World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iii)(iv))

ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)

Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
広くはリヴィエラと呼ばれた地域のうち、イタリアのジェノヴァを挟んで西側の一帯は、フランスのニースまで続く国際リゾート地帯となっています。一方、東側に当たるイタリア半島北西部のリグリア海の海岸線一帯は未開発なままで1,000年にわたり自然と共存共栄を図ってきた街並を残しています。ここでは現在も、ブドウ栽培や漁業などでの伝統的な生活を送る人々が暮らしています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区

Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

マチュ・ピチュ

Historic Sanctuary of Machu Picchu
マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、標高約2,430mの位置に築かれたインカ帝国の都市遺跡で、その都市の誕生は15世紀半ばとされています。16世紀にインカ帝国がスペイン人に征服されたときに放棄されましたが、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュを発見し世界に知られるようになりました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(ix)
詳細ページを見る Arrow-right

ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ムザブの谷

M'Zab Valley
ムザブの谷
アルジェリア北部、首都アルジェの南約450km、サハラ砂漠の涸れ谷に点在する5つのクスール(要塞都市)の建築群。異端視された「イスラム清教徒」ムザブ人が、長い流浪の末、11世紀はじめガルダイアを中心に頑強な防護壁に守られた街を築き、定住しました。砂漠で、独自の文化をもち、何世紀にもわたってその結束を維持してきた要塞の街は、シンプルでありながら機能的で、環境に適応した建築が特徴的です。
地域: アフリカ / 国名: アルジェリア民主人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

ムツヘタの歴史的建造物群

Historical Monuments of Mtskheta
ムツヘタの歴史的建造物群
ジョージア中央東部、アラグヴィ川とムトゥクヴァリ川の合流点に位置するムツヘタは、紀元前4世紀から5世紀までイベリア王国(カルトリ)の首都として繁栄しました。4世紀にキリスト教が伝わり、国教となることが宣言されたこの場所には、聖堂や修道院が建てられています。首都がトビリシに移された5世紀以降も、ムツヘタはキリスト教の拠点として主導的な役割を維持し続けました。現在でもジョージア正教会と使徒教会の本部が置かれている重要地点です。自然条件に恵まれ、貿易ルートの交差点でもあるこの場所は、ペルシア、アラブ、ビザンツ帝国などの支配下に置かれたことで文化的な影響を受けます。主にビザンツ帝国の影響を受けて発展し、地元の文化的伝統の融合につながりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ジョージア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群

Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群
19世紀の後半、港湾都市として発展したムンバイは大規模な都市計画プロジェクトを実行し、その一環として様々な様式で公共建築を建てました。当初は「ヴィクトリア朝ネオ・ゴシック様式」でしたが、20世紀初頭には「アール・デコ様式」が入ってきました。市中心部の「オーヴァル・メイデン」と呼ばれる楕円形のエリアには、その東側には裁判所や大学等がネオ・ゴシック様式で建てられ、一方西側にはアール・デコ様式の住宅や映画館が並んでいます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

メサ・ヴェルデ国立公園

Mesa Verde National Park
メサ・ヴェルデ国立公園
メサ・ヴェルデとは、スペイン語で「緑の台地」を意味します。アメリカ、コロラド州南西部に位置し,高所では標高2,600mを超えるこの台地は,マツなどの常緑樹に覆われています。この地には、西暦550年から1300年にかけて、先住民アナサジ族(現代のプエブロ族の祖先とされる)が居住していた住居遺跡群が残されています。最も古い居住跡は6世紀頃のもので、台地上に設けられた竪穴式住居に暮らしていました。床には小さな穴が設けられており、人間が地下世界からやってきたものとする神話を象徴しています。750〜1100年にかけて、区画が整備された集落が形成され、崖の側面の岩陰に集落が築かれるようになったと考えられています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (iii)
詳細ページを見る Arrow-right

メテオラの修道院群

Meteora
メテオラの修道院群
メテオラとはギリシア語で「中空に浮く」という意味であり、ギリシア中部にあるメテオラでは、奇岩群が数多くあり、その上に修道院が立っているという、世界でも類を見ない景観が見られます。この奇岩群が形成されたのは今から6,000万年前に誕生したとされ、そこから長い年月をかけて川の水が谷を削り、硬い部分だけが残った結果、このような景観が生まれました。この景観を神の地と思ったのか、古くから人々が住み着いていました。9世紀頃から、現実世界から離れて、決して住みやすいとは言えないこの場所に修道院を築き、祈りを捧げるようになるのです。修道院群があたかも空中に浮いているように見えるから、この地はメテオラと言われました。最盛期には24の修道院があり、7つの修道院が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vii)
詳細ページを見る Arrow-right

メラカとジョージ・タウン:マラッカ海峡の歴史都市

Melaka and George Town, historic cities of the Straits of Malacca
メラカとジョージ・タウン:マラッカ海峡の歴史都市
マラッカ海峡に面した、古都メラカとペナン島のジョージ・タウンは、東洋と西洋の文化が重層的に融合した独自の都市景観を今に伝える港町です。ヨーロッパとアジアを結ぶ最短航路だったマラッカ海峡は、大航海時代から数多くの船が行き交う場所でした。この海峡の周辺はモンスーンの変わり目に位置するため、これらの港町は、風待ちのために停泊する中継地として栄えていきました。結果的にさまざまな国の人々が交流したことで、この場所では文化的な多様性が育まれ、非常に魅力的な都市となったのです。 
地域: 東・東南アジア / 国名: マレーシア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

メロエ島の考古遺跡

Archaeological Sites of the Island of Meroe
メロエ島の考古遺跡
スーダン中央東部、ナイル川とアトバラ川に挟まれた半砂漠地帯には、紀元前8世紀から後4世紀にかけて栄えたクシュ王国の遺跡が残ります。クシュ王国とは、前10〜9世紀頃にナイル中部地域に興隆した大国でした。王国の文化は、ナパタ文化とメロエ文化の2つの時期に分けられます。前期は紀元前900〜前270年にかけてナパタ地域を中心に栄え、当時の支配者の埋葬地などを含む遺跡は『ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群』として世界遺産に登録されています。メロエ文化は、王国がナイル川近くのメロエへと遷都し最盛期を迎えた前270〜後350年の時期を指し、地中海からアフリカの中心部まで版図を広げました。本遺産には、メロエにあるクシュ王の王都や、内陸に位置する宗教遺跡のナカとムサワラット・エス・スフラが含まれています。ピラミッド、寺院、住宅、灌漑システム、工業地帯などがあり、1,000年以上にわたって形成されたメロエ文化の証拠でもあります。
地域: アフリカ / 国名: スーダン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

メンフィスのピラミッド地帯

Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
メンフィスのピラミッド地帯
紀元前28世紀頃から22世紀ぐらいまで続いたエジプト古王国の時代に建設されたピラミッドが、王国の都であったメンフィスの周辺(ギザからダハシュール辺り)に多く残っています。古王国第3王朝のジェセル王はそれまで日干しレンガで造られた小さいマスタバと呼ばれる墓ではなく、不滅の建材である石材を使ったピラミッドを建設しました。彼のピラミッドは方形の石段の四方を拡張し6段重ねた「階段ピラミッド」と呼ばれています。次の第4王朝のスネフェル王は途中で角度が変わる「屈折ピラミッド」や少し赤く見える石材を使った「赤のピラミッド」など在位中に3つもピラミッドを建設しました。そして最大のものは次のクフ王の時代ものです。カイロ近郊のギザの台地には、高さ146m(建設当時は150m以上あったと言われています)のクフ王のピラミッドとカフラー王・メンカフラー王のピラミッドが並び、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれます。しかし、これ以後のピラミッドは小規模化していきました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場

Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena
モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場
モデナはイタリア北部エミリア・ロマーニャ州にあります。モデナ市内あるいは近郊には、「マセラティ」や「フェラーリ」などの最先端のスポーツカーを製造する会社の本社があります。その一方で、旧市街では、中心にあるグランデ広場、大聖堂、鐘楼などが一体となっていて、中世の面影を今に残しています。そして、キリスト教における宗教上の結びつきの強さと、この地を支配したカノッサ家の影響を見ることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

モヘンジョ・ダーロの遺跡群

Archaeological Ruins at Moenjodaro
モヘンジョ・ダーロの遺跡群
モヘンジョ・ダーロの都市遺跡は、紀元前3千年紀初頭にまで遡れる都市遺跡で、焼成レンガによって建てられた都市は、大きく東西二つのエリアに分かれています。東側の市街地地区は碁盤目状の街路が広がっているだけでなく、高度に整備された下水道網までも設置されていることから高度に計画された都市であったことが見て取れます。西側の城塞地区の丘の上には2世紀頃に仏教徒によって建造されたストゥーパ(仏塔)が残されています。それ以外にも公衆浴場や学校、穀物倉庫なども配置されています。
地域: 西・南アジア / 国名: パキスタン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

モラヴィア教会入植地

Moravian Church Settlements
モラヴィア教会入植地
モラヴィア教会は、ルター派教会の1つで、モラヴィア兄弟団とも呼ばれています。このモラヴィア教会に関係する4つの集落が国境を超えて4ヵ国に存在し、世界遺産に登録されています。これらの集落はヘルンフート(ドイツ)、ベツレヘム(アメリカ)、グレースヒル(英国)、クリスティアンスフェル(デンマーク)です。いずれの集落も、プロテスタントの理想を反映した都市計画に基づいて設立されており、平等とヒューマニズムが重視された街づくりがなされています。
詳細ページを見る Arrow-right

モン・サン・ミシェルとその湾

Mont-Saint-Michel and its Bay
モン・サン・ミシェルとその湾
モン・サン・ミシェルは、フランス北西部の英国とフランスに挟まれた湾に立つ、小高い丘の上にあります。この地域は、フランスの他の地域とは異なり、現在の英国やアイルランドなどで見られるケルトの文化が色濃く残ります。708年にケルト人のモン・トンブと呼ばれるケルト人の聖地だった場所に、聖ミカエルを祀る聖堂を築いたのが、モン・サン・ミシェル(フランス語で「聖ミカエルの山」)の始まりです。聖ミカエルの信仰は、イタリアの世界遺産『イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)』に含まれるプーリア州の洞窟教会「サントゥアリオ・ディ・サン・ミケーレ・アルカンジェロ」に始まるとも伝えられますが、モン・サン・ミシェルはその信仰が遠くフランスに北西部にまで広がったことを示しています。 
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会

Churches of Peace in Jawor and Świdnica
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、17世紀中期の宗教戦争(三十年戦争)後、ハプスブルク家のカトリック支配下の中、プロテスタント社会に対する宗教的寛容さを示す必要性に迫られ建設されました。建設に際しては、石やレンガの使用が禁じられ、木材と土を主材料とするという厳しい条件下でありながらも、複雑かつ先駆的な建築技術が駆使されました。木造建築としてはヨーロッパ最大級の規模を誇り、耐久性に優れた構造を持っています。​今日までその壮麗な姿を保ち続けており、木造宗教建築の最高峰として評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ヨーロッパの大温泉都市群

The Great Spa Towns of Europe
ヨーロッパの大温泉都市群
イタリア、英国、オーストリア、チェコ、ドイツ、フランス、ベルギーの7ヵ国に点在する11の温泉都市で構成される、国境を越えたひとつの世界遺産です。18世紀初頭から1930年代にかけて、ヨーロッパにおける温泉文化が最も隆盛を極めたことを示しています。これらの都市は、互いに影響しあいながら街づくりをし、絵画のような景観の中で、美しくデザインされたレクリエーション施設や治療・療養環境が整えられていきました。ヨーロッパの温泉文化の発展に貢献した数百の温泉地の中でも、最も洗練された大規模な都市が世界遺産に選ばれました。そのひとつである英国の「バース」は、古代ローマの温泉の遺構が残る現役の温泉施設で、1987年に『バースの市街』として単独でも世界遺産に登録されています。
詳細ページを見る Arrow-right

ラサのポタラ宮歴史地区

Historic Ensemble of the Potala Palace, Lhasa
ラサのポタラ宮歴史地区
チベット高原の中央部、標高約3,650mに位置するラサは、ポタラ宮を中心とするチベット仏教の聖地で、チベットの政治・文化の中枢です。チベット語では「神の地」を意味するチベットの歴史は、豪族たちがチベットの各地を支配していた7世紀の初めに、吐蕃のソンツェン・ガンポ王が初めてチベットを統一し、この地に遷都しました。ソンツェン・ガンポ王は、権力を強化しつつ、インドに派遣した家臣にチベット語を作らせて、サンスクリット語の経典をチベット語に翻訳させるなど、インドと中国の仏教文化を積極的に取り入れました。またポタラ宮の原型となる城を築き、その妃はジョカン寺(トゥルナン寺)を創建しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ラジャスタン州のジャイプール市街

Jaipur City, Rajasthan
ラジャスタン州のジャイプール市街
インド北西部ラジャスタン地方に位置するジャイプール市街は、かつてこの地に割拠したラージプート諸国のひとつ、アンベール王国の藩王(マハラジャ)であったサワーイー・ジャイ・シング2世が1727年に建設した都市です。王ははじめ丘陵地帯にあった城塞アンベール城を居城としていましたが、人口の増加や水不足に対応するため、平地に新たな都を建設しました。新たな都は「ジャイプール(「ジャイの町」)」と名づけられました。ジャイプールは英国の植民地支配下に置かれていた時代でも、領地の自治を保証されていたため、他の都市と比べてよりインド的な雰囲気を残しています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ラジャスタンの丘陵城塞群

Hill Forts of Rajasthan
ラジャスタンの丘陵城塞群
インド西部のラジャスタン地方には長い歴史を持つラージプート族の諸王国が築いた城塞が残っています。ムガル帝国がこの地を支配するようになるまで、また支配されてからも数百年間にわたり各王国の政治・文化・宗教の中心となった城塞です。それぞれの城塞は長い城壁に囲まれ、その内には宮殿のほかこの地方の様式をベースにした精緻な装飾を施した建造物が並びます。また一部にはムガル帝国がもたらしたイスラム様式の影響も散見され「ラージプート=ムガル様式」とも呼ばれます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画

La Chaux-de-Fonds / Le Locle, watchmaking town planning
ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画
「ラ・ショー・ド・フォン」と「ル・ロクル」はスイスのジュラ山脈の麓で隣り合う2つの街です。農業には向かないこの地では、時計製造に特化した独自の都市開発が行われてきました。そのきっかけは、フランスで時計製造に従事していたユグノー(プロテスタント)が宗教的迫害を恐れてこの一帯に移住して来たこととされています。さらに転機となったのが、18世紀末の大火災です。甚大な被害を負った街は「時計産業」というこの地で続く1つの産業に特化して再建されまた。
地域: ヨーロッパ / 国名: スイス連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2009年 / 登録基準: (iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ラス・メドゥラス

Las Médulas
ラス・メドゥラス
『ラス・メドゥラス』は、スペイン北西部の山岳地帯にあるローマ帝国時代の金の採掘場です。1世紀、ローマ帝国はこの地域で、水力を利用した技術による金鉱脈の開発に着手しました。湧き水、雨、雪解け水を一度大きなダム(貯水池)に集め、そこから長距離にわたって延びる水路が鉱山とつながれていました。ダムの水門を開くと、大量の水が水路に流れ込み、水圧によって鉱山では土砂崩れが発生します。こうすることで露出された大量の金を一気に採取することができました。このような採掘方法は「ルイナ・モンティウム」(山崩し)と呼ばれました。採掘の過程で生じた選鉱屑は数キロにわたって堆積しており、一部では農地として利用されている場所もあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸

Rani-ki-Vav (the Queen’s Stepwell) at Patan, Gujarat
ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸
インド西部グジャラト州のサラスワティ川岸にある井戸です。11世紀にこの地の王朝の王妃が亡き王を偲んで建造したので「王妃の階段井戸」と呼ばれています。この乾燥地帯では今から5000年ほど前から「階段井戸」と呼ばれる独特な水利・貯水システムがありました。地下水脈まで深く掘り下げ、そこまで階段を設けて水を汲み上げる方式です。この井戸は奥行65m、幅20m、深さ27mあり、水源にたどりつくには7層の階段を下りていくことになります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ラパ・ニュイ国立公園

Rapa Nui National Park
ラパ・ニュイ国立公園
ラパ・ニュイ国立公園は、チリの海岸から西に約3,700kmの南太平洋に位置するパスクア島(イースター島)にあり、約900体のモアイ像と300以上の儀式用プラットフォーム(アフ)を有しています。これらのモアイ像は、11世紀から17世紀にかけてポリネシアに起源を持つ長耳族によって先祖を祀るために造られ、島の各地に配置されています。
地域: 南米 / 国名: チリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(iii)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

ラムの旧市街

Lamu Old Town
ラムの旧市街
ケニア南東部インド洋に浮かぶラム島の島内に広がる旧市街は、12世紀から海洋交易の拠点として発展してきた歴史を持っています。かつて東アフリカで最も重要な貿易の中心地で、宗教的、文化的、技術的に重要な影響を与えてきました。また、東アフリカのスワヒリ圏の市街地遺跡としては最も歴史が古く、かつ保存状態も良好であることで知られています。アジアから見るとアフリカ大陸の入り口に相当するこの街は、象牙や奴隷が集まる集散地となり、アラブやペルシャ、インド、ヨーロッパの商人たちによって活発な取引が行われていました。他のスワヒリ圏の古い集落と比べて、ラムの旧市街には700年以上もの長きにわたって人々が住み続け、今もなお街として機能し続けていることが特徴です。
地域: アフリカ / 国名: ケニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ラリベラの岩の聖堂群

Rock-Hewn Churches, Lalibela
ラリベラの岩の聖堂群
『ラリベラの聖堂群』は、エチオピア高原北東部、標高3,000mの場所に位置する11の岩窟キリスト教聖堂群です。12世紀末、イスラム教徒の支配下にあった聖地エルサレムへの巡礼が困難であったことから、ザグウェ朝の7代ラリベラ王は都を「第二のエルサレム」にしようと、キリスト教聖堂群の建造を始めました。地表の高さに教会の最上部を建造した後、徐々に周囲を掘り下げながら、建物全体を彫り出してつくられました。わずか二十数年という工期の早さに人々は驚き、「天使がつくった」と噂したといわれています。
地域: アフリカ / 国名: エチオピア連邦民主共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
ジェロニモス修道院は1502年に建設が始まり、ポルトガルの黄金時代を象徴する建築物です。ベレンの塔は、マヌエル1世が、エンリケ航海王子の偉業とヴァスコ・ダ・ガマの功績を記念して1514年に建設されました。両者はリスボン港の入り口に位置し、大航海時代の歴史的背景を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

リトミシュル城

Litomyšl Castle
リトミシュル城
『リトミシュル城』は、イタリアで生まれたルネサンス建築がチェコで発展した代表的な作品として知られています。1568年に建築が始まり、1580年頃には主要な部分が完成しました。外観は当時の姿を大切に残しながらも、内部は18世紀末に美しく改修され、ルネサンスだけでなくバロックや新古典主義の装飾も施されています。チェコにおける貴族の邸宅文化と、新しい芸術運動の影響を受けた発展の様子を残す貴重な建築です。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

リマの歴史地区

Historic Centre of Lima
リマの歴史地区
リマの歴史地区は、1535年にフランシスコ・ピサロによって設立され、スペイン植民地時代の都市計画と建築が色濃く残る地域です。アルマス広場を中心に放射状に広がる街路網や、石畳の通り、アーチ型の橋など、当時の都市設計が今も息づいています。これらの要素は、南米の植民地都市の発展を示す貴重な証拠とされています。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (iv)
詳細ページを見る Arrow-right