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ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
マチュ・ピチュ
Historic Sanctuary of Machu Picchu
ミケーネとティリンスの考古遺跡
Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
ムザブの谷
M'Zab Valley
ムツヘタの歴史的建造物群
Historical Monuments of Mtskheta
ジョージア中央東部、アラグヴィ川とムトゥクヴァリ川の合流点に位置するムツヘタは、紀元前4世紀から5世紀までイベリア王国(カルトリ)の首都として繁栄しました。4世紀にキリスト教が伝わり、国教となることが宣言されたこの場所には、聖堂や修道院が建てられています。首都がトビリシに移された5世紀以降も、ムツヘタはキリスト教の拠点として主導的な役割を維持し続けました。現在でもジョージア正教会と使徒教会の本部が置かれている重要地点です。自然条件に恵まれ、貿易ルートの交差点でもあるこの場所は、ペルシア、アラブ、ビザンツ帝国などの支配下に置かれたことで文化的な影響を受けます。主にビザンツ帝国の影響を受けて発展し、地元の文化的伝統の融合につながりました。
ムンバイにあるヴィクトリア朝ゴシックとアール・デコの建造物群
Victorian Gothic and Art Deco Ensembles of Mumbai
メサ・ヴェルデ国立公園
Mesa Verde National Park
メサ・ヴェルデとは、スペイン語で「緑の台地」を意味します。アメリカ、コロラド州南西部に位置し,高所では標高2,600mを超えるこの台地は,マツなどの常緑樹に覆われています。この地には、西暦550年から1300年にかけて、先住民アナサジ族(現代のプエブロ族の祖先とされる)が居住していた住居遺跡群が残されています。最も古い居住跡は6世紀頃のもので、台地上に設けられた竪穴式住居に暮らしていました。床には小さな穴が設けられており、人間が地下世界からやってきたものとする神話を象徴しています。750〜1100年にかけて、区画が整備された集落が形成され、崖の側面の岩陰に集落が築かれるようになったと考えられています。
メテオラの修道院群
Meteora
メテオラとはギリシア語で「中空に浮く」という意味であり、ギリシア中部にあるメテオラでは、奇岩群が数多くあり、その上に修道院が立っているという、世界でも類を見ない景観が見られます。この奇岩群が形成されたのは今から6,000万年前に誕生したとされ、そこから長い年月をかけて川の水が谷を削り、硬い部分だけが残った結果、このような景観が生まれました。この景観を神の地と思ったのか、古くから人々が住み着いていました。9世紀頃から、現実世界から離れて、決して住みやすいとは言えないこの場所に修道院を築き、祈りを捧げるようになるのです。修道院群があたかも空中に浮いているように見えるから、この地はメテオラと言われました。最盛期には24の修道院があり、7つの修道院が世界遺産に登録されています。
メラカとジョージ・タウン:マラッカ海峡の歴史都市
Melaka and George Town, historic cities of the Straits of Malacca
メロエ島の考古遺跡
Archaeological Sites of the Island of Meroe
スーダン中央東部、ナイル川とアトバラ川に挟まれた半砂漠地帯には、紀元前8世紀から後4世紀にかけて栄えたクシュ王国の遺跡が残ります。クシュ王国とは、前10〜9世紀頃にナイル中部地域に興隆した大国でした。王国の文化は、ナパタ文化とメロエ文化の2つの時期に分けられます。前期は紀元前900〜前270年にかけてナパタ地域を中心に栄え、当時の支配者の埋葬地などを含む遺跡は『ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群』として世界遺産に登録されています。メロエ文化は、王国がナイル川近くのメロエへと遷都し最盛期を迎えた前270〜後350年の時期を指し、地中海からアフリカの中心部まで版図を広げました。本遺産には、メロエにあるクシュ王の王都や、内陸に位置する宗教遺跡のナカとムサワラット・エス・スフラが含まれています。ピラミッド、寺院、住宅、灌漑システム、工業地帯などがあり、1,000年以上にわたって形成されたメロエ文化の証拠でもあります。
メンフィスのピラミッド地帯
Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
紀元前28世紀頃から22世紀ぐらいまで続いたエジプト古王国の時代に建設されたピラミッドが、王国の都であったメンフィスの周辺(ギザからダハシュール辺り)に多く残っています。古王国第3王朝のジェセル王はそれまで日干しレンガで造られた小さいマスタバと呼ばれる墓ではなく、不滅の建材である石材を使ったピラミッドを建設しました。彼のピラミッドは方形の石段の四方を拡張し6段重ねた「階段ピラミッド」と呼ばれています。次の第4王朝のスネフェル王は途中で角度が変わる「屈折ピラミッド」や少し赤く見える石材を使った「赤のピラミッド」など在位中に3つもピラミッドを建設しました。そして最大のものは次のクフ王の時代ものです。カイロ近郊のギザの台地には、高さ146m(建設当時は150m以上あったと言われています)のクフ王のピラミッドとカフラー王・メンカフラー王のピラミッドが並び、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれます。しかし、これ以後のピラミッドは小規模化していきました。
モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場
Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena
モヘンジョ・ダーロの遺跡群
Archaeological Ruins at Moenjodaro
モラヴィア教会入植地
Moravian Church Settlements
モン・サン・ミシェルとその湾
Mont-Saint-Michel and its Bay
モン・サン・ミシェルは、フランス北西部の英国とフランスに挟まれた湾に立つ、小高い丘の上にあります。この地域は、フランスの他の地域とは異なり、現在の英国やアイルランドなどで見られるケルトの文化が色濃く残ります。708年にケルト人のモン・トンブと呼ばれるケルト人の聖地だった場所に、聖ミカエルを祀る聖堂を築いたのが、モン・サン・ミシェル(フランス語で「聖ミカエルの山」)の始まりです。聖ミカエルの信仰は、イタリアの世界遺産『イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)』に含まれるプーリア州の洞窟教会「サントゥアリオ・ディ・サン・ミケーレ・アルカンジェロ」に始まるとも伝えられますが、モン・サン・ミシェルはその信仰が遠くフランスに北西部にまで広がったことを示しています。
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
Churches of Peace in Jawor and Świdnica
ヨーロッパの大温泉都市群
The Great Spa Towns of Europe
イタリア、英国、オーストリア、チェコ、ドイツ、フランス、ベルギーの7ヵ国に点在する11の温泉都市で構成される、国境を越えたひとつの世界遺産です。18世紀初頭から1930年代にかけて、ヨーロッパにおける温泉文化が最も隆盛を極めたことを示しています。これらの都市は、互いに影響しあいながら街づくりをし、絵画のような景観の中で、美しくデザインされたレクリエーション施設や治療・療養環境が整えられていきました。ヨーロッパの温泉文化の発展に貢献した数百の温泉地の中でも、最も洗練された大規模な都市が世界遺産に選ばれました。そのひとつである英国の「バース」は、古代ローマの温泉の遺構が残る現役の温泉施設で、1987年に『バースの市街』として単独でも世界遺産に登録されています。
ラサのポタラ宮歴史地区
Historic Ensemble of the Potala Palace, Lhasa
ラジャスタン州のジャイプール市街
Jaipur City, Rajasthan
ラジャスタンの丘陵城塞群
Hill Forts of Rajasthan
ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画
La Chaux-de-Fonds / Le Locle, watchmaking town planning
ラス・メドゥラス
Las Médulas
『ラス・メドゥラス』は、スペイン北西部の山岳地帯にあるローマ帝国時代の金の採掘場です。1世紀、ローマ帝国はこの地域で、水力を利用した技術による金鉱脈の開発に着手しました。湧き水、雨、雪解け水を一度大きなダム(貯水池)に集め、そこから長距離にわたって延びる水路が鉱山とつながれていました。ダムの水門を開くと、大量の水が水路に流れ込み、水圧によって鉱山では土砂崩れが発生します。こうすることで露出された大量の金を一気に採取することができました。このような採掘方法は「ルイナ・モンティウム」(山崩し)と呼ばれました。採掘の過程で生じた選鉱屑は数キロにわたって堆積しており、一部では農地として利用されている場所もあります。
ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸
Rani-ki-Vav (the Queen’s Stepwell) at Patan, Gujarat
ラパ・ニュイ国立公園
Rapa Nui National Park
ラムの旧市街
Lamu Old Town
ケニア南東部インド洋に浮かぶラム島の島内に広がる旧市街は、12世紀から海洋交易の拠点として発展してきた歴史を持っています。かつて東アフリカで最も重要な貿易の中心地で、宗教的、文化的、技術的に重要な影響を与えてきました。また、東アフリカのスワヒリ圏の市街地遺跡としては最も歴史が古く、かつ保存状態も良好であることで知られています。アジアから見るとアフリカ大陸の入り口に相当するこの街は、象牙や奴隷が集まる集散地となり、アラブやペルシャ、インド、ヨーロッパの商人たちによって活発な取引が行われていました。他のスワヒリ圏の古い集落と比べて、ラムの旧市街には700年以上もの長きにわたって人々が住み続け、今もなお街として機能し続けていることが特徴です。
ラリベラの岩の聖堂群
Rock-Hewn Churches, Lalibela
リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
リトミシュル城
Litomyšl Castle
リマの歴史地区
Historic Centre of Lima