World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(iii))

ホラショヴィツェの歴史的集落

Holašovice Historic Village
ホラショヴィツェの歴史的集落
ホラショヴィツェは、チェコ共和国南部の南ボヘミア州で最も大きな街であるチェスケー・ブジェヨヴィツェの西15㎞に広がる田園地帯にある小さな村で、世界遺産で知られるチェスキー・クルムロフの北24㎞に位置します。この村の土地は、13世紀にボヘミア王がシトー会派のヴィシー・ブロト修道院に寄進したもので、中世から続く伝統的な農村の景観が今も残されています。南北に延びたほぼ長方形の共有の緑地広場の一角には小さな養魚池があり、その緑地を囲むように並木道に沿って120棟の民家が整然と並んでいます。そして、23の農場、ネポムクの聖ヨハネに捧げられた小さな礼拝堂、十字架、鍛冶場が配置されています。民家は18世紀から19世紀にかけてつくられた南ボヘミア地方特有の民族的バロック様式で、屋根や切妻の壁は黄色やピンクなどのパステルカラーに彩られ、装飾も施されています。礼拝堂は、高い鐘の形をしたファサードに特徴があり、屋根の上には鐘楼がもうけられています。平屋建ての鍛冶場と鍛冶屋の住居は、緑地広場の中央付近にあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ボルガルの歴史的考古学的遺産群

Bolgar Historical and Archaeological Complex
ボルガルの歴史的考古学的遺産群
ヨーロッパ最長の河川であるヴォルガ川とカマ川が合流する南に、ボルガルの考古遺跡があります。それらからは、7世紀から15世紀に繁栄したヴォルガ・ボルガル文明の記憶をたどることができます。13世紀になるとモンゴル帝国の支配を受け、ジョチ・ウルスの最初の首都になり、カザン・ハン国の時代では交易中心地になりました。構成資産には、モスクやミナレット、霊廟などの宗教建造物や、浴場跡、塁壁などもあります。数世紀におよぶユーラシアの文化交流と変遷の歴史を刻むボルガルの遺産群からは、文化の多様性を汲み取ることができます。この地域では922年にイスラム教が受け入れられており、現在もタタール人のムスリムにとっては巡礼地になっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(vi)
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ボルドー、月の港

Bordeaux, Port of the Moon
ボルドー、月の港
「ボルドー、月の港」は、世界的に有名なワイン生産地域の中心都市としての役割と、地域および国際レベルでの商業における港の重要性により、2000年以上にわたる人類の価値交流の卓越した例です。18世紀初頭から発展した都市計画と建築の集合体は、ボルドーを古典主義や新古典主義の傑出した例として位置づけ、都市や建築の統一性と調和を際立たせています。その都市計画を代表する場所が、ガロンヌ川に面してたたずむブルス広場です。大劇場(フラン・テアトル)は、建築家ヴィクトル・ルイによって設計された建物です。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)

Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
広くはリヴィエラと呼ばれた地域のうち、イタリアのジェノヴァを挟んで西側の一帯は、フランスのニースまで続く国際リゾート地帯となっています。一方、東側に当たるイタリア半島北西部のリグリア海の海岸線一帯は未開発なままで1,000年にわたり自然と共存共栄を図ってきた街並を残しています。ここでは現在も、ブドウ栽培や漁業などでの伝統的な生活を送る人々が暮らしています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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ホレズの修道院

Monastery of Horezu
ホレズの修道院
ルーマニア中部ワラキア地方西部のホレズ近郊に1690年に建てられた修道院です。当時の領主であったコンスタンティン・ブルンコヴァヌ公によって建造されたもので、彼とその家族はワラキアの多くの修道院や教会の建設に尽力し、それらは彼の名を取ったブルンコヴァヌ様式と呼ばれています。ホレズの修道院はこの様式を代表する建造物として知られ、ギリシャ十字型の土台の中央に主聖堂のカトリコン聖堂が置かれ、東西南北の四端に付属聖堂としての使徒聖堂、聖母聖堂、聖ステファヌス聖堂、天使聖堂が配置されています。主聖堂のカトリコン聖堂は1690年から1692年にかけて建設され、内装を含めてさらに2年後に完成しました。3つの側廊を持ち、非常に大きなナルテクス(拝廊)を持っており、これは16世紀初頭に建造されたクルテア・デ・アルジェシュ修道院の大聖堂に倣ったものです。内部下層の壁面は、コンスタンティン・ブルンコヴァヌとその妻、11人の子供達の奉納画で埋め尽くされており、エクソナルテクスの東壁には「最後の審判」が描かれています。これらの内部装飾や外観はワラキア独自の文化とギリシャから伝わった様式の融合が見られます。
地域: ヨーロッパ / 国名: ルーマニア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)
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ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群

Episcopal Complex of the Euphrasian Basilica in the Historic Centre of Poreč
ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群
クロアチア西部イストラ半島のアドリア海に面する地、ポレチュは、紀元前2世紀に古代ローマ帝国が建設した街です。ここには4世紀から6世紀にかけて建てられた初期キリスト教関連の建造物群があります。エウフラシウス聖堂は、4世紀創建の礼拝堂を6世紀中ごろ司教エウフラシウスが改築したもので、同時代のビザンツ建築の中心地であったラヴェンナの影響が強く見られ、初期キリスト教建築とビザンツ様式が融合した宗教建築の傑作といわれています。バシリカ聖堂本体に加え、中央のアプスやアトリウム、そしてモザイク画などが良好な状態で保存されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ポロンナルワの古代都市

Ancient City of Polonnaruwa
ポロンナルワの古代都市
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)

Pont du Gard (Roman Aqueduct)
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
フランス南部オクシタニー地域に位置する「ポン・デュ・ガール」は、紀元前19年頃に古代ローマの政治家アグリッパが建設を命じた水道橋です。古代ローマの植民都市ネマウスス(現在のニーム)に水を供給するために1世紀中頃に建設された全長約50kmの水道の一部で、ユゼス近郊のウールの泉から水を運ぶ役割を果たしていました。水道橋は三層構造となっており、最上部までの高さは49m、水路部分の長さは下層から142.35m、242.55m、275mと上層になるほど長くなっています。岩盤の上に築かれた水道橋は、地形と調和しながら力強いラインを描いており、ローマ建築技術の偉業であると同時に、風景を一変させる芸術作品でもあります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ポントカサステ水路橋と運河

Pontcysyllte Aqueduct and Canal
ポントカサステ水路橋と運河
ウェールズ北東部には、英国で最長かつ最も高い水路橋があります。それが19世紀初頭に開通したポントカサステ水路橋と運河で、それは産業革命の時代における土木技術の結晶とされています。橋を設計したのは、土木技術者のトマス・テルフォードです。彼は、水が流れる橋の上の水路部分に鍛鉄を使い、軽くて頑丈なアーチ構造で完成させました。また、地形的な条件に合わせて、運河には閘門を省くといった大胆な解決策も取り入れました。200年以上も昔に、土木技術と金属構造を融合させたことは画期的であり、後の世界の土木建築に多大な影響を与えたとされています。
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ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区

Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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マウォポルスカ南部の木造教会群

Wooden Churches of Southern Małopolska
マウォポルスカ南部の木造教会群
ポーランド南部にあるマウォポルスカには、中世のローマ・カトリック文化の教会建築の様相を伝える木造教会群が点在しています。中世のポーランドでは、王侯や貴族、聖職者など限られたパトロンのみが教会を建設することがきました。木造教会は社会的・政治的威信の象徴となり、村や集落のランドマークであり、共同体の文化的なアイデンティティと結びついた存在でした。世界遺産に登録されたのは、15~18世紀にかけて建てられた6つの木造教会群です。いずれもゴシック様式で、北欧や東欧地域では一般的だった丸太を水平に積み上げて造る工法で建設されました。これらの教会の建設において採用された独特な構造は、この地域固有のものです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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マウルブロンの修道院関連建造物群

Maulbronn Monastery Complex
マウルブロンの修道院関連建造物群
1147年に設立されたシトー会のマウルブロン修道院は南ドイツに位置します。アルプス以北で最も完全かつ保存状態の良い中世修道院群とされています。城壁に囲まれた主要な建物は12世紀から16世紀にかけて建造されたもので、ロマネスクからゴシックへの過渡期にあたります。聖堂は三廊式で、縦に長いラテン十字型のプランを持つロマネスク様式で創建されましたが、13世紀の初めにゴシック様式の柱廊玄関ホールなどが加えられました。北ヨーロッパから中央ヨーロッパの多くの地域のゴシック建築の普及に大きな影響を与えたと考えられています。修道院は町外れに位置し、かつ城壁に囲まれていることから市街地とは明確に区別され隔たれており、これは第一世代のシトー会建築の典型例の一つです。また、併設されていた神学校は、作家のヘルマン・ヘッセや詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンなどが学んでいたことでも知られています。ヘッセの自伝的小説である『車輪の下』はマウルブロン神学校での体験を元にしているとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マカオの歴史地区

Historic Centre of Macao
マカオの歴史地区
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市

Portuguese City of Mazagan (El Jadida)
マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市
カサブランカ南西90kmに位置するアル・ジャジーダ市の一部であるマサガンは、16世紀初頭に大西洋沿岸の要塞植民地として建設されました。マサガンとはベルベル語で「たてがみをもつ女性」という意味ですが、19世紀にスルタンであったアブルドゥ・ラフマンによって「新しい」という意味の「アル・ジャジーダ」と名づけられました。ポルトガル占領時、マサガンはインドへの航路上に位置する、西アフリカにおけるポルトガル人探検家たちの重要な拠点として機能しました。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マサダ国立公園

Masada
マサダ国立公園
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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マダラの騎馬像

Madara Rider
マダラの騎馬像
ブルガリア北東部のマダラ高原には、8世紀から9世紀の前半頃に彫られたとされる、 巨大な騎士のレリーフがあります。レリーフは、高低差が100mある断崖にあり、高さ23mの位置に、縦2.5m、横3mにわたって彫られた巨大なもので、犬を従えた馬上の騎士が、馬にライオンを踏みつけさせている姿が描かれています。制作方法等は未解明です。周囲に残るギリシャ語の碑文から、ブルガリアの英雄であるテルヴェル・ハーンを描いたものと推測されていますが、聖ゲオルギオスという説もあり、定かではありません。この独特なレリーフは、ブルガリアで最初に登録された世界遺産のひとつで、また、ブルガリアのコインにも描かれています。テルヴェル・ハーンは中世ブルガリアの英雄で、ビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス2世を助け、皇帝からカエサルの称号を授かったと伝えられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ブルガリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)
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マチュ・ピチュ

Historic Sanctuary of Machu Picchu
マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、標高約2,430mの位置に築かれたインカ帝国の都市遺跡で、その都市の誕生は15世紀半ばとされています。16世紀にインカ帝国がスペイン人に征服されたときに放棄されましたが、1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがマチュ・ピチュを発見し世界に知られるようになりました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(ix)
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マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園

The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
「サッシ」とはイタリア語で岩を意味するサッソ(sasso)の複数形で、ここマテーラにおいては洞窟住居を指します。イタリア南部バジリカータ州のマテーラには深いグラヴィーナ渓谷があり、その石灰岩層に約3,300の洞窟と150以上の岩窟教会が残されています。洞窟住居は約7,000年前から造られ始め、その後屋根等を拡張して居住スペースを広げたものも多く造られるようになりました。しかし、20世紀になって人口が急増し、住環境や衛生状態が悪化したため、1950年代に住民1万5,000人が郊外に強制的に移住させられ、無人の廃墟となってしまいました。近年は世界遺産登録を契機に観光客が増加し、洞窟の5分の1ほどが再利用されているということです。ここには旧石器時代の遺跡もあり、古代からの人々の生活の様相と文化を伝える歴史的価値が高く評価されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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マトボの丘群

Matobo Hills
マトボの丘群
ジンバブエ南西部に位置するマトボの丘群は、ジンバブエの大部分を覆う花崗岩の楯状地で、丘の海のような独特の地形が広がっています。ここには天然の岩窟(ロック・シェルター)がいくつもあり、岩窟内には素晴らしい岩絵のコレクションが残されています。これらの岩絵が描かれたのは少なくとも1万3,000年前に遡り、アフリカ南部において最も集中的に残された岩絵群のひとつとなっています。岩絵からは芸術様式の変遷や信仰を読み取ることができ、石器時代の狩猟採集社会が農耕社会へと移り変わる過程を伝えています。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マハーバリプラムの建築と彫刻群

Group of Monuments at Mahabalipuram
マハーバリプラムの建築と彫刻群
インド南東部ベンガル湾に臨むマハーバリプラムには7世紀から8世紀のタミル系パッラヴァ朝のヒンドゥー教関連建築が残されています。ラタ(「山車」または「戦車」の意)と呼ばれる1つの巨大な花崗岩の塊を彫ってつくられた5つの寺院と動物の石像が祭りの行列のように並んでいます。そして寺院には古代の叙事詩「マハーバーラタ」に登場する神々や王族の肖像をはじめ、芸術的な彫刻が全面に施されています。その壮麗さはこの時代の優れた工芸技術を示しています。またマンダバと呼ばれる岩窟寺院や優れた岩面レリーフも残されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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マプングブエの文化的景観

Mapungubwe Cultural Landscape
マプングブエの文化的景観
ジンバブエとボツワナに接する南アフリカの北端には、南部アフリカ最古の王国とされるマプングブエの遺跡があります。シャシェ川とリンポポ川の合流地に広がるサバンナの景観に、宮殿や集落、古代首都の遺跡が残っています。10世紀頃に農村社会から王国へと発展したマプングブエには、東アフリカの港湾を経由するインド洋交易によって、莫大な富がもたらされました。マプングブエからは金や象牙が輸出され、インドや中国からは磁器やガラスビーズなどが輸入されたようです。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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マラケシュの旧市街

Medina of Marrakesh
マラケシュの旧市街
モロッコ史における重要な歴史的都市 マラケシュはモロッコでフェズに次ぐ2番目に歴史を持つ都市です。ムラービト朝時代の1070~1072年にかけて建設され、以後長きにわたりモロッコの政治、経済、文化の中心地でした。赤土色の
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)
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マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群

Landmarks of the Ancient Kingdom of Saba, Marib
マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群
サバ王国は、紀元前8世紀~紀元3世紀ごろ、イスラーム以前の南アラビアに存在した古代王国です。厳しい砂漠地帯でありながら、高度な技術により灌漑施設を建設し、オアシス都市として栄えました。都のマリブは、乳香を扱う隊商交易のルートにも組み込まれ、南アラビアの経済・文化の中心地となります。ユダヤ教・キリスト教の聖典である『旧約聖書』には、“シェバの女王”が古代イスラエルの王ソロモンを訪ね、香料などを贈る場面が描かれています。この“シェバの女王”がサバ王国の女王と考えられています。イスラームの聖典である『コーラン(クルアーン)』にも、“サバア(シェバ)王国の女王”がソロモン王と対峙する話があり、「大金持ち」で「賢い」女王という記述もあります。中世アラビアの文献にもサバ王国の繁栄ぶりが記され、後世に伝えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: イエメン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iii)(iv)
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マルボルクのドイツ騎士修道会の城

Castle of the Teutonic Order in Malbork
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
マルボルク城は、13世紀に建設が始まったドイツ騎士修道会の要塞化された修道院です。1309年に総長の座がヴェネツィアからマルボルクに移されてから大幅に拡大され、装飾されました。ドイツ騎士団特有の独特な様式で建てられたゴシック様式のレンガ造りの城郭群の中でも、最も完成度が高く精巧なもので、当時の西ヨーロッパや近東で一般的だった城の様式とは独立して発展したものです。その壮大な要塞は、14世紀に最大の勢力を誇ったプロイセンにおけるドイツ騎士修道会国家を物語る建造物です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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マロティ-ドラーケンスベルグ公園

Maloti-Drakensberg Park
マロティ-ドラーケンスベルグ公園
「マロティ‐ドラーケンスベルグ公園」は、南アフリカ共和国の「ウクハランバ/ドラーケンスベルグ公園」とレソト王国の「セサバテーベ国立公園」で構成される国境を越えた世界遺産です。自然・文化の両方の価値が評価された複合遺産で、レソトにとっては初めての世界遺産になります。3,000m級の峰が連なった壮大な自然景観に加えて、豊かな生物多様性にも恵まれています。ここは、レイヨウ類、ヒヒ、そして絶滅危惧種のケープハゲワシやヒゲハゲワシなどの生息地となっています。また、高地湿地も含んでいるため、一部がラムサール条約にも登録されています。
地域: アフリカ / 国名: レソト王国, 南アフリカ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(iii)(vii)(x)
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マンダラ山脈のディ・ギッド・ビィの文化的景観

Diy-Gid-Biy Cultural Landscape of the Mandara Mountains
マンダラ山脈のディ・ギッド・ビィの文化的景観
「マンダラ山脈のディ・ギッド・ビィの文化的景観」はカメルーン最北部のマンダラ山脈北部にある16の乾式石造建築遺跡を中心に構成されています。ディ・ギッド・ビィとは,現地のマファ語で「首長の邸宅跡」を意味し、これらの乾式石積み建築物は12世紀から17世紀の間に建てられたと考えられています。最初の建設者は不明ですが、この地域には15世紀からマファ族が居住しています。マファ族にとってこれらの遺跡は犠牲や儀式、そして祖先崇拝の場となっています。周囲の景観には、段々畑、家屋、墓、礼拝所、職人の活動などが見られ、人々と環境の間に古くから受け継がれてきた文化的・精神的なつながりが反映されています。
地域: アフリカ / 国名: カメルーン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (iii)
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マントヴァとサッビオネータ

Mantua and Sabbioneta
マントヴァとサッビオネータ
北イタリアのポー川渓谷に位置するマントヴァとサッビオネータは、ともに14~17世紀にこの地を支配したゴンザガ家ゆかりのルネサンス都市です。両都市は、ゴンザガ家が領土内で行ったルネサンス期の都市計画における2つの主要な形態を示しており、マントヴァは「既存の都市の再生と拡張」を、サッビオネータは「当時の理想の都市計画の理念の実現」をそれぞれ象徴しています。2つの街はルネサンス都市としての形成過程こそ異なるものの、ともにゴンザガ家の下でルネサンス期の都市、建築、芸術の理想が具現化されており、ルネサンス文化の発展に大きな影響を与えたのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ミーソン聖域

My Son Sanctuary
ミーソン聖域
ミーソン聖域は、4世紀から13世紀にかけて、現在のベトナムの沿岸地域で発展した独自の文化の場所です。この文化は、インドのヒンドゥー教に精神的な起源を持ち、特にシヴァ神を崇拝する神殿が多く建設されました。これらは、聖域に残る印象的な塔状寺院の遺跡によって鮮やかに示されています。この場所は、チャンパー王国が約10世紀にわたって継続的に発展した宗教的および政治的な首都であり、インド亜大陸からの影響が芸術と建築に適応した、文化交流を示すものです。
地域: 東・東南アジア / 国名: ベトナム社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iii)
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