World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(iii))

フライ・ベントスの産業景観

Fray Bentos Industrial Landscape
フライ・ベントスの産業景観
フライ・ベントスは、ウルグアイ南西部のウルグアイ川に突き出た地で、1859年設立の食品加工工場を中心に発展した街です。肉の調達から加工・梱包・発送までの全工程が行われ、1865年にロンドンで設立されたリービッヒ肉エキス製造会社の工場や、1924年にリービッヒ社を買収したアングロ食肉加工工場の建物や設備も含まれています。最盛期には50ヵ国以上の国から5,000人以上の移民労働者が集まるなど、国内の主産業のひとつとなっていました。フライ・ベントスで生産・輸出された牛肉エキスやコンビーフは、ヨーロッパで大変人気のある食品となっていたようです。残念ながら1979年に操業停止となりましたが、ここには当時の移民労働者の様子と食肉産業の全体像を今に伝える建造物が残っています。
地域: 南米 / 国名: ウルグアイ東方共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iv)
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プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観

Paseo del Prado and Buen Retiro, a landscape of Arts and Sciences
プラド通りとブエン・レティーロ:芸術と科学の景観
マドリードの都市中心部に位置するプラド通りとブエン・レティーロは、スペイン帝国最盛期にユートピア社会を目指した「知識の民主化」という啓蒙思想に結びついた文化的景観です。全長約1kmのプラド通りは、16世紀にヨーロッパの都市で最初に築かれた並木道として知られています。その他にも、アポロの噴水、ネプチューンの噴水、シベレスの噴水などの街のシンボルとなる大型噴水や樹木の設置、道路整備、市街地開拓と市民の憩いの場所として都市環境が整備されてきました。さらに通り沿いにはプラド美術館、王立植物園、王立天文台が設置されるなど、文化・科学・自然がひとつの街に共存しています。このようなプラド通りとブエン・レティーロのまちづくりはスペイン国内やラテンアメリカの多くの都市のモデルとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2021年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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プラハの歴史地区

Historic Centre of Prague
プラハの歴史地区
チェコ中西部に位置する首都プラハは、人口約130万人を擁するヨーロッパでも有数の大都市です。街のほぼ中央、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の両岸に、ヨーロッパ屈指の美しさを誇る歴史地区があります。プラハの起源は、6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川沿いに集落を築いたことにさかのぼります。7世紀には丘の上に砦が建てられ、都市としての形成が始まりました。9世紀後半頃、ヴルタヴァ川左岸にプラハ城の前身の城塞が、10世紀には右岸にヴィシェフラト城が建造され、2つの建造物に挟まれた区域が発展していきました。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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フランク・ロイド・ライトの20世紀の建築

The 20th-Century Architecture of Frank Lloyd Wright
フランク・ロイド・ライトの20世紀の建築
アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが20世紀前半に設計したアメリカ国内の8つの建築物が、世界遺産に登録されています。これら8つの建築物は、1906〜1909年に建造されたユニティーテンプルから、1956〜1959年に建造されたソロモン・R・グッゲンハイム美術館まで、ライトの70年にわたるキャリアの中の約50年間の代表作です。これらの建築物は、彼が提唱した「有機的建築」の概念を明確に示しています。「有機的建築」とは、「オープン・プラン(流動的な設計)」や「建築空間の内外の曖昧な境界」、「鉄やコンクリートなどの素材の斬新な組み合わせ」といった特徴を持つ建築スタイルです。彼が確立した、水平ラインを強調するプレイリースタイル(草原様式)は、その好例と言えます。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)
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フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

Routes of Santiago de Compostela in France
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
スペイン北西部に位置し、キリスト教の三大聖地の一つとされるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。ヨーロッパ各地から巡礼者がこの地を目指す際には、フランスを通過することが多く、フランス国内を起点とする巡礼路がピレネー山脈を越えてスペインの聖地へと通じています。フランス国内には、「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」と呼ばれる4つの巡礼路があります。この4本の道の沿道にある建築物や遺跡と、「ル・ピュイの道」の7区間が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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プランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館とその関連施設

Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex
プランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館とその関連施設
プランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館とその関連施設は、ルネサンスからバロック時代にまで遡る印刷工房兼出版社の建物です。この施設は、パリやヴェネツィアと並んで、初期ヨーロッパ印刷の三大都市の一つであったアントウェルペンに位置しており、活版印刷の発明と普及の歴史と深く結びついています。その名は、16世紀後半の最も偉大な印刷出版者であるクリストフ・プランタンにちなんでいます。その歴史的重要性は、16世紀末にヨーロッパで最も多産であったこの印刷・出版社の活動の様子と業績を示している点にあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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フランドル地方のベギン会の建物

Flemish Béguinages
フランドル地方のベギン会の建物
フランドル地方のベギン会の建物は、中世に北西ヨーロッパで発展したベギン会の文化的伝統を伝える証です。ベギン会とは、独身または寡婦の女性たちが、世俗から隠退することなく、神に献身する生活に入った集団を指します。彼女たちは13世紀に、精神的および物質的な必要性を満たすためにベギン会館(ベギナージュ)という閉鎖的なコミュニティを設立しました。ベギン会の建物群は、世俗的な価値と修道院的な価値を組み合わせた、中世の宗教運動に関連する建築アンサンブルの優れた例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ブリムストーン・ヒル要塞国立公園

Brimstone Hill Fortress National Park
ブリムストーン・ヒル要塞国立公園
カリブ海のセント・キッツ島にあるブリムストーン・ヒル要塞は、17~18世紀のイギリスの軍事建設として、典型的な要塞です。英国軍の設計に基づき、アフリカ人奴隷によって建設され、100年以上の建築期間を経て巨大な要塞となりました。この要塞は、高さ230mの2つの峰を持つ火山丘の地形を利用して、沿岸防衛と市民の避難場所として機能しました。セント・キッツ島は、ヨーロッパ人(特にフランス人とイギリス人)によって植民地化された最初の西インド諸島として、この地域の覇権をめぐる戦いの舞台でした。ブリムストーン・ヒルがヨーロッパ人の軍事目的に使われたのは、1690年にイギリス人がフランス人を追い出すために大砲を設置したのが始まりです。1853年に英国軍が撤退した後も多くの遺構が残されており、植民地時代の歴史と軍事建築の発展を物語る貴重な遺産です。
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ブリュージュの歴史地区

Historic Centre of Brugge
ブリュージュの歴史地区
ブリュージュの歴史地区は、羊毛の輸入で繁栄した貿易都市で、内陸にありながらいくつもの運河で結ばれている。1252年にハンザ都市となり、ヨーロッパで初となる証券取引所も誕生。運河やマルクト広場、街路などが中世の面影を残しており、​特に、ゴシック建築の聖母教会や市庁舎、鐘楼などは都市の象徴として重要な役割を果たしている。​これらの建築物は、商業と宗教の中心地としてのブリュージュの歴史を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト

Castles of Augustusburg and Falkenlust at Brühl
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト
ドイツ西部、牧歌的な庭園風景の中に建つブリュールのアウグストゥスブルク城は、建築家ヨハン・コンラート・シュラウンによって着工され、フランソワ・ド・キュヴィイエによって完成されました。ケルン大司教兼選帝侯の豪奢な居城であるこの城と、田園に建つ小さな狩猟館ファルケンルストは、18世紀ロココ建築のドイツにおける最初期かつ最良の例であり、当時のヨーロッパにおける比類ない豊かな建築・芸術文化と直接結びついています。1725年、バイエルン出身のケルン選帝侯クレメンス・アウグスト(1700–1761)は、中世城館の基礎の上にこの壮大な居城をブリュールに建設しました。建物は粗い塗装を施したレンガ造りの三翼構造で、南側には礼拝室を含むオランジュリー、北側には付属施設を収めたオランジュリーが接続しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ブリュッセルのグラン・プラス

La Grand-Place, Brussels
ブリュッセルのグラン・プラス
ベルギーの首都ブリュッセルの旧市街の中心にあるグラン・プラスの建築群は、1695年のルイ14世軍による砲撃で破壊された後、短期間で再建されました。個々の建物はバロック様式で建てられつつも広場全体の調和が保たれ、この様式と芸術の融合はブリュッセルの文化的・社会的特性を象徴しています。また、12世紀から続く商業都市ブリュッセルの発展を物語る場所でもあり、特に17世紀末の再建は、権力と誇りを示した象徴的な行為でした。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベルギー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ブルー・アンド・ジョン・クロウ山脈

Blue and John Crow Mountains
ブルー・アンド・ジョン・クロウ山脈
ジャマイカ南東部に位置する『ブルー・アンド・ジョン・クロウ山脈』は、セント・アンドリュー、ポートランド、セント・トーマス、セント・メアリーの4つの教区にまたがる約263㎢の熱帯山岳雨林で構成されています。この地域は、2015年にジャマイカで初めての世界遺産(複合遺産)になりました。コーヒー豆の産地としても有名なブルー・マウンテンがあり、その標高は2,256mでジャマイカ最高峰です。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: ジャマイカ / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (iii)(vi)(x)
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ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群

Brú na Bóinne - Archaeological Ensemble of the Bend of the Boyne
ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群
『ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群』は、アイルランドに現存する最大の先史遺跡であり、首都ダブリンの北約40km、ボーニャ川とマトック川に挟まれた尾根に位置しています。現在は主に農地として利用されているこの地域は、100年以上にわたり考古学者や歴史学者によって広範囲に調査され、多くの特徴が発掘調査によって明らかになってきました。遺産は、ニューグレンジ、ノウス、ダウスの3カ所にある大型石室墓と、点在する40以上の古墳で構成されています。これらの古墳群は、古代における重要な儀式の中心地であったと考えられているほか、鉄器時代、初期キリスト教時代、中世といった後の時代にも遺跡が築かれており、極めて重要な歴史的価値を有しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: アイルランド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ブルキナファソの古代製鉄遺跡群

Ancient Ferrous Metallurgy Sites of Burkina Faso
ブルキナファソの古代製鉄遺跡群
ブルキナファソは、西アフリカに位置し、北はマリ、東はニジェール、南はガーナなどに囲まれた内陸の国です。この世界遺産は、国内にあるティウェガ、ヤマネ、キンディポスカイ、ドッルラの5つの遺跡で構成されています。現在も直立している約15基の自然通風炉、溶鉱炉の土台、鉱山、住居跡などが含まれています。通風炉は高いもので5mを迎えています。最も古いドゥルラの遺跡は紀元前8世紀に歴史を遡り、アフリカにおける製鉄業の発展において最初期の段階を示しています。その他4つの遺跡には、西アフリカの社会が複雑化した2千年紀に鉄の生産が増加したことを伝えています。そして現在も村の鍛冶屋はさまざまな儀式に参加しながら、鉄の道具の供給などを行っています。
地域: アフリカ / 国名: ブルキナファソ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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ブルゴーニュのブドウ栽培の景観

The Climats, terroirs of Burgundy
ブルゴーニュのブドウ栽培の景観
「ブルゴーニュのクリマ(Climats)」とは、ディジョンから南へ約50㎞、マランジュまで続くコート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌの斜面に位置する、粘土石灰質の土壌を持つ自然の丘陵地に広がる、厳密に区分された小さなブドウ畑の区画のことを指します。それぞれの区画は、地質や日照条件などの自然環境、そしてブドウの品種によって異なり、人の手による栽培によって形づくられてきました。やがて、それぞれの区画は生産されるワインによって認識されるようになりました。この文化的景観は2つの部分から成り立っています。ひとつは、ブドウ畑と、それに関連する生産拠点(村々やボーヌの町など)で、これはワイン生産の商業的側面を表しています。もうひとつは、ディジョンの歴史的中心部で、ここは「クリマ」制度を生み出した政治的・規制的な動きの象徴です。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (iii)(v)
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ブルゴスの大聖堂

Burgos Cathedral
ブルゴスの大聖堂
聖母マリアに捧げられた「サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂」は、スペインを代表する大聖堂のひとつとして、「グラナダのアルハンブラ宮殿」などと共に、スペインで最初の世界遺産のひとつとして登録されました。「パリのセーヌ河岸」にあるノートル・ダム大聖堂からわずかに遅れて、1221年に建築が始まり、途中で約200年の中断を挟みつつ1567年に完成しました。こうして長い年月をかけて築かれたため、ゴシック様式の進化の過程と共に、ゴシック芸術の全体像をよく表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地

Bursa and Cumalıkızık: the Birth of the Ottoman Empire
ブルサとジュマルクズク:オスマン帝国発祥の地
オスマン帝国は1299年に誕生し、1922年に滅亡する非常に寿命の長い帝国ですが、その初期の都となったのがこのブルサです。オスマン帝国はブルサ、エディルネ、イスタンブルと都を変えてきました。世界遺産には、トルコ北西部の南マルマラ地方に位置するブルサの8つの遺跡群、その近郊の村であるジュマルクズクからなる遺跡群が登録されています。ブルサはシルク・ロードの西の基点として繁栄し、オスマン帝国はビザンツ帝国からブルサを奪い、1326~1365年まで首都としました。現在でも300万人以上の人口を有し、トルコ第4の都市として栄えています。ブルサには、オスマン帝国による都市部と農村部からなる都市設計が見られ、それが現在でも残っているため非常に高く評価されています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ブルノのトゥーゲントハート邸

Tugendhat Villa in Brno
ブルノのトゥーゲントハート邸
チェコ南部モラヴィア地方に第2の都市ブルノがあります。このチェルナー・ポレ地区に、1930年、ブルノの繊維業で財をなした富裕な実業家トゥーゲントハート夫妻の新居がつくられました。ドイツ人建築家ミース・ファン・デル・ローエの設計で、傾斜地に建てられたその3階建て邸宅は、玄関やプライベート空間が上階に、下階がリビングや食堂になっています。庭に向かった壁面は総ガラス張りで部屋と庭とが一体的になっており、メインフロアには壁がなく、仕切りと建築家ミース自身がデザインした家具によって空間に機能を持たせる開放的なつくりになっていて、世界四大邸宅建築のひとつに数えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローラント像

Town Hall and Roland on the Marketplace of Bremen
ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローラント像
ドイツ北西部ブレーメンの市場広場にある市庁舎とローラント像は、ヨーロッパの神聖ローマ帝国において発展した都市の自治権と市場特権を象徴する優れた遺構です。旧市庁舎(ラートハウス)は15世紀初頭にゴシック様式のホール建築として建てられ、17世紀初頭にはいわゆるヴェーザー・ルネサンス様式で改修されました。20世紀初頭には旧市庁舎の隣に新市庁舎が建設され、第二次世界大戦の爆撃を生き延びた建築群の一部となっています。旧市庁舎は、41.5m × 15.8m の長方形平面を持つ二階建てのホール建築で、「横長の矩形ホール構造」と呼ばれています。1階はオーク材の柱を持つ大広間で、商人の取引や演劇の場として使われていました。2階には同じ大きさの祝祭ホールがあります。窓の間には、ゴシック期の皇帝や選帝侯を表す石像が並び、後期ルネサンスの装飾と融合して市民自治を象徴しています。地下には1階と同じ規模の石柱を持つ大きなワインセラーがあり、後に西側へ拡張され、現在はレストランとして利用されています。17世紀の改修では、列柱の11軸のうち中央3軸が大きな矩形窓と高い破風を持つ張り出し部で強調され、これがヴェーザー・ルネサンス様式の好例となっています。さらに、砂岩による精巧な彫刻装飾がファサードに加えられ、寓意的・象徴的な表現が施されました。新市庁舎は建築コンペの結果、ミュンヘンの建築家ガブリエル・フォン・ザイドルによって設計され、1909年から1913年にかけて建設されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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ブレナヴォン産業景観

Blaenavon Industrial Landscape
ブレナヴォン産業景観
ブレナヴォンは、イギリス南ウェールズのエイヴォン・ロイド渓谷の上流に位置する街で、19世紀には世界でも有数の鉄鉱石と石炭の産地でした。古代ローマ時代から鉄の生産が行われていたとされ、18世紀後半に近代的な製鉄所が建設されました。最盛期には66万tもの鋳造量があり、イギリスの産業革命を支える存在でした。製鉄所や炭鉱、そして労働者の邸宅、また鉄道、運河による輸送システムなど、初期の産業都市の景観が今も残されています。
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ブレナム宮殿

Blenheim Palace
ブレナム宮殿
ロンドンの北西約90kmにある英国のバロック建築の代表例です。この宮殿は1704年のブレンハイムの戦いの勝利を讃えて、初代マールバラ公ジョン・チャーチル将軍にアン女王から下賜されたものです。完成は1722年で英国で最も著名な建築家ジョン・ヴァンブラーの最高傑作といわれます。庭園は18世紀にランスロット・ブラウンにより自然の景観を生かしたイギリス式庭園に造り替えられました。この庭園は「自然主義的なヴェルサイユ」とも呼ばれています。第二次世界大戦時の宰相ウィンストン・チャーチルはジョン・チャーチル将軍の子孫で、この宮殿で生まれました。
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文化交差路サマルカンド

Samarkand – Crossroad of Cultures
文化交差路サマルカンド
紀元前から東西交易の要衝で中央アジア最古の都市で、紀元前7~8世紀にはソグド人の都市が築かれたと言います。サマルは「人々が出会う」、カンドは「街」という意味で、まさに世界の交差点ともいうべきところです。歴史的には3度破壊されています。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王が、8世紀にはアラブ人のイスラム勢力が、そして13世紀にはモンゴルのチンギス・ハンが攻め寄せてきました。特にモンゴル軍の破壊はすさまじく、住民はことごとく殺され、建物はほぼすべて破壊されたと伝わっています。今その場所は「アフラースィヤーブの丘」となり当時のものは何も残されていません。その後14世紀になってティムールがサマルカンドを帝国の都と定め、街の中心はアフラースィヤーブの丘から現在のレギスタン広場へと移りました。
地域: 西・南アジア / 国名: ウズベキスタン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ヘーゼビューとダーネヴィルケの国境の考古学的遺跡群

Archaeological Border complex of Hedeby and the Danevirke
ヘーゼビューとダーネヴィルケの国境の考古学的遺跡群
ヘーゼビューの交易拠点とデーン人の防衛施設ダーネヴィルケは、現在のドイツ北端、ユトランド半島のシュレースヴィヒ地峡に位置し、1千年紀から2千年紀初頭にかけて築かれた、土塁・壁・堀、集落、墓地、港湾などが空間的に結びついた複合遺構です。この特異な地理的位置は、スカンディナヴィア、ヨーロッパ大陸、北海、バルト海を結ぶ戦略的な要衝となりました。バルト海の入り江、河川、湿地帯が南北の通路を狭める一方で、海と海を結ぶ最短かつ安全な陸上ルートを形成していました。ヘーゼビューは、南のフランク王国と北のデンマーク王国の境界地帯という独自の位置により、ヨーロッパ大陸とスカンディナヴィア、北海とバルト海を結ぶ重要な交易拠点となりました。ヴァイキング時代を通じて3世紀以上にわたり、西欧・北欧の新興交易都市(エンポリア)の中でも最大級かつ最重要の都市の一つでした。10世紀には、国境と陸上輸送路を管理するダーネヴィルケの防衛施設に組み込まれました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所

Early Christian Necropolis of Pécs (Sopianae)
ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所
ハンガリー南部の街ペーチは、ローマ帝国の属領時代はソピアナエと呼ばれており、ここには4世紀頃に作られた地下墓所が残されています。1782年に始まった考古学的発掘調査によって、4世紀頃のローマ帝国衰退期から8世紀のフランク王国による征服期に至るまでの連続性を持つ遺跡として発見されました。地上には礼拝堂や霊廟が建設されていた痕跡があり、地下には聖書をモチーフにした壁画で飾られたカタコンベが存在しています。世界遺産としては16の地下墓所で構成されており、主要な遺構の周辺には500基以上の墓が点在しています。地下の埋葬室と地上の礼拝堂という2つの構造からなっており、貴重な遺構といえるでしょう。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ベート・シェアリムのネクロポリス:ユダヤ人再興の中心地

Necropolis of Bet She’arim: A Landmark of Jewish Renewal
ベート・シェアリムのネクロポリス:ユダヤ人再興の中心地
イスラエル北部にあるベート・シェアリムのネクロポリスは、ユダヤ人が132~135年にローマ支配に対して起こした第二次ユダヤ人反乱(バル・コクバの乱)の失敗後、エルサレム以外における主要なユダヤ人墓地となりました。この地下墳墓群は、ラビ・ユダ(族長)の指導の下で西暦2世紀から4世紀にかけて繁栄した、ユダヤ教の復興と存続を示す卓越した証拠となっています。135年以降にユダヤ教復興の担い手となり、ミシュナーを編纂したとされるイェフーダー・ハン・ナーシーが、一説には220年頃にベート・シェアリムに埋葬され、以来多くのユダヤ人がこの地を墓地に選んだとされています。この広大な地下墓所は、粘り強いユダヤ文化がこの地で花開いた歴史を物語っています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ベームスター干拓地(ドゥローフマーケライ・デ・ベームスター)

Droogmakerij de Beemster (Beemster Polder)
ベームスター干拓地(ドゥローフマーケライ・デ・ベームスター)
ベームスター干拓地は、17世紀初頭に造られた、オランダにおける干拓地の並外れた事例です。この干拓地は、新しい農地と田舎の住宅地の開発、さらに低地における洪水対策を目的に、1612年にベームスター湖を干拓して完成したものです。それ以前にも干拓は行われていましたが、風車技術の改良によって、ベームスター干拓地は約72㎢という広大な面積を対象とした最初の大規模干拓事業となりました。干拓地は、古典期およびルネサンス期の都市・建築理論に基づいて、合理的かつ幾何学的なパターンによって設計されています。この知的かつ創造的な景観は、古代とルネサンスの理念を干拓景観の設計に応用した計画の傑作であり、のちのヨーロッパおよび世界各地の干拓事業に深く、長期的な影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: オランダ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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平遥の古代都市

Ancient City of Ping Yao
平遥の古代都市
中国北部、山西省の平遥は、「平遥古城」とも言われる中国有数の古都です。この地域に人類が住み始めたのは新石器時代とされます。紀元前9~前8世紀、周王朝の宣王の時代に要塞が築かれたことが街の始まりです。明代初期の14世紀、洪武帝は石積みとレンガで強固な防壁を築き、城壁内部のレイアウトも大きく変えて街を拡張しました。明代以降は華北地域の金融を支配した山西商人たちの拠点となり、清代にあたる 19~20世紀にかけては中国全土の金融業の中心となりました。平遥は全周約6.4kmの城壁に囲まれており、6基の門と72の塔を備えています。城壁内は約2.25k㎡の広さで、明代から清代にかけての街並が広がります。街路、役所、商店、民家などが往時の姿を留めていて、4,000軒近い商店や住居や、大小100以上の通りなどが現存しています。特に明・清代の漢民族の都市の特徴が非常に良い状態で残されています。「平遥の古代都市」は、近郊の双林寺と鎮国寺も含めて世界遺産に登録されています。6世紀半ばに創建された双林寺には、明・清代にかけて制作された彩色塑像約 2,000体が保存されていて、「東洋の彩色塑像の美術館」と称されます。鎮国寺は10 世紀創建の寺院で、敷地内の芳仏殿は中国で最も古い木造建築の1つに数えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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北京原人化石出土の周口店遺跡

Peking Man Site at Zhoukoudian
北京原人化石出土の周口店遺跡
北京の南西に位置する周口店遺跡は、東アジア最大の旧石器時代の遺跡です。1921年にこの地で未知の化石人類の臼歯が発見され、シナントロプス・ ペキネンシスと名付けられました。これは北京原人のことで、現在の学名はホモ・エレクトゥス・ペキネンシスと呼ばれています。化石人類とは現生人類(新人)に進化する前の猿人、原人、旧人を指し、打製石器を使用する旧石器時代に生存していました。1929年には頭蓋骨が発見されました。北京原人は約 70万年から約20万年前の原始人類で、直立歩行をして、道具と火を使用し、河岸や洞窟で集団生活をしていたと考えられています。周口店遺跡からは40体あまりの人骨、約10万点の石器、骨製道具などが発見されました。また、北京原人よりも現代人に近い、1万9,000年ほど前の山頂洞人の遺跡も見つかっています。山頂洞人とは、北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこう呼ばれています。ヨーロッパのクロマニョン人などの化石の現生人類と考えられています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (iii)(vi)
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北京と瀋陽の故宮

Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang
北京と瀋陽の故宮
故宮とは「昔の宮殿」という意味です。北京の中心部にある故宮と、中国東北部の瀋陽にある故宮はともに明・清王朝の皇帝が居城とした宮殿の遺構で、かつては紫禁城と呼ばれていました。禁城は一般人が立ち入ることを禁じるということを意味します。北京と瀋陽にある故宮は、15世紀から20世紀にかけて、封建時代後期の中国における国家権力の中心でした。今も残る建築群の配置や設計、装飾など宮殿のさまざまな構成要素の中に、明清時代の王族の生活様式や価値観が反映され、当時の宮廷文化を物語っています。中国の官営建築として最高の技術的・芸術的成果といえる木造建築が保たれていることも高く評価されています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群

Beijing Central Axis: A Building Ensemble Exhibiting the Ideal Order of the Chinese Capital
北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群
中国の首都・北京の中心部を南北に貫く中軸線は、北の鐘鼓楼から万寧橋、景山公園、紫禁城(故宮)、天安門などを経て、南の永定門に至るまで、全長7.8kmにわたって延びています。この都市軸は、北京の歴史的中核を形づくるとともに、中国の皇帝制と伝統的都市計画の理念を現在に伝えるものです。歴史的には、元代(1271~1368年)の首都・大都の建設とともに1267年に初めて建設され、明代(1368~1644年)、清代(1636~1912年)にかけて拡張・形成されました。元代に大都が建設された際、現在の什刹海(シチャハイ)東岸周辺を基準点として、南方向に都市の軸線が設定されました。これに沿って宮城が築かれ、都市の四方の境界が画定されるとともに、街路は碁盤目状に整備されました。この軸線は中国古代に編纂された、儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルが具体化されたものでした。明代に入ると、紫禁城を中心とする内城とその南側に外城が建設され、南北へと延長されました。15世紀前半には、紫禁城の北側に景山が築かれ、東西には太廟と社稷壇(しゃしょくだん)が配置されました。さらに内城の南には天安門と正陽門が整備され、16世紀半ばまでに外城が完成すると、中軸線は永定門まで延び、現在見られる7.8kmの全体像が成立しました。その後の清代にかけて、建造物の改修や景観の整備が進められ、中軸線は皇帝制のもとで維持・発展していきました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)(iv)
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