World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(vi))

フォース鉄道橋

The Forth Bridge
フォース鉄道橋
スコットランド東部を流れるフォース川には、19世紀後半当時、新素材だった軟鋼を大量に使用し、また先端土木工学の設計原理と工法によって鉄道橋が建設されました。大きな3つのひし形の構造部分は、トラス構造と呼ばれる三角形を組み合わせた形をして強度を誇っています。また、このひし形をカンチレバーと呼び、世界で最初に複数のカンチレバーを採用したトラス橋として評価され、世界遺産に登録されました。なおこの鉄橋の工事監督には、日本の土木技術史の父とも呼ばれる渡邊嘉一氏が関わっており、20ポンド札にも登場します。1890年の開通以来、現在も鉄道が通る鉄橋として使用され続けています。
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富士山─信仰の対象と芸術の源泉

Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
富士山─信仰の対象と芸術の源泉
標高3,776mの日本最高峰である富士山は、独立した成層火山であり、山腹の傾斜は標高が高くなるにつれて勾配を増す、類まれな美しい円錐形をしています。山麓には、繰り返し流れ出た溶岩によって何層にもわたる溶岩層が堆積し、周辺には広大な裾野が広がっています。海面から山頂まで傾斜が連続する成層火山としては、世界有数の高さを誇ります。約1万年前、それまで存在していた古富士火山の北西山腹付近から流れ出した溶岩が古富士火山を完全に覆い尽くしました。その後、約5,600年から3,500年前にかけて、ほぼ現在の姿が形成されました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ブッダガヤの大菩提寺

Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
ブッダガヤの大菩提寺
今から2,500年ほど前、釈迦(本名:ゴータマ・シッダールタ)はここブッダガヤの地の菩提樹の下で瞑想しているときに悟りを開き「仏陀」となりました。「仏陀」とは「悟りを開いた人」という意味です。ここにはその菩提樹の子孫であるといわれる大きな菩提樹の木があります。紀元前3世紀、古代インドのマウリア朝のアショーカ王は深く仏教に帰依し、この瞑想場所の「金剛宝座(仏座)」を整備し、「欄楯(らんじゅん)」と呼ばれる石造の囲いで周りを囲いました。菩提樹と金剛宝座は、仏教における最高の聖跡とされ、世界中から巡礼者が集まります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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仏陀の生誕地ルンビニー

Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏陀の生誕地ルンビニー
仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前623年(生年については諸説あり)、カピラヴァストゥの王妃であったマーヤー(マーヤーデヴィ)が首都ティラウラコットから実家のあるデーヴァダーハへの里帰りの途中にあった、ルンビニーの庭園で夫人の右脇から生まれたとされています。この地は、ブッダの生誕地として仏教の重要な巡礼地の一つとされ、初期には中国から法顕(4世紀)や玄奘(7世紀)らもその巡礼の記録を残しています。しかし、15世紀以降は巡礼地として仏教徒が訪れることはなくなり、寺院は荒廃し廃墟となっていました。時代が下って、1896年にドイツ人考古学者のフューラーが地元の知事であったカドガ・シャムシェルとともにこの地を訪問し、埋もれていた石柱に古代のブラーフミー文字の碑文を発見しました。碑文の発見によって、この地がブッダの生誕地のルンビニーであることが確認されました。
地域: 西・南アジア / 国名: ネパール / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ブハラの歴史地区

Historic Centre of Bukhara
ブハラの歴史地区
ウズベキスタン南部、サマルカンドの西200km、ザラフシャン川下流域にある歴史あるシルク・ロードのオアシス都市です。ブハラという名はサンスクリット語の「僧院(ビハーラ)」が由来といわれています。紀元前5世紀にはすでにシルク・ロードの要塞都市となり、交易の民ソグド人の都市国家がありました。その後8世紀にイスラム勢力がここを支配し、サーマーン朝やカラハン朝、ホラズム・シャー朝といったイスラム王朝の首都として繁栄しました。今も残るイスマーイール廟はこの時期の建物で中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。
地域: 西・南アジア / 国名: ウズベキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブラジリア

Brasilia
ブラジリア
ブラジリアは、ブラジル独立の象徴として、人工的、計画的に機能美を追求した首都です。ジュセリーノ・クビチェック・デ・オリヴェイラ大統領の「新都ブラジリア計画」で1956年に建設が始まり、約4年で完成しました。都市計画はルシオ・コスタが担当し、都市の形状は十字架形の平面からなり、「飛行機」、「弓と矢」などの形に例えられます。
地域: 南米 / 国名: ブラジル連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iv)
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プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観

Paseo del Prado and Buen Retiro, a landscape of Arts and Sciences
プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観
マドリードの都市中心部に位置するプラド通りとブエン・レティーロは、スペイン帝国最盛期にユートピア社会を目指した「知識の民主化」という啓蒙思想に結びついた文化的景観です。全長約1kmのプラド通りは、16世紀にヨーロッパの都市で最初に築かれた並木道として知られています。その他にも、アポロの噴水、ネプチューンの噴水、シベレスの噴水などの街のシンボルとなる大型噴水や樹木の設置、道路整備、市街地開拓と市民の憩いの場所として都市環境が整備されてきました。さらに通り沿いにはプラド美術館、王立植物園、王立天文台が設置されるなど、文化・科学・自然がひとつの街に共存しています。このようなプラド通りとブエン・レティーロのまちづくりはスペイン国内やラテンアメリカの多くの都市のモデルとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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プラハの歴史地区

Historic Centre of Prague
プラハの歴史地区
チェコ中西部に位置する首都プラハは、人口約130万人を擁するヨーロッパでも有数の大都市です。街のほぼ中央、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の両岸に、ヨーロッパ屈指の美しさを誇る歴史地区があります。プラハの起源は、6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川沿いに集落を築いたことにさかのぼります。7世紀には丘の上に砦が建てられ、都市としての形成が始まりました。9世紀後半頃、ヴルタヴァ川左岸にプラハ城の前身の城塞が、10世紀には右岸にヴィシェフラト城が建造され、2つの建造物に挟まれた区域が発展していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

Routes of Santiago de Compostela in France
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
スペイン北西部に位置し、キリスト教の三大聖地の一つとされるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。ヨーロッパ各地から巡礼者がこの地を目指す際には、フランスを通過することが多く、フランス国内を起点とする巡礼路がピレネー山脈を越えてスペインの聖地へと通じています。フランス国内には、「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」と呼ばれる4つの巡礼路があります。この4本の道の沿道にある建築物や遺跡と、「ル・ピュイの道」の7区間が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブリュージュの歴史地区

Historic Centre of Brugge
ブリュージュの歴史地区
ブリュージュの歴史地区は、羊毛の輸入で繁栄した貿易都市で、内陸にありながらいくつもの運河で結ばれている。1252年にハンザ都市となり、ヨーロッパで初となる証券取引所も誕生。運河やマルクト広場、街路などが中世の面影を残しており、​特に、ゴシック建築の聖母教会や市庁舎、鐘楼などは都市の象徴として重要な役割を果たしている。​これらの建築物は、商業と宗教の中心地としてのブリュージュの歴史を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群

Brú na Bóinne - Archaeological Ensemble of the Bend of the Boyne
ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群
『ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群』は、アイルランドに現存する最大の先史遺跡であり、首都ダブリンの北約40km、ボーニャ川とマトック川に挟まれた尾根に位置しています。現在は主に農地として利用されているこの地域は、100年以上にわたり考古学者や歴史学者によって広範囲に調査され、多くの特徴が発掘調査によって明らかになってきました。遺産は、ニューグレンジ、ノウス、ダウスの3カ所にある大型石室墓と、点在する40以上の古墳で構成されています。これらの古墳群は、古代における重要な儀式の中心地であったと考えられているほか、鉄器時代、初期キリスト教時代、中世といった後の時代にも遺跡が築かれており、極めて重要な歴史的価値を有しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: アイルランド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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文化交差路サマルカンド

Samarkand – Crossroad of Cultures
文化交差路サマルカンド
紀元前から東西交易の要衝で中央アジア最古の都市で、紀元前7~8世紀にはソグド人の都市が築かれたと言います。サマルは「人々が出会う」、カンドは「街」という意味で、まさに世界の交差点ともいうべきところです。歴史的には3度破壊されています。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王が、8世紀にはアラブ人のイスラム勢力が、そして13世紀にはモンゴルのチンギス・ハンが攻め寄せてきました。特にモンゴル軍の破壊はすさまじく、住民はことごとく殺され、建物はほぼすべて破壊されたと伝わっています。今その場所は「アフラースィヤーブの丘」となり当時のものは何も残されていません。その後14世紀になってティムールがサマルカンドを帝国の都と定め、街の中心はアフラースィヤーブの丘から現在のレギスタン広場へと移りました。
地域: 西・南アジア / 国名: ウズベキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ペルセポリス

Persepolis
ペルセポリス
ペルセポリスは、イラン南部シーラーズの北東約60kmにある世界屈指の考古遺跡です。建築、都市計画、建設技術、更に芸術の分野において、アケメネス朝ペルシアの傑作として知られるペルセポリスは、他に類を見ない、大帝国の繁栄の証を遺す考古遺跡のひとつです。紀元前6世紀、ペルシアのキュロス2世(大王)はメディア王国を滅ぼすとアケメネス朝を勃興し、近隣国を次々に征服します。続くカンビュセス2世の時代では古代オリエントを初めて統一し大帝国を築き上げました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ホープウェルの儀礼的土塁群

Hopewell Ceremonial Earthworks
ホープウェルの儀礼的土塁群
『ホープウェルの儀礼的土塁群』は、アメリカ合衆国北東部のオハイオ川中流域沿いにおいて、約2,000〜1,600年前に築かれた8つの巨大な土塁群です。これらは、現在「ホープウェル文化」と呼ばれる先住民の伝統を最もよく示す遺構として位置付けられています。多くの土塁群には、広大な空間を囲む土塁と、意図的に配置された記念碑的な門が備えられています。土塁は地形に応じて幾何学的に正確な円形、四角形、八角形などの形状で構築されており、地域全体で共通して用いられた標準寸法や幾何学的原理に基づいて建設されたと考えられています。内部には複数の墳丘(塚)が存在し、土塁群は主に土塁、門、墳丘によって構成されています。これらの構成要素は、太陽および月の動きを考慮して配置されたとされています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (i)(iii)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マチュ・ピチュ

Historic Sanctuary of Machu Picchu
マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、標高約2,430mの位置に築かれたインカ帝国の都市遺跡で、その都市の誕生は15世紀半ばとされています。16世紀にインカ帝国がスペイン人に征服されたときに放棄されましたが、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュを発見し世界に知られるようになりました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(ix)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with “The Last Supper” by Leonardo da Vinci
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
ミラノの中心部に位置するサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会は、15世紀の半ばに完成した教会です。敷地内にはドミニコ会の修道院があります。その食堂の壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から97年にかけて描いた『最後の晩餐』が残ります。縦4.2m×幅9.1mの巨大な壁画で、「遠近法」と「明暗法」を取り入れ、イエスとその弟子たちをリアルに浮き立たせた名画です。壁画は、壁の漆喰が乾ききらないうちに描くフレスコ画ではなく、卵などを絵具に混ぜて固定材として使用するテンペラ画の技法で描かれました。速乾性に優れ、細やかな筆遣いを可能としましたが、壁に描く場合は耐久性に劣るため、「最後の晩餐」も早くに損傷が進み、20世紀後半には修復作業が行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(ii)
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メテオラの修道院群

Meteora
メテオラの修道院群
メテオラとはギリシア語で「中空に浮く」という意味であり、ギリシア中部にあるメテオラでは、奇岩群が数多くあり、その上に修道院が立っているという、世界でも類を見ない景観が見られます。この奇岩群が形成されたのは今から6,000万年前に誕生したとされ、そこから長い年月をかけて川の水が谷を削り、硬い部分だけが残った結果、このような景観が生まれました。この景観を神の地と思ったのか、古くから人々が住み着いていました。9世紀頃から、現実世界から離れて、決して住みやすいとは言えないこの場所に修道院を築き、祈りを捧げるようになるのです。修道院群があたかも空中に浮いているように見えるから、この地はメテオラと言われました。最盛期には24の修道院があり、7つの修道院が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vii)
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メンフィスのピラミッド地帯

Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
メンフィスのピラミッド地帯
紀元前28世紀頃から22世紀ぐらいまで続いたエジプト古王国の時代に建設されたピラミッドが、王国の都であったメンフィスの周辺(ギザからダハシュール辺り)に多く残っています。古王国第3王朝のジェセル王はそれまで日干しレンガで造られた小さいマスタバと呼ばれる墓ではなく、不滅の建材である石材を使ったピラミッドを建設しました。彼のピラミッドは方形の石段の四方を拡張し6段重ねた「階段ピラミッド」と呼ばれています。次の第4王朝のスネフェル王は途中で角度が変わる「屈折ピラミッド」や少し赤く見える石材を使った「赤のピラミッド」など在位中に3つもピラミッドを建設しました。そして最大のものは次のクフ王の時代ものです。カイロ近郊のギザの台地には、高さ146m(建設当時は150m以上あったと言われています)のクフ王のピラミッドとカフラー王・メンカフラー王のピラミッドが並び、「ギザの3大ピラミッド」と呼ばれます。しかし、これ以後のピラミッドは小規模化していきました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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モスタル旧市街の石橋と周辺

Old Bridge Area of the Old City of Mostar
モスタル旧市街の石橋と周辺
モスタル旧市街は、15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の国境都市として発展し、19世紀から20世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代にも繁栄を遂げました。この地域は、オスマン帝国、地中海、西欧の建築様式が融合した独自の都市景観を形成しています。​街の中心にある石橋は、スターリ・モスト(古い橋)と呼ばれ、16世紀にミマール・スィナンの弟子ミマール・ハイルッディンが設計し、オスマン建築の傑作とされています。​1990年代のボスニア紛争で街の大部分とともに破壊されましたが、2004年に各国の援助やユニスコの支援を受けて再建され、和解と国際協力、多文化共生の象徴となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ボスニア・ヘルツェゴビナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (vi)
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モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場

Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena
モデナ:大聖堂と市民の塔(トッレ・チヴィカ)、グランデ広場
モデナはイタリア北部エミリア・ロマーニャ州にあります。モデナ市内あるいは近郊には、「マセラティ」や「フェラーリ」などの最先端のスポーツカーを製造する会社の本社があります。その一方で、旧市街では、中心にあるグランデ広場、大聖堂、鐘楼などが一体となっていて、中世の面影を今に残しています。そして、キリスト教における宗教上の結びつきの強さと、この地を支配したカノッサ家の影響を見ることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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モン・サン・ミシェルとその湾

Mont-Saint-Michel and its Bay
モン・サン・ミシェルとその湾
モン・サン・ミシェルは、フランス北西部の英国とフランスに挟まれた湾に立つ、小高い丘の上にあります。この地域は、フランスの他の地域とは異なり、現在の英国やアイルランドなどで見られるケルトの文化が色濃く残ります。708年にケルト人のモン・トンブと呼ばれるケルト人の聖地だった場所に、聖ミカエルを祀る聖堂を築いたのが、モン・サン・ミシェル(フランス語で「聖ミカエルの山」)の始まりです。聖ミカエルの信仰は、イタリアの世界遺産『イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)』に含まれるプーリア州の洞窟教会「サントゥアリオ・ディ・サン・ミケーレ・アルカンジェロ」に始まるとも伝えられますが、モン・サン・ミシェルはその信仰が遠くフランスに北西部にまで広がったことを示しています。 
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会

Churches of Peace in Jawor and Świdnica
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、17世紀中期の宗教戦争(三十年戦争)後、ハプスブルク家のカトリック支配下の中、プロテスタント社会に対する宗教的寛容さを示す必要性に迫られ建設されました。建設に際しては、石やレンガの使用が禁じられ、木材と土を主材料とするという厳しい条件下でありながらも、複雑かつ先駆的な建築技術が駆使されました。木造建築としてはヨーロッパ最大級の規模を誇り、耐久性に優れた構造を持っています。​今日までその壮麗な姿を保ち続けており、木造宗教建築の最高峰として評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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ラサのポタラ宮歴史地区

Historic Ensemble of the Potala Palace, Lhasa
ラサのポタラ宮歴史地区
チベット高原の中央部、標高約3,650mに位置するラサは、ポタラ宮を中心とするチベット仏教の聖地で、チベットの政治・文化の中枢です。チベット語では「神の地」を意味するチベットの歴史は、豪族たちがチベットの各地を支配していた7世紀の初めに、吐蕃のソンツェン・ガンポ王が初めてチベットを統一し、この地に遷都しました。ソンツェン・ガンポ王は、権力を強化しつつ、インドに派遣した家臣にチベット語を作らせて、サンスクリット語の経典をチベット語に翻訳させるなど、インドと中国の仏教文化を積極的に取り入れました。またポタラ宮の原型となる城を築き、その妃はジョカン寺(トゥルナン寺)を創建しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ラジャスタン州のジャイプール市街

Jaipur City, Rajasthan
ラジャスタン州のジャイプール市街
インド北西部ラジャスタン地方に位置するジャイプール市街は、かつてこの地に割拠したラージプート諸国のひとつ、アンベール王国の藩王(マハラジャ)であったサワーイー・ジャイ・シング2世が1727年に建設した都市です。王ははじめ丘陵地帯にあった城塞アンベール城を居城としていましたが、人口の増加や水不足に対応するため、平地に新たな都を建設しました。新たな都は「ジャイプール(「ジャイの町」)」と名づけられました。ジャイプールは英国の植民地支配下に置かれていた時代でも、領地の自治を保証されていたため、他の都市と比べてよりインド的な雰囲気を残しています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ラス・メドゥラス

Las Médulas
ラス・メドゥラス
『ラス・メドゥラス』は、スペイン北西部の山岳地帯にあるローマ帝国時代の金の採掘場です。1世紀、ローマ帝国はこの地域で、水力を利用した技術による金鉱脈の開発に着手しました。湧き水、雨、雪解け水を一度大きなダム(貯水池)に集め、そこから長距離にわたって延びる水路が鉱山とつながれていました。ダムの水門を開くと、大量の水が水路に流れ込み、水圧によって鉱山では土砂崩れが発生します。こうすることで露出された大量の金を一気に採取することができました。このような採掘方法は「ルイナ・モンティウム」(山崩し)と呼ばれました。採掘の過程で生じた選鉱屑は数キロにわたって堆積しており、一部では農地として利用されている場所もあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸

Rani-ki-Vav (the Queen’s Stepwell) at Patan, Gujarat
ラニ・キ・ヴァヴ:グジャラト州パタンにある王妃の階段井戸
インド西部グジャラト州のサラスワティ川岸にある井戸です。11世紀にこの地の王朝の王妃が亡き王を偲んで建造したので「王妃の階段井戸」と呼ばれています。この乾燥地帯では今から5000年ほど前から「階段井戸」と呼ばれる独特な水利・貯水システムがありました。地下水脈まで深く掘り下げ、そこまで階段を設けて水を汲み上げる方式です。この井戸は奥行65m、幅20m、深さ27mあり、水源にたどりつくには7層の階段を下りていくことになります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(iv)
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ラパ・ニュイ国立公園

Rapa Nui National Park
ラパ・ニュイ国立公園
ラパ・ニュイ国立公園は、チリの海岸から西に約3,700kmの南太平洋に位置するパスクア島(イースター島)にあり、約900体のモアイ像と300以上の儀式用プラットフォーム(アフ)を有しています。これらのモアイ像は、11世紀から17世紀にかけてポリネシアに起源を持つ長耳族によって先祖を祀るために造られ、島の各地に配置されています。
地域: 南米 / 国名: チリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(iii)(v)
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