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レンゴン渓谷の考古遺跡
Archaeological Heritage of the Lenggong Valley
ロータス城塞
Rohtas Fort
ロータス城塞は、スール朝の創始者シェール・シャーが1541年に現在のパキスタン北部の戦略拠点、ロータスに築いた強固な要塞群です。初期イスラム軍事建築の優れた例として知られ、城塞の主要な部分は良好な状態のまま残されています。0.7㎢の規模を誇る要塞の主要部分は、周囲4㎞を超える巨大な石積みの城壁で構成され、68の稜堡と12の門を備えています。城壁は最大12m以上もの厚さを持ち、高いところでは18mにも達する規模で、丘の頂上の地形に沿って建造されています。堅固な城壁の内部にはバオリ(階段井戸)による給水設備を備えていたため、水を確保することもできました。ほかにもカブーリ門の近くのシャーヒー・マスジド(王のモスク)と呼ばれるモスクや、ムガル帝国時代後期には宮殿風の邸宅(ハヴェリ)も建設されています。ロータス城塞は、火薬や大砲の導入によって発展したトルコの軍事建築を基本としつつ、インド亜大陸の様式も取り入れる形で発展した要塞建築の代表例となっています。
ローマ帝国の境界線
Frontiers of the Roman Empire
歴史上最も広大な領地を治めた帝国のひとつであるローマ帝国は、「リーメス」と呼ばれる防衛網によって、帝国の国境線を防御してきました。その防衛網は、西は大西洋沿岸から東は黒海に至り、北はスコットランド中部、南はサハラ砂漠の北縁に至り、総延長は5,000kmを超えていました。これらのリーメスの大部分は、帝国が最大版図を築いた2世紀に主に構築されました。リーメスの遺跡はヨーロッパ各地に残されていますが、そのうち帝国北西部に位置したイギリス北部の「ハドリアヌスの長城」と「アントニヌスの長城」、およびドイツに残るリーメスが『ローマ帝国の境界線』として世界遺産に登録されています。なお、「ローマ帝国の境界線」という括りとしては、オーストリア、ドイツ、スロバキアにまたがる「ドナウのリーメス(西側部分)」と、オランダとドイツ間に広がる「低地ゲルマニアのリーメス」、ルーマニアの「ダキア」がそれぞれ別の世界遺産として登録されています。
ローマ帝国の境界線:ダキア
Frontiers of the Roman Empire – Dacia
『ローマ帝国の境界線:ダキア』は、ルーマニアに残るローマ帝国の国境線(リーメス)の遺産です。ルーマニアのカルパティア山脈から黒海西方にかけての地域には、ダキア人と呼ばれる人々が暮らしていましたが、ローマ帝国との2度の戦争を経てダキアは征服されました。106年から271年まで、ダキアの国境線はローマの支配下に置かれ、ドナウ川以北に位置する唯一のローマ属州となりました。ダキアの国境線は、ドナウ川下流域から、カルパティア山脈の内縁に沿うように敷設されました。ヨーロッパにおけるローマ帝国の国境線の中で最長かつ最も複雑な区間でもあります。周辺の部族から帝国を守り、「貴重な金と塩資源」へのアクセスを提供する重大な役割も有していました。世界遺産には、1,000kmを越える国境線に沿って立つ277の要素で構成されています。要塞や土塁、監視塔、仮設野営地、民間人の居住地などの構成資産から形成されます。北方国境の強化のためローマ帝国の権力が最大限に広がった証拠といえます。
ローマ帝国の境界線:低地ゲルマニアのリーメス
Frontiers of the Roman Empire – The Lower German Limes
ローマ帝国の境界線:ドナウのリーメス(西側部分)
Frontiers of the Roman Empire – The Danube Limes (Western Segment)
ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂
Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura
ローマは、「ローマの七丘」のひとつパラティーノの丘で紀元前753年に建国されたと伝わります。その後、共和制を経て、地中海沿岸から西アジア、グレートブリテン島南部までを支配する大帝国となりました。しかし、拡大しすぎた繁栄はやはり終わりを迎えます。395年にローマ帝国が東西に分割すると次第に都市としてのローマの重要性は薄れていきました。再び脚光を浴びるのはローマ教皇領としてルネサンスの中心地のひとつとなってからのことです。強大な力をもつ教皇の下、ミケランジェロなどの芸術家が活躍し、芸術の都として教皇の威光を示しました。世界遺産には、教皇ウルバヌス8世が築いた城壁の内部と、唯一城壁の外にあるサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂を含む、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂の3つのヴァティカン市国直轄の聖堂も含まれています。
廬山国立公園
Lushan National Park
長江中流域の南岸に位置する、標高1,474mの漢陽峰を中心に171もの峰々、森林、湖、 断崖絶壁などが至るところに見られる景勝地です。秦の始皇帝など歴代皇帝が訪れた他、李白や杜甫、百居易(白楽天)など中国を代表する詩人たちがこの地で多くの山水詩を詠みました。後漢時代にいち早く仏教寺院が開かれた場所でもあり、4世紀後半に創建され、来日前の鑑真も訪れたという東林寺は浄土教発祥の地です。また中国古代の最高学府のひとつ・白鹿洞(はくろくどう)書院は朱子学を興した朱熹が再建しました。20世紀前半には中国共産党高官の山荘が多く建てられ、毛沢東はここで「廬山会議」を開きました。廬山会議とは中国共産党が大躍進政策の継続を決めた会議のことです。
ロシア・モンタナの鉱山景観
Roșia Montană Mining Landscape
ロスキレの大聖堂
Roskilde Cathedral
コペンハーゲン近郊のロスキレにある大聖堂は、スカンジナビアで最初のゴシック様式で建造されたレンガ造りの側廊付きの大規模なバシリカで、双塔と半円形のギャラリーを備えています。ロスキレ・フィヨルドを見下ろす小高い丘の上に建てられており、重要なランドマークとなっています。その周囲には中世の町の構造が今も残っており、中世の建物のほか、17世紀および18世紀の立派な住宅が数多く残っています。1170年頃に建設が始まった当初の大聖堂はロマネスク様式でしたが、建設途中でフランスから流入したゴシック様式の影響を受けて設計が変更されました。その後の数世紀にわたり、礼拝堂や玄関ポーチなどが時代ごとの建築様式で次々と追加されていきました。その結果、この大聖堂はヨーロッパ建築史の縮図とも言える構造となっています。
ロドス島の中世都市
Medieval City of Rhodes
ロペ-オカンダの生態系と残存する文化的景観
Ecosystem and Relict Cultural Landscape of Lopé-Okanda
ロルシュの修道院遺跡
Abbey and Altenmünster of Lorsch
ドイツ中西部、ヘッセン州の小都市ロルシュにある修道院遺跡は、8世紀のカロリング朝時代に政治・文化の拠点として栄えた施設の名残です。修道院は764年頃にフランク人の貴族によって設立されましたが、その翌年の765年には聖ナザリウスの聖遺物(遺骨)がこの地にもたらされ、多くの巡礼者によって大いに栄えました。その後772年にはカール大帝の保護下に置かれることとなって以降は、王立修道院・帝国修道院として特権的な地位を与えられ,13世紀にその地位が失われるまで政治的、宗教的な中心地として繁栄しました。特に修道院の重要な施設であった写本室、図書室はその名声を高める拠点となり、現存する蔵書は世界中の73の図書館に伝えられています。修道院はまた、医学分野でも大きな貢献を果たしており、8世紀後半のロルシュ薬局方は、古典期以降で現存する最古の医学・薬学の写本として知られています。
ロワール渓谷:シュリー・シュル・ロワールからシャロンヌまで
The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes
フランス最長の川・ロワール川は全長約1,000kmにわたって流れています。その中流域のおよそ280kmにわたる範囲が世界遺産に登録されています。ロワール川は、ガロ・ローマ時代から19世紀にかけて主要な交通と商業の要衝として機能し、渓谷や沿岸の町の経済発展に大きく貢献してきました。14世紀、イギリスとの百年戦争が始まると、川沿いには城塞が築かれましたが、15世紀に戦争が終結すると、それらはやがて豪華な宮殿へと姿を変えていきました。以降、16世紀末にかけて貴族たちは次々とこの渓谷に壮麗な城を築いていきました。世界遺産としては、渓谷に点在する建築物の質の高さや、2,000年以上にわたり形成されてきた農村・都市の文化的景観が高く評価されています。
ロンドン塔
Tower of London
ロンドン市内、テムズ川のほとりに、多くの塔を含む六角形のような壁に囲まれた建築がそびえたちます。征服王とも呼ばれる11世紀にイングランド王ウィリアム1世によって、ローマ時代の城壁の一部を利用して、テムズ川を外敵から守るために建設された要塞が現在残る原型となり、歴代の王によって増改築されてきました。壁の内部で古くから造られたのは「ホワイトタワー」と呼ばれる中央に位置する宮殿のような建物で、他にも宝物庫や礼拝堂等も備えています。全体として窓は小さく、石造りで重厚な建築はノルマン様式と呼ばれ、その後のイギリス各地における要塞建築のモデルとなりました。なお軍事施設としての機能以外にも、要塞のあとは王立造幣局や、王立武器庫、さらには動物園であった時代もあり、そして刑務所や監獄として使われていた時代もありました。中世イングランドの黄金期の君主であったエリザベス1世も、若き日に異母姉のメアリー1世によって陰謀論によって一時投獄され、また母アン・ブーリンも処刑されました。(428)
ワロン地方の主要な鉱山遺跡
Major Mining Sites of Wallonia
ンゴロンゴロ自然保護区
Ngorongoro Conservation Area
タンザニア北部に位置する『ンゴロンゴロ自然保護区』は、巨大な火山の噴火によって形成されたカルデラを中心に広がる広大な草原地帯です。8,094㎢の保護区内には2万5,000頭以上の大型哺乳類をはじめ、たくさんの野生動物がこの地に暮らしています。かつて活発な火山活動を繰り返していたこの地域では、長い歳月の中で地表が陥没し、現地語で「巨大な穴」を意味する「ンゴロンゴロ・クレーター」が誕生しました。世界最大級のカルデラのひとつであり、地球の壮大な地形変化を間近に感じられる場所です。サバンナ、森林、湖、湿地といった多様な自然環境が凝縮されたこの地は、まさに大地の進化を伝える「生きた博物館」です。季節ごとに移動する動物たちのドラマや、命が息づく瞬間に出会うことができます。
ンバンザ・コンゴ:旧コンゴ王国の首都遺跡
Mbanza Kongo, Vestiges of the Capital of the former Kingdom of Kongo