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アーヘンの大聖堂
Aachen Cathedral
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群
Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念碑群は、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州に位置し、マルティン・ルターとその盟友であるフィリップ・メランヒトンの生涯に深く関わる場所です。これらには、ヴィッテンベルクのルターの部屋、ルターの同士メランヒトンの家、聖マリア聖堂、ヴィッテンベルク城の付属聖堂、アイスレーベンのルターの生家と没した家が含まれます。特にヴィッテンベルク城の付属聖堂は、1517年10月31日にルターが有名な「95か条の論題」を掲げた場所であり、これは宗教改革の幕開けとなり、西洋の宗教史・政治史に新たな時代をもたらしました。宗教改革とルターの生涯における決定的な出来事の舞台として、ドイツ国内だけでなく、西洋世界の政治、文化、精神的な歴史において極めて重要な意義を持っています。
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アッコの旧市街
Old City of Acre
イスラエル北部の地中海に面するアッコは、フェニキア時代から継続的に居住されてきた、城壁に囲まれた港街です。1104年、第1回十字軍の指導者の1人であるボードゥアン1世がアッコを占領し、パレスチナにおける十字軍活動の拠点として港湾都市が築かれました。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍によってエルサレムが征服された後、アッコはエルサレム王国最後の拠点となりましたが、1291年にマムルーク朝の攻撃を受けて陥落しました。その後、200年以上にわたりマムルーク朝によって統治されました。アッコの地下には、十字軍によって築かれた要塞やキリスト教の礼拝堂、要塞と港をつなぐトンネル、商店街など十字軍の遺構がそのまま埋もれており、十字軍によって築かれた街全体が遺跡として残っている唯一の例であるとされています。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アニの考古遺跡
Archaeological Site of Ani
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
アビラの旧市街と城壁外の教会群
Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches
アフパットとサナインの修道院
Monasteries of Haghpat and Sanahin
アミアンの大聖堂
Amiens Cathedral
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アラゴンのムデハル様式建築
Mudejar Architecture of Aragon
アルコバサの修道院
Monastery of Alcobaça
アルルのローマ遺跡とロマネスク建築
Arles, Roman and Romanesque Monuments
フランス南部のプロヴァンス地方に位置するアルルは、ローヌ川のデルタ地帯の始まり場所とされ、旧市街のすぐ脇をローヌ川が流れています。この地中海からも近いアルルが重要な都市となったのは、古代ローマが紀元前123年にこの地を占領して都市の整備を行ってからです。前104年には地中海につながる運河が築かれたほか、紀元前90年頃から円形闘技場やローマ劇場、地下回廊なども築かれ、軍事と貿易の両方で重要な拠点として都市が拡大しました。世界遺産には、こうした古代とロマネスクの時代から受け継がれてきた建造物や街並み、街路などの構造が中世ヨーロッパにうまく適応していったことが評価され、旧市街の街並みがエリアで登録されました。
アレキパの歴史地区
Historical Centre of the City of Arequipa
アンティグア・グアテマラ
Antigua Guatemala
アントニ・ガウディの作品群
Works of Antoni Gaudí
『アントニ・ガウディの作品群』は、スペイン東部・カタルーニャ地方の中心都市バルセロナとその周辺に点在する、建築家アントニ・ガウディ(本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ)が手掛けた7つの建築物によって構成されています。ガウディは、1852年に銅版器具職人の息子として生まれ、バルセロナの建築学校に進学しました。26歳の時、パリ万博に作品を出展したことがきっかけで、最大の支援者となる実業家エウゼビ・グエルと出会います。グエルはガウディのパトロン的な存在として、自邸や別邸の設計を委ねたほか、数々の傑作の建設に貢献しました。1883年、ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建築主任となり設計に奔走します。しかし、1926年に建築途中の聖堂を残し、不慮の事故でこの世を去ってしまいました。
イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem
エルサレムの南約10kmに位置するベツレヘムはイエス・キリストの生誕地とされています。339年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世の時代にイエスが誕生したとされる洞窟を中心に最初の聖誕教会が建てられました。この教会は6世紀に焼失し現在はその一部を地下に残すのみですが、この上に現在の聖誕教会が建てられています。現在の聖誕教会は6世紀半ばに建てられたもので、これは日常的に使用されているキリスト教の教会としては最古のものです。その後十字軍の時代にこの地におけるキリスト教の影響力が強まったことで、聖誕教会の周辺には複数の教会が建造されました。世界遺産としては、聖誕教会に隣接する聖カタリナ教会や、フランシスコ修道会、アルメニア正教会、ギリシャ正教会の各修道院、鐘楼、庭園なども含まれています。また、この地はキリスト教信者にとっての重要な聖地であるだけでなく、イスラム教徒にとっても聖地の一つとされています(ナザレのイエス(イエス・キリスト)はイスラム教において預言者の一人とされています)。
イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)
Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)
イェリング墳墓、ルーン石碑と教会
Jelling Mounds, Runic Stones and Church
イスタンブルの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)
Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.)
イワノヴォの岩窟教会群
Rock-Hewn Churches of Ivanovo
ヴァティカン市国
Vatican City
キリスト教世界で最も神聖な場所のひとつであるヴァティカン市国は、約2,000年の歴史とカトリック教会の精神性の証として存在しています。ローマ教皇を国家元首とするこの国は人口800人、総面積0.44km2と世界最小の独立国でありながら、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。サン・ピエトロ大聖堂の立つヴァティカンの丘は、イエス・キリストの最初の弟子であり初代教皇でもある聖ペテロの墓所であったとされています。4世紀になると、ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教を保護したコンスタンティヌス1世の命により、バシリカ式の教会堂が建てられました。主要な巡礼地でもあるヴァティカンは、キリスト教の歴史と直接的に結びついているのみならず、ルネサンスやバロック美術の理想であり、模範的な創造物でもあります。
ヴェズレーの教会と丘
Vézelay, Church and Hill
ヴァッハウ渓谷の文化的景観
Wachau Cultural Landscape
ドイツ南部から中・東欧を抜けて黒海へと注ぐドナウ川の流域のうち、オーストリア北東部の都市メルクとクレムスの間に広がるヴァッハウ渓谷は、特に風光明媚なことで知られ、訪れる人に感動を与えてくれます。この地域の歴史は非常に古く、先史時代の遺物が数多く出土しており、ガルケンベルクでは約3万2,000年前の、ヴィレンドルフでは約2万6,000年前のものと推定される像が発見されています。その後の青銅器時代、鉄器時代を経て、ケルト人の王国ノリクムや、ローマ帝国の国境都市マウテルンが置かれるなど、歴史の舞台となりました。中世にはバーベンベルク家の支配下で町や修道院が発展し、11〜12世紀には現在の街の基礎が築かれました。ヴァッハウはドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にも登場し、地域の歴史的重要性を物語っています。
ヴィースの巡礼教会
Pilgrimage Church of Wies
建築家ドミニクス・ツィンマーマンの指導の下、アルプスの麓の牧歌的な環境にバイエルン・ロココの最も洗練された作品のひとつです。教会は楕円形の平面を特徴とし、西側には半円形のナルテックス(玄関ホール)が設けられています。内部では、壁の前に配置された双柱が、気まぐれに形作られたコーニスや平坦なプロフィールを持つ木造アーチ型天井を支えています。この建築的特徴は、窓やオクルス(天窓)からの光が巧みに直接・間接的に拡散される二次的な内部空間を定義しています。東側には、上部と下部のギャラリーに囲まれた長く深い聖歌隊席があります。礼拝堂の特徴的な点は、芸術と田園風景の調和です。建築、彫刻、絵画、漆喰細工、彫刻、鉄細工など、すべての芸術形式と技術が、建築家によって完璧に統一された構成に融合され、光と形の透明な空間構造を作り出しています。
ウィーンの歴史地区
Historic Centre of Vienna