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バビロン
Babylon
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
バムとその文化的景観
Bam and its Cultural Landscape
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
パラマリボの歴史街区
Historic Inner City of Paramaribo
パラマリボは、南米大陸の北東海岸に位置するスリナムの首都です。スリナムを含むベネズエラ南部からブラジル北部にかけての地域は「ギアナ地方」と呼ばれており、15世紀末のスペイン人探検家による「発見」後は、エル・ドラド(黄金の都)が存在する場所と考えられて多くの冒険者が訪れました。17世紀には、英国植民地のバルバドスからやってきた労働者がタバコとサトウキビのプランテーションを築きましたが、1665〜1667年の英蘭戦争の結果、スリナムはオランダの植民地となりました。18世紀末にはオランダの工学技術を駆使したパラマリボの都市計画が湿地帯まで拡張されたことで、経済の発展が加速しました。都市は独特な街路計画とオランダの建築様式が融合した建物が特徴的で、スリナム川沿いに歴史的建造物が点在しています。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
バレッタの市街
City of Valletta
ハンザ都市ヴィスビー
Hanseatic Town of Visby
バルト海に浮かぶゴットランド島の中心にある都市ヴィスビーは古くはバイキングの拠点でした。12世紀になるとドイツ商人が住みついたことで交易地として発展し、ハンザ同盟の主要な拠点となります。旧市街を取り囲む全長3.5km、高さ最高10mの城壁は13世紀にドイツ商人が自衛のために築いたものです。多くの建物は16世紀にライバル関係であったリューベックによって破壊されますが、この城壁は残っています。中世のヴィスビーにはスウェーデンの他のどの町よりも多くの教会があり、ロマネスク様式とゴシック様式の特徴を持つ17の聖堂がありました。しかし、16世紀の宗教改革によってそのほとんどが破壊され、現存するのは1225年に建造された聖母マリア大聖堂のみとなっています。
バンスカー・シチアウニツァの鉱山都市と近隣の技術遺産
Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
万里の長城
The Great Wall
ピサのドゥオーモ広場
Piazza del Duomo, Pisa
姫路城
Himeji-jo
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
広島平和記念碑(原爆ドーム)
Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
ファテープル・シークリー
Fatehpur Sikri
ファテープル・シークリーは、インドの古都アーグラ近郊にあるムガル帝国の都の遺跡です。1571年、3代皇帝アクバルは、イスラム神秘主義者スーフィーの聖者シャイフ・サリーム・チシュティーが、息子(後の4代皇帝ジャハーンギール)の誕生を予言した場所に新たな都市の建設を開始しました。当時アクバルが西部グジャラート地方での戦いに勝利したことにちなみ、「勝利の都市」を意味するファテープル・シークリーと名付けられ、1573年に完成しました。しかし水不足や酷暑、またアフガン民族との戦いから、わずか14年後の1585年にラホールへと遷都されました。1619年には、疫病が流行したアーグラから避難したジャハーンギールが約3ヵ月間滞在しましたが、その後は完全に放棄されました。
フィリピンのコルディリェーラの棚田群
Rice Terraces of the Philippine Cordilleras
フィリピンのバロック様式の教会群
Baroque Churches of the Philippines
フィレンツェの歴史地区
Historic Centre of Florence
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
フエの歴史的建造物群
Complex of Hué Monuments
プエルト・リコの要塞とサン・フアン国立歴史地区
La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico
フォース鉄道橋
The Forth Bridge
富士山─信仰の対象と芸術の源泉
Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
福建土楼群
Fujian Tulou
『福建土楼群』は、中国福建省の約120kmの範囲に点在する、12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的集合住宅です。中庭を囲んだ円形や方形で、外側に設けられた180㎝以上の厚さを持つ土壁は、盗賊の侵入を防ぐ砦としての機能も持ち合わせていました。出入口は基本的に1ヵ所で、下の階には窓がなく、上の階に窓と狭間が設けられています。また消火用の水槽も上の階に設置されていました。1つの土楼には最大800人もの人々が集まって生活し、村のような機能を果たしています。質素な造りの外観に対して、内部は複数の家族が生活しやすいように工夫され、独特な装飾が施されるなど居心地にも配慮されていました。中央には庭があり、その周囲が住宅スペースで、各部屋は同じ大きさで同じ造りで平等に設計された構造になっています。
ブッダガヤの大菩提寺
Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
仏陀の生誕地ルンビニー
Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前623年(生年については諸説あり)、カピラヴァストゥの王妃であったマーヤー(マーヤーデヴィ)が首都ティラウラコットから実家のあるデーヴァダーハへの里帰りの途中にあった、ルンビニーの庭園で夫人の右脇から生まれたとされています。この地は、ブッダの生誕地として仏教の重要な巡礼地の一つとされ、初期には中国から法顕(4世紀)や玄奘(7世紀)らもその巡礼の記録を残しています。しかし、15世紀以降は巡礼地として仏教徒が訪れることはなくなり、寺院は荒廃し廃墟となっていました。時代が下って、1896年にドイツ人考古学者のフューラーが地元の知事であったカドガ・シャムシェルとともにこの地を訪問し、埋もれていた石柱に古代のブラーフミー文字の碑文を発見しました。碑文の発見によって、この地がブッダの生誕地のルンビニーであることが確認されました。
ブハラの歴史地区
Historic Centre of Bukhara
ブラジリア
Brasilia
プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観
Paseo del Prado and Buen Retiro, a landscape of Arts and Sciences
マドリードの都市中心部に位置するプラド通りとブエン・レティーロは、スペイン帝国最盛期にユートピア社会を目指した「知識の民主化」という啓蒙思想に結びついた文化的景観です。全長約1kmのプラド通りは、16世紀にヨーロッパの都市で最初に築かれた並木道として知られています。その他にも、アポロの噴水、ネプチューンの噴水、シベレスの噴水などの街のシンボルとなる大型噴水や樹木の設置、道路整備、市街地開拓と市民の憩いの場所として都市環境が整備されてきました。さらに通り沿いにはプラド美術館、王立植物園、王立天文台が設置されるなど、文化・科学・自然がひとつの街に共存しています。このようなプラド通りとブエン・レティーロのまちづくりはスペイン国内やラテンアメリカの多くの都市のモデルとなりました。