UNESCOに残る原子爆弾の記憶/パリまで世界遺産委員会に来ています【第14回】
この連載は、2025年7月にパリで開催された世界遺産委員会の旅行記です。

目次

売店というよりカフェ
美しく、傷ついた天使
長崎のキリスト教徒を苦しめた原爆投下

売店というよりカフェ

まだまだお昼休みの話。世界遺産委員会の本会議が行われる「Salle 1」は、UNESCO本部の建物から渡り廊下を通った別棟になっていて、お昼にはその廊下のところに簡単な売店が出される。廊下といっても壁も屋根もあってサイドイベントも開かれるくらい広々としているので、「渡り廊下」という言い方が正しいのかはわからない。

売店では、クロワッサンやバゲットのサンドウィッチ、ケーク・サレ、トルティーヤなどの食事や、オレンジやバナナなどのフルーツ、パウンドケーキや簡単なチョコのお菓子、珈琲、水などを買うことができる。日本の売店のように、個包装になったパンとかが並ぶのではなく、トレーにクロワッサンなどがそのまま並べられ、ラックにフルーツが積まれているので、売店というよりちょっとしたカフェみたいな雰囲気。

そこで買ったものは、そのまま渡り廊下に置かれたテーブル席で食べることもできるし、すぐ横のガラス扉から中庭に出て食べることもできる。渡り廊下のテーブルは数が少ないうえに、簡単な打ち合わせなどでも使っているので、ほとんどの人は中庭に持って出て食べていた。

この売店横のガラス扉を出てすぐ右側に、安藤忠雄さんが1995年に建設した「瞑想の空間」と呼ばれる円柱状の建物がある。安藤さんらしいコンクリートむき出しの建物は、日本の民間からの寄付金で作られたもので、その床には1945年に広島に投下された原子爆弾で被爆した、原爆ドーム近くの橋の御影石が使われている。今回は整備中なのか、立ち入りができなくなっていて見ることは叶わなかった。残念。

逆に、売店横のガラス扉を出て左側にピロティの柱を見ながらUNESCO本部の建物をぐるりと回ると、その先に日本庭園が見える。でも今回どうしても見たかったものは、売店のガラス扉と建物を挟んでちょうど反対側の壁を、見上げたところにあった。

美しく、傷ついた天使

見られているのは僕たちかもしれない

UNESCO本部のこの壁に取り付けられているのは、同じく1945年に長崎に投下された原子爆弾で破壊された浦上天主堂から取り出された天使の顔。「長崎の天使」と呼ばれている。顔の左半分、頭から頬にかけてえぐられるように削れていて、焼けたような焦げ跡も見える。それでも全体としては、元の天使の美しさが伝わってくる。だからこそ見る者に、原子爆弾の悲惨さと平和の美しさの両方を強く印象付けていると思う。

この40cmほどとされる小さな天使の顔は、浦上天主堂の正面にあったもので、1976年にUNESCOの設立30周年を記念して長崎市から寄贈された。これには、1960~80年代に東西冷戦の中で核実験が繰り返され、核の脅威が高まっていたことに対する抗議の意味もあった。

浦上天主堂のある浦上地区は、昔からキリスト教徒が多い街で、キリスト教の信仰が禁じられていた時代に大浦天主堂にプティジャン神父を訪ね信仰を明かした「信徒発見」も、浦上の潜伏キリシタンたちだった。でも浦上天主堂は、世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』には含まれていない。それは原子爆弾によって酷い被害を負い、現在の浦上天主堂は戦後に再建されたものだというのが一番の理由。その辺りが世界遺産活動の限界というか課題という気もする。

長崎のキリスト教徒を苦しめた原爆投下

浦上天主堂

長崎の中心部から外れた浦上地区に原子爆弾が投下されたのは、1945年8月9日の長崎の中心部が曇天だったために爆弾を投下することができず、たまたま雲の切れ間が浦上地区だったかららしい。ただ、この偶然の出来事が、残された多くのキリスト教徒を苦しめることになった。

長崎は全国的に見てもキリスト教徒が多いとはいえ、住民全体に占める割合は少なく、キリスト教徒に対する差別や偏見も根強くあった。そのため、原子爆弾によって多くのキリスト教徒たちが犠牲になったという事実が、禁じられながらもキリスト教を信じ続けたために天罰を受けたのだという、「浦上天罰説(浦上燔祭説)」につながった。「なぜ自分たちが?」という苦しい自問だけでなく、戦争の被害者を別の被害者が苦しめるという悲劇があったのがこの浦上地区だった。

だからそうした悲劇を断ち切るために、原子爆弾で破壊された浦上天主堂を、広島の原爆ドームのように悲劇を伝える戦争遺構として残さず、新しい天主堂として再建したことを「残していたら世界遺産になれたかもしれないのに、もったいない」なんて非難することはできない。

UNESCO本部には、世界で「たった2回」しか戦争で使用されていない、広島と長崎の原子爆弾の悲劇を伝えるものが残されている。でもそれがあまり世界の人々に核廃絶を伝えるメッセージにはなっていないように思う。だってどちらもあまりにもひっそりとしていて、気が付かない人はきっと全く知らないままだ。休み時間に足を止めて「長崎の天使」を見上げる人はいなかった。「たった2回」で終わるかどうかは、僕たち次第だ。

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写真・イラスト©宮澤光

執筆者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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