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アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アルコバサの修道院
Monastery of Alcobaça
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ヴェローナの市街
City of Verona
カステル・デル・モンテ
Castel del Monte
イタリア南部のプーリア州にある城塞で、1240年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2 世によって築かれました。その設計は「8」に拘っています。この城の外観を上空から見ると、八角形の中庭を、城の本体となる八角形の壁が取り囲んでいて、さらに周壁の角には八角形の小塔が8つ配置されています。また、屋根の貯水槽にたまった雨水が各部屋に供給されるといった工夫がなされています。その一方で、この時代の城郭によく見られる堀や馬小屋などはなく、軍事的な要塞としての機能が見られません。また、出入り口となる扉付近はローマ古典様式、壁の窓はゴシック様式、そして浴槽の設備などにはイスラム文化の影響も伺えて、さまざまな建築様式が美しく融合した城となっています。
クラクフの歴史地区
Historic Centre of Kraków
グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada
アンダルシア地方グラナダに位置するアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区は、かつてのイスラム王朝時代の宮殿都市としての面影を残す遺構です。1232年、住民から招かれたイスラム勢力ナスル族のムハンマド1世によって、この地にグラナダ王国(ナスル朝)が興りました。当時は8世紀から続くレコンキスタ(国土回復運動)の最中にあり、周辺には小さなイスラム教国が残るのみでした。ナスル朝は、キリスト教勢力の大国カスティーリャ王国の封建的家臣として従うことで領土を守ってきました。しかし、14世紀半ばにヨーロッパでおきたペスト大流行や、キリスト教国同士の争いで滞っていたレコンキスタの最熱などにより、1479年に強大なスペイン王国が成立します。これに伴って、グラナダは1492年に陥落しレコンキスタは完結を迎えました。
コルドバの歴史地区
Historic Centre of Cordoba
スペイン南西部、アンダルシア地方にあるコルドバは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が融合する歴史ある商業都市です。紀元前3世紀に共和制ローマの支配下に入った時にはカルタゴの植民都市が存在し、6世紀には西ゴート王国がこの地を統治します。その後イスラム勢力が制圧し、756年に後ウマイヤ朝の首都としてヨーロッパにおけるイスラム教の最重要拠点となります。10世紀には、コンスタンティノープル、ダマスカス、バクダードと並ぶ大都市として繁栄し、市街には300以上のモスクが立ち並びました。
一方、コルドバはキリスト教世界が目指すレコンキスタ(国土回復運動)の対象都市となります。1212年にムワッヒド朝が衰退すると、1236年にはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは奪還され、大モスク「メスキータ」はキリスト教聖堂へ改修されるなど、キリスト教文化が浸透していきました。歴史地区では、それぞれの宗教文化の痕跡が今も残されています。その他にも、フェルディナント王子とイサベル女王が居城とした「カトリック両王のアルカサル」や、キリスト教支配の初期に築かれた「カラオーラの塔」など、レコンキスタを象徴する建築物も見ることができます。
サラマンカの旧市街
Old City of Salamanca
スペイン西部に位置するサラマンカは、2,000年以上の歴史をもつ都市であり、イベリア半島でも有数の文化遺産が存在します。街の南西を流れるトルメス川に架かる古代ローマ時代の橋をはじめ、12世紀に完成したロマネスク様式の旧大聖堂やサン・マルコス教会、16世紀完成のサリナ宮殿やモンテレイ宮殿などがその歴史を物語っています。特に18世紀に完成したマヨール広場は、スペインで最も壮麗なバロック様式の広場と謳われています。旧市街とその周辺には、ロマネスク様式からゴシック、ルネサンス、バロックに至るまでの宗教建築が点在し、都市全体が歴史的景観を形成しています。また、旧市街の建造物の多くは微少の酸化鉄を含んでおり、その影響で陽光を受けると旧市街全体が金色に輝いて見えることから、「ラ・ドラーダ(黄金都市)」の異名でも知られています。
サン・ジミニャーノの歴史地区
Historic Centre of San Gimignano
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
Santiago de Compostela (Old Town)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
シエナの歴史地区
Historic Centre of Siena
シントラの文化的景観
Cultural Landscape of Sintra
スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群
Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
ダラム城と大聖堂
Durham Castle and Cathedral
タリンの歴史地区
Historic Centre (Old Town) of Tallinn
チェスキー・クルムロフの歴史地区
Historic Centre of Český Krumlov
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧名ヴィクトリア・ターミナス)
Chhatrapati Shivaji Terminus (formerly Victoria Terminus)
ドゥブロヴニクの旧市街
Old City of Dubrovnik
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
バースの市街
City of Bath
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine
ハンザ都市ヴィスビー
Hanseatic Town of Visby
バルト海に浮かぶゴットランド島の中心にある都市ヴィスビーは古くはバイキングの拠点でした。12世紀になるとドイツ商人が住みついたことで交易地として発展し、ハンザ同盟の主要な拠点となります。旧市街を取り囲む全長3.5km、高さ最高10mの城壁は13世紀にドイツ商人が自衛のために築いたものです。多くの建物は16世紀にライバル関係であったリューベックによって破壊されますが、この城壁は残っています。中世のヴィスビーにはスウェーデンの他のどの町よりも多くの教会があり、ロマネスク様式とゴシック様式の特徴を持つ17の聖堂がありました。しかし、16世紀の宗教改革によってそのほとんどが破壊され、現存するのは1225年に建造された聖母マリア大聖堂のみとなっています。
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
プラハの歴史地区
Historic Centre of Prague
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
Routes of Santiago de Compostela in France
ブリュージュの歴史地区
Historic Centre of Brugge
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with “The Last Supper” by Leonardo da Vinci
ミラノの中心部に位置するサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会は、15世紀の半ばに完成した教会です。敷地内にはドミニコ会の修道院があります。その食堂の壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から97年にかけて描いた『最後の晩餐』が残ります。縦4.2m×幅9.1mの巨大な壁画で、「遠近法」と「明暗法」を取り入れ、イエスとその弟子たちをリアルに浮き立たせた名画です。壁画は、壁の漆喰が乾ききらないうちに描くフレスコ画ではなく、卵などを絵具に混ぜて固定材として使用するテンペラ画の技法で描かれました。速乾性に優れ、細やかな筆遣いを可能としましたが、壁に描く場合は耐久性に劣るため、「最後の晩餐」も早くに損傷が進み、20世紀後半には修復作業が行われました。
ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群
Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場
Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena