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アグリジェントの考古地区
Archaeological Area of Agrigento
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アフロディシアス
Aphrodisias
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿
Temple of Apollo Epicurius at Bassae
エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡
Archaeological Site of Aigai (modern name Vergina)
現代名をヴェルギナとするエゲ(当時の発音ではアイガイ)は、古代のマケドニア王国の最初の首都とされています。19世紀後半から、ナポレオン3世の支援を受けた考古学者レオン・ユーゼによる発掘が始まり、その結果宮殿跡などが発見されました。さらに調査が進められた結果、1977年頃にはアレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墓が発見されたのです。フィリッポス2世は紀元前4世紀を生きた人物であり、前338年のカイロネイアの戦いで、ギリシャのポリス連合軍を破って本土を制圧した人物として名高い王です。そのような王の墓が発見されたことで当時世界中に衝撃を与え、またこの地がエゲであるという可能性が強くなったのです。
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
キレーネの考古遺跡
Archaeological Site of Cyrene
キレーネの考古遺跡は、リビア北東部にあるギリシャ式の都市の遺跡です。その起源は、エーゲ海のテラ島(現在のサントリーニ島)の人々によって築かれたとされています。言い伝えでは、人口増加や干ばつに苦しんだテラ島の人々が、デルフィで信託を受け、サントリーニ島から船でリビアへ渡り、新天地に都市を建設したといいます。都市名キレーネは、アポロンに愛された泉の女神に由来すると伝えられています。キレーネは地中海貿易の拠点として栄え、アテネやシラクサに次ぐ規模のアクロポリスも築かれました。前4世紀にはアレクサンドロス大王に服属し、その後エジプトのプトレマイオス朝の支配を経て、ローマ帝国の属州となりました。ローマ支配下ではその後、反乱による破壊、ハドリアヌス帝による再建、地震と津波などを経験し、都市は次第に衰退しました。そして7世紀後半、イスラム勢力によって征服され、歴史の舞台から姿を消しました。
クサントスとレトーン
Xanthos-Letoon
サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
Pythagoreion and Heraion of Samos
エーゲ海南東部、アナトリアに近い場所に浮かぶサモス島は、全能の神ゼウスの正妻であるヘラの生誕地とされており、神話上極めて重要な島です。島がポリュクラテスという僭主(独裁者)によって支配されていた紀元前6世紀頃までに、サモス島は東地中海の主な航行拠点となりました。「ヘラ神殿(ヘライオン)」の起源は、前750年頃に建築された小規模な神殿で、前670年頃の水害で崩壊しました。その後すぐに再建された神殿は、正面に二重の列柱をもつ最初の例でした。前570年頃には2倍の面積をもち、100本以上の柱で支えられたイオニア式の神殿が建築されるのですが、今度は戦火により崩壊してしまいます。そこでポリュクラテスが命を出し、パルテノン神殿をも凌ぐ、幅55.16m、奥行き108.63mの巨大な神殿を建てようとしました。しかし、250年にもわたる工事を施したにもかかわらず、結局完成することはなく、3世紀のゲルマン人の侵入により破壊されてしまいました。
シラクサとパンタリカの岩壁墓地遺跡
Syracuse and the Rocky Necropolis of Pantalica
シチリア島東部の地中海沿岸にあるシラクサは、紀元前8世紀にギリシャのコリントス市が建設した植民都市が起源となります。紀元前5世紀には、アテネに並ぶほどの都市に発展し、ローマの政治家キケロが、「あらゆるギリシャ都市のなかで最も美しい」と讃えました。街には、古代ギリシャ時代につくられ、大聖堂に改築されたアテナ神殿や、15,000人の観客を収容する規模であったギリシャ劇場、そして古代ローマ時代の円形闘技場、要塞などが残されています。この歴史都市は、ビザンティン時代からブルボン王朝までの間に、アラブのイスラム教徒、ノルマン人、ホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世、アラゴン王国、両シチリア王国に支配されていて、3,000年にわたる地中海文明の発達を物語っています。
デルフィの考古遺跡
Archaeological Site of Delphi
ニームのメゾン・カレ
The Maison Carrée of Nîmes
長らく共和政を行なっていたローマは「内乱の1世紀」を経て、紀元前27年、皇帝が政治を行うローマ帝国となりました。その初代皇帝となったのがオクタウィアヌスであり、彼は貴族の会議である元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号をもらい、伝統的な共和政を維持しながらも実質的には専制政治を行う元首政を展開していきました。現在のニーム市にあるメゾン・カレはフランス語で「長方形の建物」を意味し、アウグストゥスの治世時に建てられたと言われています。そして、彼の養子であったガイウスとその弟であるルキウス・カエサルが若くして亡くなると、彼らを祀る神殿となり、さらにアウグストゥスの統治が神聖化されるとともに、この神殿は皇帝崇拝の神殿となりました。
ネセビルの古代都市
Ancient City of Nessebar
バアルベック
Baalbek
バアルベックはレバノン東部のベカー高原に位置し、ヘレニズム時代から「ヘリオポリス(太陽の都)」と呼ばれた宗教都市遺跡です。ヨルダンの「ペトラ遺跡」、シリアの「パルミラ遺跡」と共に「中東三大遺跡」のひとつに数えられることもあります。歴史を振り返ると、紀元前2,000年頃には人が住んでおり、後にフェニキア人によって宗教都市として発展しました。紀元前64年にローマに征服されると、この地にローマの神々を祀る神殿が建設されました。神殿の中で最大の「ユピテル(ジュピター)神殿」は、天空神ユピテルを祀る神殿です。外観はほとんど失われていますが、現在も残る6本の巨大な列柱が特徴的で、柱頭はギリシャ建築のコリント式で造られています。2世紀頃には酒の神バッカスの神殿、3世紀初めには菜園の守護神ヴィーナスを祀る神殿も完成し、バアルベックはローマ帝国領土内でも最大規模の聖域となりました。
ピリッポイの考古遺跡
Archaeological Site of Philippi
ブトリントの考古遺跡
Butrint
アルバニア南部にあるブトリントは、紀元前800年からローマ人が到来するまでギリシャ文化の影響を受け、円形劇場や医療の神アスクレピオスを祀る神殿が残っています。紀元前44年にブトリントはローマの植民地となり、湿地を埋め立てられて大幅に拡張され、水道などが建設されました。5世紀には司教区の中心地となり、要塞化が進み、バシリカ式の聖堂や礼拝堂が建てられました。一時放棄された時期を経て、9世紀にはビザンツ帝国の支配下で再建されました。その後、ブトリントはヴェネツィアやオスマン帝国といった各時代の大国の支配下に置かれました。この遺跡は地中海史の縮図であり、最古の居住記録は紀元前5万年から前19世紀頃まで遡ることができます。
ミノア文明の宮殿群
Minoan Palatial Centres