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アニの考古遺跡
Archaeological Site of Ani
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
アフロディシアス
Aphrodisias
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
アルスランテペの遺丘
Arslantepe Mound
トルコ中央部、肥沃なマラティヤ平原に位置するアルスランテペは、紀元前6000年紀には人が住んでいたことがわかる高さ30mの考古学的遺丘です。「ライオンの丘」を意味し、これはヒッタイト時代の遺跡からライオン像が発見されたことに由来因ています。ウルやウルクなどのさまざまな都市国家がメソポタミア地方で出現しますが、それらの都市国家の影響を、アルスランテペは少なからず受けていたことも知ることができます。また、世界最古の文字は、メソポタミア地方でシュメール人が使用していたとされる楔形文字と言われていますが、それよりはるか前にこの地域で、官僚制度が登場したことも判明しています。文字のなかった時代(先史時代)で官僚制度が存在したというのは俄かに信じがたいかもしれませんが、食料の分配や物資の移動を管理するために用いられた何千もの印影が発見されたことから、官僚制度が存在していたことが明らかとなりました。
イスタンブルの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
エディルネのセリミエ・モスクとその関連施設
Selimiye Mosque and its Social Complex
エフェソス
Ephesus
ギョベクリ・テペ
Göbekli Tepe
ギョベクリ・テペは、文明発祥の地とされるメソポタミア地域に位置し、アナトリア南東部シャンルウルファ県オレンジク村の近くにある遺跡です。ここでは、新石器時代の神殿と考えられている巨石建造物が発見されています。1994年、ドイツ考古学研究所によるの発掘調査の結果、人類がまだ狩猟採集の生活を営んでいた約1万1,500年前に、世界で最も古い信仰の痕跡が見られることが分かりました。それまでの研究では、農耕が始まることで人類が定住生活を送るようになり、貧富の差がうまれ、やがて宗教的権力者が現われ、神殿が建てられるという文明発達の過程が定説とされてきました。狩猟採集の時代、人々は食料を求めて移動生活を送っていたため、大規模な建造物は存在しないとされていたのです。しかし、ギョベクリ・テペの発見はこの定説を覆し、農耕が始まる以前から神殿を建設するほど発達した文明の存在を示しているのです。
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群
Göreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia
クサントスとレトーン
Xanthos-Letoon
ゴルディオン
Gordion
サフランボルの旧市街
City of Safranbolu
サルディスとビン・テペのリュディア墳丘墓
Sardis and the Lydian Tumuli of Bin Tepe
チャタルヒュユクの新石器時代の遺跡
Neolithic Site of Çatalhöyük
トルコのアナトリア高原南部に位置する『チャタルヒュユクの新石器時代の遺跡』は、紀元前7400年から前5200年頃の遺跡とされ、人類最初期の定住生活や農耕生活を伝える貴重な遺跡として評価されています。チャタルヒュユクはトルコ語で「分岐した丘」という意味で、ここには二つの丘(テル)があり、それぞれ年代が異なります。東側のテルは紀元前7400年から前6200年にかけて、西側のテルは前6200年から前5200年にかけて使用されたと言われています。トルコでは他にも人類史最古級の遺跡が発掘されており、それらは世界遺産にも登録されていますが、住民たちの当時の生活を垣間見ることが出来る点としては、本遺跡は特筆に値します。
中世アナトリアの木造多柱式モスク群
Wooden Hypostyle Mosques of Medieval Anatolia
『中世アナトリアの木造多柱式モスク群』は、13世紀後半から14世紀半ばにかけてトルコに建てられた、木製の列柱をもつモスク群です。建物の外観は石造りですが、内部には木製の列柱と天井、扉やミンバル(説教壇)をもつという点が特徴です。世界遺産には、首都アンカラにある「アヒ・シュレフェッディンモスク(アルスランハーネ・モスク)」、アフィヨンカラヒサールの「アフィヨンの大モスク」、エスキシェヒルの「シヴリヒサールの大モスク」、コンヤの「エシレフォール・モスク」、カスタモヌの「マフムート・ベイ・モスク」の5つのモスクが登録されており、それぞれ異なる県に存在しています。モスクを始め、イスラム建築は石やレンガ造りが主流で、木造多柱式のモスクは非常に珍しいため、イスラム建築の歴史における重要な段階を示す優れた例となっています。
ディヴリーイの大モスクと病院
Great Mosque and Hospital of Divriği
トルコ中央部のディヴリーイに、大モスクと病院が残っています。この大モスクは1229年頃に首長のアフメット・シャーにより建造されたものであり、アフメット・シャーの妻トゥラン・メレクの命令によって、ダルシュ・シファと呼ばれる病院も併設されました。これらは1077年に興ったルーム・セルジューク朝の代表作として知られています。なお、ルーム・セルジューク朝とは、スンナ派王朝セルジューク朝の一派がニケーアを首都として成立させた王朝です。これらの複合施設は、ルーム・セルジューク朝のイスラーム建築の最高傑作として高く評価されています。15世紀から度々修復作業が施されてきたため、これまで大きな損壊を免れてきたようです。
ディヤルバクル要塞とヘヴセル庭園群の文化的景観
Diyarbakır Fortress and Hevsel Gardens Cultural Landscape
『ディヤルバクル要塞とヘヴセル庭園群の文化的景観』は、トルコ南東部、ティグリス川上流域にある城塞都市と庭園、そして川や周辺の自然を含めた文化的景観です。ディヤルバクルの町は、全長約5,800mという非常に大きな城壁に囲まれており、数多くの塔や門が築かれています。この都市は、ヘレニズム時代、ローマ時代、ササン朝ペルシア時代、ビザンツ時代、イスラム時代、オスマン時代と、さまざまな時代を通して地域の中心地として重要な役割を果たしてきました。城壁が壊されても修理が行われるなど、何度も造り直されてきた痕跡からも、長い歴史の積み重ねを知ることができます。さらに、城壁だけでなく、その内側には「イチカレ(内部)」と呼ばれる中枢部分があります。イチカレは町の中心として政治や防衛の役割を果たし、都市全体を支えてきました。また、市街地とティグリス川の間に広がるヘヴセル庭園は、川の恵みを受ける農耕地として整えられ、人々の暮らしに必要な食料や水を得る場となってきました。城塞、庭園、川、橋が一体となったこの景観は、自然と人間の暮らしが深く結びついてきたことを今に伝える貴重な証拠です。
トロイアの考古遺跡
Archaeological Site of Troy
ネムルト・ダーの巨大墳墓
Nemrut Dağ
ヒエラポリスとパムッカレ
Hierapolis-Pamukkale
ヒッタイトの首都ハットゥシャ
Hattusha: the Hittite Capital
ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地
Bursa and Cumalıkızık: the Birth of the Ottoman Empire
オスマン帝国は1299年に誕生し、1922年に滅亡する非常に寿命の長い帝国ですが、その初期の都となったのがこのブルサです。オスマン帝国はブルサ、エディルネ、イスタンブルと都を変えてきました。世界遺産には、トルコ北西部の南マルマラ地方に位置するブルサの8つの遺跡群、その近郊の村であるジュマルクズクからなる遺跡群が登録されています。ブルサはシルク・ロードの西の基点として繁栄し、オスマン帝国はビザンツ帝国からブルサを奪い、1326~1365年まで首都としました。現在でも300万人以上の人口を有し、トルコ第4の都市として栄えています。ブルサには、オスマン帝国による都市部と農村部からなる都市設計が見られ、それが現在でも残っているため非常に高く評価されています。
ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観
Pergamon and its Multi-Layered Cultural Landscape
トルコ西部、エーゲ海地域の丘の上に位置するペルガモンのアクロポリス遺跡は、紀元前3~前2世紀に栄えたアッタロス朝(ペルガモン王国)の首都の都市遺跡です。この都市を築いたのはアッタロス朝の創始者であるフィレタイロス。彼は、アレクサンドロス大王の死後、後継者の一人であるリュシマコスに仕えていましたが、リュシマコスが殺されてからはこの地の統治者となりました。ここには記念碑的な聖堂群や劇場、教育機関、図書館などの遺構が、大規模な市壁に囲まれた傾斜地に残ります。紀元前133年になると、ローマに組み込まれますが、それ以降も文化都市として栄えました、やがてビザンツ帝国やオスマン帝国の時代では教会やモスクも建造されたため、この地には様々な時代の遺構が残っています。