World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(vi))

テルチの歴史地区

Historic Centre of Telč
テルチの歴史地区
チェコ南部に位置するテルチの街のある場所は、かつて深い原生林に覆われた未開の地でした。13世紀から14世紀にかけて、中央ヨーロッパでは政治的・経済的支配を目的に「プランテーション」と呼ばれる計画都市が建設されましたが、テルチはその中でも最も保存状態の良い例とされています。街の中心には城があり、二つの人工池に囲まれた構造は、防衛と景観の両立を意識した設計です。その起源は文献からは明らかでないものの、14世紀半ばには都市として機能していたと考えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

デルフィの考古遺跡

Archaeological Site of Delphi
デルフィの考古遺跡
デルフィはギリシャ中部のパルナソスの山腹にあります。ここは、古代ギリシャの予言の神アポロンの聖地として、当時広く知られていました。「世界のへそ」と言われているのは、神々の指導者であるゼウスが世界の中心がどこかを探るため、世界の両端から2羽の鷲を放ち、その2がこの地の上空で出会い、舞い降りたためとされています。この地には先述したアポロンを祀る神殿があり、また古代オリンピックに起源であるオリュンピアと同様のピュティア競技会場もあったため、数多くの巡礼者が訪れました。なお、ピュティアとはデルフィの神託所に仕えた巫女のことを指します。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

デロス島

Delos
デロス島
エーゲ海のほぼ中央、キクラデス諸島にあるデロス島は、伝説によると太陽神アポロンと月の女神アルテミスが誕生したとされている島です。紀元前3世紀に活躍した詩人カリマコスは、デロス島を「すべての島の中で最も神聖な島」と評しています。特にアポロンはオリンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子でもあることから、非常に重要な神とされていましいた。デロス島全体が考古遺跡となっており、ギリシャの遺跡の中でも最大級の規模を誇ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

天壇:北京の皇帝祭壇

Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing
天壇:北京の皇帝祭壇
北京市にある天壇は、1420年に明の第3代皇帝・永楽帝(在位:1402〜1424年)が造営した祭祀施設です。1402年に即位した永楽帝は、南京から北京へ都を移し、紫禁城の造営とともに天地壇をつくりました。1530年、第9代皇帝の嘉靖帝の時代に、天と地を祀る祭壇に分けられ、元の天地壇は「天壇」と呼ばれました。明・清代の歴代皇帝はこの地を訪れ、天と地の仲介役として祈りと犠牲を捧げました。1911年に祭祀が禁止されるまで、約490年にわたり儀式が執り行われていました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

ドゥブロヴニクの旧市街

Old City of Dubrovnik
ドゥブロヴニクの旧市街
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

独立記念館

Independence Hall
独立記念館
「独立記念館」は、アメリカ北東部ペンシルベニア州南東部に位置するフィラデルフィアにあります。1776年7月4日、この建物においてアメリカ東部の13のイギリス植民地代表による第2回大陸会議が開催され、ヴァージニア代表トマス・ジェファソンが起草した独立宣言が採択されました。アメリカ独立戦争の結果として、1783年のパリ条約によりイギリスはアメリカの独立を承認しました。さらに、1787年にはこの建物で憲法制定会議が開かれ、世界最古の近代的成文憲法であり、現行憲法でもあるアメリカ合衆国憲法が承認されました。1790年から1800年までの10年間、フィラデルフィアはアメリカの首都であり、この期間中、この建物は国会議事堂として使用されました。当時、議員数の少なかった元老院は2階を、多かった代議院は1階を議場として使用しており、これが「上院」「下院」の語源となっています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (vi)
詳細ページを見る Arrow-right

トスカーナのメディチ家の別荘と庭園

Medici Villas and Gardens in Tuscany
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
フィレンツェのメディチ家は15世紀に銀行業で成功し、莫大な財を蓄えました。その資金力を背景に政治力を発揮して、市政の実質的な支配権を握りました。その後は、トスカーナ大公国の君主になり、一族からローマ教皇も輩出し、300年間にわたりフィレンツェに君臨しました。一方で、文化・芸術の保護に力を入れ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリなどの芸術家を支援し、ルネサンス期の文化の形成に大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ナスカとパルパの地上絵

Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
ナスカとパルパの地上絵
ナスカとパルパの地上絵は、ペルー南部の乾燥したナスカ高原とパルパ平原に広がる約450㎢の地域に点在しており、紀元前500年から紀元後500年にかけて、数千点以上の地上絵が描かれました。この地は年間平均降水量が10mm以下の乾燥地帯で、台地の表面に広がる褐色の小石を取り除くと、白い砂が露出するため、この色の違いを利用して地上絵が制作されました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

日光の社寺

Shrines and Temples of Nikko
日光の社寺
『日光の社寺』は、栃木県の豊かな自然の中に位置する「二荒山神社」「東照宮」「輪王寺」の二社一寺と、それらに付随する103棟の建造物から構成されています。うち9棟が国宝、94棟が重要文化財に指定されており、17世紀を中心とする宗教建築と装飾美術の粋が凝縮されています。社寺群は山の斜面に巧みに配置され、自然景観との調和によって独自の美しさを実現しています。この場所は、長きにわたって信仰が守られてきた証であり、各社寺をめぐることで、信仰と芸術が融合した空間の奥深さを体感することができます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
詳細ページを見る Arrow-right

ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
詳細ページを見る Arrow-right

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
詳細ページを見る Arrow-right

ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
バハイ教の2大聖地であるイスラエル北部のハイファと西ガリラヤ地方のアッコ周辺には多くの聖地が点在しています。一神教であるバハイ教は、イスラム教から派生したバーブ教を前身として19世紀に発祥しました。世界中から訳500万人もの信者を集めるバハイ教ですが、毎年、聖地巡礼を目的に訪れる人が絶えません。また、世界遺産としては26の構成資産が登録されています。アッコにある創始者バハウッラーの霊廟や、ハイファのバーブ教の祖であるバーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟をはじめ、様々な建物や記念碑が点在しています。さらに、ハイファの万国正義院は近代的な新古典主義様式が特徴の建物として知られています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

バイロイトの辺境伯オペラハウス

Margravial Opera House Bayreuth
バイロイトの辺境伯オペラハウス
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

パパハナウモクアケア

Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケア
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250〜1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075?におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (iii)(vi)(viii)(ix)(x)
詳細ページを見る Arrow-right

バビロン

Babylon
バビロン
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

パリのセーヌ河岸

Paris, Banks of the Seine
パリのセーヌ河岸
パリの歴史は、セーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。今はパリのシンボルのひとつとなっているノートル・ダム大聖堂が立つ、文字通りパリの中心となる島です。この島に紀元前3世紀頃からケルト系のパリシイ人が集落を作って暮らし始めました。その後、紀元前52年頃にガリア遠征中のカエサルが率いるローマ軍に侵略されるとローマ風の都市が築かれ、河川交通の重要拠点として発展しました。4世紀中頃にパリと呼ばれるようになり、彼らが話す言葉が現在のフランス語へと発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
インドネシアのジャワ島の東に浮かぶバリ島には、湖、寺院、そして優れた灌漑システムを持つ棚田景観など5つの地域で構成された世界遺産があります。それらは、神、人、自然の調和を表す文化的景観として登録されました。5つの構成資産のなかで、「バトゥール湖」は泉や川の起源である女神が住むとされていて、「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」は、湖の水の女神を祀っています。そして、バリ島最大規模の「タマン・アユン寺院」は、水を司る王立寺院とされています。このように、バリでは水に関わる遺産が見られます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

バレッタの市街

City of Valletta
バレッタの市街
街全体が世界遺産のバレッタは地中海に浮かぶ島国・マルタ共和国の首都です。真っ青な海の上には、ハチミツ色に輝くマルタ石でできた建物が目立ちます。ここは16世紀に、聖ヨハネ騎士団が新たな拠点とした城塞都市です。聖ヨハネ騎士団は、第1回十字軍の時代に成立しました。彼らは地中海で活躍し、ロドス島を拠点としていましたが、オスマン帝国の進出により、そこから撤退せざるを得なくなり、1530年、マルタ島に拠点を移します。1565年のマルタ大包囲戦でオスマン帝国に勝利すると、翌年から街の建設を始めました。街は、当時の聖ヨハネ騎士団団長のジャン・パリソー・ド・ラ・バレッテの名前に由来します。 
地域: ヨーロッパ / 国名: マルタ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境

Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
996年に創建された大修道院は、ハンガリー最古の修道院であり、中世の中央ヨーロッパにおけるキリスト教の普及に大きな役割を果たしました。現在の教会は1224年に再建されたものですが、その後も増改築が繰り返されたため、ロマネスク様式やゴシック様式、新古典様式などが混在する建造物となっています。三廊式の聖歌隊席は、この建物で最も古い部分とされ、その下にある同じく三廊式の地下聖堂は再建以前の遺構と考えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

万里の長城

The Great Wall
万里の長城
『万里の長城』は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年にわたって築かれた中国最大の防衛施設です。総延長は2万kmを超え、河北省・山海関から甘粛省・嘉峪関まで、広大な範囲におよびます。構造は、城壁、望楼、馬道、狼煙台、関所など多様な構造からなり、地域や時代ごとに用いた素材や建築技術が異なります。特に明代には、煉瓦を用いた高度な技術が導入され、堅固な長城が形成されました。世界遺産として登録されているのは、保存状態が良好な「八達嶺」「山海関」「嘉峪関」の3つの主要なエリアです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ピサのドゥオーモ広場

Piazza del Duomo, Pisa
ピサのドゥオーモ広場
イタリアのトスカーナ地方にあるドゥオーモ広場は、11~14世紀にかけて建設された世界的に有名な建築が残っています。広場は「ミラコリ広場」とも呼ばれます。これは、イタリアの小説家ダヌンツィオがこの広場を訪れた際に広場の風景に感嘆して「ミラコリ広場(奇跡の広場)」と称したことに由来します。広場にはヨーロッパ中世の建築様式を代表する大聖堂や洗礼堂、斜塔(ピサの斜塔)、カンポサント(墓地)があります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

姫路城

Himeji-jo
姫路城
兵庫県姫路市の丘に立つ姫路城は、天守や櫓など82棟が現存し、約1.07㎢の広大な城郭を形成しています。白く統一された壁と重なる屋根のシルエットが織りなす優美な佇まいは、城下町からも一望できます。また、石垣には敵の侵入を防ぐため下部が緩やかで上部が急になる「扇の勾配」が施され、見た目の美しさと堅牢さを持っています。城壁に空けられた狭間と呼ばれる穴は、弓や鉄砲を構えるためのもので、丸や三角、四角など多彩な形状が用いられています。姫路城はまさに、美と戦略が融合した日本の城づくりの粋を体現する存在です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-

Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
平泉は東北地方の奥州に位置し、11~12世紀に栄えた、短命ながらも華やかな都でした。山々や池を巧みに取り入れた4つの浄土庭園は、極楽浄土の理想を現実に映し出す美しい景観で、仏の教えによる理想の世界「仏国土」を空間として表現しています。また、当時は仏の教えが衰えるとされる「末法の時代」と考えられていたことから、浄土への強い願いが込められていました。金鶏山を中心とした自然との調和も見どころで、日本の庭園文化の真髄を味わえる貴重な場所です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (ii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

広島平和記念碑(原爆ドーム)

Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
広島平和記念碑(原爆ドーム)
原爆ドームは、1945年8月6日に広島に投下された人類史上初の原子爆弾によって被曝した建物です。爆心地からわずか西北約150mの至近距離で壊滅的な被害を受けながらも、中心部分は倒壊を免れ、今なお当時の姿をとどめています。この建物は核兵器の悲惨さを伝える象徴であり、核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う平和記念碑として、国境を越えて半世紀以上にわたり平和の尊さを伝え続けています。毎年8月6日には、原爆慰霊碑の前で「平和記念式典」が行われ、原爆投下の時刻に合わせて黙とうが捧げられます。この式典では平和宣言が読み上げられ、未来に向けた核兵器廃絶の誓いが世界に向けて発信されます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (vi)
詳細ページを見る Arrow-right

フィレンツェの歴史地区

Historic Centre of Florence
フィレンツェの歴史地区
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

プエルト・リコの要塞とサン・フアン国立歴史地区

La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico
プエルト・リコの要塞とサン・フアン国立歴史地区
プエルト・リコ島は、カリブ海の大アンティル諸島の最東端に位置しており、サン・フアン国立歴史地区には、スペイン統治時代の堅固な要塞と美しい町並みが残されています。16世紀初頭にスペイン人がこの地に入植して間もなく、広大な植民地が新大陸に形成され、プエルト・リコはその玄関口として機能するようになりました。スペインはこの貴重な島を250年以上かけて要塞化し、約400年にわたって精力的に防衛・支配を続けました。「豊かな港」を意味する「プエルト・リコ」の名の由来となったサン・フアン港の要塞群は、この地がいかに戦略的に重要であったかを如実に物語っています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (vi)
詳細ページを見る Arrow-right