World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iii))

ティヴォリのハドリアヌス別荘

Villa Adriana (Tivoli)
ティヴォリのハドリアヌス別荘
ティヴォリは、ローマの東方30㎞に位置するラツィオ州の田園地帯を見下ろす丘の上にあります。穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた一帯は、古くからローマ人達の別荘地として利用されて来ました。ヴィッラ・アドリアーナは、ローマ帝国の五賢帝のひとりであるハドリアヌス帝が、紀元117年から138年にかけて建設した別荘で、その敷地面積は1.2㎢に及びます。彼が帝国の属州を視察する中で、感銘を受けたエジプト、ギリシア、ローマなどの優れた景色や建造物の様々な要素を組み合わせて、「理想の都市」を再現しました。ハドリアヌス帝の死後、別荘は放棄されましたが、1461年に再発見されました。この別荘の建造物を研究することで、後世、特にルネサンス、バロック時代の建築家に大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ティエベレの王宮

Royal Court of Tiébélé
ティエベレの王宮
ティエベレの王宮は、16世紀から築かれてきた土造建築の複合体であり、カセナ族の社会組織と文化的価値を証明しています。防護壁に囲まれた王宮は、住人の身分に基づいて社会的・空間的な配置がされ、壁や通路によって隔てられています。これらの通路は、囲いの外側にある儀式や集会の場所へと繋がっており、この独自の建築様式は、土、木材、牛糞、藁を組み合わせており、独特な特徴を持っています。
地域: アフリカ / 国名: ブルキナファソ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)
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ティエラデントロ国立考古公園

National Archeological Park of Tierradentro
ティエラデントロ国立考古公園
アンデス山脈中腹、サン・アンドレス村にある『ティエラデントロ国立考古公園』は、6~10世紀に先住民パエス人よってつくられた円形地下墓室が点在する考古遺跡です。軟らかい砂岩の大地を掘ってつくられた地下墓室は大小様々で、深さ2.5mのものから最大7mのものまで存在します。「セゴビアの円形墓室」は直径約12mの広さを持つ代表的な墓室の1つで、壁から天井に至るまで、精巧な幾何学模様のペイントや、神や人間を模ったレリーフが施されています。また、農具や骨壷も出土されたことから、ここでは葬送儀礼が行われたと考えられており、プレ・インカの高度な文明を現代に証言しています。
地域: 南米 / 国名: コロンビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iii)
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ティカル国立公園

Tikal National Park
ティカル国立公園
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: グアテマラ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(ix)(x)
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ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群

Precolumbian chiefdom settlements with stone spheres of the Diquís
ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群
コスタリカ南部のディキス・デルタには4つの考古遺跡があります。そこにはコロンブスが新大陸にやってくる以前(500年頃~1500年頃)の首長制集落構造物が残ります。舗装された広場、人工塚や墓も残り、当時の首長の力関係を示す遺構が残ります。その中でも最も印象的なのが、直径0.7~2.57mの完璧な球形をした石球です。これらの石球がなぜ作られたのか、またどうやって作られたのかは不明な点も多く、多くの学者を魅了するものになっています。なお、本遺跡はコスタリカ初の文化遺産となりました。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: コスタリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (iii)
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ティパサの考古遺跡

Tipasa
ティパサの考古遺跡
アルジェリア北部、地中海沿岸のティパサは、紀元前7世紀頃にフェニキア人によって建設された古代都市です。地中海交易の要衝として栄えていましたが、後にローマ帝国の植民都市となってからは、モーリタニアの諸王国を征服するための戦略的拠点になりました。多様な文明が入り混じったティパサは、マグリブ(北西アフリカ)においても特に複雑な文化的背景を持っています。その遺跡もまた、フェニキア、ローマ、初期キリスト教、ビザンチン時代のものや、モーリタニア王家の霊廟など実に多彩です。
地域: アフリカ / 国名: アルジェリア民主人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ティムガッドの考古遺跡

Timgad
ティムガッドの考古遺跡
アルジェリア北東部、オーレス山地に連なる高原に位置するティムガッドは、古代ローマ時代の都市遺跡です。1世紀頃、ローマ帝国全盛期に在位したトラヤヌス帝の時代に築かれました。この街は旧名をタムガディといい、当初は、ローマ帝国の第3軍団アウグスタの駐屯地としてつくられました。その後、多くの退役軍人らが居住しましたが、街はローマ時代の典型的な計画都市として碁盤の目状に区画されていました。また、周囲に暮らすベルベル人の侵入を阻止するための砦としても機能しました。
地域: アフリカ / 国名: アルジェリア民主人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ティムリカ・オヒンガの考古遺跡

Thimlich Ohinga Archaeological Site
ティムリカ・オヒンガの考古遺跡
ケニア西部のヴィクトリア湖の近郊に、16世紀頃につくられたとされる集落跡が残ります。ヴィクトリア湖周辺の独特な集落は「オヒンガ」と呼ばれ、現地の言葉で「大きな要塞」を意味します。その内のティムリカ・オヒンガ(ティムリカとは現地の言葉で「恐ろしい鬱蒼とした森」の意味)という集落が最大規模であり、保存状態が良く、世界遺産に登録されています。このティムリカ・オヒンガは四つの大きなオヒンガからできており、コチエンが中心的なオヒンガで、残りはカクク、コケッチ、コルオチといいます。これらのオヒンガは20世紀半ばまで使用されていたと考えられています。
地域: アフリカ / 国名: ケニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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ディルムンの墳墓群

Dilmun Burial Mounds
ディルムンの墳墓群
紀元前2050~紀元前1750年頃の初期のディルムンの墳墓群で、バーレーン島西部の21の遺跡群で構成されています。このうちの6つは、数十基から数千基の古墳からなる古墳群で合計11,774基にも及ぶ古墳で構成されています。これらは様々な階級を含む数千人以上で個々人の埋葬が行われていたことの証明ですが、ディルムン文明の遺跡では集落跡のものは少なく、また厚い地層の下に埋もれているため、この古墳群が当時の社会階層やその変遷を証明する貴重な証拠となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: バーレーン王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地

Tiwanaku: Spiritual and Political Centre of the Tiwanaku Culture
ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地
インカ帝国以前に繁栄したティワナクは、ボリビアの西部、チチカカ湖南岸の標高3,850mにある都市遺跡です。その起源は400年頃にまで遡ります。6~10世紀ころに絶頂期を迎え、ボリビア全土、ペルー南部、チリ、アルゼンチン北部までの広大な地域を支配しました。元々は7つの基壇から成っていたというピラミッド神殿のアカパナや、天文台として機能していたカラササヤ神殿などは、複雑な行政と宗教体系を表しています。そして、重さが10t以上の一枚石が乗せられている太陽の門などの建造物は、入植者らが高度な石工技術を持っていたことを示唆しています。しかし、文字を持たない社会であったことと、12世紀前半にはこの社会は崩壊してしまったため、多くは謎に包まれています。
地域: 南米 / 国名: ボリビア多民族国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (iii)(iv)
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テオティワカンの古代都市

Pre-Hispanic City of Teotihuacan
テオティワカンの古代都市
メキシコ・シティから北東に約50㎞ほどの場所に位置するテオティワカンは2~8世紀にかけて栄えた古代都市です。この都市を築いた民族は未だに不明です。テオティワカンとは「神々が集まる場所」という意味でナワトル語の神話では太陽と月が創造された場所として表されています。350~650年には最盛期を迎えますが、8世紀中頃には廃墟となりました。理由は7世紀に発生した大規模火災と考えられていますが、内戦や紛争という説も指摘されています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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テ・ヘヌア・エナタ:マルケサス諸島

Te Henua Enata – The Marquesas Islands
テ・ヘヌア・エナタ:マルケサス諸島
南太平洋中心に位置するマルケサス諸島は海洋生態系と陸上生態系が共存する生物多様性のホットスポットです。固有種の割合が非常に高く維管束植物、鳥類、陸生・海生軟体動物、淡水魚の固有種の数において世界1,2位を争います。特に沿岸魚類と海生軟体生物の固有率が高いです。地理的に孤立した環境下にあるため海洋島環境下における種の進化のモデルとなっています。また世界最後の手つかずの海洋地域の一つとも言われ、世界で最もよく保存された沿岸生態系の一部になっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)(vi)(vii)(ix)(x)
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テランガナ州にあるカカーティヤ時代のルドレシュワラ(ラマッパ)寺院

Kakatiya Rudreshwara (Ramappa) Temple, Telangana
テランガナ州にあるカカーティヤ時代のルドレシュワラ(ラマッパ)寺院
インド南東部にあるルドレシュワラは、12~14世紀にこの地を支配したカカーティヤ朝時代に築かれたシヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院です。マルコ・ポーロもここを訪れ、その美しさを絶賛したと伝わっています。繊細な彫刻を施された梁と柱が特徴的で、それらは地元の舞踊や文化を今に伝えています。また、高くそびえるピラミッド形の塔ヴィマーナには、水に浮くような多孔性の軽量レンガを使用し、重厚な外観を持ちながら重量軽減と耐震性向上を図っています。「寺院は自然環境の一部として建造されるべき」という理念に基づき、周囲の丘・森林・川・湖などと調和し、一体となって存在しています。この寺院は通称「ラマッパ寺院」と呼ばれていますが、ラマッパという職人によって建設されたことからそう呼ばれています。職人の名が寺院につけられるのは大変珍しいことです。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (i)(iii)
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デルフィの考古遺跡

Archaeological Site of Delphi
デルフィの考古遺跡
デルフィはギリシャ中部のパルナソスの山腹にあります。ここは、古代ギリシャの予言の神アポロンの聖地として、当時広く知られていました。「世界のへそ」と言われているのは、神々の指導者であるゼウスが世界の中心がどこかを探るため、世界の両端から2羽の鷲を放ち、その2がこの地の上空で出会い、舞い降りたためとされています。この地には先述したアポロンを祀る神殿があり、また古代オリンピックに起源であるオリュンピアと同様のピュティア競技会場もあったため、数多くの巡礼者が訪れました。なお、ピュティアとはデルフィの神託所に仕えた巫女のことを指します。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群

Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、かつてカスピ海の東西に広がっていたササン朝ペルシア帝国の北方防衛線の一部でした。この要塞は石造りで、海岸から山にかけて平行に走る二つの壁で構成され、海と山の間にある狭い通路を完全に遮断する障壁の役割を果たしました。デルベントの町はこの二つの防衛壁の間に建設され、中世の都市構造の一部を現在も保持しており、19世紀までは、戦略的に重要な位置を占めていました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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デロス島

Delos
デロス島
エーゲ海のほぼ中央、キクラデス諸島にあるデロス島は、伝説によると太陽神アポロンと月の女神アルテミスが誕生したとされている島です。紀元前3世紀に活躍した詩人カリマコスは、デロス島を「すべての島の中で最も神聖な島」と評しています。特にアポロンはオリンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子でもあることから、非常に重要な神とされていましいた。デロス島全体が考古遺跡となっており、ギリシャの遺跡の中でも最大級の規模を誇ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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天壇:北京の皇帝祭壇

Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing
天壇:北京の皇帝祭壇
北京市にある天壇は、1420年に明の第3代皇帝・永楽帝(在位:1402〜1424年)が造営した祭祀施設です。1402年に即位した永楽帝は、南京から北京へ都を移し、紫禁城の造営とともに天地壇をつくりました。1530年、第9代皇帝の嘉靖帝の時代に、天と地を祀る祭壇に分けられ、元の天地壇は「天壇」と呼ばれました。明・清代の歴代皇帝はこの地を訪れ、天と地の仲介役として祈りと犠牲を捧げました。1911年に祭祀が禁止されるまで、約490年にわたり儀式が執り行われていました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市

Dholavira: a Harappan City
ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市
「古代四大文明」のひとつ「インダス文明(別名ハラッパー文明)」の代表的遺跡です。インダス側流域には紀元前3000年頃から人々が住み始め「モヘンジョ・ダーロ」や「ハラッパー」などの都市ができましたが、紀元前2000年頃から徐々に衰退して紀元前1500年頃にはほぼ廃墟となりました。文明衰退の理由は、川筋の移動や気候変動などが推測されていますが定かではありません。ドーラヴィーラはインダス川本流から少し離れた、インド西部のカッチ湿原に浮かぶカディール島にあり、雨季には2つの川が出現し水に囲まれます。また出土する工芸品などから、メソポタミア文明との交流があったことが窺われ、ここは古代文明間の水運交易の中継地であったとも言われます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (iii)(iv)
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トゥウェイフルフォンテーン(ツウィツァウス)

Twyfelfontein or /Ui-//aes
トゥウェイフルフォンテーン(ツウィツァウス)
アフリカ西海岸にあるナミビアの北西部に位置するトゥウェイフルフォンテーンは、アフリカで最も多くの岩石芸術が見られる遺跡の一つです。現地のナマ語では「ツウィツァウス」と呼ばれています。ここで見られる岩石芸術は、6,000年前から2,000年前の先史時代、この地を支配した狩猟採集民たちの信仰や生活などを表現したものです。現地の人々の生活様式や経済活動、価値観などの長期にわたる変遷の様子が、高いレベルの表現により描き出されている点に注目が集まっています。
地域: アフリカ / 国名: ナミビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (iii)(v)
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登封の歴史的建造物群-天地之中

Historic Monuments of Dengfeng in “The Centre of Heaven and Earth”
登封の歴史的建造物群-天地之中
河南省登封市に位置する「嵩山」は、古来より中国の聖山の中心とされてきました。これは中国の伝統的な宇宙観において「中国は天地の中央に位置する国で、天地の中心は中国中原にある登封一帯」と考えられているためです。その背景から、嵩山の麓に広がる登封一帯は、早くから王朝が建てられており、中国文化の中心として栄えてきました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ドゥッガの考古遺跡

Dougga / Thugga
ドゥッガの考古遺跡
チュニジア北西部に位置し、紀元前46年に標高571mの高台に築かれた町ドゥッガは、ローマ帝国によってヌミディアが併合される前の600年以上にもわたり存在しており、おそらくヌミディア王国の最初の首都だったと考えられています。その形跡は、ハンニバルに対抗した軍長官アテバンの霊廟などにわずかながら残されています。ローマツ帝国の支配下で繁栄しましたが、ビザンツ~イスラム時代には衰退しました。現在目にすることができる壮大な遺跡は、帝国の辺境に位置する小さなローマ都市の豊かさを物語っています。
地域: アフリカ / 国名: チュニジア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ドゥブロヴニクの旧市街

Old City of Dubrovnik
ドゥブロヴニクの旧市街
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観

Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
ハンガリー北東部、ティサ川流域のトカイ地方は世界三大貴腐ワイン(他はフランスのソーテルヌとドイツのラインガウ)の一つ、アスーワインの産地として知られています。火山岩やミネラル豊富な土壌とその気候条件によってブドウ栽培に適した地域として古くから知られ、その伝統は1,000年以上にも及ぶとされています。また、この地域は1737年のカール6世(神聖ローマ皇帝、ハンガリー王としてはカール3世)の勅令によって、世界初の閉鎖型ワイン産地として定められたことを契機として300年近くにわたって生産が厳格に管理されてきた地域でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (iii)(v)
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トジェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂

Jewish Quarter and St Procopius' Basilica in Třebíč
トジェビーチのユダヤ人街とプロコピウス聖堂
トジェビーチは、チェコ共和国南部の第2の都市ブルノから西へ約60kmの位置にあり、イフラヴァ河畔にある人口4万人ほどの小さな街です。この街では中世から第二次世界大戦にかけて、ユダヤ教文化とキリスト教文化が共存していました。川から丘の斜面にかけてユダヤ人が居住していた地区が広がり、ユダヤ人墓地が居住地区に隣接しています。そして、丘の上に建つキリスト教のプロコピウス聖堂がユダヤ人街を見下ろしていて、2つの文化の共存を示しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iii)
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土司の遺跡群

Tusi Sites
土司の遺跡群
この遺跡群は、中国南西部の山岳地帯に分布する複数の部族の領域の遺構であり、13世紀から20世紀初頭にかけて、その指導者たちが中央政府によって世襲の統治者「土司(トゥシ、どし)」として任命されました。この土司制度は、少数民族が独自の慣習と生活様式を保持することを許容しながら、同時に国家全体の行政を統一することを目的とした行政統治システムでした。この遺跡群は、このユニークな統治形態に対する例外的な証言となっています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iii)
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トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂

Roman Monuments, Cathedral of St Peter and Church of Our Lady in Trier
トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
ドイツ西部、モーゼル川沿いに位置するトリーアは、1世紀にローマのアウグスティヌス帝が建設した植民都市を起源とし、次の世紀の初めには大きな交易都市として発展しました。3世紀末にはテトラルキア(四分統治)の首都の一つとなり、「第二のローマ」と呼ばれました。アルプス以北で、これほど多くの重要なローマ建築物やローマ時代の遺構が集中して残されている場所は他になく、その規模と質は、ローマ文明の卓越した証拠です。後期古典時代には、トリーアはローマ帝国最大級の都市の一つであり、ガリア、ゲルマニア、ブリタニア、ヒスパニアの長官府が置かれ、ディオクレティアヌス帝の改革後には西方帝国の副帝(カエサル)の座所となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(vi)
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トロイアの考古遺跡

Archaeological Site of Troy
トロイアの考古遺跡
「トロイアの考古遺跡」は、トルコ西部、ダーダネルス海峡の南入口から4.8km離れたヒサルルック(トルコ語で「城塞のある丘」)の地に位置し、紀元前3000年頃から500年頃までの9の層を成している東西約240m、南北180mの都市の遺跡です。紀元前8世紀頃、ホメロスは、紀元前1250年頃の出来事とされるトロイア戦争を『イリアス』で描きました。特に、「トロイの木馬」とその陥落劇はよく知られています。しかし、長い間これらは、過去の神話上の物語であるとみなされてきました。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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トロオドス地方の壁画教会群

Painted Churches in the Troodos Region
トロオドス地方の壁画教会群
キプロス島西部のトロオドス山脈南麓の丘陵地帯に残る11世紀から16世紀にかけて建造された10の教会が世界遺産に登録されています。キプロス島は7世紀から10世紀まではイスラム勢力に支配されていましたが、11世紀以降は西欧からの聖地回復の動きとともに十字軍の前線基地となりました。11世紀以降に建造されたこれらの教会は、石造りの土台の上に木造で建てられており、外見はとても素朴に見えます。しかし、内部は華麗なフレスコ画のイコンが壁一面に描かれており、これらは当時のビザンティン美術の傑作群と言えます。加えて、これらは約500年間に亘り描かれ続けてきましたので、各時代の多様な様式が見られ、ポストビザンツの宗教画の歴史を示す貴重な例ともなっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: キプロス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
九州北西部に点在する『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、17世紀から19世紀にかけて築かれた10の集落、城郭跡、そして教会堂で構成されており、禁教下でも信仰を守り抜いた人々の歴史を今に伝えています。信者たちは弾圧を逃れるため、海辺や離島など人目を避けられる場所に移り住み、「天草の﨑津集落」や「黒島の集落」などの共同体を形成しました。彼らは仏教や神道に似せた形式で信仰を装いながら、キリスト教の精神を独自に受け継ぎ、祈りや儀礼を工夫して、2世紀にわたり信仰を継承しました。そして1873年に禁教が解かれると、彼らは再び表舞台に立ち、教会建築などを通して現代へと引き継がれていきます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)
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