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スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群
Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian
聖山アトス
Mount Athos
エーゲ海に突き出たアクティ半島は、全体がギリシャ正教の聖地です。その東南端にそびえる標高2,000mを越える山がアトス山であり、「聖山アトス」と呼ばれています。この世界遺産は同じくギリシャ正教徒の聖地である『メテオラの修道院群』と同じ1988年に、どちらも複合遺産として登録されました。このあたりの海岸線は非常に複雑であり、その結果、ギリシャでもっとも多くの種類の植物が育っているのです。なお、陸のルートは封鎖されており、巡礼者や観光客は船からしか聖山アトスに行けなくなっています。ダフニ港が入山するための唯一の入り口なのです。修道士がこの地に最初に修道院を築いたのは10世紀半ばと言われていて、以降、次々と修道院が建てられていきます。現在活動する修道院の数は約20です。
聖山スレイマン・トー
Sulaiman-Too Sacred Mountain
聖地アヌラーダプラ
Sacred City of Anuradhapura
聖地キャンディ
Sacred City of Kandy
聖都アブー・メナー
Abu Mena
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
石窟庵と仏国寺
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple
セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
Cathedral, Alcázar and Archivo de Indias in Seville
スペイン南西部の都市セビーリャに残る大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、イスラム文化の痕跡、カトリック教会の権力、王室の主権、そしてスペインがアメリカ大陸の植民地を通じて獲得した貿易力を示す建造物群です。1403年にモスクの跡地に建設された大聖堂は、五廊式の構造をもつ世界で最も広大で豪華な宗教建築のひとつです。クリストファー・コロンブスの墓があることでも知られています。隣接する「ヒラルダの塔」は、1172〜98年にムワッヒド朝のヤアクーブ・アルマンスールが、大モスクのミナレットとして建設したもので、レコンキスタ(国土回復運動)後に鐘楼に転用されました。頂上には塔の名前の由来となった、キリスト教信仰の勝利を表す女性の銅像「ヒラルディージョ」が設置されています。
ゼメリング鉄道
Semmering Railway
ゼメリング鉄道はアルプスを越えた最初の鉄道として世界遺産に登録されました。また、鉄道として初めて世界遺産登録された物件でもあります。ゼメリング鉄道は1848年に着工され、1854年に完成しました。それ以前はアルプスを越えるためには馬や徒歩での移動が主であり、鉄道での越境は非常に難しい課題でした。特に標高895mのゼメリング峠を越える鉄道の建設は困難とされていました。オーストリア帝国の鉄道技師カール・リッター・フォン・ゲーガは、新たな測量技術を開発し、二段アーチの高架橋やトンネルなどを建設して、わずか6年で鉄道を開通させました。ダイナマイトもない時代に、人力で岩を崩してこの難所に鉄道を開通したのはまさに奇跡の所業といえます。
泉州:宋・元時代の中国における世界的な商業の中心地
Quanzhou: Emporium of the World in Song-Yuan China
中国南西部の福建省にある泉州は、市内を流れる晋江と洛陽江が海へと注ぐ港に面した都市です。8〜9世紀頃に海上貿易の拠点として次第に発展し始め、宋代(960〜1276年)と元代(1271〜1368年)にあたる10〜14世紀にかけては世界的な貿易港として華々しい繁栄を遂げました。泉州は中国内陸部とアジアの海、そして世界とをつなぎ、「海のシルク・ロード」の東の拠点とも言われます。その名声は遠くヨーロッパまで伝わり、同時期の西洋の文献にはアラビア語でオリーブを意味する「ザイトゥーン」という名で登場します。13世紀にこの地を訪れたマルコ・ポーロは、著書「世界の記述」(東方見聞録)にて、泉州を世界最大の開港のひとつであると称賛しています。
宗廟
Jongmyo Shrine
蘇州の園林
Classical Gardens of Suzhou
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
隊商都市ペトラ
Petra
大ジンバブエ遺跡
Great Zimbabwe National Monument
ジンバブエ中南部の都市マスビンゴから約30kmの場所にある『大ジンバブエ遺跡』は、11〜15世紀頃にバンツー語系のショナ族によって築かれた巨大な都市遺跡群です。遺跡群は丘の上に築かれた「アクロポリス(丘の遺跡)」、高い石壁に囲まれた「大神殿(大囲壁)」、石の住居が並ぶ「谷の遺跡」の3つの要素で構成されています。宗教的中心地だったアクロポリスは、王族の居住地や儀式の場があったと考えられています。大神殿は14世紀に築かれたもので、その囲いはモルタルを用いず、加工した花崗岩を積み上げてつくられました。高さ約11mの円錐形の塔や住居跡が残されています。谷の遺跡は谷間に点在する住居群で、日干しレンガや石積みの壁でつくられた建物が特徴です。
大足石刻
Dazu Rock Carvings
重慶市の北西に位置する大足石刻は、唐代末期の9世紀から南宋時代の13世紀にかけて、山の岩壁に掘られた彫刻群の総称です。一帯には、石像が5万体以上、石碑文は10万点以上が現存し、75ヵ所ある文化財保護区域のうち、5ヵ所が世界遺産に登録されています。多くは大乗仏教の石刻ですが、道教や儒教の像も刻まれており、中国三大宗教の石刻がそろっているのが大きな特徴となっています。中でも宝頂山石刻群の石刻は評価が高く、特に大仏湾と呼ばれる崖の磨崖仏群、全長およそ31mの釈迦涅槃像が有名です。中国には、世界遺産に登録されている『雲岡石窟』や『龍門石窟』などの石窟芸術が残りますが、大足石刻はその中でも最も保存状態の良いものひとつに数えられています。
タオス・プエブロの伝統的集落
Taos Pueblo
タスマニア原生地帯
Tasmanian Wilderness
タフテ・ソレイマーン
Takht-e Soleyman
ダラム城と大聖堂
Durham Castle and Cathedral
タリンの歴史地区
Historic Centre (Old Town) of Tallinn
チェスキー・クルムロフの歴史地区
Historic Centre of Český Krumlov
チャコ文化
Chaco Culture
ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンで発見された集落は、10〜12世紀にかけて先住民アナサジ族によって築かれた集落群です。大規模な集落は12、小規模なものは400以上に及びます。アナサジ族は当時、独自の石工技術を用いて、数百の部屋を備えた多層構造の「グレートハウス」と呼ばれる巨大な石造建造物を建設しました。これらの建物は計画的に設計・建設されており、2〜5階建ての集合住宅となっています。壁は砂岩と泥モルタルで構築され、屋根梁には松材が使用されています。これらはチャコ文化の全体像を示す、良好な保存状態の考古学的遺跡です。多層構造と洗練された石積みを特徴とする高度に組織化された大規模建造物は、当時の社会構造の複雑化を物語っています。
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
Chhatrapati Shivaji Terminus (formerly Victoria Terminus)
チュニスの旧市街
Medina of Tunis
チュニジア北東部の肥沃な平野地域に位置し、海から数kmの場所にあるチュニスのメディナは、698年に設立されたマグリブ地方で最初のアラブ・イスラムの街のひとつです。12世紀から16世紀にかけて、ムワッヒド朝とハフス朝の統治下で、チュニスはアラブ世界で最も偉大で豊かな都市のひとつとされました。この時期およびそれ以前の時期の証拠は、現在も数多く残っています。16世紀から19世紀にかけては、新たな勢力が都市に多くの宮殿や邸宅、大モスク、ザウィア、マドラサを建てました。登録された土地は約3㎢におよび、アラブ・イスラム都市のすべての特徴を備えています。それは、中央メディナ(8世紀)と北と南の郊外(13世紀)から構成されています。およそ700の歴史的建造物が7つのエリアに分布しており、特に注目すべきものには、ザイトゥーナ・モスク、カスバ・モスクなどがあります。
チロエの教会堂群
Churches of Chiloé
ティカル国立公園
Tikal National Park
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群
Precolumbian chiefdom settlements with stone spheres of the Diquís
デリーのフマユーン廟
Humayun's Tomb, Delhi