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テルチの歴史地区
Historic Centre of Telč
デルフィの考古遺跡
Archaeological Site of Delphi
デロス島
Delos
天壇:北京の皇帝祭壇
Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing
ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市
Dholavira: a Harappan City
「古代四大文明」のひとつ「インダス文明(別名ハラッパー文明)」の代表的遺跡です。インダス側流域には紀元前3000年頃から人々が住み始め「モヘンジョ・ダーロ」や「ハラッパー」などの都市ができましたが、紀元前2000年頃から徐々に衰退して紀元前1500年頃にはほぼ廃墟となりました。文明衰退の理由は、川筋の移動や気候変動などが推測されていますが定かではありません。ドーラヴィーラはインダス川本流から少し離れた、インド西部のカッチ湿原に浮かぶカディール島にあり、雨季には2つの川が出現し水に囲まれます。また出土する工芸品などから、メソポタミア文明との交流があったことが窺われ、ここは古代文明間の水運交易の中継地であったとも言われます。
ドゥブロヴニクの旧市街
Old City of Dubrovnik
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
Medici Villas and Gardens in Tuscany
富岡製糸場と絹産業遺産群
Tomioka Silk Mill and Related Sites
ドロットニングホルムの王領地
Royal Domain of Drottningholm
ストックホルムの西、メーラレン湖に浮かぶローヴェン島にある『ドロットニングホルムの王領地』は、17〜18世紀に建設されたスウェーデン王家の宮殿を含む建造物群です。「ドロットニングホルム」とは「王妃(女王)の小島」を意味し、その名の通り歴代のスウェーデン王妃と深いかかわりをもっています。この地には16世紀末に王妃カタリーナ・ヤーゲロニカのために建てられた夏の離宮が存在していましたが、後に焼失してしまいます。その後、1661年に王妃ヘドヴィーク・エレオノーラが建築家ニコデムス・テッシンに再建を依頼し、テッシンの息子に工事は引き継がれました。建設はおよそ100年にわたって続けられ、バロック様式の宮殿と庭園が完成しました。
敦煌の莫高窟
Mogao Caves
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
ナスカとパルパの地上絵
Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
日光の社寺
Shrines and Temples of Nikko
ニュー・ラナーク
New Lanark
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
バースの市街
City of Bath
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
バイロイトの辺境伯オペラハウス
Margravial Opera House Bayreuth
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
ハバナの旧市街と要塞群
Old Havana and its Fortification System
この地にスペイン人が入ってきたのは、1492年のコロンブスのキューバ上陸の頃です。彼は約40日間に渡りキューバを探検しましたが、彼は亡くなるまでこの地をアジアと思っていました。その後、この地はアジアではなく一つの島であることが判明し、1511年、ディエゴ・ベラスケスがキューバを征服してからは、キューバに居住区が次々と建設されていきます。しかし、16世紀まではまだまだ街といえるほどのものではなく、街が発展していくのは17世紀に入ってからです。徐々に発展し、バロック様式とイスラームの要素を取り入れたスペインのムデハル様式が合体したスペイン・バロック様式が採用されていき、後述する要塞と合わせて、ヨーロッパの世界観を醸し出す市街が形成されていくのです。
パパハナウモクアケア
Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250〜1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075?におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
バビロン
Babylon
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
バムとその文化的景観
Bam and its Cultural Landscape
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
パラマリボの歴史街区
Historic Inner City of Paramaribo
パラマリボは、南米大陸の北東海岸に位置するスリナムの首都です。スリナムを含むベネズエラ南部からブラジル北部にかけての地域は「ギアナ地方」と呼ばれており、15世紀末のスペイン人探検家による「発見」後は、エル・ドラド(黄金の都)が存在する場所と考えられて多くの冒険者が訪れました。17世紀には、英国植民地のバルバドスからやってきた労働者がタバコとサトウキビのプランテーションを築きましたが、1665〜1667年の英蘭戦争の結果、スリナムはオランダの植民地となりました。18世紀末にはオランダの工学技術を駆使したパラマリボの都市計画が湿地帯まで拡張されたことで、経済の発展が加速しました。都市は独特な街路計画とオランダの建築様式が融合した建物が特徴的で、スリナム川沿いに歴史的建造物が点在しています。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
ハンザ都市ヴィスビー
Hanseatic Town of Visby
バルト海に浮かぶゴットランド島の中心にある都市ヴィスビーは古くはバイキングの拠点でした。12世紀になるとドイツ商人が住みついたことで交易地として発展し、ハンザ同盟の主要な拠点となります。旧市街を取り囲む全長3.5km、高さ最高10mの城壁は13世紀にドイツ商人が自衛のために築いたものです。多くの建物は16世紀にライバル関係であったリューベックによって破壊されますが、この城壁は残っています。中世のヴィスビーにはスウェーデンの他のどの町よりも多くの教会があり、ロマネスク様式とゴシック様式の特徴を持つ17の聖堂がありました。しかし、16世紀の宗教改革によってそのほとんどが破壊され、現存するのは1225年に建造された聖母マリア大聖堂のみとなっています。