World Heritage Sites

世界遺産一覧

("ヨーロッパ建築"関連)

アフパットとサナインの修道院

Monasteries of Haghpat and Sanahin
アフパットとサナインの修道院
301年に世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアの、ロリ地方に位置する『アフパットとサナインの修道院』は、主に10世紀から13世紀に創設された2つの修道院です。長きにわたりアルメニア教会の中心拠点として重要な役割を果たしてきたこの場所は、10世紀以降に最盛期を迎え、500人程度の僧が暮らし学んでいました。ビザンツ教会建築とコーカサスの伝統的な建築様式の要素が融合した独特な建築様式を持ち、アルメニアの宗教建築を代表する修道院群となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: アルメニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アマルフィ海岸

Costiera Amalfitana
アマルフィ海岸
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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アミアンの大聖堂

Amiens Cathedral
アミアンの大聖堂
アミアン大聖堂は、フランス北部ピカルディ地方の中心に位置し、13世紀の古典的ゴシック様式を代表する教会建築の中でも最大級の規模を誇ります。身廊と内陣が交差廊を挟んで完璧な対称性を持つ、厳格で一貫性のある造りが大きな特徴です。内部は三層構造の壮麗な高さを持ち、軽快な構造、彫刻装飾とステンドグラスなどが、中世建築の最も特筆すべき例の一つです。主要部は1220年から1288年の間に、一貫性の高い設計思想のもと建設されたため、その構想と実現の統一性は非常に高い価値を持っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (i)(ii)
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アランフエスの文化的景観

Aranjuez Cultural Landscape
アランフエスの文化的景観
マドリードの南約30km、タホ川の南岸には15〜18世紀にカスティーリャ王やスペイン王によってつくられた王家の夏の離宮と無数の庭園が今に残されています。アランフエスの文化的景観には、入り組んだ水路が幾何学的にデザインされた景観、自然と人間の営み、都市と農村の生活、森林の野生動物と洗練された建築物など、多様な要素が織り交ぜられています。王家の繁栄を今に伝える離宮と庭園はロドリーゴ作曲の『アランフエス協奏曲』によって世界中に知られました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)
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17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群

The Archaeological Ensemble of 17th Century Port Royal
17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群
ジャマイカ南東部、キングストンハーバーの河口に位置する『17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群』はかつて栄えた奴隷貿易の重要拠点でした。17世紀にイギリス人入植者によって築かれた都市集落は整った方形の区画で分けられており、通りにはロンドンにある通りと同じ名前が付けられました。また、海賊の本拠地でもあり「キリスト教世界で最も邪悪な都市」とも呼ばれていました。しかし、1962年の地震によって大きな被害を受け、街の大部分が崩壊・水没してしまいます。街にはこの地が奴隷貿易の拠点であったことを示す港や6つの砦など要塞の遺構も存在していますが、その一部は水没したままとなっています。しかし、この残された遺構が重要な考古学的証拠となり、17世紀のアメリカ大陸におけるイギリス植民地時代の存在を今日も物語っています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: ジャマイカ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ヴェズレーの教会と丘

Vézelay, Church and Hill
ヴェズレーの教会と丘
現在はブルゴーニュの丘に静かに佇む小さな街にすぎないヴェズレーですが、かつては多くの巡礼者が訪れ、十字軍に向かう王たちが集うなどフランスの歴史の中にも登場する街でした。9世紀末にヴェズレーに教会が建てられると、マグダラのマリアの聖遺物が運び込まれたのをきっかけに、ヨーロッパ世界にとって重要な巡礼地となっていきます。11世紀になると、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼地の中継地として多くの巡礼者が訪れにぎわいました。そのため別の世界遺産『フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』の構成資産にもなっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(vi)
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ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿

Temple of Apollo Epicurius at Bassae
ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿
ペロポネソス半島中央部のアルカディア地方の緑の丘に、壮大な神殿がそびえたっています。この神殿は紀元前5世紀後半のギリシャ文明最盛期にあたる、紀元前420~前400年頃にフィガリア人により建設されました。当時、近隣ではペストが流行していたのですが、この地方には被害が及ばなかったため、市民はそれをアポロン神の加護だと信じて、標高1,160mの地に神殿を建てました。僻地に建設されたこともあり、1765年に発見されるまで1,700年以上歴史の舞台から姿を消していましたが、同時に石材などが盗まれることもなく、結果的に保存状態の良いままで遺されました。 
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ヴィースの巡礼教会

Pilgrimage Church of Wies
ヴィースの巡礼教会
建築家ドミニクス・ツィンマーマンの指導の下、アルプスの麓の牧歌的な環境にバイエルン・ロココの最も洗練された作品のひとつです。教会は楕円形の平面を特徴とし、西側には半円形のナルテックス(玄関ホール)が設けられています。内部では、壁の前に配置された双柱が、気まぐれに形作られたコーニスや平坦なプロフィールを持つ木造アーチ型天井を支えています。この建築的特徴は、窓やオクルス(天窓)からの光が巧みに直接・間接的に拡散される二次的な内部空間を定義しています。東側には、上部と下部のギャラリーに囲まれた長く深い聖歌隊席があります。礼拝堂の特徴的な点は、芸術と田園風景の調和です。建築、彫刻、絵画、漆喰細工、彫刻、鉄細工など、すべての芸術形式と技術が、建築家によって完璧に統一された構成に融合され、光と形の透明な空間構造を作り出しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)
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ウィーンの歴史地区

Historic Centre of Vienna
ウィーンの歴史地区
「音楽の都」として名を馳せるウィーンは、世間では「ウィーン少年合唱団」などでも有名でしょう。ウィーンの起源は紀元前1世紀までに遡り、ローマ帝国においては「ウィンドボナ」と呼ばれていました。13世紀以降ハプスブルク王家から神聖ローマ皇帝が選出されるようになってから、ウィーンは王都となりました。ウィーンが劇的な変貌を遂げるのは17世紀後半なのですが、それまでの歴史を語る建造物も多く残されています。例えばオーストリア最古の修道院であるショッテン修道院や、14~15世紀に建造された聖シュテファン大聖堂などはその代表例と言えます。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ヴェルサイユ宮殿と庭園

Palace and Park of Versailles
ヴェルサイユ宮殿と庭園
フランスの首都パリから20㎞ほどのところに位置するヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世からルイ16世の時代までのフランス国王の居城でした。1661年にルイ14世の命で建造が始まると、数世代にわたる建築家や彫刻家、装飾家による建設と拡張が行われます。贅の限りを尽くして建てられたこの宮殿はフランス・バロック様式建造物の最高傑作というだけではなく、「太陽王」としてのルイ14世を象徴するとともに、フランスの絶対王政の最盛期を象徴する権威的な宮殿にもなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ヴュルツブルクの司教館と庭園群

Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (i)(iv)
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エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡

Archaeological Site of Aigai (modern name Vergina)
エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡
現代名をヴェルギナとするエゲ(当時の発音ではアイガイ)は、古代のマケドニア王国の最初の首都とされています。19世紀後半から、ナポレオン3世の支援を受けた考古学者レオン・ユーゼによる発掘が始まり、その結果宮殿跡などが発見されました。さらに調査が進められた結果、1977年頃にはアレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墓が発見されたのです。フィリッポス2世は紀元前4世紀を生きた人物であり、前338年のカイロネイアの戦いで、ギリシャのポリス連合軍を破って本土を制圧した人物として名高い王です。そのような王の墓が発見されたことで当時世界中に衝撃を与え、またこの地がエゲであるという可能性が強くなったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(iii)
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エディンバラの旧市街と新市街

Old and New Towns of Edinburgh
エディンバラの旧市街と新市街
小高い岩山の上に建つエディンバラ城は旧市街の代表的建築物で、7世紀につくられた砦が起源だとされています。11世紀後半からスコットランド王の居城となり、王国間の抗争やイングランドとの戦いの舞台となりました。現在見られるノルマン様式を用いた城の建物は、18世紀以降に再建れたものです。城内の宮殿は軍事博物館として使用され、歴代のスコットランド王の戴冠式で使われたスクーンの石が展示されています。エディンバラ城の東には、現在でも王室の滞在地として使用されているホリールードハウス宮殿があります。エディンバラ城とこの宮殿を結ぶ道はロイヤルマイル(王宮通り)と呼ばれ、旧市街の中心街になっています。
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オデーサの歴史地区

The Historic Centre of Odesa
オデーサの歴史地区
「黒海の真珠」とも呼ばれる美しい街並みが広がるウクライナ南部の都市。対岸にはイスタンブールがある黒海沿岸の港湾都市で、古代ギリシャ都市「オデッソス」の名前を女性系にした「オデッサ」と名付けられました(ウクライナ語では「オデーサ」)。     オデーサの街は、当時のロシア帝国の女帝エカチェリーナ2世により、凍らない港である不凍港を獲得するため建設・整備された歴史をもちます。不凍港の獲得はロシアの南下政策において、軍事的・経済的な要でした。その後オデーサは1819年に自由港湾都市となって発展を遂げ、様々な文化が交差する国際都市になりました。世界遺産としては19~20世紀にかけての傑出した都市計画が評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ウクライナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (ii)(iv)
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オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺

Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange
オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺
フランス南部のアヴィニョンの北にあるオランジュは、紀元前1世紀、ローマ帝国の植民都市になり、古代ローマ時代の遺跡が残る街です。紀元10年から25年の間に築かれた凱旋門には、「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」が打ち立てられていく様子がレリーフで表現されています。これは、今も現存する初代皇帝アウグストゥスの時代の地方凱旋門のなかでも、最も美しいと評価されているものです。凱旋門は13世紀には要塞へと改変されましたが、その後1824年には修復されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (iii)(vi)
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オリンピアの考古遺跡

Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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海事都市グリニッジ

Maritime Greenwich
海事都市グリニッジ
ロンドン南東部、テムズ川沿いに位置するグリニッジはイギリスにおける水上交通の要となった海事都市です。かつては王宮の1つに過ぎなかったグリニッジですが、大航海時代~19世紀末までイギリスの海の玄関口として大いにその役割を果たしてきました。その大航海時代の名残を見られるのが1675年建造のグリニッジ天文台です。バロック様式の天文台で観測された恒星図によってイギリスの位置と時間が定められました。そして1884年の国際会議によってグリニッジ天文台が経度0度の本初子午線が通る基点として決定されます。その後、天文台はサセックスへ移転しますが、子午線の位置が変わることはありませんでした。王立天文台でのロバート・フックとジョン・フラムスティードの研究は、地球の動きを正確に測定することを可能にし、航海術の発展にも貢献しました。
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カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
イタリア南西部、ナポリ近郊カゼルタに、ポーランド継承戦争が終わった18世紀の終わり、混迷の時代に、ナポリ王・カルロ7世(ブルボン家・カルロス3世)の命により、ヴェルサイユとマドリードの王宮に対抗してイタリアで最も壮大な王宮と庭園、水道橋等が建築されました。建築したのはルイージ・ヴァンヴィテッリとその息子。王宮以外にも、広大な森林地帯に24の国の庁舎、付属劇場等が作られ、19世紀にはブルボン家の貴族たちが春と秋の離宮として利用されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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上スヴァネチア

Upper Svaneti
上スヴァネチア
コーカサス山脈が広がる見事な景観に『上スヴァネチア』は静かに佇んでいます。この土地には、地理的隔離によって守られてきた中世風の村落や街並みが今も残っています。ウシュグリのチャザシ村には、200を超える中世の塔屋、教会、城などが保存されており、その土地利用や集落構造からは、自然環境と調和して暮らしてきた上スヴァネチアの伝統を感じることができます。塔屋は先史時代に起源を持っており、3〜5階建てで細長い形状をしています。住居は2階建てで、1階には人間と家畜が共に暮らすホールが設けられています。家畜は木製の仕切りで区切られ、時には豪華に装飾されることもありました。2階は夏季の居住空間と倉庫として機能したとされています。このような機能性を持った住居はジョージア伝統村落の特徴として知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ジョージア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(v)
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グアナフアトの歴史地区と鉱山

Historic Town of Guanajuato and Adjacent Mines
グアナフアトの歴史地区と鉱山
グアナフアトはメキシコ中央部の標高2000mの場所に位置し、16世紀に銀鉱山が発見されたことをきっかけに植民都市が築かれました。18世紀には世界有数の銀の採掘地となり、銀産出量は全世界の4分の1を占めるほどでした。しかし銀によって富を得ていたのは一部のスペイン人であったため、19世紀初頭には都市周辺で反乱軍が蜂起し、メキシコ独立運動で反乱軍が初勝利をおさめました。また本世界遺産は2010年に登録された世界遺産「カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ」にも含まれています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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クラクフの歴史地区

Historic Centre of Kraków
クラクフの歴史地区
クラクフは11世紀から17世紀のワルシャワ遷都までの約600年間首都として栄え、ポーランド王国が最も繁栄した時代を今に伝えています。13世紀の商人の街であるこの街には、ヨーロッパ最大の市場広場や歴史的家屋が残り、14世紀の城壁や塔などの防衛施設も現存しています。​これらの要素は、都市の発展と歴史的背景を示す重要な証拠とされています。​歴史地区に残るヴァヴェル城はポーランド王国の歴代王の居城であり、ヤギェウォ大学は中世ヨーロッパで最も古い大学のひとつです。​これらの施設は、クラクフが学術と文化の中心地であったことを示しています。​
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (iv)
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クルディーガの旧市街

Old town of Kuldīga
クルディーガの旧市街
ラトビア西部に位置するクルディーガは伝統的な都市景観が残っている街です。クルディーガの起源は13世紀に遡り、ドイツ騎士団の分団・リヴォニア騎士団が城を築いたことに始まります。14世紀にはハンザ同盟に参加しました。街が大きく発展したのは16~18世紀のクールラント公国時代です。公国の中心地として機能したクルディーガは貿易拠点としても発展を遂げ、外国人商人や職人が定住しました。そのため街にはクルディーガの伝統的な丸太造り建築だけでなく、周辺地域の影響を受けたレンガ造りや木造の建築もあり、当時の交流の様子を物語っています。19世紀頃には、交通の主役が水路から鉄道へと移りましたが、クルディーガには鉄道が敷設されず、都市の発展は停滞しましたが、その結果公国時代の街並みが保存されることとなりました。また、クルディーガは20世紀の大きな戦争をほとんど無傷で乗り越え、近代的な都市開発は中心部から離れた場所で行われたこともあり、街の構造は公国時代に発展した通りのレイアウトをほぼそのまま残す、稀有な例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ラトビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (v)
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ゲラティ修道院

Gelati Monastery
ゲラティ修道院
『ゲラティ修道院』は、ジョージアが政治的にも経済的にも強大であった中世の「黄金時代」に建てられました。修道院は、統一ジョージア王国のダヴィド4世(通称「建設王」)が1106年に建設を開始し、1130年に息子のデメトレ王によって完成しています。さらに13世紀から14世紀初頭には多くの教会が増築されました。修道院は美しい山と川に囲まれた丘の上にあり、まるで風景の一部のように調和しています。また、壁画やモザイク画などが今も美しく保存されており、ジョージア黄金時代の代表といえる作品となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ジョージア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (iv)
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コインブラ大学:アルタとソフィア

University of Coimbra – Alta and Sofia
コインブラ大学:アルタとソフィア
ポルトガル中部に位置するコインブラは、リスボン、ポルトに次いで、同国第3の都市です。この街にはヨーロッパで最も古く設立された大学のひとつであるコインブラ大学があります。同大学は、教皇ニコラウス4世の認可のもと、1290年にディニス王の勅令でリスボンに創設されました。司教座付属学校を起源とし、ポルトガル最古の伝統を誇ります。大学は、リスボンにあった時期もあれば、コインブラに移った時期もあり、両都市の間で何度か行き来しましたが、1537年にはコインブラに定着し、アルカソヴァ宮殿に置かれました。700年以上の歴史をもつコインブラ大学は、ポルトガルの植民地の教育機関にも影響を与え、さまざまな学術分野に貢献してきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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コルドゥアン灯台

Cordouan Lighthouse
コルドゥアン灯台
コルドゥアン灯台は、大西洋のジロンド河口にある浅い岩礁の上に立ち、非常に過酷で外洋にさらされた環境に立っています。16世紀末から17世紀初頭にかけて、技師ルイ・ド・フォワによって設計され、18世紀後半にはジョゼフ・トゥレールによって改修されました。石灰岩の切石で造られた壮麗な塔は、ピラスター(付柱)、円柱、軒持送り(モディリオン)、ガーゴイルなどで装飾されており、海抜67mまで8層にわたってそびえています。16世紀と18世紀の二度にわたる建設によって、技術的な機能が強化され、海上信号の傑作であり、現在も使用されている現役の灯台です。華麗な姿から「海のヴェルサイユ」とも呼ばれています。建築形態は、古代様式やルネサンス期のマニエリスム、またフランスの技術者要請期間である土木技術学校の独特の建築様式の影響を受けています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (i)(iv)
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コルフの旧市街

Old Town of Corfu
コルフの旧市街
アルバニアとギリシャの西海岸沖のコルフ島にある『コルフの旧市街』は、アドリア海の入口に存在し、昔から戦略的に重要な場所でした。起源は紀元前8世紀頃と言われており、コリント人が植民都市ケルキラを建設したのが始まりです。以降、ローマやナポリと交易をして栄えたといわれています。15世紀からは、この島は約4世紀にわたりヴェネツィア共和国の支配下に入り、ビザンツ帝国との交易路の安全確保に必要な島となりました。19世紀にはイギリスの支配下に置かれましたが、最終的にはギリシャ政府に返還されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (iv)
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ザゴリの文化的景観

Zagori Cultural Landscape
ザゴリの文化的景観
ギリシャ北西部のエピルス地方、ピンドゥス山脈の西斜面に沿って広がるザゴリ村は、およそ45の伝統的な村々で構成されています。ザゴリとはスラヴ語で「山の向こう」を意味し、何千年も前から人が住んでいましたが、高山地域であるため、人の移動は困難でありました。伝統的な村に関してはおそらくビザンツ帝国の時代からあったとされていて、世界遺産に登録されている現在のような村は、オスマン帝国の時代からとされています。18世紀から19世紀にかけては、地元の職人がアーチ状の橋を建設するなど、インフラ設備を強化しました。また、田園風景も素晴らしく、文化的景観が認められています。世界遺産には45の村のうち、保存状態が良好な20の村が登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (v)
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サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿

Pythagoreion and Heraion of Samos
サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
エーゲ海南東部、アナトリアに近い場所に浮かぶサモス島は、全能の神ゼウスの正妻であるヘラの生誕地とされており、神話上極めて重要な島です。島がポリュクラテスという僭主(独裁者)によって支配されていた紀元前6世紀頃までに、サモス島は東地中海の主な航行拠点となりました。「ヘラ神殿(ヘライオン)」の起源は、前750年頃に建築された小規模な神殿で、前670年頃の水害で崩壊しました。その後すぐに再建された神殿は、正面に二重の列柱をもつ最初の例でした。前570年頃には2倍の面積をもち、100本以上の柱で支えられたイオニア式の神殿が建築されるのですが、今度は戦火により崩壊してしまいます。そこでポリュクラテスが命を出し、パルテノン神殿をも凌ぐ、幅55.16m、奥行き108.63mの巨大な神殿を建てようとしました。しかし、250年にもわたる工事を施したにもかかわらず、結局完成することはなく、3世紀のゲルマン人の侵入により破壊されてしまいました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iii)
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サン・テミリオン地域

Jurisdiction of Saint-Emilion
サン・テミリオン地域
くねくねと続く石畳の道など中世の面影が残るサン・テミリオン地域は、ワイン生産地として初めて登録された世界遺産です。フランス南西部のヌーヴェル・アキテーヌ地方に位置し、ボルドーワインのなかでも高級品の産地として知られます。広大なブドウ畑と醸造所、教会などの歴史的建造物が融合した景観は往時の姿をとどめています。この地におけるブドウ栽培の歴史は古く、古代ローマ時代まで遡ります。温暖な気候で水はけも良い土壌は、ブドウの栽培に適していました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(iv)
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シエナの歴史地区

Historic Centre of Siena
シエナの歴史地区
トスカーナの丘陵地帯に位置するシエナは、中世の雰囲気を今に伝える都市です。この街は、ローマの建国神話に登場するロムルスとレムスの双子の兄弟のうち、兄のロムルスに敗れたレムスの息子のセニウスとアスキウスが築いたとされています。12世紀に市民による政治共同体である「コムーネ」が成立すると、ローマにつながるフランチジェナ街道から近いこともあり、商業や金融業などで発展しました。15世紀末には今も活動する世界最古の銀行であるモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行も創業されます。同じくコムーネによる自治を行うフィレンツェとは、トスカーナ北部の領地や商業利権など巡るライバル関係にありました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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