これこそ多様性/パリまで世界遺産委員会に来ています【第12回】
この連載は、2025年7月にパリで開催された世界遺産委員会の旅行記です。

目次

多様性を実感
発言時間は譲れない
いろいろな英語が聞こえる

多様性を実感

国際会議に参加すると、参加者の多様性にいつも驚かされる。日本で普通に生活しているときはもちろんのこと、海外を旅行していてもこんなにもさまざまな人種や民族の人々を目にすることはまずない。多様性ってこういうことだよね、って納得する。

日本では多様性って「個性」くらいにしか思われていない気がするけど、肌の色を見ても、アジア系の「黄色人種」の中にもアイボリーから黄土色までグラデーションがあるし、ヨーロッパ系の「白人」だってピンクからオレンジ色のような色まであるし、アフリカ系の「黒人」にも薄茶色から本当に黒に近い人までさまざま。すべての人種がひとつのグラデーションの中に存在していて、「黄色人種」や「白人」、「黒人」なんて言葉が空虚に思える。

びっくりするくらい細長く背が高い人や頭部が小さい人、小柄な人、ふくよかな人がいて、骨格からして全然違う。この国やこの地域はこんな感じ、といった大まかな人種的なまとまりはあっても、ひとつの国の代表団の中にもさまざまな人がいるので、ロビーなどで入り乱れているとどこの国の人かすぐに見分けるのは難しい。

ル・コルビュジエは、183cmを平均的なヨーロッパ人の身長としてモデュロールという建築における寸法の基準をつくった。その認識で困るのがトイレだ。僕のような小柄な男性がトイレ(小)にいくと、小さい便器が高いところについているので困る。フランス人の中には僕と同じくらいの身長の人も少なくないから、身長ではなく足の長さの問題なのかもしれない。深く考えると不愉快なので、トイレは速やかに後にする。

逆に、今回のフランス滞在で出会った最も背の高い人は、メトロの中にいた大学生くらいの男の子。結構混雑した車内で、僕が彼の脇の下にすっぽり入ってしまう位で、彼の頭は天井にぶつかりそうなので軽く横に傾いていた。彼の見る屋内の世界はよく傾いているのかな。それはかわいそうだ。
本当にいろいろな人がいる

発言時間は譲れない

多様性というのは、人種や民族の身体的・外見的なものだけじゃなくて、文化や考え方の違いとしても表れる。そうした人々の間で合意点を見つけていくために、会議では徹底的に話し合いが行われる。

各国で譲れるところと譲れないところは違うし、自分たちの意見を表明するということが大事なので、どの国の発言も長くなりがちで、会議はどんどん遅れていく。「それわざわざ言わなくても、わかってる事じゃない?」なんて思っても、曖昧であることはよくなくて、どの国もはっきりと意見を表明する。国際会議では、その国の存在を示すというのも大きな意味がある。だから集団だと一歩引いてしまうところがある日本人のように、「ちょっと違うけど、だいたい同じだから言わなくてもいいか」ということにはあまりならない。決議案の修正などの審議によっては、「A国の修正案を支持」というだけの発言もあって、そういう場合でもちゃんと発言をするのが面白い。

そんな感じなので、2日目にしてスケジュールは大幅に遅れていて、議長から委員国の発言時間とその他の加盟国の発言時間を大幅に短くする案が出された。しかし、それを各国の代表がすんなり受け入れるはずもなく、発言時間を削っては議論にならないし、発言をすることは参加国の権利であると反対意見があり、それでまた議論が紛糾する。

大体からスケジュールが大幅に遅れているのに、会議自体が10分以上遅れて始まるし、たっぷり2時間もある昼休みの後の午後の会議も15分以上遅れて始まるのだから、「本気でスケジュールを何とかする気あるの?」って思ってしまう。委員国の人たちは本会議前にも会議をしているので、仕方ない点もあるのだけど。

結局、発言時間を決める話し合いだけで10分以上を費やし、オットーネ文化担当事務局長補佐が経済的にも会議時間を延長してナイトセッションをすることはできないことなどを説明して、最終的に委員国の発言時間はそのまま、それ以外の参加者の時間は短くすることで落ち着いた。

そして発言の時には、画面上に時間のカウントダウンが表示され、時間を過ぎると音楽が流れるようになった。それでも、発言時間が過ぎても音楽が流れても、議長から時間をオーバーしていますと注意されても発言を最後まで止めない国もあって、ほんといろんな国があるなと思う。

お行儀がよいだけでは世界では渡り合えないし、かといってマナーが悪いと信頼してもらえない。国際会議ではそのさじ加減が大事なのだと思う。日本代表団を見ていると、礼儀正しくマナーも守っていて、そのために各国からの信頼を得ているように感じる。信頼って大事だ。

いろいろな英語が聞こえる

結構たくさんお花がつめた
国際会議でもうひとつ感じるのは、「語学力とは何か」ということ。日本だと、英語のネイティヴ・スピーカーのような発音やイントネーションで話すことが「語学力がある」とみなされている気がするけど、国際会議などに行くと、自国の言語の訛りがある英語を話す代表の方も多く、それでも問題なく議論が進んでいく。本当にいろいろな英語が聞こえてくる。

基本の文法は大事だけれど、最低限のイントネーションや発音さえできていれば、ネイティヴ・スピーカーのように話すことよりも、当たり前だけど、話す内容の方が重視される。いろいろな訛りの英語を聞き取って自分の意見を伝えられることが「語学力」なのだと実感する。流暢な英語は理想かもしれないけど、それはゴールではない。

中学生の頃、世界的に活躍する小澤征爾さんや安藤忠雄さんが英語を話しているのを聞いて、「国際人ってこういう人なんだ!」って驚いた。必ずしも英語が「上手い」わけではなかったから。これは「作業言語としての英語」だからだとも言える。日常生活の中で使われる英語となると、また話は別なのだろうとは思う。

それにしても、こういう場では僕のようなレヴェルの英語力の人が一番つらくて、ネイティヴ・スピーカーの英語も十分に聞き取れない上に、訛りのある英語はもっと聞き取れない。結局、何ひとつ聞き取れないんだもの。

だいたいから制限時間の中にぎっちりコメントを詰め込もうとするから、本当に早口で話す方も多く、同時通訳の方から「そんなに早口だと訳せない!」と怒り気味のクレームが出たりする。僕は、あまりに早口だと怒りすらわかない。だって、それはマシンガンのダダダダダ・・・という音にしか聞こえないから、安全な場所に逃避する。

何度か頭の中のお花畑でお花摘みをして過ごしながら、1日8時間ほど、さまざまな英語を聞き続けていると、一日が終わるころには本当にぐったりと疲れてしまった。

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写真・イラスト©宮澤光

執筆者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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