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チチェン・イツァの古代都市
Pre-Hispanic City of Chichen-Itza
チャムパーサックの文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺跡群
Vat Phou and Associated Ancient Settlements within the Champasak Cultural Landscape
チャンキーヨの天文考古学遺産群
Chankillo Archaeoastronomical Complex
チャンチャンの考古地区
Chan Chan Archaeological Zone
チャンパネール ‐ パーヴァガドゥ遺跡公園
Champaner-Pavagadh Archaeological Park
朝鮮王朝の王墓群
Royal Tombs of the Joseon Dynasty
チョンゴニの岩絵地区
Chongoni Rock-Art Area
ツォディロの岩絵群
Tsodilo
ティヴォリのエステ家別荘
Villa d'Este, Tivoli
イタリア中部、ローマ郊外にある街ティヴォリは、ローマの貴族の別荘地として名高い場所でした。北イタリアの有力な貴族であったエステ家の出身である枢機卿イッポリート・デステは、1550年にティヴォリ総督に任命された際に、新しい地位にふさわしい宮殿の建設を計画しました。ベネディクト会の修道院だった建物を住居として改装して、その周囲に大規模な庭園を造らせました。別荘全体の総面積は4万5000㎡に及び、革新的な設計はナポリの建築家ピッロ・リゴーリオが担当しました。丘を削って二つの斜面をつくり、水道橋や地下運河を築いて、近くを流れるアニエーネ川からの豊富な水を確保し、500以上の噴水を持つ庭園を築き、ルネサンス庭園の代表作となりました。
ティヴォリのハドリアヌス別荘
Villa Adriana (Tivoli)
ティヴォリは、ローマの東方30㎞に位置するラツィオ州の田園地帯を見下ろす丘の上にあります。穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた一帯は、古くからローマ人達の別荘地として利用されて来ました。ヴィッラ・アドリアーナは、ローマ帝国の五賢帝のひとりであるハドリアヌス帝が、紀元117年から138年にかけて建設した別荘で、その敷地面積は1.2㎢に及びます。彼が帝国の属州を視察する中で、感銘を受けたエジプト、ギリシア、ローマなどの優れた景色や建造物の様々な要素を組み合わせて、「理想の都市」を再現しました。ハドリアヌス帝の死後、別荘は放棄されましたが、1461年に再発見されました。この別荘の建造物を研究することで、後世、特にルネサンス、バロック時代の建築家に大きな影響を与えました。
ディヴリーイの大モスクと病院
Great Mosque and Hospital of Divriği
トルコ中央部のディヴリーイに、大モスクと病院が残っています。この大モスクは1229年頃に首長のアフメット・シャーにより建造されたものであり、アフメット・シャーの妻トゥラン・メレクの命令によって、ダルシュ・シファと呼ばれる病院も併設されました。これらは1077年に興ったルーム・セルジューク朝の代表作として知られています。なお、ルーム・セルジューク朝とは、スンナ派王朝セルジューク朝の一派がニケーアを首都として成立させた王朝です。これらの複合施設は、ルーム・セルジューク朝のイスラーム建築の最高傑作として高く評価されています。15世紀から度々修復作業が施されてきたため、これまで大きな損壊を免れてきたようです。
ティカル国立公園
Tikal National Park
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
ティヤの石碑群
Tiya
ディライーヤのツライフ地区
At-Turaif District in ad-Dir'iyah
テオティワカンの古代都市
Pre-Hispanic City of Teotihuacan
テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群
Paleochristian and Byzantine Monuments of Thessalonika
ギリシャ北部の都市テサロニキが建設されたのは、紀元前315年のことです。テサロニキとは、アレクサンドロス大王の後継者とされるカッサンドロスの妻「テサロニケ」に由来します。マケドニアの王となった彼は、王妃の名をこの街に与えました。街は初期キリスト教が確立していくなかで、その布教の拠点となりました。また、その立地の良さから交通の要衝となり、ビザンツ帝国時代でも首都コンスタンティノープルに次ぐ第二の都市として繁栄しました。オスマン帝国の支配下(1430年~1912年)では、多くの教会がモスクへと転用され、イスラム教のモスクも新たに建設されました。1912年にギリシャ領となった後も、テサロニキはアテネに次ぐギリシャ第二の都市として、現在も繁栄を続けています。
テ・ヘヌア・エナタ:マルケサス諸島
Te Henua Enata – The Marquesas Islands
テランガナ州にあるカカーティヤ時代のルドレシュワラ(ラマッパ)寺院
Kakatiya Rudreshwara (Ramappa) Temple, Telangana
インド南東部にあるルドレシュワラは、12~14世紀にこの地を支配したカカーティヤ朝時代に築かれたシヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院です。マルコ・ポーロもここを訪れ、その美しさを絶賛したと伝わっています。繊細な彫刻を施された梁と柱が特徴的で、それらは地元の舞踊や文化を今に伝えています。また、高くそびえるピラミッド形の塔ヴィマーナには、水に浮くような多孔性の軽量レンガを使用し、重厚な外観を持ちながら重量軽減と耐震性向上を図っています。「寺院は自然環境の一部として建造されるべき」という理念に基づき、周囲の丘・森林・川・湖などと調和し、一体となって存在しています。この寺院は通称「ラマッパ寺院」と呼ばれていますが、ラマッパという職人によって建設されたことからそう呼ばれています。職人の名が寺院につけられるのは大変珍しいことです。
テルチの歴史地区
Historic Centre of Telč
デルフィの考古遺跡
Archaeological Site of Delphi
デロス島
Delos
天壇:北京の皇帝祭壇
Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing
登封の歴史的建造物群-天地之中
Historic Monuments of Dengfeng in “The Centre of Heaven and Earth”
ドゥブロヴニクの旧市街
Old City of Dubrovnik
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
トゥルグジウにあるブランクーシの彫刻作品群
Brâncuși Monumental Ensemble of Târgu Jiu
コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア出身の彫刻家で、20世紀を代表する芸術家の一人です。代表作には、鳥の飛翔の本質を流線形に飛躍させて表現した「空間の鳥」などがあります。1937年から1938年にかけて制作された、トゥルグジウにある「モニュメンタル・アンサンブル」は、第一次世界大戦で街を守って命を落とした人々を追悼するために制作されました。主要な作品として、「無限柱(Endless Column)」「接吻の門(Gate of the Kiss)」「沈黙のテーブル(The table of Silence)」があります。これらは「英雄の並木道(Avenue of Heroes)」と呼ばれる約1.5㎞の軸線上に配置され、2つの公園を結んでいます。この軸線の中央には聖ペテロ・パウロ教会が位置し、全体で都市空間と一体化しています。
独立記念館
Independence Hall
「独立記念館」は、アメリカ北東部ペンシルベニア州南東部に位置するフィラデルフィアにあります。1776年7月4日、この建物においてアメリカ東部の13のイギリス植民地代表による第2回大陸会議が開催され、ヴァージニア代表トマス・ジェファソンが起草した独立宣言が採択されました。アメリカ独立戦争の結果として、1783年のパリ条約によりイギリスはアメリカの独立を承認しました。さらに、1787年にはこの建物で憲法制定会議が開かれ、世界最古の近代的成文憲法であり、現行憲法でもあるアメリカ合衆国憲法が承認されました。1790年から1800年までの10年間、フィラデルフィアはアメリカの首都であり、この期間中、この建物は国会議事堂として使用されました。当時、議員数の少なかった元老院は2階を、多かった代議院は1階を議場として使用しており、これが「上院」「下院」の語源となっています。
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
Medici Villas and Gardens in Tuscany
トマールのキリスト騎士団の修道院
Convent of Christ in Tomar
トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
Roman Monuments, Cathedral of St Peter and Church of Our Lady in Trier
ドイツ西部、モーゼル川沿いに位置するトリーアは、1世紀にローマのアウグスティヌス帝が建設した植民都市を起源とし、次の世紀の初めには大きな交易都市として発展しました。3世紀末にはテトラルキア(四分統治)の首都の一つとなり、「第二のローマ」と呼ばれました。アルプス以北で、これほど多くの重要なローマ建築物やローマ時代の遺構が集中して残されている場所は他になく、その規模と質は、ローマ文明の卓越した証拠です。後期古典時代には、トリーアはローマ帝国最大級の都市の一つであり、ガリア、ゲルマニア、ブリタニア、ヒスパニアの長官府が置かれ、ディオクレティアヌス帝の改革後には西方帝国の副帝(カエサル)の座所となりました。
トリノのサヴォイア家の王宮と邸宅
Residences of the Royal House of Savoy
サヴォイア家の王宮と邸宅は、イタリア北部ピエモンテ州の州都であるトリノとその周辺に立地します。サヴォイア家は、11世紀初頭にフランス領内のアルプス地方に興った王家で、13~15世紀に北イタリアに領土を拡大しサヴォイア公国となりました。さらに、18世紀にサルディーニャ島を領有してサルディーニャ王国へと名を変え、イタリア統一運動を牽引し、統一後のイタリア王国の王家となりました。サヴォイア公国時代の1562年、サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトは首都をトリノに移しました。支配者としての権力を誇示するため、大規模な王宮と邸宅群の建築を指示しました。そして、フィリベルトの後継者たちも建設を継続しました。