World Heritage Sites

世界遺産一覧

("城・宮殿"関連)

アーグラ城

Agra Fort
アーグラ城
インド北部、ニューデリーの南約200kmの古都アーグラにあるムガル帝国の旧都城です。16世紀に第3代皇帝アクバルが建設しましたが、現在城内に残る建築物の大部分は第5代シャー・ジャハーン時代の造営です。外見は赤砂岩造りの二重の城壁と門が象徴的で「赤い城」の名の由来となっています。シャー・ジャハーンの時代には宮廷建築群など華麗なムガル朝の建築が花開きましたが、17世紀のデリーへの遷都、その後の反乱や略奪などでその栄華は衰えました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iii)
詳細ページを見る Arrow-right

アランフエスの文化的景観

Aranjuez Cultural Landscape
アランフエスの文化的景観
マドリードの南約30km、タホ川の南岸には15〜18世紀にカスティーリャ王やスペイン王によってつくられた王家の夏の離宮と無数の庭園が今に残されています。アランフエスの文化的景観には、入り組んだ水路が幾何学的にデザインされた景観、自然と人間の営み、都市と農村の生活、森林の野生動物と洗練された建築物など、多様な要素が織り交ぜられています。王家の繁栄を今に伝える離宮と庭園はロドリーゴ作曲の『アランフエス協奏曲』によって世界中に知られました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

イスファハーンのイマーム広場

Meidan Emam, Esfahan
イスファハーンのイマーム広場
1598年、サファヴィー朝の第5代王アッバース1世(在位:1588~1629年)は首都をイスファハーンに定め、壮大な都市建設に着手しました。旧市街に隣接して新市街を建設し、その新旧をつなぐ地に築かれたのがイマーム広場です。南北510m、東西160m、面積約9万㎡の広大な長方形の広場は、上下2層構造の回廊アーケードで囲まれており、1階部分には現在も店舗などが入っています。また、アーケードの4辺にはそれぞれ重要な建造物が配置され、東にシェイフ・ロトフォッラー・モスク、西にアリー・カプー宮殿、南にイマーム・モスク、北にはバザールの入口となるカイセリーヤ門があります。現在では芝生や池が配され公園のようになっていますが、元は一面砂地の平らなグラウンドで、各種の儀式やペルシア発祥のポロ競技、さらには公開処刑などが行われていました。1979年のイラン革命以後は「王(シャー)」という名称をやめ、イスラムの宗教指導者を意味する「イマーム」という名を冠して呼ぶようになりました。ペルシア語では「世界の写絵」を意味するナクシェ・ジャハーン広場とも呼ばれています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(v)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園

Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing
頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園
北京の中心部から北西約15kmに位置する頤和園は、敷地総面積約290万㎡を誇り、中国に現存する最大かつ最後に建造された皇室庭園です。12世紀半ばに、金王朝時代に建造された小規模な離宮を前身とし、1750年に清の乾隆帝が広大な庭園へと整備して清漪園(せいいえん)と名付けられました。中国の名だたる庭園や名景、有名建築の精華を取り入れたものとなりました。自然景観を模倣した庭園は、建物や楼閣、橋などと見事に調和し、中国だけでなく、日本や朝鮮半島の庭園にも大きな影響を及ぼしました。第二次アヘン戦争で北京に侵攻した英仏連合軍により庭園は破壊されてしまいますが、その30年後の1886年、西太后が海軍の経費を流用して復元し、頤和園と改称しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

ヴァイマール古典主義文化

Classical Weimar
ヴァイマール古典主義文化
ヴァイマール古典主義文化は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてザクセン・ヴァイマール公国の都ヴァイマールで発展した文化・思想運動で、ドイツの文学・哲学・芸術に深い影響を与えました。文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテをはじめ、詩人で劇作家のフリードリヒ・フォン・シラーなどが街の中心に居を構え、街全体が芸術サロンのようでした。古典主義は、人間性の追求、理性と美の融合、道徳と倫理の強調を主な特徴とします。ゲーテの家、シラーの家を中心とした12の建築物が世界遺産に登録されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (iii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ウィーンの歴史地区

Historic Centre of Vienna
ウィーンの歴史地区
「音楽の都」として名を馳せるウィーンは、世間では「ウィーン少年合唱団」などでも有名でしょう。ウィーンの起源は紀元前1世紀までに遡り、ローマ帝国においては「ウィンドボナ」と呼ばれていました。13世紀以降ハプスブルク王家から神聖ローマ皇帝が選出されるようになってから、ウィーンは王都となりました。ウィーンが劇的な変貌を遂げるのは17世紀後半なのですが、それまでの歴史を語る建造物も多く残されています。例えばオーストリア最古の修道院であるショッテン修道院や、14~15世紀に建造された聖シュテファン大聖堂などはその代表例と言えます。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ヴェネツィアとその潟

Venice and its Lagoon
ヴェネツィアとその潟
イタリアのアドリア海に位置するヴェネツィアは118の島と176の運河、400以上の橋からなる都市です。異民族の攻撃から避難したウェネティ人が潟(イタリア語でラグーナ)に都市を築きました。7世紀には本格的な建物が建てられ、8世紀には形式上ではビザンツ帝国に従属しつつも、実質的に独立を保ち、東方貿易の拠点として発展しました。10世紀には主要な海運国となり、1797年のナポレオン1世から侵略を受けるまで約1,100年間自治都市として独立し続けました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ヴェルサイユ宮殿と庭園

Palace and Park of Versailles
ヴェルサイユ宮殿と庭園
フランスの首都パリから20㎞ほどのところに位置するヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世からルイ16世の時代までのフランス国王の居城でした。1661年にルイ14世の命で建造が始まると、数世代にわたる建築家や彫刻家、装飾家による建設と拡張が行われます。贅の限りを尽くして建てられたこの宮殿はフランス・バロック様式建造物の最高傑作というだけではなく、「太陽王」としてのルイ14世を象徴するとともに、フランスの絶対王政の最盛期を象徴する権威的な宮殿にもなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ヴェローナの市街

City of Verona
ヴェローナの市街
古都ヴェローナは、イタリア北東部、アルプス南麓を流れるアディジェ川のほとりに位置します。街の起源は紀元前1世紀のローマ時代にさかのぼります。ローマと北ヨーロッパを結ぶ要にあったので、以後、多くの勢力者の支配下にはいりました。最も繫栄したとされるのは、13~14世紀のスカーラ家が統治した時代で、北イタリアの政治と文化の中心となりました。15世紀の初めからの約400年間は、ヴェネツィア共和国の一部に属しました。多くの支配者を持ちながら、それぞれの時代の遺構を維持しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ヴュルツブルクの司教館と庭園群

Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

エディンバラの旧市街と新市街

Old and New Towns of Edinburgh
エディンバラの旧市街と新市街
小高い岩山の上に建つエディンバラ城は旧市街の代表的建築物で、7世紀につくられた砦が起源だとされています。11世紀後半からスコットランド王の居城となり、王国間の抗争やイングランドとの戦いの舞台となりました。現在見られるノルマン様式を用いた城の建物は、18世紀以降に再建れたものです。城内の宮殿は軍事博物館として使用され、歴代のスコットランド王の戴冠式で使われたスクーンの石が展示されています。エディンバラ城の東には、現在でも王室の滞在地として使用されているホリールードハウス宮殿があります。エディンバラ城とこの宮殿を結ぶ道はロイヤルマイル(王宮通り)と呼ばれ、旧市街の中心街になっています。
詳細ページを見る Arrow-right

開城歴史遺跡地区

Historic Monuments and Sites in Kaesong
開城歴史遺跡地区
北朝鮮南部にある開城(ケソン)は、10~14世紀まで繁栄した高麗(918~1392年)の都となった場所です。高麗は、新羅を倒して王建が建てた王朝で、モンゴルの支配を受けながらも1392年に朝鮮王朝が出来るまでは朝鮮半島で圧倒的な力を有していました。その都でもあった開城の歴史遺跡地区は、満月台(マンウォルデ)宮殿跡や王建の陵墓、天文・気象観測所であった瞻星台(チョムソンデ)、二つの教育機関や三重の城壁跡など、12の構成資産から成り立っています。教育機関とは、高麗時代の最高学府であった高麗成均館(ソンギュングァン)と、儒教の私塾であった崧陽(スンヤン)書院を指します。
詳細ページを見る Arrow-right

カステル・デル・モンテ

Castel del Monte
カステル・デル・モンテ
イタリア南部のプーリア州にある城塞で、1240年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2 世によって築かれました。その設計は「8」に拘っています。この城の外観を上空から見ると、八角形の中庭を、城の本体となる八角形の壁が取り囲んでいて、さらに周壁の角には八角形の小塔が8つ配置されています。また、屋根の貯水槽にたまった雨水が各部屋に供給されるといった工夫がなされています。その一方で、この時代の城郭によく見られる堀や馬小屋などはなく、軍事的な要塞としての機能が見られません。また、出入り口となる扉付近はローマ古典様式、壁の窓はゴシック様式、そして浴槽の設備などにはイスラム文化の影響も伺えて、さまざまな建築様式が美しく融合した城となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
イタリア南西部、ナポリ近郊カゼルタに、ポーランド継承戦争が終わった18世紀の終わり、混迷の時代に、ナポリ王・カルロ7世(ブルボン家・カルロス3世)の命により、ヴェルサイユとマドリードの王宮に対抗してイタリアで最も壮大な王宮と庭園、水道橋等が建築されました。建築したのはルイージ・ヴァンヴィテッリとその息子。王宮以外にも、広大な森林地帯に24の国の庁舎、付属劇場等が作られ、19世紀にはブルボン家の貴族たちが春と秋の離宮として利用されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群

Port, Fortresses and Group of Monuments, Cartagena
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群
スペインが他のヨーロッパ諸国に先駆けて新大陸に進出したことは有名ですが、本遺産はそのスペイン黄金時代を今に伝えるものです。1533年6月1日、スペイン人のペドロ・デ・エレディアによって、カリブ海に面した半島に都市カルタヘナ(カルタヘナ・デ・インディアス)が建設されました。細長い地形をもつカルタヘナは、新大陸で産出された金銀やエメラルド、香辛料などを本国スペインへ積み出す港であり、多くの船が停泊できる複数の湾と天然の防御線となる狭い水路を兼ね備えた良港として発展しました。
地域: 南米 / 国名: コロンビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

ガレリウス帝の宮殿、ガムジグラード-ロムリアーナ

Gamzigrad-Romuliana, Palace of Galerius
ガレリウス帝の宮殿、ガムジグラード-ロムリアーナ
ローマ皇帝(在位:305~311)ガイウス・ウァレリウス・マクシミアヌス・ガレリウスによって建造された街で、彼の母ロムラの名を取ってロムリアーナとも呼ばれていました。ガレリウスはローマ帝国を4分割し、二人の正帝と二人の副帝によって統治していた時代(テトラルキア時代)の皇帝で帝国の東側を統治した皇帝の一人で、古代ローマの属州モエシアの農民出身から軍人となり皇帝となった人物です。ガムジグラードは、彼が政治の表舞台を去った後の余生を過ごした地で、彼の生誕地でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: セルビア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

クラクフの歴史地区

Historic Centre of Kraków
クラクフの歴史地区
クラクフは11世紀から17世紀のワルシャワ遷都までの約600年間首都として栄え、ポーランド王国が最も繁栄した時代を今に伝えています。13世紀の商人の街であるこの街には、ヨーロッパ最大の市場広場や歴史的家屋が残り、14世紀の城壁や塔などの防衛施設も現存しています。​これらの要素は、都市の発展と歴史的背景を示す重要な証拠とされています。​歴史地区に残るヴァヴェル城はポーランド王国の歴代王の居城であり、ヤギェウォ大学は中世ヨーロッパで最も古い大学のひとつです。​これらの施設は、クラクフが学術と文化の中心地であったことを示しています。​
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (iv)
詳細ページを見る Arrow-right

グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区

Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada
グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
アンダルシア地方グラナダに位置するアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区は、かつてのイスラム王朝時代の宮殿都市としての面影を残す遺構です。1232年、住民から招かれたイスラム勢力ナスル族のムハンマド1世によって、この地にグラナダ王国(ナスル朝)が興りました。当時は8世紀から続くレコンキスタ(国土回復運動)の最中にあり、周辺には小さなイスラム教国が残るのみでした。ナスル朝は、キリスト教勢力の大国カスティーリャ王国の封建的家臣として従うことで領土を守ってきました。しかし、14世紀半ばにヨーロッパでおきたペスト大流行や、キリスト教国同士の争いで滞っていたレコンキスタの最熱などにより、1479年に強大なスペイン王国が成立します。これに伴って、グラナダは1492年に陥落しレコンキスタは完結を迎えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群

Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
地域: アフリカ / 国名: スーダン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

古代ホタールの文化遺産群

Cultural Heritage Sites of Ancient Khuttal
古代ホタールの文化遺産群
タジキスタン南部のハトロン州に広がる『古代ホタールの文化遺産群』は、7世紀から16世紀にかけてシルクロードの要衝として栄えた歴史的地域で、古代バクトリアの一部であり、中世にはトハリスタンとも呼ばれていました。ここでは灌漑技術の発展と衰退が文化景観を左右し、移住や経済の変化、多様な民族の交流が織りなされました。塩・金・銀・馬などの交易を通じて文化・技術・宗教の往来が盛んに行われ、政治的にも経済的にも重要な役割を果たしました。その中心にあったのが10〜11世紀に築かれたカライ・フルブク宮殿で、堅固な城壁や煉瓦装飾、クーフィー体銘文を備えた宮殿です。さらに浴場やモスク、水道なども確認されており、それらは高度な都市計画を物語ります。世界遺産としては仏教寺院、宮殿、集落、製造施設、隊商宿など11件の遺跡が含まれ、古代から中世にかけてのこの地の政治・経済・文化の重要性を示す貴重な証拠となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: タジキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iii)
詳細ページを見る Arrow-right

古都ルアン・パバン

Town of Luang Prabang
古都ルアン・パバン
ラオス北部に位置するルアン・パバンは18世紀までこの地域に展開していたランサン王国の首都で、そこでは王国の統治の様子や仏教文化に触れることができます。ランサン王国では上座部仏教が国教として定められ、現在のカンボジアのもととなったクメール王朝から経典や高僧、セイロンから黄金の仏像であるパバンが取り寄せられ、この地域の仏教の中心地となりました。ルアン・パバンには宗教施設の他、王族や貴族の邸宅が建ち並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: ラオス人民民主共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
詳細ページを見る Arrow-right

ゴルディオン

Gordion
ゴルディオン
アンカラ南西約90kmに位置するゴルディオンは、紀元前10〜6世紀の古代フリギア王国の政治・文化の中心地でした。東西交易路の交差点にあり、要塞の門は鉄器時代の建築として現存する中でも最良の保存状態を誇ります。内部の宮殿では、小石で作られた古代のモザイク床が発見されており、大規模な食品加工や織物生産が行われたテラス複合施設も確認されています。伝説のミダス王の時代にも繁栄を極め、その名は周辺の巨大墳丘にも刻まれています。建物は、長さ10メートルを超える梁を支柱なしで架ける画期的な構造を持ち、当時の高度な技術の高さを物語っています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iii)
詳細ページを見る Arrow-right

ゴレスタン宮殿

Golestan Palace
ゴレスタン宮殿
テヘランの歴史地区の中心部にある『ゴレスタン宮殿』は、テヘランで現存する最古の建物のひとつです。宮殿は、18世紀末に成立し、近代化を進めたカージャール朝の時代に建てられました。ペルシア伝統の芸術品や工芸品を配しながらも、西洋の建築技術やヨーロッパの建築様式を取り入れた建物です。敷地内の北側に位置するカーフ・エ・アスリー(本館)のタラー・エ・アイネは、別名「鏡の宮殿」と言われていて、壁から天井まで鏡でびっしりと飾られており、光を反射して空間全体が輝くかのように設計されています。室の居城や行政上の拠点としてだけでなく、カージャール朝時代の建築と芸術の中心地としての側面も持ち合わせていました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

ザルツブルクの歴史地区

Historic Centre of the City of Salzburg
ザルツブルクの歴史地区
ドイツとの国境近くに位置するザルツブルクの都市名は、ドイツ語で「塩の城」を意味します。紀元前から岩塩の採掘がはじまり、その交易によって街は次第に栄えていきました。ザルツブルクでひときわ目立つ丘の上には、ホーエンザルツブルク城があります。この城は、11世紀にローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が激しい闘争(叙任権闘争)をしている中で、ローマ教皇側を支持した当時の大司教が、神聖ローマ帝国の侵攻から逃れるため造った城です。以後、歴代の大司教が敵の侵入を阻むために防塁などを増築し、城塞となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

サルディスとビン・テペのリュディア墳丘墓

Sardis and the Lydian Tumuli of Bin Tepe
サルディスとビン・テペのリュディア墳丘墓
トルコ西部のマニサ県に位置する『サルディスとビン・テペのリディア古墳群』は、紀元前8〜6世紀に栄えたリュディア王国の唯一の都市と王族の墓地です。リュディアは世界初の金銀混合貨幣を発明し、経済史を大きく変えた文明です。サルディスのアクロポリスは厚さ20m・高さ10m以上の城壁に囲まれ、宮殿を支える巨大なテラス構造を備えており、独自の都市計画が特徴です。これらは王権の象徴であり、古代アナトリアの繁栄と技術力を今に伝えています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (iii)
詳細ページを見る Arrow-right

サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群

Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群
ロシアの西にある大都市サンクト・ペテルブルクは、バロック建築や新古典主義建築などの文化や芸術を取り入れた、モスクワに次ぐロシア第二の都市です。1918年まではロシアの首都として機能していました。サンクト・ペテルブルクの名は、ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味し、ピョートル大帝の名前にも意味がかけられています。第一次世界大戦時にはロシア語風の「ペテログラード」と呼ばれ、ロシア革命後は「レニングラード」と名を変えました。ソ連崩壊前後に再びサンクト・ペテルブルクとなった歴史があります。同じロシアのオデッサ(オデーサ)やセヴァストポリもサンクト・ペテルブルクにならった街づくりが行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

サン・ジミニャーノの歴史地区

Historic Centre of San Gimignano
サン・ジミニャーノの歴史地区
サン・ジミニャーノはイタリアのトスカーナ地方を流れるエルサ川の渓谷を見下ろす小高い丘の上にあります。この地では、染め物の原料として珍重されたアヤメ科の多年草であるサフランの生産が盛んでした。さらに、フィレンツェやシエナとローマを結ぶ街道の中継地に位置し、大いに繁栄したことで12世紀末に自由都市として独立しました。しかしその後、皇帝派と教皇派の二つのグループに分かれて内部抗争が起き、さらにペストの流行により街は大打撃を受けて、14世紀にはフィレンツェの支配下に入り街は衰退しました。そのため、サン・ジミニャーノの街の景観はほとんど変わることがなく、中世の街並みがそのまま残されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

Santiago de Compostela (Old Town)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
詳細ページを見る Arrow-right

シーギリヤの古代都市

Ancient City of Sigiriya
シーギリヤの古代都市
スリランカ中部にそびえる『シーギリヤの古代都市』は、高さ約200mもある巨大な岩山の宮殿跡です。5世紀後半、シンハラ王国のカッサパ1世という王によって、岩山の頂上に都が築かれました。彼は王である父ダートゥセナを殺し、正当な継承者だった弟モッガラーナを追放して王に即位しました。その後罪の意識に苛まれ、復讐を恐れたカッサパ1世は、父を供養し、かつ弟の報復から身を守るために、父が構想していた城砦の建設に着手しました。カッサパ1世は人が簡単には登れない岩山の上に、宮殿や庭園、貯水池などを含んだ要塞都市をつくり、自らの安全を確保しました。わずか十数年この場所で暮らしましたが、最後は弟に敗れて命を絶ちます。短い歴史を持つ都ながら、その劇的な背景と大胆な建造物は、現代の私たちにも強い印象を残しています。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right

シェーンブルン宮殿と庭園

Palace and Gardens of Schönbrunn
シェーンブルン宮殿と庭園
元は王室の狩猟場であったこの地に、神聖ローマ帝国のレオポルト1世が夏の離宮の造営を決意したのが17世紀末でした。彼の子であるカール6世は、この宮殿をあまり好いていなかったため、宮殿は長らく放置されたようですが、カール6世の子であるマリア・テレジアが即位すると、この宮殿を大改築していきます。マリア・テレジアは当時、ピンクであった建物の壁を全て黄色に変えて、外観を重厚なバロック様式に統一する一方で、内観は繊細で優雅なロココ様式に統一しました。この黄色は「マリア・テレジア・イエロー」と言われており、今もウィーンの人々から愛されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(iv)
詳細ページを見る Arrow-right