World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iv)(v))

デルフィの考古遺跡

Archaeological Site of Delphi
デルフィの考古遺跡
デルフィはギリシャ中部のパルナソスの山腹にあります。ここは、古代ギリシャの予言の神アポロンの聖地として、当時広く知られていました。「世界のへそ」と言われているのは、神々の指導者であるゼウスが世界の中心がどこかを探るため、世界の両端から2羽の鷲を放ち、その2がこの地の上空で出会い、舞い降りたためとされています。この地には先述したアポロンを祀る神殿があり、また古代オリンピックに起源であるオリュンピアと同様のピュティア競技会場もあったため、数多くの巡礼者が訪れました。なお、ピュティアとはデルフィの神託所に仕えた巫女のことを指します。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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デロス島

Delos
デロス島
エーゲ海のほぼ中央、キクラデス諸島にあるデロス島は、伝説によると太陽神アポロンと月の女神アルテミスが誕生したとされている島です。紀元前3世紀に活躍した詩人カリマコスは、デロス島を「すべての島の中で最も神聖な島」と評しています。特にアポロンはオリンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子でもあることから、非常に重要な神とされていましいた。デロス島全体が考古遺跡となっており、ギリシャの遺跡の中でも最大級の規模を誇ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市

Dholavira: a Harappan City
ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市
「古代四大文明」のひとつ「インダス文明(別名ハラッパー文明)」の代表的遺跡です。インダス側流域には紀元前3000年頃から人々が住み始め「モヘンジョ・ダーロ」や「ハラッパー」などの都市ができましたが、紀元前2000年頃から徐々に衰退して紀元前1500年頃にはほぼ廃墟となりました。文明衰退の理由は、川筋の移動や気候変動などが推測されていますが定かではありません。ドーラヴィーラはインダス川本流から少し離れた、インド西部のカッチ湿原に浮かぶカディール島にあり、雨季には2つの川が出現し水に囲まれます。また出土する工芸品などから、メソポタミア文明との交流があったことが窺われ、ここは古代文明間の水運交易の中継地であったとも言われます。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ドゥブロヴニクの旧市街

Old City of Dubrovnik
ドゥブロヴニクの旧市街
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観

Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
ハンガリー北東部、ティサ川流域のトカイ地方は世界三大貴腐ワイン(他はフランスのソーテルヌとドイツのラインガウ)の一つ、アスーワインの産地として知られています。火山岩やミネラル豊富な土壌とその気候条件によってブドウ栽培に適した地域として古くから知られ、その伝統は1,000年以上にも及ぶとされています。また、この地域は1737年のカール6世(神聖ローマ皇帝、ハンガリー王としてはカール3世)の勅令によって、世界初の閉鎖型ワイン産地として定められたことを契機として300年近くにわたって生産が厳格に管理されてきた地域でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (iii)(v)
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トスカーナのメディチ家の別荘と庭園

Medici Villas and Gardens in Tuscany
トスカーナのメディチ家の別荘と庭園
フィレンツェのメディチ家は15世紀に銀行業で成功し、莫大な財を蓄えました。その資金力を背景に政治力を発揮して、市政の実質的な支配権を握りました。その後は、トスカーナ大公国の君主になり、一族からローマ教皇も輩出し、300年間にわたりフィレンツェに君臨しました。一方で、文化・芸術の保護に力を入れ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリなどの芸術家を支援し、ルネサンス期の文化の形成に大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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富岡製糸場と絹産業遺産群

Tomioka Silk Mill and Related Sites
富岡製糸場と絹産業遺産群
富岡製糸場と絹産業遺産群は、高品質な生糸の大量生産を実現させた技術革新と交流の証です。構成遺産は「富岡製糸場」「田島弥平旧宅」「高山社跡」「荒船風穴」の4件で、生糸の大量生産に必要な製糸技術と、原料となる繭の増産を支える養蚕技術の両面で大きな発展がありました。中心的な役割を担ったのが、1872年に日本政府がフランスから最新の器械製糸技術を導入して設立した富岡製糸場です。その後日本は、独自の伝統と西洋技術の融合によって、世界に通用する絹の生産拠点となっていきました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ドロットニングホルムの王領地

Royal Domain of Drottningholm
ドロットニングホルムの王領地
ストックホルムの西、メーラレン湖に浮かぶローヴェン島にある『ドロットニングホルムの王領地』は、17〜18世紀に建設されたスウェーデン王家の宮殿を含む建造物群です。「ドロットニングホルム」とは「王妃(女王)の小島」を意味し、その名の通り歴代のスウェーデン王妃と深いかかわりをもっています。この地には16世紀末に王妃カタリーナ・ヤーゲロニカのために建てられた夏の離宮が存在していましたが、後に焼失してしまいます。その後、1661年に王妃ヘドヴィーク・エレオノーラが建築家ニコデムス・テッシンに再建を依頼し、テッシンの息子に工事は引き継がれました。建設はおよそ100年にわたって続けられ、バロック様式の宮殿と庭園が完成しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スウェーデン王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (iv)
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敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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ナスカとパルパの地上絵

Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
ナスカとパルパの地上絵
ナスカとパルパの地上絵は、ペルー南部の乾燥したナスカ高原とパルパ平原に広がる約450㎢の地域に点在しており、紀元前500年から紀元後500年にかけて、数千点以上の地上絵が描かれました。この地は年間平均降水量が10mm以下の乾燥地帯で、台地の表面に広がる褐色の小石を取り除くと、白い砂が露出するため、この色の違いを利用して地上絵が制作されました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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日光の社寺

Shrines and Temples of Nikko
日光の社寺
『日光の社寺』は、栃木県の豊かな自然の中に位置する「二荒山神社」「東照宮」「輪王寺」の二社一寺と、それらに付随する103棟の建造物から構成されています。うち9棟が国宝、94棟が重要文化財に指定されており、17世紀を中心とする宗教建築と装飾美術の粋が凝縮されています。社寺群は山の斜面に巧みに配置され、自然景観との調和によって独自の美しさを実現しています。この場所は、長きにわたって信仰が守られてきた証であり、各社寺をめぐることで、信仰と芸術が融合した空間の奥深さを体感することができます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
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バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区

Historic Centre of Sheki with the Khan’s Palace
ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区
カフカス山脈東部の南側斜面に位置する歴史都市シェキは、紀元前6世紀にまで遡る古い歴史を持っています。現在の歴史地区は、1772年の土砂洪水の後、それまでの場所より東にある山間の谷の高台に再建されました。重要な交易路に接していることから、多様な文化的影響を受けてきました。キリスト教は1世紀にはすでに伝わり、イスラーム教は7世紀に広まりました。18世紀まで、シェキはサファヴィー朝、オスマン帝国、カージャール朝など、さまざまな勢力の支配下にありました。1743年には、コーカサス地方で最初かつ最も強力なハーン国として独立し、その後19世紀初頭にはロシアの支配を受けました。こうした多様な文化の影響は建築にも見られます。ハーンの宮殿には、ムカルナスなどのイスラーム建築技法、美しい中庭、そしてヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状に組み込んだステンドグラス「シェベケ」など、18世紀アゼルバイジャン建築の粋が凝縮されています。
地域: 西・南アジア / 国名: アゼルバイジャン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(v)
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バイロイトの辺境伯オペラハウス

Margravial Opera House Bayreuth
バイロイトの辺境伯オペラハウス
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(iv)
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ハバナの旧市街と要塞群

Old Havana and its Fortification System
ハバナの旧市街と要塞群
この地にスペイン人が入ってきたのは、1492年のコロンブスのキューバ上陸の頃です。彼は約40日間に渡りキューバを探検しましたが、彼は亡くなるまでこの地をアジアと思っていました。その後、この地はアジアではなく一つの島であることが判明し、1511年、ディエゴ・ベラスケスがキューバを征服してからは、キューバに居住区が次々と建設されていきます。しかし、16世紀まではまだまだ街といえるほどのものではなく、街が発展していくのは17世紀に入ってからです。徐々に発展し、バロック様式とイスラームの要素を取り入れたスペインのムデハル様式が合体したスペイン・バロック様式が採用されていき、後述する要塞と合わせて、ヨーロッパの世界観を醸し出す市街が形成されていくのです。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: キューバ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (iv)(v)
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バムとその文化的景観

Bam and its Cultural Landscape
バムとその文化的景観
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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パラマリボの歴史街区

Historic Inner City of Paramaribo
パラマリボの歴史街区
パラマリボは、南米大陸の北東海岸に位置するスリナムの首都です。スリナムを含むベネズエラ南部からブラジル北部にかけての地域は「ギアナ地方」と呼ばれており、15世紀末のスペイン人探検家による「発見」後は、エル・ドラド(黄金の都)が存在する場所と考えられて多くの冒険者が訪れました。17世紀には、英国植民地のバルバドスからやってきた労働者がタバコとサトウキビのプランテーションを築きましたが、1665〜1667年の英蘭戦争の結果、スリナムはオランダの植民地となりました。18世紀末にはオランダの工学技術を駆使したパラマリボの都市計画が湿地帯まで拡張されたことで、経済の発展が加速しました。都市は独特な街路計画とオランダの建築様式が融合した建物が特徴的で、スリナム川沿いに歴史的建造物が点在しています。
地域: 南米 / 国名: スリナム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (ii)(iv)
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パリのセーヌ河岸

Paris, Banks of the Seine
パリのセーヌ河岸
パリの歴史は、セーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。今はパリのシンボルのひとつとなっているノートル・ダム大聖堂が立つ、文字通りパリの中心となる島です。この島に紀元前3世紀頃からケルト系のパリシイ人が集落を作って暮らし始めました。その後、紀元前52年頃にガリア遠征中のカエサルが率いるローマ軍に侵略されるとローマ風の都市が築かれ、河川交通の重要拠点として発展しました。4世紀中頃にパリと呼ばれるようになり、彼らが話す言葉が現在のフランス語へと発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
インドネシアのジャワ島の東に浮かぶバリ島には、湖、寺院、そして優れた灌漑システムを持つ棚田景観など5つの地域で構成された世界遺産があります。それらは、神、人、自然の調和を表す文化的景観として登録されました。5つの構成資産のなかで、「バトゥール湖」は泉や川の起源である女神が住むとされていて、「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」は、湖の水の女神を祀っています。そして、バリ島最大規模の「タマン・アユン寺院」は、水を司る王立寺院とされています。このように、バリでは水に関わる遺産が見られます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観

Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
オーストリアの中央部に位置する『ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観』は、先史時代から続く岩塩採掘の歴史を持つ地域であり、ヨーロッパ最古の塩鉱山の一つとして知られています。「ザルツ」とはドイツ語で「塩」を意味し、「ザルツカンマーグート」とは「塩の王領地」を意味します。その名が表す通り、この地域では太古から岩塩の採掘が行われており、その歴史は有史以前に遡ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)
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バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ハンザ都市ヴィスビー

Hanseatic Town of Visby
ハンザ都市ヴィスビー
バルト海に浮かぶゴットランド島の中心にある都市ヴィスビーは古くはバイキングの拠点でした。12世紀になるとドイツ商人が住みついたことで交易地として発展し、ハンザ同盟の主要な拠点となります。旧市街を取り囲む全長3.5km、高さ最高10mの城壁は13世紀にドイツ商人が自衛のために築いたものです。多くの建物は16世紀にライバル関係であったリューベックによって破壊されますが、この城壁は残っています。中世のヴィスビーにはスウェーデンの他のどの町よりも多くの教会があり、ロマネスク様式とゴシック様式の特徴を持つ17の聖堂がありました。しかし、16世紀の宗教改革によってそのほとんどが破壊され、現存するのは1225年に建造された聖母マリア大聖堂のみとなっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スウェーデン王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iv)(v)
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バンスカー・シチアウニツァの鉱山都市と近隣の技術遺産

Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity
バンスカー・シチアウニツァの鉱山都市と近隣の技術遺産
スロバキア中央部に位置するバンスカー・シチアウニツァは、12世紀半ばに起源をもつスロバキア最古の金・銀を中心とした鉱山都市です。最盛期は17~18世紀頃で、17世紀には鉱山史上初めて、坑道内で火薬樽を爆発させる採掘方法を生み出し、やがてその技術はヨーロッパ中に広がっていきました。また、蒸気機関を使い、より深く坑道を掘る技術も開発していき、当時はヨーロッパの鉱山産業を牽引していた都市であったと言えます。しかし、1918年の第一次世界大戦終了時にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、急速に都市は衰退し、現在は最盛期の人口のおよそ半分となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スロバキア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iv)(v)
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パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境

Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
996年に創建された大修道院は、ハンガリー最古の修道院であり、中世の中央ヨーロッパにおけるキリスト教の普及に大きな役割を果たしました。現在の教会は1224年に再建されたものですが、その後も増改築が繰り返されたため、ロマネスク様式やゴシック様式、新古典様式などが混在する建造物となっています。三廊式の聖歌隊席は、この建物で最も古い部分とされ、その下にある同じく三廊式の地下聖堂は再建以前の遺構と考えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(vi)
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万里の長城

The Great Wall
万里の長城
『万里の長城』は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年にわたって築かれた中国最大の防衛施設です。総延長は2万kmを超え、河北省・山海関から甘粛省・嘉峪関まで、広大な範囲におよびます。構造は、城壁、望楼、馬道、狼煙台、関所など多様な構造からなり、地域や時代ごとに用いた素材や建築技術が異なります。特に明代には、煉瓦を用いた高度な技術が導入され、堅固な長城が形成されました。世界遺産として登録されているのは、保存状態が良好な「八達嶺」「山海関」「嘉峪関」の3つの主要なエリアです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ピサのドゥオーモ広場

Piazza del Duomo, Pisa
ピサのドゥオーモ広場
イタリアのトスカーナ地方にあるドゥオーモ広場は、11~14世紀にかけて建設された世界的に有名な建築が残っています。広場は「ミラコリ広場」とも呼ばれます。これは、イタリアの小説家ダヌンツィオがこの広場を訪れた際に広場の風景に感嘆して「ミラコリ広場(奇跡の広場)」と称したことに由来します。広場にはヨーロッパ中世の建築様式を代表する大聖堂や洗礼堂、斜塔(ピサの斜塔)、カンポサント(墓地)があります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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姫路城

Himeji-jo
姫路城
兵庫県姫路市の丘に立つ姫路城は、天守や櫓など82棟が現存し、約1.07㎢の広大な城郭を形成しています。白く統一された壁と重なる屋根のシルエットが織りなす優美な佇まいは、城下町からも一望できます。また、石垣には敵の侵入を防ぐため下部が緩やかで上部が急になる「扇の勾配」が施され、見た目の美しさと堅牢さを持っています。城壁に空けられた狭間と呼ばれる穴は、弓や鉄砲を構えるためのもので、丸や三角、四角など多彩な形状が用いられています。姫路城はまさに、美と戦略が融合した日本の城づくりの粋を体現する存在です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iv)
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ファテープル・シークリー

Fatehpur Sikri
ファテープル・シークリー
ファテープル・シークリーは、インドの古都アーグラ近郊にあるムガル帝国の都の遺跡です。1571年、3代皇帝アクバルは、イスラム神秘主義者スーフィーの聖者シャイフ・サリーム・チシュティーが、息子(後の4代皇帝ジャハーンギール)の誕生を予言した場所に新たな都市の建設を開始しました。当時アクバルが西部グジャラート地方での戦いに勝利したことにちなみ、「勝利の都市」を意味するファテープル・シークリーと名付けられ、1573年に完成しました。しかし水不足や酷暑、またアフガン民族との戦いから、わずか14年後の1585年にラホールへと遷都されました。1619年には、疫病が流行したアーグラから避難したジャハーンギールが約3ヵ月間滞在しましたが、その後は完全に放棄されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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