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ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles
ヴォルビリスの考古遺跡
Archaeological Site of Volubilis
ウルル、カタ・ジュタ国立公園
Uluru-Kata Tjuta National Park
『ウルル、カタ・ジュタ国立公園』は、オーストラリア中央の半砂漠地帯に位置し、一枚岩のウルル(エアーズ・ロック)と、そこから約45km西にある36の巨岩群カタ・ジュタから構成されています。ウルルは周囲約9km、高さ348m、全長3,400mの巨大な花崗砂岩で、一枚岩としては世界2位の大きさを誇ります。約3~4億年前の造山運動により、水平だった砂岩層がほぼ垂直に立ち上がって地表に現れ、硬い岩質のため浸食や風化を免れて現在の姿が残りました。地中には岩全体の3分の2以上が埋まっていると考えられています。カタ・ジュタも同じ過程で形成されましたが、より軟らかい岩石でできていたため浸食と風化が進み、異なる形状になりました。名称は先住民アボリジナル・ピープルのアナング族の言葉で、ウルルは「日陰の場所」、カタ・ジュタは「たくさんの頭」を意味します。
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
英国の湖水地方
The English Lake District
ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点
ESMA Museum and Site of Memory – Former Clandestine Centre of Detention, Torture and Extermination
『ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点』は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに所在する旧海軍技術学校(ESMA)の敷地内に位置する旧士官宿舎です。ESMAは1928年から2004年まで使用されていました。アルゼンチンでは、1976年から1983年にかけて軍事独裁政権が続き、その間に国家主導によるゲリラ組織や左翼勢力への弾圧が行われました。この時代は「汚い戦争」とも呼ばれ、反政府的と見なされた活動家、ジャーナリスト、学生など、約3万人の市民が秘密裏に誘拐・殺害されたとされています。ESMAはその拠点のひとつであり、アルゼンチン海軍によって5,000人以上の人々が拘禁されたとされています。
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エフェソス
Ephesus
エルサレムの旧市街とその城壁群
Old City of Jerusalem and its Walls
西アジアの地中海東岸地域(レバント地方)に位置するエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教にとってきわめて重要な意味を持つ聖地です。エルサレムの歴史は非常に古く、約6,000年前には人類が居住していた可能性があります。紀元前14世紀の古代エジプトの文書に登場する「ウルサリム」という記述は、エルサレムに関する初めての確実な言及とされています。ウルサリムは西セム諸語の「シャリムの都市」を意味する語に由来し、それが転訛してエルサレムとなったと考えられています。現代アラビア語では「神聖」を意味する語に定冠詞(Al)が付いたAl Quds(アル・クドゥス)と呼ばれます。これはエルサレム神殿のヘブライ語名である「聖なる家」をアラビア語に翻訳したバイト・アル・マクディスという名称が短縮したものとされています。現在、エルサレムは西エルサレムと東エルサレムに分かれており、世界遺産に登録されている旧市街は東エルサレムに位置しています。旧市街は約1km四方の範囲に広がり、周囲を囲う城壁の全長は約4kmあります。城壁はオスマン帝国のスレイマン1世によって再建されたもので、8つの門のうち7つが現在も使用されています。
エル・ジェムの円形闘技場
Amphitheatre of El Jem
チュニジアの平野部に位置する『エル・ジェムの円形闘技場』は、西暦238年頃に建設された古代ローマの遺構です。「ローマの穀倉地帯」と呼ばれたエル・ジェムは、オリーブオイルや 穀物の輸出で栄え、闘技場はその富で建設されました。切り石を積み上げてつくられ、長径148m、短径122m、高さ36m、アリーナ(中央の舞台)は64×39m、収容人数はおよそ3万5,000人でした。古代ローマ時代に各地に築かれた円形闘技場の中でも3番目、あるいは4番目の規模を誇りました。ローマ帝国が衰退した後は要塞として利用され、 17世紀にオスマン帝国軍によって西側部分が破壊されましたが、3層部分を残しているなど保存状態は良好といえます。
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
円形都市ハトラ
Hatra
オーストラリアの囚人収容所遺跡群
Australian Convict Sites
オスン-オソボの聖林
Osun-Osogbo Sacred Grove
オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺
Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
オルチア渓谷
Val d'Orcia
ガーナのベナン湾沿いの城塞群
Forts and Castles, Volta, Greater Accra, Central and Western Regions
西アフリカ・ガーナのベナン湾沿いには、およそ500㎞にわたり城塞群が点在します。これは、15世紀末から18世紀末にかけてヨーロッパ人により築かれたものです。もとは、ポルトガルからの航海者たちが、この地の金鉱脈に目をつけ、交易拠点として建設したのが始まりです。ガーナは「黄金(ゴールド)海岸(コースト)」という呼び名があるほどの金の産地で、そのほかにも、象牙や香辛料などが取引されていました。やがて、スペイン人、デンマーク人、スウェーデン人、オランダ人、ドイツ人、イギリス人も交易に参入し、覇権争いが繰り広げられることになります。そのような歴史のなかで築かれた城塞は60にも及びました。そのうちの3分の1程度が現存し、博物館や学校として活用されているものもあります。
海事都市グリニッジ
Maritime Greenwich
ロンドン南東部、テムズ川沿いに位置するグリニッジはイギリスにおける水上交通の要となった海事都市です。かつては王宮のひとつに過ぎなかったグリニッジですが、大航海時代~19世紀末までイギリスの海の玄関口として大いにその役割を果たしてきました。その大航海時代の名残を見られるのが1675年建造のグリニッジ天文台です。バロック様式の天文台で観測された恒星図によってイギリスの位置と時間が定められました。そして1884年の国際会議によってグリニッジ天文台が経度0度の本初子午線が通る基点として決定されます。その後、天文台はサセックスへ移転しますが、子午線の位置が変わることはありませんでした。王立天文台でのロバート・フックとジョン・フラムスティードの研究は、地球の動きを正確に測定することを可能にし、航海術の発展にも貢献しました。
カイロの歴史地区
Historic Cairo
カカドゥ国立公園
Kakadu National Park
カスビのブガンダ王国の王墓
Tombs of Buganda Kings at Kasubi
カトマンズの谷
Kathmandu Valley
ネパールの首都カトマンズは、標高約1,350mの盆地に位置し、古くからチベットとインドを結ぶ交易と文化の要衝として栄えてきました。仏教とヒンドゥー教が融合することで独特の宗教文化が生まれ、直径約20㎞の範囲内に約900もの歴史的建造物が密集しています。14世紀に確立したマッラ王朝は、15世紀後半に3人の王子がカトマンズ、パタン(ラリトプル)、バクタプル(バドガオン)にそれぞれ王国を築き、栄華を競うように宮殿や寺院、堂塔などを建設しました。これらの建造物には芸術性の高い彫刻が多く見られ、独特の建築や工芸は「ネワール文化」と呼ばれています。3つの王国は18世紀にグルカ王国によって滅ぼされましたが、その後も優れた建築物は造られ続けました。2015年のネパール大地震で大きな被害を受け、現在も修復作業が進められています。
カパック・ニャン:アンデスの道
Qhapaq Ñan, Andean Road System
峨眉山と楽山大仏
Mount Emei Scenic Area, including Leshan Giant Buddha Scenic Area
カルタゴの考古遺跡
Archaeological Site of Carthage
フェニキア人によって建設されたカルタゴは、チュニス湾とその周囲の平野を見下ろす丘に位置し、紀元前6世紀から後2世紀ごろにかけて繁栄した広大な考古学的遺跡です。ローマ時代のアフリカ属州の首都として、カルタゴは古代において重要な商業帝国の役割を果たしました。長いポエニ戦争の間、カルタゴはローマの領土を占領しましたが、最終的に146年にローマによって破壊されました。その後、ローマ人が古代都市を、カルタゴの遺跡の上に再建しました。フェニキア、ローマ、キリスト教、アラブ文化が次々と融合し、開花する特別な場所として、この大都市とその港は地中海で広範な交流を促進しました。カルタゴはハンニバルという戦士かつ策略家、探検家ハノン、有名な農学者マゴンを輩出しました。また、その歴史的・文学的な名声を通じて、カルタゴは常に世界的な想像力をかき立ててきました。カルタゴの主要な構成要素には、ビュルサの丘、プニック港、プニック・トフェット、ネクロポリス、劇場、円形劇場、サーカス、住宅地、バシリカ、アントニヌス浴場、マラガ貯水池、そして考古学保護区域が含まれます。
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群
Port, Fortresses and Group of Monuments, Cartagena
カンタベリー大聖堂、セント・オーガスティン修道院跡とセント・マーティン教会
Canterbury Cathedral, St Augustine's Abbey, and St Martin's Church
カンチェンジュンガ国立公園
Khangchendzonga National Park