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レプティス・マグナの考古遺跡
Archaeological Site of Leptis Magna
レプティス・マグナは、紀元前10世紀にフェニキア人が築いた古代植民都市レプティスを起源としています。海洋国家カルタゴの衛星都市として発展し、後にローマ支配下では商業・港湾都市として繁栄を極めました。同名の別都市と区別するため、「マグナ(偉大な)」という形容詞を冠したとされています。紀元前146年の第3次ポエニ戦争によるカルタゴの滅亡後、ローマ人の入植が進むと、アウグストゥス帝の時代以降多くのローマ式建築物が建てられ、ハドリアヌス帝の時代には大公共浴場が建設されました。この地出身の皇帝セプティミウス・セウェルスは地中海の海上輸送網を整備し、街はローマの都に匹敵する巨大都市へ成長して、黄金期を迎えました。
レンゴン渓谷の考古遺跡
Archaeological Heritage of the Lenggong Valley
レンソイス・マラニャンセス国立公園
Lençóis Maranhenses National Park
ローマ帝国の境界線
Frontiers of the Roman Empire
歴史上最も広大な領地を治めた帝国のひとつであるローマ帝国は、「リーメス」と呼ばれる防衛網によって、帝国の国境線を防御してきました。その防衛網は、西は大西洋沿岸から東は黒海に至り、北はスコットランド中部、南はサハラ砂漠の北縁に至り、総延長は5,000kmを超えていました。これらのリーメスの大部分は、帝国が最大版図を築いた2世紀に主に構築されました。リーメスの遺跡はヨーロッパ各地に残されていますが、そのうち帝国北西部に位置したイギリス北部の「ハドリアヌスの長城」と「アントニヌスの長城」、およびドイツに残るリーメスが『ローマ帝国の境界線』として世界遺産に登録されています。なお、「ローマ帝国の境界線」という括りとしては、オーストリア、ドイツ、スロバキアにまたがる「ドナウのリーメス(西側部分)」と、オランダとドイツ間に広がる「低地ゲルマニアのリーメス」、ルーマニアの「ダキア」がそれぞれ別の世界遺産として登録されています。
ローマ帝国の境界線:ダキア
Frontiers of the Roman Empire – Dacia
『ローマ帝国の境界線:ダキア』は、ルーマニアに残るローマ帝国の国境線(リーメス)の遺産です。ルーマニアのカルパティア山脈から黒海西方にかけての地域には、ダキア人と呼ばれる人々が暮らしていましたが、ローマ帝国との2度の戦争を経てダキアは征服されました。106年から271年まで、ダキアの国境線はローマの支配下に置かれ、ドナウ川以北に位置する唯一のローマ属州となりました。ダキアの国境線は、ドナウ川下流域から、カルパティア山脈の内縁に沿うように敷設されました。ヨーロッパにおけるローマ帝国の国境線の中で最長かつ最も複雑な区間でもあります。周辺の部族から帝国を守り、「貴重な金と塩資源」へのアクセスを提供する重大な役割も有していました。世界遺産には、1,000kmを越える国境線に沿って立つ277の要素で構成されています。要塞や土塁、監視塔、仮設野営地、民間人の居住地などの構成資産から形成されます。北方国境の強化のためローマ帝国の権力が最大限に広がった証拠といえます。
ローマ帝国の境界線:低地ゲルマニアのリーメス
Frontiers of the Roman Empire – The Lower German Limes
ローマ帝国の境界線:ドナウのリーメス(西側部分)
Frontiers of the Roman Empire – The Danube Limes (Western Segment)
ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂
Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura
ローマは、「ローマの七丘」のひとつパラティーノの丘で紀元前753年に建国されたと伝わります。その後、共和制を経て、地中海沿岸から西アジア、グレートブリテン島南部までを支配する大帝国となりました。しかし、拡大しすぎた繁栄はやはり終わりを迎えます。395年にローマ帝国が東西に分割すると次第に都市としてのローマの重要性は薄れていきました。再び脚光を浴びるのはローマ教皇領としてルネサンスの中心地のひとつとなってからのことです。強大な力をもつ教皇の下、ミケランジェロなどの芸術家が活躍し、芸術の都として教皇の威光を示しました。世界遺産には、教皇ウルバヌス8世が築いた城壁の内部と、唯一城壁の外にあるサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂を含む、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂の3つのヴァティカン市国直轄の聖堂も含まれています。
廬山国立公園
Lushan National Park
長江中流域の南岸に位置する、標高1,474mの漢陽峰を中心に171もの峰々、森林、湖、 断崖絶壁などが至るところに見られる景勝地です。秦の始皇帝など歴代皇帝が訪れた他、李白や杜甫、百居易(白楽天)など中国を代表する詩人たちがこの地で多くの山水詩を詠みました。後漢時代にいち早く仏教寺院が開かれた場所でもあり、4世紀後半に創建され、来日前の鑑真も訪れたという東林寺は浄土教発祥の地です。また中国古代の最高学府のひとつ・白鹿洞(はくろくどう)書院は朱子学を興した朱熹が再建しました。20世紀前半には中国共産党高官の山荘が多く建てられ、毛沢東はここで「廬山会議」を開きました。廬山会議とは中国共産党が大躍進政策の継続を決めた会議のことです。
ロシア・モンタナの鉱山景観
Roșia Montană Mining Landscape
ロス・グラシアレス国立公園
Los Glaciares National Park
ロック・アイランドの南部ラグーン
Rock Islands Southern Lagoon
ロペ-オカンダの生態系と残存する文化的景観
Ecosystem and Relict Cultural Landscape of Lopé-Okanda
ロベン島
Robben Island
ロルシュの修道院遺跡
Abbey and Altenmünster of Lorsch
ドイツ中西部、ヘッセン州の小都市ロルシュにある修道院遺跡は、8世紀のカロリング朝時代に政治・文化の拠点として栄えた施設の名残です。修道院は764年頃にフランク人の貴族によって設立されましたが、その翌年の765年には聖ナザリウスの聖遺物(遺骨)がこの地にもたらされ、多くの巡礼者によって大いに栄えました。その後772年にはカール大帝の保護下に置かれることとなって以降は、王立修道院・帝国修道院として特権的な地位を与えられ,13世紀にその地位が失われるまで政治的、宗教的な中心地として繁栄しました。特に修道院の重要な施設であった写本室、図書室はその名声を高める拠点となり、現存する蔵書は世界中の73の図書館に伝えられています。修道院はまた、医学分野でも大きな貢献を果たしており、8世紀後半のロルシュ薬局方は、古典期以降で現存する最古の医学・薬学の写本として知られています。
ロレンツ国立公園
Lorentz National Park
ロロペニの遺跡群
Ruins of Loropéni
ワッデン海
Wadden Sea
ワディ・アル・ヒタン(鯨の谷)
Wadi Al-Hitan (Whale Valley)
首都カイロから西に150km離れた砂漠地帯にある『ワディ・アル・ヒタン(鯨の谷)』では、約4,000万年前のクジラの祖先にあたる海洋動物の化石が多数発見されています。かつてこの一帯には、浅い海が広がり、バシロサウルスと呼ばれる後ろ足のあるクジラ類が生息していました。この地域で発掘された化石は、陸生哺乳類が陸上から海へと生活の場を移して海生哺乳類となり、後ろ足が消えようとする最終段階のもので、生物進化の過程を解明する貴重な証拠となっています。また、その他にもサメの歯やマングローブの根の化石などもこの一帯から出土されています。ワディ・アル・ヒタンは、化石の多さや密集度、そしてその質とともに世界に類例のない場所で、当時の周辺環境や生態学的状態の再現までもが可能なほどとされています。
ワディ・ラム保護地域
Wadi Rum Protected Area
ンゴロンゴロ自然保護区
Ngorongoro Conservation Area
タンザニア北部に位置する『ンゴロンゴロ自然保護区』は、巨大な火山の噴火によって形成されたカルデラを中心に広がる広大な草原地帯です。8,094㎢の保護区内には2万5,000頭以上の大型哺乳類をはじめ、たくさんの野生動物がこの地に暮らしています。かつて活発な火山活動を繰り返していたこの地域では、長い歳月の中で地表が陥没し、現地語で「巨大な穴」を意味する「ンゴロンゴロ・クレーター」が誕生しました。世界最大級のカルデラのひとつであり、地球の壮大な地形変化を間近に感じられる場所です。サバンナ、森林、湖、湿地といった多様な自然環境が凝縮されたこの地は、まさに大地の進化を伝える「生きた博物館」です。季節ごとに移動する動物たちのドラマや、命が息づく瞬間に出会うことができます。
ンバンザ・コンゴ:旧コンゴ王国の首都遺跡
Mbanza Kongo, Vestiges of the Capital of the former Kingdom of Kongo