新しい世界遺産を決めるだけじゃない
世界遺産委員会というと、「新しい世界遺産を決める会議でしょ?」って思われることが多いけど、新しい世界遺産の登録について話し合うのは11日間の間の、最後の方の3日くらいだけ。そこに世界中の注目が集まるけど、メインの議題ではない。でも世間的な認識は「新しい世界遺産を決める会議」だから、オープニング・セッションの時には少しいたメディアも、早い段階でほとんどいなくなる。
それ以外の時間は、世界遺産の近くの美味しいグルメ情報でも交換してるのかというとそうではなくって、UNESCOの世界遺産センターや諮問機関の活動に関する報告や、世界遺産活動におけるキャパシティ・ビルディング(能力強化)についての議論など、UNESCOの世界遺産活動そのものに関する議題が話し合われている。
議論を聞いていると、世界遺産センターや、ICOMOS、IUCNなどの諮問機関というのは、世界遺産活動においてゆるぎない絶対的な存在のような気がするけど、決してそうではなく、常に改善が求められていることがわかる。委員国からはなかなか厳しい意見なども出て、壇上のアソモ世界遺産センター長もそれに対して、反論ではなく世界遺産センターの活動の説明と理解を求める発言をする。アソモ氏は表情なのか話し方なのか、そういう時いつもどこか少し悲し気に見える。実際は冗談もよく言う、明るい方ですが。
国際情勢を反映するような議論になることも
そうした世界遺産に関連する議論の中で、時々、世界遺産の枠を少しはみ出して国際情勢を反映するような議論になることもある。
今回も、委員国のイタリア代表があまり前後の文脈と関係がないように感じるところで、ロシアのウクライナ侵攻を非難する43カ国の共同声明を読み上げた。これには、同じく委員国であるウクライナから何らかの働きかけがあったのだと思う。
ロシアの行為は、ウクライナの人々のアイデンティティや歴史、記憶、文化遺産を消し去ろうとする蛮行で、ロシアが支配するウクライナのクリミア半島の遺産の保全状況報告が出されていない点も問題であるとする共同声明に続けて、ウクライナが危機遺産の保護の手続きは、紛争地域であったり他国に占領されている状態では機能していないのではないかと疑問を投げかける。
これは、ロシアが占領する地域にあるウクライナの世界遺産『タウリカ半島の古代都市とチョーラ』で、ウクライナが遺産の保護を行えていないだけでなく、ICOMOSなどの専門家も現地調査が認められないために、衛星写真で現状を確認するしかなく、危機遺産リストに記載しなければならない状況かどうかすら確信がもてないという事態が背景にある(※)。
それに対してロシアは、西側諸国が世界遺産委員会を政治的な目的を達成する場として利用していて、ロシアのインフラを破壊し、子供を含む多くの民間人の犠牲者を出している国から非難を受けるのはおかしいと、憮然とした表情でコメントをし、「『ロシアの』クリミア地域にある遺産の保護を心配しているようですが、万全な保護が行われています」と付け加えた。
これには特にどこの国からもフォローのコメントはなく、ロシアはかなり孤立しているように感じる。
※ 2026年の第48回世界遺産委員会で、衛星写真などを基に審議が行われ、危機遺産リストに記載された。
国家と世界の間で
世界遺産委員会は、基本的に世界遺産活動や、世界遺産のOUV(顕著な普遍的価値)に関する議論以外は行わない。それでも、世界遺産条約は国が批准する国際条約だし、UNESCOや世界遺産委員会は各国を代表する人々の集まりなのだから、国家間の争いや対立などから完全に切り離すことは難しい。
UNESCOは各国から独立した組織だけど、その職員は各国の政府機関などから派遣されたり、戦略的に国から支援を受けて来ている人が上級職ほど多い。各国にとっても、国際機関で働く自国民が多い方が、国際的な政策を推し進め、自国の国際社会でのプレゼンスを高めることにつながるため、積極的に彼らの支援を行う。「僕、国際機関で働くコスモポリタン。出身国? ちょっと何言ってるのかわからないな。」なんて人はまずいない。
UNESCOや世界遺産委員会は、そうした状況の中でバランスに配慮しながら議論を進めているように感じる。ロシアのウクライナ侵攻に対する非難も、あくまでUNESCOが扱う文化や教育、世界遺産などの文化財の保護に関する文脈で行ったり、ウクライナやロシアの互いを非難するようなコメントも、「一応、言いたいことを一回は言わせておきましょう」といった感じで、それ以上エスカレートすることは避けるような配慮をしているような気がした。
でも、ロシアに対してはいろいろな国が非難して、それに各国やオブザーバーの席からも拍手が起こったりするのに、パレスチナに攻撃を続けるイスラエルを非難するコメントはパレスチナ代表が自ら一度しただけだし、世界遺産委員会直前にイランを攻撃したアメリカに対しては全く何も話題に上らなかった。
ロシアのウクライナ侵攻と、アメリカのイラン攻撃は意味が全然違うのはわかるけど、文化財の保護の観点からすると、差がありすぎるような気がしなくもない。この辺りは、なかなか難しい問題だ。
(次回に続く)
写真・イラスト©宮澤光
執筆者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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