏教建築の傑作が残されています。新羅王朝中期に宰相の金大城によって建てられた、石窟庵(ソックラム)と仏国寺(プルグクサ)です。石窟庵は前世の父母のために、仏国寺は現世の父母のために建立されたと伝えられています。これらの建築物は、新羅王朝が栄えた時代の仏教建築の象徴であり、仏教の教えと精神が色濃く反映された場所でもあります。さらに、優れた石工技術の発展を証明する傑作であり、その精巧な造りは今日に至るまで多くの人々を魅了し、東アジアにおける仏教文化の重要な遺産として高く評価されています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 大韓民国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(iv)
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セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館

Cathedral, Alcázar and Archivo de Indias in Seville
セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
スペイン南西部の都市セビーリャに残る大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、イスラム文化の痕跡、カトリック教会の権力、王室の主権、そしてスペインがアメリカ大陸の植民地を通じて獲得した貿易力を示す建造物群です。1403年にモスクの跡地に建設された大聖堂は、五廊式の構造をもつ世界で最も広大で豪華な宗教建築のひとつです。クリストファー・コロンブスの墓があることでも知られています。隣接する「ヒラルダの塔」は、1172〜98年にムワッヒド朝のヤアクーブ・アルマンスールが、大モスクのミナレットとして建設したもので、レコンキスタ(国土回復運動)後に鐘楼に転用されました。頂上には塔の名前の由来となった、キリスト教信仰の勝利を表す女性の銅像「ヒラルディージョ」が設置されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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ゼメリング鉄道

Semmering Railway
ゼメリング鉄道
ゼメリング鉄道はアルプスを越えた最初の鉄道として世界遺産に登録されました。また、鉄道として初めて世界遺産登録された物件でもあります。ゼメリング鉄道は1848年に着工され、1854年に完成しました。それ以前はアルプスを越えるためには馬や徒歩での移動が主であり、鉄道での越境は非常に難しい課題でした。特に標高895mのゼメリング峠を越える鉄道の建設は困難とされていました。オーストリア帝国の鉄道技師カール・リッター・フォン・ゲーガは、新たな測量技術を開発し、二段アーチの高架橋やトンネルなどを建設して、わずか6年で鉄道を開通させました。ダイナマイトもない時代に、人力で岩を崩してこの難所に鉄道を開通したのはまさに奇跡の所業といえます。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)
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泉州:宋・元時代の中国における世界的な商業の中心地

Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China
泉州:宋・元時代の中国における世界的な商業の中心地
中国南西部の福建省にある泉州は、市内を流れる晋江と洛陽江が海へと注ぐ港に面した都市です。8〜9世紀頃に海上貿易の拠点として次第に発展し始め、宋代(960〜1276年)と元代(1271〜1368年)にあたる10〜14世紀にかけては世界的な貿易港として華々しい繁栄を遂げました。泉州は中国内陸部とアジアの海、そして世界とをつなぎ、「海のシルク・ロード」の東の拠点とも言われます。その名声は遠くヨーロッパまで伝わり、同時期の西洋の文献にはアラビア語でオリーブを意味する「ザイトゥーン」という名で登場します。13世紀にこの地を訪れたマルコ・ポーロは、著書「世界の記述」(東方見聞録)にて、泉州を世界最大の開港のひとつであると称賛しています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (iv)
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宗廟

Jongmyo Shrine
宗廟
宗廟(チョンミョ)は朝鮮王朝の歴代国王と王妃の位牌を祀る霊廟です。14世紀後半に太祖李成桂によって建立されました。儒教に基づく王族の霊廟としては最も古く、格式の高い建築物のひとつとして知られています。16世紀末の豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役) では一度破壊されてしまいますが、その後再建され、以降も増築を重ねながら現在に至っています。正殿や永寧殿、功臣堂、公明堂など多くの建物が整然と並び、王室の正統性と祖先崇拝の思想を体現しています。建築様式は中国の伝統を受け継ぎつつも、朝鮮王朝の理念が反映されており、儒教的価値観と王室文化が融合した独自の空間を創り上げています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 大韓民国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iv)
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蘇州の園林

Classical Gardens of Suzhou
蘇州の園林
江蘇省東部、長江デルタに位置する蘇州は、いくつもの水路が張り巡らされた水郷の街です。紀元前514年に春秋時代に呉の都として築かれ、北方への物流の拠点として発展してきました。蘇州における庭園の歴史は紀元前6世紀に遡り、呉の王がつくった王室狩猟庭園が先駆けと言われています。4世紀頃に私的な庭園が築かれるようになり、18世紀に最盛期を迎えました。蘇州には50以上の庭園が残り、そのうちの9つは中国で最も優れた山水庭園であるとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)
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泰山

Mount Taishan
泰山
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)(vii)
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隊商都市ペトラ

Petra
隊商都市ペトラ
ヨルダン南部のペトラは紀元前2世紀にナバテア人によって築かれた隊商都市です。ナバテア王国の首都として機能し、古代ローマやアラビア半島、インドや中国との主要な交易中心地として発展しました。2世紀にローマ帝国に併合され、4~5世紀にはキリスト教関連の宗教施設も建設されました。ペトラは4世紀の大地震による被害と、交易路が変化されたことにより、1812年スイス人のイスラム学者によって再発見されるまで砂に埋もれていました。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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大ジンバブエ遺跡

Great Zimbabwe National Monument
大ジンバブエ遺跡
ジンバブエ中南部の都市マスビンゴから約30kmの場所にある『大ジンバブエ遺跡』は、11〜15世紀頃にバンツー語系のショナ族によって築かれた巨大な都市遺跡群です。遺跡群は丘の上に築かれた「アクロポリス(丘の遺跡)」、高い石壁に囲まれた「大神殿(大囲壁)」、石の住居が並ぶ「谷の遺跡」の3つの要素で構成されています。宗教的中心地だったアクロポリスは、王族の居住地や儀式の場があったと考えられています。大神殿は14世紀に築かれたもので、その囲いはモルタルを用いず、加工した花崗岩を積み上げてつくられました。高さ約11mの円錐形の塔や住居跡が残されています。谷の遺跡は谷間に点在する住居群で、日干しレンガや石積みの壁でつくられた建物が特徴です。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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大足石刻

Dazu Rock Carvings
大足石刻
重慶市の北西に位置する大足石刻は、唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて、山の岩壁に掘られた彫刻群の総称です。一帯には、石像が5万体以上、石碑文は10万点以上が現存し、75ヵ所ある文化財保護区域のうち、5ヵ所が世界遺産に登録されています。多くは大乗仏教の石刻ですが、道教や儒教の像も刻まれており、中国三大宗教の石刻がそろっているのが大きな特徴となっています。中でも宝頂山石刻群の石刻は評価が高く、特に大仏湾と呼ばれる崖の磨崖仏群、全長およそ31mの釈迦涅槃像が有名です。中国には、世界遺産に登録されている『雲岡石窟』や『龍門石窟』などの石窟芸術が残りますが、大足石刻はその中でも最も保存状態の良いものひとつに数えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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タオス・プエブロの伝統的集落

Taos Pueblo
タオス・プエブロの伝統的集落
タオス・プエブロは、ニューメキシコ州北部、タオス川沿いに位置する先住民タオス・プエブロ族の伝統的な集落です。タオス渓谷の古代遺跡は、タオス・プエブロ族が約1,000年前からこの地に定住していたことを示しています。現在の集落は14世紀に建設されたもので、タオス川の両岸に位置する「北の家」と「南の家」と呼ばれる集合住宅に分かれています。いずれも5階建てで、現在でも約150人がこの集落内で生活しています。そのため、タオス・プエブロはアメリカに現存する最古の現役住居群といえます。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (iv)
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タスマニア原生地帯

Tasmanian Wilderness
タスマニア原生地帯
オーストラリア大陸の南に位置するタスマニア島は、かつてゴンドワナ大陸の一部でオーストラリアと陸続きだった島です。2万1,000年前頃に、海水面の上昇によって本土と海峡で隔てられました。タスマニア島では、太古の姿を保った植物や独自の進化を遂げた動物が見られます。1982年に自然遺産として世界遺産登録されましたが、1989年には文化遺産の価値も認められて、複合遺産になりました。氷河の流動によって大地が浸食され、平坦な山頂や荒々しい斜面、多数の湖が誕生し、世界最大規模の壮観な原生地帯だといわれています。世界遺産には7つの国立公園にまたがる、総面積約1万5,842㎢のエリアが登録されています。
地域: オセアニア / 国名: オーストラリア連邦 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)(vii)(viii)(ix)(x)
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タフテ・ソレイマーン

Takht-e Soleyman
タフテ・ソレイマーン
イラン北西部の火山地帯にあり、「火」を神聖視するゾロアスター教の聖地となっていました。ゾロアスター教は世界最古の宗教のひとつで、紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア時代にはすでに信仰されており、その後のササン朝ペルシア時代には国教となりました。タフテ・ソレイマーンには国家的祭祀を行った聖なる拝火壇「アザル・ゴシュナスブ」がおかれ、聖地として発展しました。歴代のササン朝の王は王位を受け継ぐ際に、この場所で火を捧げたと言われています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ダラム城と大聖堂

Durham Castle and Cathedral
ダラム城と大聖堂
『ダラム城と大聖堂』は、イングランド北部、スコットランドとの国境近くにあるU字形に湾曲して流れるウェア川を見下ろす小高い丘の上に立っています。ダラム城はイングランド最大のノルマン様式の城で、1072年、ウィリアム1世がスコットランドの侵攻に備えて築きました。国王はイングランド北部の境界を守る見返りとして、実質的な自治権を歴代のダラム司教に与え、城での居住を認めました。それにより、司教は「王子司教」として宗教指導者と世俗権力の両方を握りました。1837年に城はダラム大学に寄付され、1840年以降は大学の学生寮として使用されています。
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タリンの歴史地区

Historic Centre (Old Town) of Tallinn
タリンの歴史地区
バルト三国の一国であるエストニアの首都タリンにある歴史地区は、バルト海周辺における北ヨーロッパの交易都市として現在でも非常に良い状態で街並が保存されています。タリンの都市開発は、13世紀にドイツ騎士修道会が城を建築したことから始まり、13世紀後半からハンザ都市として栄えました。この都市を中心に、13世紀から16世紀まで北ヨーロッパの交易の重要な拠点として交易が盛んに行われました。15世紀以降、ハンザ同盟が次第に衰退する一方で、タリンは商業都市としての地位を失うことなく、街には公共建築や住居が整備されていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: エストニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)
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チェスキー・クルムロフの歴史地区

Historic Centre of Český Krumlov
チェスキー・クルムロフの歴史地区
チェコ南部、ヴルタヴァ川(モルダウ川)のほとりに位置するチェスキー・クルムロフは、13世紀に築かれた城を中心に発展した南ボヘミアの小都市です。ヴルタヴァ川の蛇行と岩山に囲まれた自然美と都市構造が見事に調和しています。貴族の支配下で政治・文化の要所として栄え、ゴシックからバロックまでの建築様式が混在する歴史的中心地には、5世紀以上にわたる発展がみられます。ファサードや屋根、内部の装飾などからは、計画都市としての特徴を今も感じ取ることができます。このように、チェスキー・クルムロフは建築、自然、歴史が融合したヨーロッパ小都市の典型例として知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (iv)
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チャコ文化

Chaco Culture
チャコ文化
ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンで発見された集落は、10〜12世紀にかけて先住民アナサジ族によって築かれた集落群です。大規模な集落は12、小規模なものは400以上に及びます。アナサジ族は当時、独自の石工技術を用いて、数百の部屋を備えた多層構造の「グレートハウス」と呼ばれる巨大な石造建造物を建設しました。これらの建物は計画的に設計・建設されており、2〜5階建ての集合住宅となっています。壁は砂岩と泥モルタルで構築され、屋根梁には松材が使用されています。これらはチャコ文化の全体像を示す、良好な保存状態の考古学的遺跡です。多層構造と洗練された石積みを特徴とする高度に組織化された大規模建造物は、当時の社会構造の複雑化を物語っています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (iii)
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チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)

Chhatrapati Shivaji Terminus (formerly Victoria Terminus)
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅は、インドのムンバイにある鉄道の駅です。1661年に英国の支配下に置かれたムンバイ(当時はボンベイ)は、造船業と綿花貿易の拠点として発展し、駅舎の建設が計画されました。英国の建築家フレデリック・ウィリアム・スティーブンスによって設計され、1878年に工事が始まりました。英国のヴィクトリア女王の即位50周年にあたる1887年に完成し、当初は「ヴィクトリア・ターミナス駅」と命名されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iv)
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チュニスの旧市街

Medina of Tunis
チュニスの旧市街
チュニジア北東部の肥沃な平野地域に位置し、海から数kmの場所にあるチュニスのメディナは、698年に設立されたマグリブ地方で最初のアラブ・イスラムの街のひとつです。12世紀から16世紀にかけて、ムワッヒド朝とハフス朝の統治下で、チュニスはアラブ世界で最も偉大で豊かな都市のひとつとされました。この時期およびそれ以前の時期の証拠は、現在も数多く残っています。16世紀から19世紀にかけては、新たな勢力が都市に多くの宮殿や邸宅、大モスク、ザウィア、マドラサを建てました。登録された土地は約3㎢におよび、アラブ・イスラム都市のすべての特徴を備えています。それは、中央メディナ(8世紀)と北と南の郊外(13世紀)から構成されています。およそ700の歴史的建造物が7つのエリアに分布しており、特に注目すべきものには、ザイトゥーナ・モスク、カスバ・モスクなどがあります。
地域: アフリカ / 国名: チュニジア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (ii)(iii)(v)
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チロエの教会堂群

Churches of Chiloé
チロエの教会堂群
チリ南部にあるチロエ諸島には、1567年からのスペイン統治下で建てられた木材教会堂が残されています。17世紀のイエズス会は、年に一度各地のミッションを巡回・滞在する「巡回宣教」を行っており、その活動のため教会堂が建設されるようになりました。19世紀末までに100棟以上が建てられ、50棟あまりが現存しています。1767年にイエズス会がスペインの海外領土から追放された後は、フランシスコ会がチロエでの活動を継承しました。教会群は現在も信仰の場であり、地元コミュニティによる宗教行事が定期的に行われています。
地域: 南米 / 国名: チリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ティカル国立公園

Tikal National Park
ティカル国立公園
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: グアテマラ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(ix)(x)
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ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群

Precolumbian chiefdom settlements with stone spheres of the Diquís
ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群
コスタリカ南部のディキス・デルタには4つの考古遺跡があります。そこにはコロンブスが新大陸にやってくる以前(500年頃~1500年頃)の首長制集落構造物が残ります。舗装された広場、人工塚や墓も残り、当時の首長の力関係を示す遺構が残ります。その中でも最も印象的なのが、直径0.7~2.57mの完璧な球形をした石球です。これらの石球がなぜ作られたのか、またどうやって作られたのかは不明な点も多く、多くの学者を魅了するものになっています。なお、本遺跡はコスタリカ初の文化遺産となりました。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: コスタリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (iii)
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デリーのフマユーン廟

Humayun's Tomb, Delhi
デリーのフマユーン廟
インドの首都デリーにあるムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの墓廟です。初代皇帝バーブルの跡を継いだフマユーンは生涯戦いに明け暮れ、一時インドから追われてペルシャに亡命するなど波乱の生活を送りましたが、16世紀半ばにようやく北インドの支配を奪還しました。しかしその翌年に不慮の事故で亡くなったことから、「悲劇の皇帝」ともいわれます。彼の死後にペルシア出身でイスラム教徒である王妃のベーグムによりこの墓廟が建設されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
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