World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(ii))

コルドバの歴史地区

Historic Centre of Cordoba
コルドバの歴史地区
スペイン南西部、アンダルシア地方にあるコルドバは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が融合する歴史ある商業都市です。紀元前3世紀に共和制ローマの支配下に入った時にはカルタゴの植民都市が存在し、6世紀には西ゴート王国がこの地を統治します。その後イスラム勢力が制圧し、756年に後ウマイヤ朝の首都としてヨーロッパにおけるイスラム教の最重要拠点となります。10世紀には、コンスタンティノープル、ダマスカス、バクダードと並ぶ大都市として繁栄し、市街には300以上のモスクが立ち並びました。 一方、コルドバはキリスト教世界が目指すレコンキスタ(国土回復運動)の対象都市となります。1212年にムワッヒド朝が衰退すると、1236年にはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは奪還され、大モスク「メスキータ」はキリスト教聖堂へ改修されるなど、キリスト教文化が浸透していきました。歴史地区では、それぞれの宗教文化の痕跡が今も残されています。その他にも、フェルディナント王子とイサベル女王が居城とした「カトリック両王のアルカサル」や、キリスト教支配の初期に築かれた「カラオーラの塔」など、レコンキスタを象徴する建築物も見ることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ゴレスタン宮殿

Golestan Palace
ゴレスタン宮殿
テヘランの歴史地区の中心部にある『ゴレスタン宮殿』は、テヘランで現存する最古の建物のひとつです。宮殿は、18世紀末に成立し、近代化を進めたカージャール朝の時代に建てられました。ペルシア伝統の芸術品や工芸品を配しながらも、西洋の建築技術やヨーロッパの建築様式を取り入れた建物です。敷地内の北側に位置するカーフ・エ・アスリー(本館)のタラー・エ・アイネは、別名「鏡の宮殿」と言われていて、壁から天井まで鏡でびっしりと飾られており、光を反射して空間全体が輝くかのように設計されています。室の居城や行政上の拠点としてだけでなく、カージャール朝時代の建築と芸術の中心地としての側面も持ち合わせていました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界

Kulangsu, a Historic International Settlement
鼓浪嶼(コロンス島):歴史的共同租界
厦門に面した小さな島、鼓浪嶼(コロンス島)に残る931の歴史的建造物からなっています。1842年に結ばれた南京条約によって、翌1843年に厦門が開港し、1903年に鼓浪嶼に共同租界が設立されると、中国における海外貿易の重要な窓口となりました。様々な国の外国人がここに住み着いたことから、世界の様々な様式の建築が建てられ、文化的な混交が生まれました。アール・デコやモダニズムなどの西洋の建築様式と、厦門周辺地域の文化が融合して生まれた「アモイ・デコ様式」という鼓浪嶼独自の建築様式は、その一例になっています。共同租界とは、清朝や中華民国内に築かれた外国人居留地で鼓浪嶼では各国が共同で外国人居留地を管理しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サーンチーの仏教遺跡

Buddhist Monuments at Sanchi
サーンチーの仏教遺跡
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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サラマンカの旧市街

Old City of Salamanca
サラマンカの旧市街
スペイン西部に位置するサラマンカは、2,000年以上の歴史をもつ都市であり、イベリア半島でも有数の文化遺産が存在します。街の南西を流れるトルメス川に架かる古代ローマ時代の橋をはじめ、12世紀に完成したロマネスク様式の旧大聖堂やサン・マルコス教会、16世紀完成のサリナ宮殿やモンテレイ宮殿などがその歴史を物語っています。特に18世紀に完成したマヨール広場は、スペインで最も壮麗なバロック様式の広場と謳われています。旧市街とその周辺には、ロマネスク様式からゴシック、ルネサンス、バロックに至るまでの宗教建築が点在し、都市全体が歴史的景観を形成しています。また、旧市街の建造物の多くは微少の酸化鉄を含んでおり、その影響で陽光を受けると旧市街全体が金色に輝いて見えることから、「ラ・ドラーダ(黄金都市)」の異名でも知られています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ザルツブルクの歴史地区

Historic Centre of the City of Salzburg
ザルツブルクの歴史地区
ドイツとの国境近くに位置するザルツブルクの都市名は、ドイツ語で「塩の城」を意味します。紀元前から岩塩の採掘がはじまり、その交易によって街は次第に栄えていきました。ザルツブルクでひときわ目立つ丘の上には、ホーエンザルツブルク城があります。この城は、11世紀にローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が激しい闘争(叙任権闘争)をしている中で、ローマ教皇側を支持した当時の大司教が、神聖ローマ帝国の侵攻から逃れるため造った城です。以後、歴代の大司教が敵の侵入を阻むために防塁などを増築し、城塞となりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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サン・アントニオ・ミッションズ

San Antonio Missions
サン・アントニオ・ミッションズ
サン・アントニオ・ミッションズは、テキサス州南部のサン・アントニオ川流域12.4kmにわたって展開する5つの辺境伝道所群と、そこから37km南方に位置する牧場から構成されています。これらの伝道所遺跡は、農地、牛の放牧地、住居、教会、穀倉、工房、窯、井戸、外壁、そして水道システムなど、多様な建築物および考古学的建造物から成り立っています。これらは、1718年から1731年にかけてフランシスコ会の司祭によって建設されたものです。伝道所の建設以前、テキサスにはスペイン人による恒久的な入植地は存在していませんでした。これらの施設は、スペイン国王が新大陸の支配地域「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」の北部辺境において、植民地化、伝道活動、防衛を図った努力の証といえます。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)
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ザンクト・ガレンの修道院

Abbey of St Gall
ザンクト・ガレンの修道院
スイス北東部にあるザンクト・ガレンの修道院は、ローマをめざして伝道の旅に出たアイルランドの修道士ガルスが、ボーデン湖の南の谷で神の啓示を受けて612年に小さな庵を結び、そこで弟子たちとともに神への祈りを捧げる生活を送ったのが始まりでした。720年頃にその場所に修道院が創建されると、彼の名をとってザンクト・ガレン修道院と名づけ、747年にベネディクト会の修道院となってからは、学問と労働を重んじるその教えにより大きく発展し、9〜10世紀頃には、ヨーロッパにおける学術の中心地として全ヨーロッパに名を馳せました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スイス連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (ii)(iv)
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サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群

Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
サンクト・ペテルブルクの歴史地区と関連建造物群
ロシアの西にある大都市サンクト・ペテルブルクは、バロック建築や新古典主義建築などの文化や芸術を取り入れた、モスクワに次ぐロシア第二の都市です。1918年まではロシアの首都として機能していました。サンクト・ペテルブルクの名は、ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味し、ピョートル大帝の名前にも意味がかけられています。第一次世界大戦時にはロシア語風の「ペテログラード」と呼ばれ、ロシア革命後は「レニングラード」と名を変えました。ソ連崩壊前後に再びサンクト・ペテルブルクとなった歴史があります。同じロシアのオデッサ(オデーサ)やセヴァストポリもサンクト・ペテルブルクにならった街づくりが行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ザンジバル島のストーン・タウン

Stone Town of Zanzibar
ザンジバル島のストーン・タウン
ザンジバル島の西側にあるストーン・タウンは、東アフリカにあるスワヒリ沿岸交易都市の優れた例です。この街は都市の構造や景観をほぼ完全な形で保っており、アフリカ、アラブ地域、インド、ヨーロッパなどの文化の要素を、千年以上にわたって融合させ、独自の文化を形成してきた多くの素晴らしい建造物が含まれます。なお「ザンジバル」とは、ペルシア語で「黒人の海岸」を意味する言葉に由来しています。
地域: アフリカ / 国名: タンザニア連合共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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サン・ジミニャーノの歴史地区

Historic Centre of San Gimignano
サン・ジミニャーノの歴史地区
サン・ジミニャーノはイタリアのトスカーナ地方を流れるエルサ川の渓谷を見下ろす小高い丘の上にあります。この地では、染め物の原料として珍重されたアヤメ科の多年草であるサフランの生産が盛んでした。さらに、フィレンツェやシエナとローマを結ぶ街道の中継地に位置し、大いに繁栄したことで12世紀末に自由都市として独立しました。しかしその後、皇帝派と教皇派の二つのグループに分かれて内部抗争が起き、さらにペストの流行により街は大打撃を受けて、14世紀にはフィレンツェの支配下に入り街は衰退しました。そのため、サン・ジミニャーノの街の景観はほとんど変わることがなく、中世の街並みがそのまま残されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

Santiago de Compostela (Old Town)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
スペイン北西部、ガリシア地方の都市「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はキリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。この地はかつて8〜10世紀に栄華を誇ったアストゥリアス王国の領土でした。イエス・キリストの愛弟子であるサンティアゴ(聖ヤコブのスペイン名)の遺骸が発見されたという噂から、9世紀初頭に当時の王アルフォンソ2世によって聖ヤコブをまつる聖堂が築かれます。この地はキリスト教において重要な巡礼地のひとつとなりますが、キリスト教徒とイスラム教徒との激しい争いの場にもなりました。997年にはアル・マンスールによって聖堂や市街が破壊されます。しかし、翌11世紀に街が再建されると、現在まで残る聖ヤコブの眠る聖堂が建造され、再びキリスト教の重要な巡礼地として名を馳せていきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道

Routes of Santiago de Compostela: Camino Franc?s and Routes of Northern Spain
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、キリスト教の巡礼路です。1993年に、ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く巡礼路が、世界遺産に登録されました。「サンティアゴ」とは、スペイン語で、キリスト教の使徒のひとりである聖ヤコブのこと。聖ヤコブがスペインにおいて福音を説いたという伝説は、7世紀初頭には存在していました。「使徒の休む場所は、福音を説いた場所にあるべきである」という聖ヒエロニムスの教えがあることから、聖ヤコブの遺体は、殉教地のエルサレムからスペインに移送されたと信じられていました。9世紀に聖ヤコブの墓が発見されると、この報せが西ヨーロッパの各地に広がり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ヴァティカンに次ぐ聖地としてカトリック世界に定着していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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シーギリヤの古代都市

Ancient City of Sigiriya
シーギリヤの古代都市
スリランカ中部にそびえる『シーギリヤの古代都市』は、高さ約200mもある巨大な岩山の宮殿跡です。5世紀後半、シンハラ王国のカッサパ1世という王によって、岩山の頂上に都が築かれました。彼は王である父ダートゥセナを殺し、正当な継承者だった弟モッガラーナを追放して王に即位しました。その後罪の意識に苛まれ、復讐を恐れたカッサパ1世は、父を供養し、かつ弟の報復から身を守るために、父が構想していた城砦の建設に着手しました。カッサパ1世は人が簡単には登れない岩山の上に、宮殿や庭園、貯水池などを含んだ要塞都市をつくり、自らの安全を確保しました。わずか十数年この場所で暮らしましたが、最後は弟に敗れて命を絶ちます。短い歴史を持つ都ながら、その劇的な背景と大胆な建造物は、現代の私たちにも強い印象を残しています。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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シェーンブルン宮殿と庭園

Palace and Gardens of Schönbrunn
シェーンブルン宮殿と庭園
元は王室の狩猟場であったこの地に、神聖ローマ帝国のレオポルト1世が夏の離宮の造営を決意したのが17世紀末でした。彼の子であるカール6世は、この宮殿をあまり好いていなかったため、宮殿は長らく放置されたようですが、カール6世の子であるマリア・テレジアが即位すると、この宮殿を大改築していきます。マリア・テレジアは当時、ピンクであった建物の壁を全て黄色に変えて、外観を重厚なバロック様式に統一する一方で、内観は繊細で優雅なロココ様式に統一しました。この黄色は「マリア・テレジア・イエロー」と言われており、今もウィーンの人々から愛されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(iv)
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シエナの歴史地区

Historic Centre of Siena
シエナの歴史地区
トスカーナの丘陵地帯に位置するシエナは、中世の雰囲気を今に伝える都市です。この街は、ローマの建国神話に登場するロムルスとレムスの双子の兄弟のうち、兄のロムルスに敗れたレムスの息子のセニウスとアスキウスが築いたとされています。12世紀に市民による政治共同体である「コムーネ」が成立すると、ローマにつながるフランチジェナ街道から近いこともあり、商業や金融業などで発展しました。15世紀末には今も活動する世界最古の銀行であるモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行も創業されます。同じくコムーネによる自治を行うフィレンツェとは、トスカーナ北部の領地や商業利権など巡るライバル関係にありました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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始皇帝陵と兵馬俑坑

Mausoleum of the First Qin Emperor
始皇帝陵と兵馬俑坑
中国・陝西省西安近郊にある始皇帝陵は、紀元前3世紀に中国を初めて統一した秦の始皇帝の墓です。陵墓は高さ約51mの角錘台型の墳丘を中心に、東西 580m、南北1,355mの内城と、東西940m、南北2,165m の外城の二重の城壁で囲まれています。建設は即位直後の紀元前246年に始まり、死去までの数十年をかけて築かれました。『史記』によれば、全国から数十万人もの労働者が動員され、地下には壮大な「都市」が造られたと伝えられます。陵墓のある一帯は兵馬俑坑などを含めると約56㎢におよび、その規模と設計は古代中国の中央集権体制と権力を象徴するものとして、後世に大きな影響を与えました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(vi)
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シ・テープの古代都市と関連するドヴァラヴァティ王国の遺跡群

The Ancient Town of Si Thep and its Associated Dvaravati Monuments
シ・テープの古代都市と関連するドヴァラヴァティ王国の遺跡群
シ・テープ古代都市は、現在のペッチャブーン県に位置しており、6世紀から10世紀にかけて繁栄したドヴァラヴァティ王朝を今に伝える貴重な遺産です。都市は、堀で囲まれた円形の「内町(ムアン・ナイ)」と長方形の「外町(ムアン・ノック)」という2つの区画からなります。主要な遺跡には、現存する最大規模のドヴァラヴァティ遺跡であるカオ・クラン・ノック、そして東南アジアで唯一とされる大乗仏教の洞窟寺院遺跡カオ・タモラットがあります。これらの遺跡は、宗教や都市計画の発展における高度な文化を物語っており、当時の社会や信仰の姿を今に伝えています。
地域: 東・東南アジア / 国名: タイ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (ii)(iii)
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シドニーのオペラハウス

Sydney Opera House
シドニーのオペラハウス
オーストラリアのシドニー湾に突き出た半島の先端ベネロング・ポイントに、1973年に建設されたコンサート・ホールとオペラ劇場他の複合施設です。国際的な設計コンペティションが行われ、選ばれたのはデンマーク人の建築家ヨーン・ウッツォンの設計案でした。白い貝殻を重ねたような彼の斬新なデザインは当時は奇異の目で見られたこともありましたが、いまでは「20世紀建築の傑作」と称されています。現代技術を駆使して建設されたこのオペラハウスは、創造性と革新性を兼ね備えた20世紀の偉大な建築作品であると言えます。
地域: オセアニア / 国名: オーストラリア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (i)
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ジャームのミナレットと考古遺跡群

Minaret and Archaeological Remains of Jam
ジャームのミナレットと考古遺跡群
ジャームのミナレットは、アフガニスタンのヘラートの東約215km、ハリルド川とその支流ジャーム川の合流地点のほとり、そびえ立つ山々に挟まれた深い渓谷に位置しています。焼成レンガによって築かれた高さ65mの塔であり、基壇は八角形で直径9m、塔身は円筒形で4層構造となっています。ミナレットは幾何学模様のレリーフで全面を覆われており、トルコ石タイルで刻まれたクーフィー体アラビア文字の装飾が施されています。1194年、ゴール朝のスルタン、ギヤス・ウッディーン(1153〜1203)によって建立されたこのミナレットは、ゴール朝の夏の首都であった古代都市フィルーズクーの跡地を示すものと考えられています。建造の目的については不明であり、モスクが失われてミナレットのみが残ったという説など、諸説が存在しています。
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シャーロットヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学

Monticello and the University of Virginia in Charlottesville
シャーロットヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学
アメリカ独立宣言の起草者であり、合衆国第3代大統領であるトマス・ジェファソン(1743〜1826)は、新古典主義建築に秀でた才能を有する建築家でもありました。彼は、自身のプランテーションであるモンティチェロと、その約8km北西に位置するシャーロットヴィルにヴァージニア大学を設計しました。ヴァージニア大学は、ジェファソンが理想とした教育理念を実現するために創設されたもので、独特のU字型平面プランを特徴としています。中心にはロタンダが据えられ、南側にはパビリオン、ホテル、学生用の居室、庭園などが整然と配置されています。これらの建築群は、自然環境との調和、機能主義と象徴主義の融合を通じて、新古典主義建築の優れたかつ個性的な例といえます。古典および当時の建築様式を綿密に研究した成果が随所に表れており、ジェファソンが描いた新しいアメリカ合衆国の理想像を色濃く反映しています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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自由の女神像

Statue of Liberty
自由の女神像
マンハッタン島南西のアッパー・ニューヨーク湾に浮かぶリバティ島に立つ「自由の女神像」は、1886年にアメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから贈られたものです。建設を提案したのは、法学者で政治家でもあったエドゥアール・ドゥ・ラブライエであり、制作を担ったのは彫刻家フレデリック・バルトルディと技術者ギュスターヴ・エッフェルです。この女神像は「世界を照らす自由」と名づけられ、アメリカ人建築家リチャード・モリス・ハントによる設計の台座上に立っています。台座を含めた高さは93メートル、総重量は225トンに及びます。右手には希望の象徴である長さ9メートルのたいまつを高く掲げ、左手には「1776年7月4日」と記された独立宣言書を抱えています。女神は力強く左足を踏み出しており、その足元では奴隷制と専制政治を象徴する鎖を踏みつけています。アメリカの象徴ともいえるその姿は、入国の玄関口であったリバティ島の隣、エリス島を目指して海を渡ってきた何百万人もの移住者たちに勇気を与えてきました。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(vi)
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昌徳宮

Changdeokgung Palace Complex
昌徳宮
昌徳宮(チャンドックン)は、景福宮の離宮として、朝鮮王朝第3代太宗によって1405年に建設されました。自然の地形を活かして設計されたこの宮殿は、伝統的な風水思想と儒教の理念を体現した希少な建築例とされています。場所は朝鮮半島の北部・白岳山の麓に位置し、敷地全体が地形と調和するように配置されました。王の居住区、政務区、儀式空間などは儒教的な原則「前朝後寢」に基づいて設計されており、空間構成そのものが儒教の思想を表しています。このようなことから、昌徳宮は単なる王宮ではなく、朝鮮王朝の精神的な世界観を象徴する場所として評価されています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 大韓民国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ジョグジャカルタの世界観を表す軸線と歴史的建造物群

The Cosmological Axis of Yogyakarta and its Historic Landmarks
ジョグジャカルタの世界観を表す軸線と歴史的建造物群
インドネシアのジャワ島中部にあるジョグジャカルタは、1755年のマタラム王国分裂後、イスラム王朝のジョグジャカルタ王国の都として築かれました。古くはヒンドゥー教が信仰されていたジャワ島では、その影響で世界は海と陸の環に囲まれているという宇宙観(世界観)がありました。北にムラピ山、南にインド洋、東西に川が流れるこの地は、まさに宇宙観に則した土地と考えられ、都市が造られました。後にイスラム教が広まり、18世紀にイスラム王朝のマタラム王国の都として現在の町並みが建設された際にも、その宇宙観(世界観)を反映した都市計画がもとになりました。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ジョドレルバンク天文台

Jodrell Bank Observatory
ジョドレルバンク天文台
イングランド北西部マンチェスター郊外の田園地帯に位置するジョドレルバンク天文台は、世界最大級の電波天文観測所として知られています。送電線が無く電波干渉が最小限であることからこの地が選ばれました。広大な農村地帯に現れる巨大な望遠鏡が印象的ですが、電波天文学の発展に重要な役割を果たしている天文台でもあります。流星や月の研究、クエーサーと呼ばれるブラックホールに物質が吸い込まれる際のエネルギーによって輝く天体の発見、量子工学、宇宙船の追跡などあらゆる分野で大きな科学的成果をあげてきました。ジョドレルバンク天文台は旧来の光学天文学から電波天文学への移行を著しく証明する遺産です。また、世界遺産条約の意義の中には新しい分野の文化遺産の定義があり、ジョドレルバンク天文台はUNESCOがICOMOSやIAU(国際天文学連合)と共に進める天文遺産の分野で高い評価を受けていたこともあり、2019年に世界遺産に登録されました。
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シンガポール植物園

Singapore Botanic Gardens
シンガポール植物園
シンガポール中心部に位置する『シンガポール植物園』は、1859年のイギリス植民地時代に開園した熱帯植物園です。開園以来、娯楽の場、研究の場として親しまれながらも、植物の保存と教育において近代の世界最高レベルの科学機関としての役割を果たしています。風景式庭園から園芸や植物学研究を行う研究所、そして世界的な植物園へと発展してきました。植物園の配置は、設立時に景観設計を任されたローレンス・ニーベンによるものとなっています。また、英国のキュー植物園から提供された苗木を東南アジア一帯に分配する役目を担ったほか、現在でも科学、研究、植物保存などにおいて重要な拠点であり続けています。特に1875年から東南アジアで進められたゴムのプランテーションの栽培とは深い関係あがり、20世紀のゴム栽培の拡大にも大きく貢献しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: シンガポール共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iv)
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シントラの文化的景観

Cultural Landscape of Sintra
シントラの文化的景観
リスボンの北西約20kmに位置するシントラは、夏は涼しく冬も温暖な気候に恵まれ、紀元前5000年頃には人々が住み始めました。12世紀半ば、初代ポルトガル国王アフォンソ1世がリスボンをイスラム教徒から奪回したことにより、シントラもキリスト教徒の街へと変化していきます。以来、代々のポルトガル王族がこの地に離宮を置き、18〜19世紀にかけては、イギリスの富豪たちも次々と別荘を建設しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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水原の華城

Hwaseong Fortress
水原の華城
18世紀末、朝鮮王朝の第22代王・正祖は、父の荘献世子の墓を水原郊外の華山に移すために強力な防御施設を備えた華城を築きました。周囲約6km、高さ約7mの石造りの城壁には4つの主要な門があり、他にも見張り塔、弓射塔、楼塔、稜堡などの設備があります。城壁内には王の臨時の宿である行宮もつくられました。戦争や洪水によって、水門、見張り塔などの7つの建造物が失われたものの、その壮大な都城は水原のシンボルになっています。このように、当時の有力な軍事技術者のもとで建造された華城は、ヨーロッパと東アジアの最新の技術を結集させた18 世紀の軍事建築の傑作ともいえます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 大韓民国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)
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スクーグスシルコゴーデンの森林墓地

Skogskyrkogården
スクーグスシルコゴーデンの森林墓地
ストックホルム中心部の南に位置するスクーグスシルコゴーデンの森林墓地は、20世紀初頭に建築された「自然との調和」をテーマとする共同墓地です。1912年、ストックホルム市議会は、松林に覆われた砂利採石場の跡地を取得し、新しい墓地を建設するための国際建築コンペを開催しました。優勝したのは、当時30歳だったスウェーデン人建築家、エリック・グンナル・アスプルンドとシーグルド・レーヴェレンツの設計でした。1917年に建設工事が始まり、1920年に森林墓地と「森の礼拝堂」が完成しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スウェーデン王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (ii)(iv)
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スコータイと周辺の歴史地区

Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns
スコータイと周辺の歴史地区
スコータイは、タイ族がクメール族に代わって築いた初代スコータイ王朝の都で、13世紀から15世紀にかけて繁栄しました。特に、スコータイ王朝第3代ラームカムヘーン王の時代に最盛期を迎え、タイ文字を創り出したほか、上部座部仏教を受容して数多くの仏教寺院が建てられました。最大の寺院はワット・マハータートで、初代王インタラティットによって建てられたと言われています。こうしたスコータイ王朝の繁栄は、後のタイという国の形成にも大きな影響を与えることになります。いわゆるタイ文化の基礎を築いた都市であり、当時の宗教や社会、経済の発展を今に伝えています。
地域: 東・東南アジア / 国名: タイ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(iii)
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