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ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles
ヴェルラの砕木パルプ・板紙工場
Verla Groundwood and Board Mill
ヴェローナの市街
City of Verona
ヴォーバンによる要塞建築群
Fortifications of Vauban
ヴォルビリスの考古遺跡
Archaeological Site of Volubilis
ウシュマルの古代都市
Pre-Hispanic Town of Uxmal
ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
Renaissance Monumental Ensembles of Úbeda and Baeza
スペイン南部アンダルシア地方にある2つの小都市ウベダとバエーサは、スペインで初めてルネサンス様式の理念に基づいて改修された街です。9世紀にはイスラム教徒の支配下にありましたが、13世紀にレコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒のもとに戻ります。やがて、16世紀に都市改修計画が行われ、ルネサンスの影響を受けた街として発展を遂げました。ウベダのエル・サルバドル教会やバスケス・デ・モリーナ宮殿(現在の市庁舎)、パラドール、バエーサの大聖堂など8件が世界遺産に登録されています。改修では、建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの貢献が石工技術を大きく発展させ、後にラテンアメリカの建築へも大きな影響を与えました。
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群
White Monuments of Vladimir and Suzdal
ヴルコリニェツの伝統的集落
Vlkolínec
ウルネスの木造教会
Urnes Stave Church
ウルビーノの歴史地区
Historic Centre of Urbino
ヴロツワフの百周年記念ホール
Centennial Hall in Wrocław
雲岡石窟
Yungang Grottoes
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
エーランド島南部の農業景観
Agricultural Landscape of Southern Öland
スウェーデン南東部バルト海に浮かぶエーランド島の南部には、先史時代から現代に至るまで、人々が農業とともに生きたことを伝える景観が残っています。石灰岩質の痩せた土壌にもかかわらず約5,000年もの間、人々はこの島の地形に適応しながら暮らしてきました。現在見られる農業景観や地域社会には、鉄器時代にまで遡る土地利用・区分、地名といった独自の文化的伝統が残されています。また、青銅器時代や鉄器時代の墓所や、16~18世紀につくられた大小400基もの風車も残っています。島民は現在でも、何世代にも渡って耕されてきた土地を耕し、何千年と受け継いできた牧草地で家畜の放牧を行っています。この類稀な文化継承は「生きた農業景観」として将来世代へ受け継ぐ重要性を語っています。
エアフルトの中世ユダヤ関連遺産
Jewish-Medieval Heritage of Erfurt
ドイツ中部のテューリンゲン州エアフルト旧市街の中心に位置する旧シナゴーグ、ミクヴェ、ストーンハウスから構成され、中央ヨーロッパにおけるユダヤ建築の希少かつ非常に良好に保存された例です。これらの建物は、その構造、建築的な細部、装飾プログラムを通じて、都市の特有の空間的・社会的条件への適応と、主にキリスト教徒が占める社会の中でユダヤ人コミュニティが共存していた様子を示しています。中世の中央ヨーロッパにおいて、重要な交易路の交差点に位置するエアフルトの都市発展の中で、これらの建物はその歴史を物語っています。この遺産は、11世紀後半から14世紀半ばにかけての中世において、貿易と交流に積極的に関わっていたユダヤ人コミュニティの最盛期の様子を伝えるものであり、ペストの流行に伴う迫害(ポグロム)の波が訪れるまでの時代を象徴しています。
英国の湖水地方
The English Lake District
エヴォラの歴史地区
Historic Centre of Évora
エチミアジンの大聖堂と教会群、およびズヴァルトノツの考古遺跡
Cathedral and Churches of Echmiatsin and the Archaeological Site of Zvartnots
エッサウィーラ(旧名モガドール)の旧市街
Medina of Essaouira (formerly Mogador)
絵描きやミュージシャンなど、多くの芸術家をも魅了するエッサウィーラは、モロッコの大西洋岸に位置します。ここが今のような街並みに形成されたのは、1765年です。当時この地域を支配していたアラウィー朝のスルタンは、外に開かれたモロッコ最大の国際貿易拠点にすることを目指しました。街の設計を担ったのが、フランス人建築家のニコラ・テオドール・コルニュです。ヴォーバン様式の影響を受けていたコルニュは、北アフリカにおけるこの港町にヨーロッパの機能的な軍事建築を取り入れ、再構築しました。イスラームの伝統的な街並みとそれらは調和し、異文化が融合した独自の景観を生み出しています。エッサウィーラという名は、「見事な設計」を意味します。
エッセンのツォルフェライン炭鉱業遺産群
Zollverein Coal Mine Industrial Complex in Essen
19世紀から20世紀にかけてヨーロッパの重要な基幹産業の代表例とされる歴史的な炭鉱施設です。坑道やコークス工場、鉄道、鉱滓堆積場、鉱員の住居、消費・福祉施設など、当時の炭鉱業の全設備が含まれ、特にモダン・ムーブメントを象徴する建築の高い品質が特徴です。ツォルフェラインは、ドイツの政治・経済が大きく変動した時期の終盤に創設され、その変化は表現主義からキュビズム、機能主義への移行に反映されています。また、二度の世界大戦の間に訪れた短い経済的繁栄、いわゆる「狂騒の20年代」を象徴する存在でもあります。さらに、この炭鉱は産業史においても重要な意味を持ち、世界的な経済の相互依存とグローバリゼーションの時代が始まったことを示す歴史的な記念碑のひとつと言えます。
エディルネのセリミエ・モスクとその関連施設
Selimiye Mosque and its Social Complex
エディンバラの旧市街と新市街
Old and New Towns of Edinburgh
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エフェソス
Ephesus
エルサレムの旧市街とその城壁群
Old City of Jerusalem and its Walls
西アジアの地中海東岸地域(レバント地方)に位置するエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教にとってきわめて重要な意味を持つ聖地です。エルサレムの歴史は非常に古く、約6,000年前には人類が居住していた可能性があります。紀元前14世紀の古代エジプトの文書に登場する「ウルサリム」という記述は、エルサレムに関する初めての確実な言及とされています。ウルサリムは西セム諸語の「シャリムの都市」を意味する語に由来し、それが転訛してエルサレムとなったと考えられています。現代アラビア語では「神聖」を意味する語に定冠詞(Al)が付いたAl Quds(アル・クドゥス)と呼ばれます。これはエルサレム神殿のヘブライ語名である「聖なる家」をアラビア語に翻訳したバイト・アル・マクディスという名称が短縮したものとされています。現在、エルサレムは西エルサレムと東エルサレムに分かれており、世界遺産に登録されている旧市街は東エルサレムに位置しています。旧市街は約1km四方の範囲に広がり、周囲を囲う城壁の全長は約4kmあります。城壁はオスマン帝国のスレイマン1世によって再建されたもので、8つの門のうち7つが現在も使用されています。
エル・ジェムの円形闘技場
Amphitheatre of El Jem
チュニジアの平野部に位置する『エル・ジェムの円形闘技場』は、西暦238年頃に建設された古代ローマの遺構です。「ローマの穀倉地帯」と呼ばれたエル・ジェムは、オリーブオイルや 穀物の輸出で栄え、闘技場はその富で建設されました。切り石を積み上げてつくられ、長径148m、短径122m、高さ36m、アリーナ(中央の舞台)は64×39m、収容人数はおよそ3万5,000人でした。古代ローマ時代に各地に築かれた円形闘技場の中でも3番目、あるいは4番目の規模を誇りました。ローマ帝国が衰退した後は要塞として利用され、 17世紀にオスマン帝国軍によって西側部分が破壊されましたが、3層部分を残しているなど保存状態は良好といえます。
エル・タヒンの古代都市
El Tajin, Pre-Hispanic City
エルチェの椰子園
Palmeral of Elche