World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(v))

海事都市グリニッジ

Maritime Greenwich
海事都市グリニッジ
ロンドン南東部、テムズ川沿いに位置するグリニッジはイギリスにおける水上交通の要となった海事都市です。かつては王宮の1つに過ぎなかったグリニッジですが、大航海時代~19世紀末までイギリスの海の玄関口として大いにその役割を果たしてきました。その大航海時代の名残を見られるのが1675年建造のグリニッジ天文台です。バロック様式の天文台で観測された恒星図によってイギリスの位置と時間が定められました。そして1884年の国際会議によってグリニッジ天文台が経度0度の本初子午線が通る基点として決定されます。その後、天文台はサセックスへ移転しますが、子午線の位置が変わることはありませんでした。王立天文台でのロバート・フックとジョン・フラムスティードの研究は、地球の動きを正確に測定することを可能にし、航海術の発展にも貢献しました。
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カイロの歴史地区

Historic Cairo
カイロの歴史地区
現在のエジプトの首都カイロは、7世紀にアラビアから攻めてきたイスラム・アラブ軍の軍事拠点フスタートを起源とします。10世紀の中頃にファーティマ朝がここに新都市を建設し、そこを「勝利者の都市(ミスル・アル・カーヒラ)」と名づけました。カーヒラの英語読みが「カイロ」です。その後交易等で発展し、政治・経済の面だけでなく、イスラム教の学問と芸術の中心地となりました。13世紀のマムルーク朝の時代にはさらに発展をとげ、町中にモスクやミナレットが建設され「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(v)(vi)
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カステル・デル・モンテ

Castel del Monte
カステル・デル・モンテ
イタリア南部のプーリア州にある城塞で、1240年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2 世によって築かれました。その設計は「8」に拘っています。この城の外観を上空から見ると、八角形の中庭を、城の本体となる八角形の壁が取り囲んでいて、さらに周壁の角には八角形の小塔が8つ配置されています。また、屋根の貯水槽にたまった雨水が各部屋に供給されるといった工夫がなされています。その一方で、この時代の城郭によく見られる堀や馬小屋などはなく、軍事的な要塞としての機能が見られません。また、出入り口となる扉付近はローマ古典様式、壁の窓はゴシック様式、そして浴槽の設備などにはイスラム文化の影響も伺えて、さまざまな建築様式が美しく融合した城となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
イタリア南西部、ナポリ近郊カゼルタに、ポーランド継承戦争が終わった18世紀の終わり、混迷の時代に、ナポリ王・カルロ7世(ブルボン家・カルロス3世)の命により、ヴェルサイユとマドリードの王宮に対抗してイタリアで最も壮大な王宮と庭園、水道橋等が建築されました。建築したのはルイージ・ヴァンヴィテッリとその息子。王宮以外にも、広大な森林地帯に24の国の庁舎、付属劇場等が作られ、19世紀にはブルボン家の貴族たちが春と秋の離宮として利用されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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上スヴァネチア

Upper Svaneti
上スヴァネチア
コーカサス山脈が広がる見事な景観に『上スヴァネチア』は静かに佇んでいます。この土地には、地理的隔離によって守られてきた中世風の村落や街並みが今も残っています。ウシュグリのチャザシ村には、200を超える中世の塔屋、教会、城などが保存されており、その土地利用や集落構造からは、自然環境と調和して暮らしてきた上スヴァネチアの伝統を感じることができます。塔屋は先史時代に起源を持っており、3〜5階建てで細長い形状をしています。住居は2階建てで、1階には人間と家畜が共に暮らすホールが設けられています。家畜は木製の仕切りで区切られ、時には豪華に装飾されることもありました。2階は夏季の居住空間と倉庫として機能したとされています。このような機能性を持った住居はジョージア伝統村落の特徴として知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ジョージア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(v)
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「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
沖ノ島は、玄界灘に浮かぶ周囲約4kmの孤島で、4世紀後半から9世紀末の約500年間の古代祭祀の祭祀の変遷を伝える考古遺跡がほぼ手つかずの状態で残っています。ここでは宗像三女神の信仰が生まれ現在にまで伝えられており、古代から今日に至るまで発展し継承されてきたことを示す貴重な証拠になっています。沖ノ島への上陸は原則禁止されており、神職が交代で奉仕を行うなど、厳格な禁忌が守られています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)
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キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院

Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra
キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院
9~13世紀にキリスト教圏の東端で栄えたキエフ大公国(キーウ・ルーシ)が首都キーウに残したキリスト教関連の建築物群です。キエフ大公国は10世紀末にギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が数多く建てられました。キーウの中心部にある聖ソフィア聖堂はキーウ・ルーシ全盛期の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設されたキーウ最古の聖堂です。後にロシア各地の聖堂建築に影響を及ぼしたことから、「ロシア聖堂の母」と呼ばれます。郊外の高台に立つキーウ・ペチェルーシク大修道院はやはり11世紀に建設され、宗教・学問・教育の広い分野で中世ロシア有数の「知の中心」でした。13世紀にモンゴル軍により破壊されましたが、19世紀になって再興されました。世界遺産には、ペレストヴォ地域にある救世主聖堂も併せて登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ウクライナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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紀伊山地の霊場と参詣道

Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
紀伊山地の霊場と参詣道
紀伊山地は三重・奈良・和歌山にまたがる山岳地帯で、豊かな自然と深い森林が広がっています。古代から神々が宿る特別な場所とされ、神仏習合の宗教観に基づかれた霊場が形成されました。熊野三山、高野山、吉野・大峯の三霊場と、それらを結ぶ参詣道は、日本の宗教文化に大きな影響を与え、今も多くの信仰を集めています。それらは自然環境を中心に育まれ、今なお共存しているため、日本ではじめて文化的景観が認められました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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キトの市街

City of Quito
キトの市街
アンデス山脈の高地に築かれたエクアドルの首都キトは、新大陸における宗教の中心地のひとつとなった都市です。もともとこの地は、先住民のキトス族が築いた街でしたが、15世紀末にインカ帝国の支配下に入ると、クスコに次ぐインカ第2の都市として繁栄しました。しかし、1533年にスペイン人による侵略が始まると、インカの人々は自ら街を焼き払い、16世紀半ばには廃墟と化した街の跡にスペイン人が都市計画に沿った植民都市キトを建設しました。
地域: 南米 / 国名: エクアドル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (ii)(iv)
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キナリグ人の文化的景観と移牧の道「カッチ・ヨル」

Cultural Landscape of Khinalig People and “Köç Yolu” Transhumance Route
キナリグ人の文化的景観と移牧の道「カッチ・ヨル」
キナリグ人の文化的景観と移牧の道「カッチ・ヨル」は,アゼルバイジャン北部の大コーカサス山脈に位置するキナリグ村と,夏営地(ヤイラク)および段々畑,さらにアゼルバイジャン中部の低地平野にある冬営地(キシュラク),そしてそれらを結ぶ200kmに及ぶ季節的な移牧ルート「カッチ・ヨル」から成る,連続した文化的景観です。標高約2,200mのキナリグ村は,半農半牧生活を営むキナリグ人の故郷であり,彼らの文化と生活様式は,ヤイラクとキシュラク間の季節的な垂直移動によって特徴づけられています。キナリグ人は,古代から伝わる長距離の移牧の方法を現在も受け継いでいます。
地域: 西・南アジア / 国名: アゼルバイジャン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iii)(v)
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キューの王立植物園

Royal Botanic Gardens, Kew
キューの王立植物園
ロンドン南西部、テムズ川沿いに位置する『キューの王立植物園』は132万m2の敷地面積を持つ世界最大規模の植物園です。1759年、イギリス王室のジョージ3世の母によって創建されて以来、何世紀にもわたって集められてきた莫大な植物学的コレクション(希少植物、海外から採集した植物、資料など)が展示されています。また国際的に知られている造園家のチャールズ・ブリッジマンやウィリアム・ケント、ランスロット・ブラウンなどの作品も見ることができます。キュー植物園の景観デザインや庭園、建物、植物コレクションは後に世界中に広まったガーデンアートと植物科学の発展の礎となっており、文化的景観の価値も認められています。
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キンデルダイク-エルスハウトの風車群

Mill Network at Kinderdijk-Elshout
キンデルダイク-エルスハウトの風車群
ロッテルダム南東に位置するキンデルダイクとエルスハウトに、18世紀に建造された19基の排水用風車は、低地で暮らす人々が水害と共生してきた創意・工夫の歴史を伝えています。オリエントに起源を持つ風車は、12世紀頃に十字軍によってオランダに伝えられたとされています。当初は製粉用に使われましたが、やがて排水用に改良され、18世紀半ばに排水用風車がつくられました。風車は水害を防ぐだけでなく、湿地帯を農地や牧草地に変え、オランダを農業大国に変貌させました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オランダ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ケブラーダ・デ・ウマウアカ

Quebrada de Humahuaca
ケブラーダ・デ・ウマウアカ
アルゼンチン北西端、アンデス山脈上に位置する「ケブラーダ・デ・ウマウアカ」は、グランデ川の浸食作用によって形成された、南北に約155kmにわたる渓谷です。アンデス高地の寒冷な高地砂漠高原から、温暖で湿潤な気候をもつフフイ渓谷まで広がるこの地には、1万年以上にわたり交易路として渓谷が利用されてきたことを示す遺跡が点在しています。 これらの遺跡には、先史時代の狩猟採集民および初期農耕社会(紀元前9000〜後400年)、大規模に組織化された農業社会(400〜900年)、繁栄した町や村(900〜1430年または1480年)、インカ帝国時代(1430年または1480〜1535年)、さらにはスペインによる町や村、教会(1535〜1810年)、アルゼンチン独立闘争(1810年〜20世紀)の痕跡が含まれています。
地域: 南米 / 国名: アルゼンチン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群

Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
地域: アフリカ / 国名: スーダン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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コートジボワール北部にあるスーダン様式のモスク群

Sudanese style mosques in northern Côte d’Ivoire
コートジボワール北部にあるスーダン様式のモスク群
コートジボワール北部に点在する8つのスーダン様式のモスク群は、土造り、突き出た木材、ピラミッドのような先細りのミナレット、陶器やダチョウの卵で装飾されたバットレス(主壁を支える垂直な控え壁)などが特徴です。この建築様式は「スーダン様式」呼ばれ、砂漠地帯からスーダンのサバンナまで広がった西アフリカのサバンナ地帯に特有のものです。その起源は、14世紀頃に金と塩を扱うサハラ交易で栄えたマリ帝国のジェンネにあります。
地域: アフリカ / 国名: コートジボワール共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ゴアの聖堂と修道院

Churches and Convents of Goa
ゴアの聖堂と修道院
インド西部の港町「オールド・ゴア」と呼ばれる地には、多くのキリスト教の聖堂と修道院があります。ここは15世紀にビジャープル王国が建設した町でしたが、16世紀にポルトガルが占領し、ポルトガル領インドの行政府が置かれました。貿易で栄え、人口20万人以上の都市となります。16世紀の前半は目立ったキリスト教化は行われませんでしたが、16世紀半ば以降はヒンドゥー教寺院などが破壊され、キリスト教化が進みました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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紅河ハニ族棚田群の文化的景観

Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces
紅河ハニ族棚田群の文化的景観
雲南省南部、紅河ハニ族イ族自治州を流れる紅河南岸には、少数民族のハニ族が築いた棚田群が広がっています。世界遺産に登録されている総面積は約166㎢に及び、3,000段を有するともされる棚田は世界最大規模を誇ります。山岳地帯の狭い峡谷で生活している少数民族のハニ族は、自然環境を利用した独自の灌漑システムをもつ棚田群を作り上げ、1,300年にわたって棚田と伝統的な生活を守り続けてきました。ハニ族にとって森林は神が宿る神聖な地であることから、長年森林を保護してきました。そして「森林」と「水源」、「棚田」、「村」の四つの要素からなる、生態学的に優れた循環型灌漑システムを作り上げています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(v)
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高句麗古墳群

Complex of Koguryo Tombs
高句麗古墳群
北朝鮮の首都、平壌周辺の高句麗古墳群は、高句麗王国の中・後期にあたる4〜7世紀ごろに建造された63基からなる古墳群で、その多くに美しい壁画が残されています。高句麗は、現在の中国東北部と朝鮮半島にかけて栄えた最強の王国のひとつでした。これまでに中国と朝鮮半島で発見された1万以上の高句麗の古墳のうち、壁画が描かれている古墳は約90か所で、これらの古墳のほぼ半分は世界遺産登録された地域にあります。壁画の図柄は、青龍、白虎、朱雀、玄武を描いた四神図や狩猟図、それに日本の高松塚古墳のものと似た女性像など多岐にわたっています。衣装、食べ物、住居生活、埋葬の習慣、さらには宗教的儀式など、今は消えてしまった高句麗文化の豊かさを伝える証となっています。高松塚古墳やキトラ古墳の壁画との関連性も指摘されており、高句麗王国が日本を含む東アジアに大きな影響を与えていたことを示唆しています。
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杭州にある西湖の文化的景観

West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
杭州にある西湖の文化的景観
浙江省杭州市の中心部にある外周15kmほどの西湖は、三方を丘に囲まれ霧に包まれることが多いところです。この山水画のような世界は、9世紀の唐代以降多くの文人墨客を惹きつけてきました。13世紀に南宋が首都を置いて以降、杭州は中国人にとって伝統的な景観の最高例となりました。13世紀にこの地を訪れたマルコ・ポーロもその美しさを絶賛しました。西湖の周辺には、中国の歴史ある寺廟や楼閣、庭園などが多くあり、湖に浮かぶ3つの島や人工的に造られた2ヵ所の堤防などが絵画的に眺望を演出しています。これは人々がより一層美しい景観を求めて、自然の姿に「改良」を重ねてきたことで生み出された文化的景観です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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コソボの中世建造物群

Medieval Monuments in Kosovo
コソボの中世建造物群
デチャニ修道院はセルビア王ステファン・デチャンスキのために建てられ、彼の霊廟にもなっています。この修道院には、1329年に献堂されたバルカン半島最大の規模を誇る主聖堂があり、同時代の他の様式とは異なるロマネスク様式の外観となっています。他の構成資産でも、特徴的な4つのドーム型教会を有するペーチ総主教区修道院やビザンチン様式とロマネスク様式が融合したリェヴィシャの聖母教会のフレスコ画など、独特の様式を持つビザンチン・ロマネスク教会文化の最高潮を反映しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: セルビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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古代都市サーマッラー

Samarra Archaeological City
古代都市サーマッラー
イラクの首都バグダードの北西約130km、ティグリス川沿いに位置する『古代都市サーマッラー』は、9世紀にイスラム王朝のアッバース朝の首都として栄えた都市の遺跡です。当時アッバース朝は中央アジアから北アフリカまでを支配し隆盛を誇っていました。サーマッラーは、当時の都市遺跡としては現在唯一原形を残しているもので、都市計画の平面プランや数々の特徴的な建築物、彫刻やモザイクなどが残っています。また、イスラム教シーア派の聖地ともなっています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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古代都市パルミラ

Site of Palmyra
古代都市パルミラ
シリアの首都・ダマスカスの砂漠の中央にあるオアシスの都市パルミラは、かつてナツメヤシが茂る地下水に恵まれた場所でした。「パルミラ」の名は、ギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」に由来しています。紀元前1世紀ごろから後3世紀の間、シルク・ロードの拠点として交易で栄え、129年にはローマ帝国のハドリアヌス帝から自由都市の資格を与えられました。パルミラの主神を祀るベル神殿や列柱道路、商人らを楽しませた円形劇場や浴場などが作られました。ギリシャ・ローマの西方文化とパルティア・ペルシアなどの東方文化の交差点に位置するパルミラの芸術と建築は、東西の文化と地元の伝統が融合し、独創的なスタイルを築きました。しかしローマ帝国からの独立に失敗したあと、街は破壊されました。
地域: 西・南アジア / 国名: シリア・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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古都京都の文化財

Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)
古都京都の文化財
東、北、西を豊かな緑の山で囲まれた盆地にある京都は794年に平安京として建設され、19世紀半ばまで日本の首都として栄えました。千年以上にわたり日本の政治・経済の中心地であるとともに、各時代の文化を牽引してきました。12世紀までの神社や寺院に多く見られる和様や、16世紀末から17世紀初頭に用いられた装飾の多い桃山様式などの日本を代表する建築様式の多くは、京都で洗練され日本各地に伝えられました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (ii)(iv)
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古都奈良の文化財

Historic Monuments of Ancient Nara
古都奈良の文化財
奈良の地には、唐の長安などをモデルとして、710年に平城京が建設され、784年まで日本の首都として栄えました。その間、仏教が国家の宗教として位置づけられ、一貫した仏教興隆政策のもとで多くの寺院や神社が建立されました。また、日本と中国、朝鮮との間における密接な文化的交流の歴史も示しています。中国や韓国では同年代の木造建築の大部分が失われていることからも、これら建造物群の世界史的な価値が極めて高いとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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コルドバの歴史地区

Historic Centre of Cordoba
コルドバの歴史地区
スペイン南西部、アンダルシア地方にあるコルドバは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が融合する歴史ある商業都市です。紀元前3世紀に共和制ローマの支配下に入った時にはカルタゴの植民都市が存在し、6世紀には西ゴート王国がこの地を統治します。その後イスラム勢力が制圧し、756年に後ウマイヤ朝の首都としてヨーロッパにおけるイスラム教の最重要拠点となります。10世紀には、コンスタンティノープル、ダマスカス、バクダードと並ぶ大都市として繁栄し、市街には300以上のモスクが立ち並びました。 一方、コルドバはキリスト教世界が目指すレコンキスタ(国土回復運動)の対象都市となります。1212年にムワッヒド朝が衰退すると、1236年にはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは奪還され、大モスク「メスキータ」はキリスト教聖堂へ改修されるなど、キリスト教文化が浸透していきました。歴史地区では、それぞれの宗教文化の痕跡が今も残されています。その他にも、フェルディナント王子とイサベル女王が居城とした「カトリック両王のアルカサル」や、キリスト教支配の初期に築かれた「カラオーラの塔」など、レコンキスタを象徴する建築物も見ることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ゴレスタン宮殿

Golestan Palace
ゴレスタン宮殿
テヘランの歴史地区の中心部にある『ゴレスタン宮殿』は、テヘランで現存する最古の建物のひとつです。宮殿は、18世紀末に成立し、近代化を進めたカージャール朝の時代に建てられました。ペルシア伝統の芸術品や工芸品を配しながらも、西洋の建築技術やヨーロッパの建築様式を取り入れた建物です。敷地内の北側に位置するカーフ・エ・アスリー(本館)のタラー・エ・アイネは、別名「鏡の宮殿」と言われていて、壁から天井まで鏡でびっしりと飾られており、光を反射して空間全体が輝くかのように設計されています。室の居城や行政上の拠点としてだけでなく、カージャール朝時代の建築と芸術の中心地としての側面も持ち合わせていました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界

Kulangsu, a Historic International Settlement
鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
厦門に面した小さな島、鼓浪嶼(コロンス島)に残る931の歴史的建造物からなっています。1842年に結ばれた南京条約によって、翌1843年に厦門が開港し、1903年に鼓浪嶼に共同租界が設立されると、中国における海外貿易の重要な窓口となりました。様々な国の外国人がここに住み着いたことから、世界の様々な様式の建築が建てられ、文化的な混交が生まれました。アール・デコやモダニズムなどの西洋の建築様式と、厦門周辺地域の文化が融合して生まれた「アモイ・デコ様式」という鼓浪嶼独自の建築様式は、その一例になっています。共同租界とは、清朝や中華民国内に築かれた外国人居留地で鼓浪嶼では各国が共同で外国人居留地を管理しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)
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コロンビアのコーヒー農園の文化的景観

Coffee Cultural Landscape of Colombia
コロンビアのコーヒー農園の文化的景観
多くの方に嗜好品として愛されるコーヒーですが、その農園が世界遺産になるケースもあります。コロンビアのコーヒー農園はその代表例のひとつです。コロンビア西部、18の都市と6ヵ所の農業地帯からなる一帯は「エヘ・カフェテロ」(コーヒーの栽培の軸)と呼ばれて、19世紀からコロンビア北西部のアンティオキアからやってきた人々により農地が拓かれました。55度以上の傾斜をもつ急峻な山脈で、伝統的なコーヒー豆の生産が行われ、数世代にわたって今でもコーヒー豆が生産されているのが、非常に価値のあるものとみなされています。現在、コロンビアのコーヒー豆の生産量は世界3位(ブラジル、ベトナムに次ぐ)であり、この地域のコーヒー生産が少なくともそれに貢献していることは間違いありません。
地域: 南米 / 国名: コロンビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (v)(vi)
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サーメ人地域

Laponian Area
サーメ人地域
スウェーデン北部、北極圏のラップランドは、高い山々、原生林、広大な沼地、美しい湖や川が織りなす壮大な自然景観を有しています。この地域のうち、スウェーデン最北端に位置する4つの国立公園(パディエランタ、サーレク、ストーラ・シェーファレット、ムッドゥス)と2つの国立自然保護区(シャウンニャ、ストゥッバ)、スリチェルマ氷河地帯、チューオルタ渓谷、ラパダーレ・デルタを含む約9,400km2の地域は、氷河によって形成された自然環境と、そこに暮らすサーメ(ラップ)人の文化が息づく地域として、複合遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スウェーデン王国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iii)(v)(vii)(viii)(ix)
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サーンチーの仏教遺跡

Buddhist Monuments at Sanchi
サーンチーの仏教遺跡
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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