World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(vi))

北京原人化石出土の周口店遺跡

Peking Man Site at Zhoukoudian
北京原人化石出土の周口店遺跡
北京の南西に位置する周口店遺跡は、東アジア最大の旧石器時代の遺跡です。1921年にこの地で未知の化石人類の臼歯が発見され、シナントロプス・ ペキネンシスと名付けられました。これは北京原人のことで、現在の学名はホモ・エレクトゥス・ペキネンシスと呼ばれています。化石人類とは現生人類(新人)に進化する前の猿人、原人、旧人を指し、打製石器を使用する旧石器時代に生存していました。1929年には頭蓋骨が発見されました。北京原人は約 70万年から約20万年前の原始人類で、直立歩行をして、道具と火を使用し、河岸や洞窟で集団生活をしていたと考えられています。周口店遺跡からは40体あまりの人骨、約10万点の石器、骨製道具などが発見されました。また、北京原人よりも現代人に近い、1万9,000年ほど前の山頂洞人の遺跡も見つかっています。山頂洞人とは、北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこう呼ばれています。ヨーロッパのクロマニョン人などの化石の現生人類と考えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (iii)(vi)
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北京と瀋陽の故宮

Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang
北京と瀋陽の故宮
故宮とは「昔の宮殿」という意味です。北京の中心部にある故宮と、中国東北部の瀋陽にある故宮はともに明・清王朝の皇帝が居城とした宮殿の遺構で、かつては紫禁城と呼ばれていました。禁城は一般人が立ち入ることを禁じるということを意味します。北京と瀋陽にある故宮は、15世紀から20世紀にかけて、封建時代後期の中国における国家権力の中心でした。今も残る建築群の配置や設計、装飾など宮殿のさまざまな構成要素の中に、明清時代の王族の生活様式や価値観が反映され、当時の宮廷文化を物語っています。中国の官営建築として最高の技術的・芸術的成果といえる木造建築が保たれていることも高く評価されています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ヘブロン:アル・ハリールの旧市街

Hebron/Al-Khalil Old Town
ヘブロン:アル・ハリールの旧市街
パレスチナ西岸地区の南部に位置するヘブロンは、マムルーク朝時代に築かれた市街地です。しかし、それより以前にも隊商交易の要衝でもあり、紀元前1世紀には最初の預言者とされるアブラハムとその家族の墓も築かれました。『旧約聖書』によると、アブラハムは「マクペラの洞穴」に葬られたとされ、その洞穴がヘブロンにあると信じられたため、ここに墓が築かれました。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒にとって、「啓典の民」の始祖とされるため、ヘブロンは三つの宗教の巡礼地となっています。都市の構造としては、マムルーク朝からオスマン帝国と、やはりイスラム王朝の支配が続いたので、イスラム都市の要素が多いです。マムルーク朝時代のスークやモスク、ハマムなども現存しています。
地域: 西・南アジア / 国名: パレスチナ国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観

Pergamon and its Multi-Layered Cultural Landscape
ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観
トルコ西部、エーゲ海地域の丘の上に位置するペルガモンのアクロポリス遺跡は、紀元前3~前2世紀に栄えたアッタロス朝(ペルガモン王国)の首都の都市遺跡です。この都市を築いたのはアッタロス朝の創始者であるフィレタイロス。彼は、アレクサンドロス大王の死後、後継者の一人であるリュシマコスに仕えていましたが、リュシマコスが殺されてからはこの地の統治者となりました。ここには記念碑的な聖堂群や劇場、教育機関、図書館などの遺構が、大規模な市壁に囲まれた傾斜地に残ります。紀元前133年になると、ローマに組み込まれますが、それ以降も文化都市として栄えました、やがてビザンツ帝国やオスマン帝国の時代では教会やモスクも建造されたため、この地には様々な時代の遺構が残っています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ペルシア庭園

The Persian Garden
ペルシア庭園
ペルシア庭園はイラン各地に点在する9つの庭園で構成されています。紀元前6世紀のキュロス2世の時代に起源をもつ造園様式は、乾燥地帯という厳しいイランの気候条件に合わせて発展してきました。地上の楽園の概念を具体的に表現していると言われています。ペルシア庭園は4つのセクションに分けられており、これはゾロアスター教が重視する空、土、水、植物の4つの要素を表しています。ペルシア庭園の造園様式や技術はインドやスペインまで広範囲の庭園設計に影響を与えました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ペルセポリス

Persepolis
ペルセポリス
ペルセポリスは、イラン南部シーラーズの北東約60kmにある世界屈指の考古遺跡です。建築、都市計画、建設技術、更に芸術の分野において、アケメネス朝ペルシアの傑作として知られるペルセポリスは、他に類を見ない、大帝国の繁栄の証を遺す考古遺跡のひとつです。紀元前6世紀、ペルシアのキュロス2世(大王)はメディア王国を滅ぼすとアケメネス朝を勃興し、近隣国を次々に征服します。続くカンビュセス2世の時代では古代オリエントを初めて統一し大帝国を築き上げました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟

Mausoleum of Khoja Ahmed Yasawi
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟
カザフスタン南部、ヤシという町にあるホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟は1389年から1405年にかけてつくられた、現在も重要な巡礼地です。ホージャ・アフマド・ヤサヴィーとは、12世紀に中央アジアの遊牧民にイスラム教を広めたイスラーム神秘主義の指導者のことであり、中央アジアと西アジアを征服し、帝国を築いたティムールが命令を出して、もともとあった小さい廟の後に建築されました。ティムールが廟を造らせた理由として有力なのが、遊牧民に崇拝されているヤサヴィーの廟を造ることで、東方の遊牧民の支持を得るためであったということです。建設にはティムール自身も携わり、腕の立つ職人が数多く集められましたが、1405年にティムールが亡くなったことにより建設は中断され、未完成となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: カザフスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ホープウェルの儀礼的土塁群

Hopewell Ceremonial Earthworks
ホープウェルの儀礼的土塁群
『ホープウェルの儀礼的土塁群』は、アメリカ合衆国北東部のオハイオ川中流域沿いにおいて、約2,000〜1,600年前に築かれた8つの巨大な土塁群です。これらは、現在「ホープウェル文化」と呼ばれる先住民の伝統を最もよく示す遺構として位置付けられています。多くの土塁群には、広大な空間を囲む土塁と、意図的に配置された記念碑的な門が備えられています。土塁は地形に応じて幾何学的に正確な円形、四角形、八角形などの形状で構築されており、地域全体で共通して用いられた標準寸法や幾何学的原理に基づいて建設されたと考えられています。内部には複数の墳丘(塚)が存在し、土塁群は主に土塁、門、墳丘によって構成されています。これらの構成要素は、太陽および月の動きを考慮して配置されたとされています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (i)(iii)
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ホイサラ様式の信仰関連遺産群

Sacred Ensembles of the Hoysalas
ホイサラ様式の信仰関連遺産群
11世紀から14世紀まで南インドに栄えたホイサラ朝のヒンドゥー教関連建築物群のなかで、12世紀から13世紀にかけて建造された寺院群が世界遺産に登録されています。これらはホイサラ様式の最も代表的なものです。ホイサラ様式とは、近隣王国とは異なる独自性を確立するため、過去の様式を慎重に選択して同時代の寺院建築に取り入れ、独自の様式としたものです。その特徴は、星形の聖域、周回回廊、宗教的・叙事詩的テーマに沿った極めて写実的な彫刻などです。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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法隆寺地域の仏教建造物群

Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
法隆寺地域の仏教建造物群
『法隆寺地域の仏教建造物群』は、法隆寺に属する47棟と法起寺の三重塔1棟の合計48棟で構成されています。法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔など、7世紀後半から8世紀にかけて建立された11棟の建造物は、現存する世界最古級の木造建造物です。中国の優れた政治や文化、仏教を積極的に取り入れていた厩戸王(聖徳太子)は、601年に斑鳩宮を築き、推古天皇と共に移り住みました。そして、その西に607年頃、若草伽藍(斑鳩寺)を建立しました。これが法隆寺の起源とされています。同じ頃に中宮寺や岡本宮(法起寺)も建立され、斑鳩伽藍群が完成したと考えられています。622年に厩戸王が没すると、643年には蘇我入鹿の兵によって斑鳩宮が焼き払われ、斑鳩寺も670年に焼失しました。若草伽藍の遺構は、法隆寺境内の地下に「若草伽藍跡」として残されています。現在の法隆寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、現在の法隆寺西院の位置に再建されたものです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ポツダムとベルリンの宮殿と庭園

Palaces and Parks of Potsdam and Berlin
ポツダムとベルリンの宮殿と庭園
ベルリン市の南西端とポツダム市にまたがるハーフェル川湖畔とグリーニッケ湖湖畔の2,064haもの広大な区域内に残る宮殿や庭園で、これらは1730年から1916年にかけて建造されました。クノーベルスドルフ、ゴンタルト、ランハンス、シンケル、レネといったドイツにおける著名な建築家、造園家によってその構想は手掛けられ、この一帯を国際的にも評価の高い総合芸術作品として作り上げられました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ポトシの市街

City of Potosí
ポトシの市街
ボリビア南部、植民地時代の記憶を今に伝えるポトシは、アンデス山の標高約4,000mに位置します。1542~1545年にかけて、ここで世界最大級の銀鉱脈が発見され、ヨーロッパの経済を一変させることになりました。後に「セロ・リコ」(富の山)と名付けられたこの銀山を効率的に運営するために、スペイン人によって建設された街がこのポトシです。銀を精錬する際には、水銀を用いたアマルガム法という当時の最新技術が用いられ、17世紀半ばまでの約100年間で、世界の銀産出量の約半分を占めました。ヨーロッパへの莫大な銀の流入は価格革命をもたらし、後の資本主義体制への移行の基盤となったとも言われています。
地域: 南米 / 国名: ボリビア多民族国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ポブレの修道院

Poblet Monastery
ポブレの修道院
スペイン東部のカタルーニャ、モンサン山脈の麓にある『ポブレの修道院』は、スペイン最大規模のシトー会修道院として有名です。シトー会とは、11世紀末にフランスで創立されたカトリックの修道会であり、清貧を旨としている修道会です。12世紀半ばにこの地域のレコンキスタ(国土回復運動)が完結すると、バルセロナ伯であったラモン・ベレンゲール4世はシトー会に土地を与え、聖母マリアに捧げる修道院を建設しました。修道院はシトー会らしく、簡素にして荘厳な建物であり、様式的にはロマネスク様式とゴシック様式が混在しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(iv)
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ボルガルの歴史的考古学的遺産群

Bolgar Historical and Archaeological Complex
ボルガルの歴史的考古学的遺産群
ヨーロッパ最長の河川であるヴォルガ川とカマ川が合流する南に、ボルガルの考古遺跡があります。それらからは、7世紀から15世紀に繁栄したヴォルガ・ボルガル文明の記憶をたどることができます。13世紀になるとモンゴル帝国の支配を受け、ジョチ・ウルスの最初の首都になり、カザン・ハン国の時代では交易中心地になりました。構成資産には、モスクやミナレット、霊廟などの宗教建造物や、浴場跡、塁壁などもあります。数世紀におよぶユーラシアの文化交流と変遷の歴史を刻むボルガルの遺産群からは、文化の多様性を汲み取ることができます。この地域では922年にイスラム教が受け入れられており、現在もタタール人のムスリムにとっては巡礼地になっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(vi)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ポロンナルワの古代都市

Ancient City of Polonnaruwa
ポロンナルワの古代都市
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)

Pont du Gard (Roman Aqueduct)
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
フランス南部オクシタニー地域に位置する「ポン・デュ・ガール」は、紀元前19年頃に古代ローマの政治家アグリッパが建設を命じた水道橋です。古代ローマの植民都市ネマウスス(現在のニーム)に水を供給するために1世紀中頃に建設された全長約50kmの水道の一部で、ユゼス近郊のウールの泉から水を運ぶ役割を果たしていました。水道橋は三層構造となっており、最上部までの高さは49m、水路部分の長さは下層から142.35m、242.55m、275mと上層になるほど長くなっています。岩盤の上に築かれた水道橋は、地形と調和しながら力強いラインを描いており、ローマ建築技術の偉業であると同時に、風景を一変させる芸術作品でもあります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ポントカサステ水路橋と運河

Pontcysyllte Aqueduct and Canal
ポントカサステ水路橋と運河
ウェールズ北東部には、英国で最長かつ最も高い水路橋があります。それが19世紀初頭に開通したポントカサステ水路橋と運河で、それは産業革命の時代における土木技術の結晶とされています。橋を設計したのは、土木技術者のトマス・テルフォードです。彼は、水が流れる橋の上の水路部分に鍛鉄を使い、軽くて頑丈なアーチ構造で完成させました。また、地形的な条件に合わせて、運河には閘門を省くといった大胆な解決策も取り入れました。200年以上も昔に、土木技術と金属構造を融合させたことは画期的であり、後の世界の土木建築に多大な影響を与えたとされています。
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マカオの歴史地区

Historic Centre of Macao
マカオの歴史地区
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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マサダ国立公園

Masada
マサダ国立公園
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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マダラの騎馬像

Madara Rider
マダラの騎馬像
ブルガリア北東部のマダラ高原には、8世紀から9世紀の前半頃に彫られたとされる、 巨大な騎士のレリーフがあります。レリーフは、高低差が100mある断崖にあり、高さ23mの位置に、縦2.5m、横3mにわたって彫られた巨大なもので、犬を従えた馬上の騎士が、馬にライオンを踏みつけさせている姿が描かれています。制作方法等は未解明です。周囲に残るギリシャ語の碑文から、ブルガリアの英雄であるテルヴェル・ハーンを描いたものと推測されていますが、聖ゲオルギオスという説もあり、定かではありません。この独特なレリーフは、ブルガリアで最初に登録された世界遺産のひとつで、また、ブルガリアのコインにも描かれています。テルヴェル・ハーンは中世ブルガリアの英雄で、ビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス2世を助け、皇帝からカエサルの称号を授かったと伝えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ブルガリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)
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マチュ・ピチュ

Historic Sanctuary of Machu Picchu
マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、標高約2,430mの位置に築かれたインカ帝国の都市遺跡で、その都市の誕生は15世紀半ばとされています。16世紀にインカ帝国がスペイン人に征服されたときに放棄されましたが、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュを発見し世界に知られるようになりました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(ix)
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マトボの丘群

Matobo Hills
マトボの丘群
ジンバブエ南西部に位置するマトボの丘群は、ジンバブエの大部分を覆う花崗岩の楯状地で、丘の海のような独特の地形が広がっています。ここには天然の岩窟(ロック・シェルター)がいくつもあり、岩窟内には素晴らしい岩絵のコレクションが残されています。これらの岩絵が描かれたのは少なくとも1万3,000年前に遡り、アフリカ南部において最も集中的に残された岩絵群のひとつとなっています。岩絵からは芸術様式の変遷や信仰を読み取ることができ、石器時代の狩猟採集社会が農耕社会へと移り変わる過程を伝えています。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マハーバリプラムの建築と彫刻群

Group of Monuments at Mahabalipuram
マハーバリプラムの建築と彫刻群
インド南東部ベンガル湾に臨むマハーバリプラムには7世紀から8世紀のタミル系パッラヴァ朝のヒンドゥー教関連建築が残されています。ラタ(「山車」または「戦車」の意)と呼ばれる1つの巨大な花崗岩の塊を彫ってつくられた5つの寺院と動物の石像が祭りの行列のように並んでいます。そして寺院には古代の叙事詩「マハーバーラタ」に登場する神々や王族の肖像をはじめ、芸術的な彫刻が全面に施されています。その壮麗さはこの時代の優れた工芸技術を示しています。またマンダバと呼ばれる岩窟寺院や優れた岩面レリーフも残されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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マラケシュの旧市街

Medina of Marrakesh
マラケシュの旧市街
モロッコ史における重要な歴史的都市 マラケシュはモロッコでフェズに次ぐ2番目に歴史を持つ都市です。ムラービト朝時代の1070~1072年にかけて建設され、以後長きにわたりモロッコの政治、経済、文化の中心地でした。赤土色の
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)
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マロティ-ドラーケンスベルグ公園

Maloti-Drakensberg Park
マロティ-ドラーケンスベルグ公園
「マロティ‐ドラーケンスベルグ公園」は、南アフリカ共和国の「ウクハランバ/ドラーケンスベルグ公園」とレソト王国の「セサバテーベ国立公園」で構成される国境を越えた世界遺産です。自然・文化の両方の価値が評価された複合遺産で、レソトにとっては初めての世界遺産になります。3,000m級の峰が連なった壮大な自然景観に加えて、豊かな生物多様性にも恵まれています。ここは、レイヨウ類、ヒヒ、そして絶滅危惧種のケープハゲワシやヒゲハゲワシなどの生息地となっています。また、高地湿地も含んでいるため、一部がラムサール条約にも登録されています。
地域: アフリカ / 国名: レソト王国, 南アフリカ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(x)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林

Sacred Mijikenda Kaya Forests
ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林
ケニア南東部のインド洋沿岸の200㎞にわたる森林地帯に、16世紀以降他民族に追われここに住みついたミジケンダ族がつくった「カヤ」と呼ばれる要塞化した村落が残されており、そのうちの10カ所が世界遺産に登録されています。森林の中に円形に防御用の石壁を巡らし木製のドアを設けたもので、神聖な墓所や森を守るために築かれました。周囲の森は埋葬や共同の祭祀が行われた聖域であり、20世紀に入って村が放棄された後も、先祖の住まう聖なる森として神聖化され、いまでも長老たちの寄合いが行われています。
地域: アフリカ / 国名: ケニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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ミディ運河

Canal du Midi
ミディ運河
フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー湖までを結ぶミディ運河は、ブルボン朝絶頂期の太陽王、ルイ14世の治世時である1694年に完成した、世界最古級の運河です。総延長は360kmで、東京から三重あたりまでの距離に相当します。当時フランスはスペインに対抗するために、地中海と大西洋を結ぶ国際通路を必要としていました。実はローマ帝国の時代から、地中海と大西洋を結ぶ運河の建設計画があったのですが、技術的にも予算的にも非常に困難なものでした。そこで立ち上がったのが当時、塩税徴収人として財をなしたピエール・ポール・リケでした。彼は1667年に運河の着工をし、約30年かけて完成させました。運河はトゥールーズで大西洋に注ぐカロンヌ川と繋がり、この事業は新しい時代を象徴するものとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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