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アーシヴィスイトからニピサット:氷と海の間に広がるイヌイットの狩猟場
Aasivissuit – Nipisat. Inuit Hunting Ground between Ice and Sea
グリーンランド西部の中央部、北極圏内に位置するこの地域には、4,200年にわたる人類の歴史の痕跡が残されています。ここは文化的景観であり、陸と海の動物を狩猟してきた人々の営み、季節ごとの移動、そして気候、航海、医療に関わる豊かで保存状態の良い有形・無形の文化遺産を今に伝えています。この地域の特徴には、大型の冬季住居やカリブー(トナカイ)狩猟の痕跡、さらに古代イヌイット(パレオ・イヌイット)およびイヌイット文化の考古遺跡が含まれます。文化的景観は、西のニピサットから東の氷床近くにあるアーシヴィスイトまで、7つの主要な地点で構成されています。この地は、過酷な自然環境の中で生き抜いてきた人々の文化のたくましさと、季節的移動という伝統の証となっています。
アーヘンの大聖堂
Aachen Cathedral
アールフェルトのファーグス靴型工場
Fagus Factory in Alfeld
アイアンブリッジ峡谷
Ironbridge Gorge
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群
Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念碑群は、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州に位置し、マルティン・ルターとその盟友であるフィリップ・メランヒトンの生涯に深く関わる場所です。これらには、ヴィッテンベルクのルターの部屋、ルターの同士メランヒトンの家、聖マリア聖堂、ヴィッテンベルク城の付属聖堂、アイスレーベンのルターの生家と没した家が含まれます。特にヴィッテンベルク城の付属聖堂は、1517年10月31日にルターが有名な「95か条の論題」を掲げた場所であり、これは宗教改革の幕開けとなり、西洋の宗教史・政治史に新たな時代をもたらしました。宗教改革とルターの生涯における決定的な出来事の舞台として、ドイツ国内だけでなく、西洋世界の政治、文化、精神的な歴史において極めて重要な意義を持っています。
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アウクスブルクの水管理システム
Water Management System of Augsburg
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウは、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心とする民族の絶滅を目的に設立した最大の強制収容所であり、ホロコーストの象徴的な現場です。1940年にポーランドのオシフィエンチムに設立され、1942年から1944年にかけて、ユダヤ人を中心に約150万人が組織的に殺害されました。この場所が選ばれた理由は、鉄道での輸送・運搬が容易で、周囲からの隔離が比較的簡単にできること、そしてナチス・ドイツが考える劣等民族をドイツ本国内に入れないようにするためでした。この地にて殺害された人の大半はユダヤ人だったとされ、他にも政治犯や犯罪者、精神や身体に障害のある人、ロマなどの少数民族なども命を落としました。この収容所は、20世紀における人類の残酷さの象徴です。
アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群
Caves of Aggtelek Karst and Slovak Karst
アグリジェントの考古地区
Archaeological Area of Agrigento
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アタプエルカの考古遺跡群
Archaeological Site of Atapuerca
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アビラの旧市街と城壁外の教会群
Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches
アフパットとサナインの修道院
Monasteries of Haghpat and Sanahin
アペニン山脈北部の蒸発岩カルストと洞窟群
Evaporitic Karst and Caves of Northern Apennines
イタリア半島を縦貫するアペニン山脈の北部に位置する蒸発岩カルストと洞窟群からなるシリアル・サイトです。蒸発岩は、海水や湖水などでの鉱物を含んだ水が干上がることにより、水中に溶けた物質が固まってつくられた堆積岩のことです。その多くはカルスト地形を形成し、洞窟が見られます。この地域では洞窟の密度が非常に高く、比較的狭い地域に900以上の洞窟があり、その総延長距離は100㎞を超えています。また、最も深いものでは地下265mに達しています。この一帯では、保存状態の良いカルスト地形が広範囲に存在し、希少な岩石や鉱物が豊富で、16世紀以来、世界中の多くの博物学者や科学者により、蒸発岩カルストの研究が国際的に続けられている貴重な場所となっています。
アマルフィ海岸
Costiera Amalfitana
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
アミアンの大聖堂
Amiens Cathedral
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アラゴンのムデハル様式建築
Mudejar Architecture of Aragon
アランフエスの文化的景観
Aranjuez Cultural Landscape
アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区
University and Historic Precinct of Alcalá de Henares
マドリード郊外にあるアルカラ・デ・エナレスは、小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスの出身地として知られています。ここは、世界で最初に計画された大学都市です。1508年、カスティーリャ王国の摂政を務めたシスネロス枢機卿がキリスト教の理想郷を目指し、この地にアルカラ・デ・エナレス大学を開学したことから学園都市の歴史は始まります。シスネロス卿は土地を購入し、大学都市の実現に必要なインフラを整備しました。この計画には、大学、寮、病院、印刷所などが含まれており、世界初の多言語対訳聖書も刊行されました。19世紀に大学はマドリードへ移転しコンプルテンセ大学となりますが、市民が資金を出してこの地に建物を残し、1977年にアルカラ・デ・エナレス大学として再開校しました。
アルコバサの修道院
Monastery of Alcobaça
アルタイ・ゴールデン・マウンテン
Golden Mountains of Altai
アルタの岩絵群
Rock Art of Alta
アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画
Cave of Altamira and Paleolithic Cave Art of Northern Spain