World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(iii))

ドゥブロヴニクの旧市街

Old City of Dubrovnik
ドゥブロヴニクの旧市街
クロアチア南部のアドリア海に面するドゥブロヴニクは、7世紀初頭から地中海交易の拠点として繁栄した自治都市です。かつてイギリスの劇作家バーナード・ショーが「ドゥブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」と称していたように、まるで天国のような景観のドゥブロヴニクは、1979年と、かなり早い段階で世界遺産に登録されました。ところが、ユーゴスラヴィア内戦が1991年に勃発すると、同年10月に最初の砲弾が落とされて、なんと建物の7割が損壊しました。市民たちは「世界遺産の街は攻撃しないだろう」という期待をしていたようですから、これは非常に衝撃的な出来事です。その結果、ドゥブロヴニクは危機遺産に登録されたのですが、内戦が終了すると、復旧工事が進み、1998年に危機遺産リストから削除され、復活を遂げました。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観

Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
ハンガリー北東部、ティサ川流域のトカイ地方は世界三大貴腐ワイン(他はフランスのソーテルヌとドイツのラインガウ)の一つ、アスーワインの産地として知られています。火山岩やミネラル豊富な土壌とその気候条件によってブドウ栽培に適した地域として古くから知られ、その伝統は1,000年以上にも及ぶとされています。また、この地域は1737年のカール6世(神聖ローマ皇帝、ハンガリー王としてはカール3世)の勅令によって、世界初の閉鎖型ワイン産地として定められたことを契機として300年近くにわたって生産が厳格に管理されてきた地域でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ハンガリー / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (iii)(v)
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敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
九州北西部に点在する『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、17世紀から19世紀にかけて築かれた10の集落、城郭跡、そして教会堂で構成されており、禁教下でも信仰を守り抜いた人々の歴史を今に伝えています。信者たちは弾圧を逃れるため、海辺や離島など人目を避けられる場所に移り住み、「天草の﨑津集落」や「黒島の集落」などの共同体を形成しました。彼らは仏教や神道に似せた形式で信仰を装いながら、キリスト教の精神を独自に受け継ぎ、祈りや儀礼を工夫して、2世紀にわたり信仰を継承しました。そして1873年に禁教が解かれると、彼らは再び表舞台に立ち、教会建築などを通して現代へと引き継がれていきます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (iii)
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ナスカとパルパの地上絵

Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
ナスカとパルパの地上絵
ナスカとパルパの地上絵は、ペルー南部の乾燥したナスカ高原とパルパ平原に広がる約450㎢の地域に点在しており、紀元前500年から紀元後500年にかけて、数千点以上の地上絵が描かれました。この地は年間平均降水量が10mm以下の乾燥地帯で、台地の表面に広がる褐色の小石を取り除くと、白い砂が露出するため、この色の違いを利用して地上絵が制作されました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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日光の社寺

Shrines and Temples of Nikko
日光の社寺
『日光の社寺』は、栃木県の豊かな自然の中に位置する「二荒山神社」「東照宮」「輪王寺」の二社一寺と、それらに付随する103棟の建造物から構成されています。うち9棟が国宝、94棟が重要文化財に指定されており、17世紀を中心とする宗教建築と装飾美術の粋が凝縮されています。社寺群は山の斜面に巧みに配置され、自然景観との調和によって独自の美しさを実現しています。この場所は、長きにわたって信仰が守られてきた証であり、各社寺をめぐることで、信仰と芸術が融合した空間の奥深さを体感することができます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡の1つとされています。
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
バハイ教の2大聖地であるイスラエル北部のハイファと西ガリラヤ地方のアッコ周辺には多くの聖地が点在しています。一神教であるバハイ教は、イスラム教から派生したバーブ教を前身として19世紀に発祥しました。世界中から訳500万人もの信者を集めるバハイ教ですが、毎年、聖地巡礼を目的に訪れる人が絶えません。また、世界遺産としては26の構成資産が登録されています。アッコにある創始者バハウッラーの霊廟や、ハイファのバーブ教の祖であるバーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟をはじめ、様々な建物や記念碑が点在しています。さらに、ハイファの万国正義院は近代的な新古典主義様式が特徴の建物として知られています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(vi)
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バイロイトの辺境伯オペラハウス

Margravial Opera House Bayreuth
バイロイトの辺境伯オペラハウス
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(iv)
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パパハナウモクアケア

Papahānaumokuākea
パパハナウモクアケア
パパハナウモクアケアは、ハワイ諸島の北西250〜1931kmの広範囲に連なる小島と環礁からなる、広大かつ孤立した島嶼群に付けられた名称です。総面積は約362,075?におよび、世界最大級の海洋保護区の一つとされています。この地域は、比較的静止したホットスポットと安定したプレート運動の結果として形成された海山列を示す好例であり、ハワイ・エンペラー海山列の大部分を占めています。世界最長かつ最古の火山列の大半を構成するパパハナウモクアケアは、プレートテクトニクス理論およびホットスポットに関する理解を形成する上で、極めて重要な役割を果たしてきました。地質学的にはハワイ火山国立公園と密接に関連しており、ホットスポット火山活動の重要な証拠を共有しています。
地域: 北米 / 国名: アメリカ合衆国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2010年 / 登録基準: (iii)(vi)(viii)(ix)(x)
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バビロン

Babylon
バビロン
バグダードの南約85kmに位置する『バビロン』は古代世界で最も強い影響力を持った帝国が存在したことを示す遺跡です。「バビロン」の名は古代アッカド語で「神の門」という意味の言葉に由来します。この地が最初に歴史に登場するのは紀元前23世紀ごろの古代アッカド帝国時代に遡ります。紀元前19世紀ごろに「ハンムラビ法典」で知られる古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が興り、ここを首都としました。その後ヒッタイトやアッシリアなどの支配を受けますが、紀元前7世紀に新バビロニア王国その都となりました。「ユダヤ人のバビロン捕囚」で有名なネブカドネザル2世の時代には、当時の世界でもっとも人口の多い繁栄した都市であったと伝わっています。その後のペルシャ帝国やアレクサンダー大王の時代にも繁栄は続きましたが、7世紀のイスラム勢力の侵攻による破壊以降衰退し、10世紀以降は打ち捨てられました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(vi)
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バムとその文化的景観

Bam and its Cultural Landscape
バムとその文化的景観
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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パリのセーヌ河岸

Paris, Banks of the Seine
パリのセーヌ河岸
パリの歴史は、セーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。今はパリのシンボルのひとつとなっているノートル・ダム大聖堂が立つ、文字通りパリの中心となる島です。この島に紀元前3世紀頃からケルト系のパリシイ人が集落を作って暮らし始めました。その後、紀元前52年頃にガリア遠征中のカエサルが率いるローマ軍に侵略されるとローマ風の都市が築かれ、河川交通の重要拠点として発展しました。4世紀中頃にパリと呼ばれるようになり、彼らが話す言葉が現在のフランス語へと発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」

Cultural Landscape of Bali Province: the Subak System as a Manifestation of the Tri Hita Karana Philosophy
バリの文化的景観:バリ・ヒンドゥー哲学トリ・ヒタ・カラナを表す水利システム「スバック」
インドネシアのジャワ島の東に浮かぶバリ島には、湖、寺院、そして優れた灌漑システムを持つ棚田景観など5つの地域で構成された世界遺産があります。それらは、神、人、自然の調和を表す文化的景観として登録されました。5つの構成資産のなかで、「バトゥール湖」は泉や川の起源である女神が住むとされていて、「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」は、湖の水の女神を祀っています。そして、バリ島最大規模の「タマン・アユン寺院」は、水を司る王立寺院とされています。このように、バリでは水に関わる遺産が見られます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観

Hallstatt-Dachstein / Salzkammergut Cultural Landscape
ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観
オーストリアの中央部に位置する『ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観』は、先史時代から続く岩塩採掘の歴史を持つ地域であり、ヨーロッパ最古の塩鉱山の一つとして知られています。「ザルツ」とはドイツ語で「塩」を意味し、「ザルツカンマーグート」とは「塩の王領地」を意味します。その名が表す通り、この地域では太古から岩塩の採掘が行われており、その歴史は有史以前に遡ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (iii)(iv)
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バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

Palau de la Música Catalana and Hospital de Sant Pau, Barcelona
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
『バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院』は、アントニ・ガウディと同じ時代に活躍したモデルニスモ建築の巨匠、ルイス・ドメネク・イ・モンタネルによって設計された建造物群です。なかでもカタルーニャ音楽堂は、ドメネクの最高傑作との呼び声が高く、随所でユニークな設計を見ることができます。1905〜1908年にかけて建設された初期の鉄骨造りの建築で、鉄骨の骨組みの大部分をガラス張りのカーテンウォールで閉じた構造となっています。鋼鉄の骨組みを使用することで、内部の間取りを自由にできる工夫が施されていて、コンサートホールには大きなオープンスペースが連続して設けられています。ホール中央の天窓には太陽が描かれています。この天窓には、陽の光でホール内を明るく照らすなど、自然光を最大限に活用するドメネクの工夫が凝らされています。また、当時の澄明な芸術家たちが装飾を手掛けていることも特徴で、外壁には美しい虹色のモザイク・タイルで覆われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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バレッタの市街

City of Valletta
バレッタの市街
街全体が世界遺産のバレッタは地中海に浮かぶ島国・マルタ共和国の首都です。真っ青な海の上には、ハチミツ色に輝くマルタ石でできた建物が目立ちます。ここは16世紀に、聖ヨハネ騎士団が新たな拠点とした城塞都市です。聖ヨハネ騎士団は、第1回十字軍の時代に成立しました。彼らは地中海で活躍し、ロドス島を拠点としていましたが、オスマン帝国の進出により、そこから撤退せざるを得なくなり、1530年、マルタ島に拠点を移します。1565年のマルタ大包囲戦でオスマン帝国に勝利すると、翌年から街の建設を始めました。街は、当時の聖ヨハネ騎士団団長のジャン・パリソー・ド・ラ・バレッテの名前に由来します。 
地域: ヨーロッパ / 国名: マルタ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(vi)
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万里の長城

The Great Wall
万里の長城
『万里の長城』は、紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年にわたって築かれた中国最大の防衛施設です。総延長は2万kmを超え、河北省・山海関から甘粛省・嘉峪関まで、広大な範囲におよびます。構造は、城壁、望楼、馬道、狼煙台、関所など多様な構造からなり、地域や時代ごとに用いた素材や建築技術が異なります。特に明代には、煉瓦を用いた高度な技術が導入され、堅固な長城が形成されました。世界遺産として登録されているのは、保存状態が良好な「八達嶺」「山海関」「嘉峪関」の3つの主要なエリアです。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ピサのドゥオーモ広場

Piazza del Duomo, Pisa
ピサのドゥオーモ広場
イタリアのトスカーナ地方にあるドゥオーモ広場は、11~14世紀にかけて建設された世界的に有名な建築が残っています。広場は「ミラコリ広場」とも呼ばれます。これは、イタリアの小説家ダヌンツィオがこの広場を訪れた際に広場の風景に感嘆して「ミラコリ広場(奇跡の広場)」と称したことに由来します。広場にはヨーロッパ中世の建築様式を代表する大聖堂や洗礼堂、斜塔(ピサの斜塔)、カンポサント(墓地)があります。 
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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姫路城

Himeji-jo
姫路城
兵庫県姫路市の丘に立つ姫路城は、天守や櫓など82棟が現存し、約1.07㎢の広大な城郭を形成しています。白く統一された壁と重なる屋根のシルエットが織りなす優美な佇まいは、城下町からも一望できます。また、石垣には敵の侵入を防ぐため下部が緩やかで上部が急になる「扇の勾配」が施され、見た目の美しさと堅牢さを持っています。城壁に空けられた狭間と呼ばれる穴は、弓や鉄砲を構えるためのもので、丸や三角、四角など多彩な形状が用いられています。姫路城はまさに、美と戦略が融合した日本の城づくりの粋を体現する存在です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (i)(iv)
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ファテープル・シークリー

Fatehpur Sikri
ファテープル・シークリー
ファテープル・シークリーは、インドの古都アーグラ近郊にあるムガル帝国の都の遺跡です。1571年、3代皇帝アクバルは、イスラム神秘主義者スーフィーの聖者シャイフ・サリーム・チシュティーが、息子(後の4代皇帝ジャハーンギール)の誕生を予言した場所に新たな都市の建設を開始しました。当時アクバルが西部グジャラート地方での戦いに勝利したことにちなみ、「勝利の都市」を意味するファテープル・シークリーと名付けられ、1573年に完成しました。しかし水不足や酷暑、またアフガン民族との戦いから、わずか14年後の1585年にラホールへと遷都されました。1619年には、疫病が流行したアーグラから避難したジャハーンギールが約3ヵ月間滞在しましたが、その後は完全に放棄されました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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フィリピンのコルディリェーラの棚田群

Rice Terraces of the Philippine Cordilleras
フィリピンのコルディリェーラの棚田群
フィリピンの少数民族イフガオ族が2,000年前に作り上げた棚田群は、標高1,000~2,000mの急勾配の斜面に位置しており、石や土でできた壁で形作られた丘や山の自然なかたちを活かした形状と複雑な灌漑システムによって形成されています。考古学的な調査によってもこの高度な技術がこの地域で2,000年もの間、ほとんど変わらずに使用されてきたことが明らかになっており、棚田文化という伝統の存続とその優れた耐久性の証拠となっています。
地域: 東・東南アジア / 国名: フィリピン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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フィレンツェの歴史地区

Historic Centre of Florence
フィレンツェの歴史地区
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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フエの歴史的建造物群

Complex of Hué Monuments
フエの歴史的建造物群
フエには19世紀から20世紀に栄えたベトナム最後の王朝、グエン朝ゆかりの建造物が多く残っています。フエの中心部よりやや南寄りに位置する王宮は、北京の紫禁城(故宮)をモデルとしてつくられたといわれています。王宮内の建物はベトナム戦争時の1968年にほとんど破壊されましたが、皇帝が政務を執った太和殿や、王宮の正門は補修を加えられ、豪華な王宮建築の姿を今に伝えています。フエの城壁外には中国式の中庭を持つミンマン帝陵、フランス統治時代に築かれたカイディン帝陵など多様な皇帝の陵墓が点在します。フエの都市計画も、中国風を基本にベトナム伝統建築やフランスのヴォーバン築城方法の影響も受けています。
地域: 東・東南アジア / 国名: ベトナム社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iii)(iv)
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フォース鉄道橋

The Forth Bridge
フォース鉄道橋
スコットランド東部を流れるフォース川には、19世紀後半当時、新素材だった軟鋼を大量に使用し、また先端土木工学の設計原理と工法によって鉄道橋が建設されました。大きな3つのひし形の構造部分は、トラス構造と呼ばれる三角形を組み合わせた形をして強度を誇っています。また、このひし形をカンチレバーと呼び、世界で最初に複数のカンチレバーを採用したトラス橋として評価され、世界遺産に登録されました。なおこの鉄橋の工事監督には、日本の土木技術史の父とも呼ばれる渡邊嘉一氏が関わっており、20ポンド札にも登場します。1890年の開通以来、現在も鉄道が通る鉄橋として使用され続けています。
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富士山─信仰の対象と芸術の源泉

Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
富士山─信仰の対象と芸術の源泉
標高3,776mの日本最高峰である富士山は、独立した成層火山であり、山腹の傾斜は標高が高くなるにつれて勾配を増す、類まれな美しい円錐形をしています。山麓には、繰り返し流れ出た溶岩によって何層にもわたる溶岩層が堆積し、周辺には広大な裾野が広がっています。海面から山頂まで傾斜が連続する成層火山としては、世界有数の高さを誇ります。約1万年前、それまで存在していた古富士火山の北西山腹付近から流れ出した溶岩が古富士火山を完全に覆い尽くしました。その後、約5,600年から3,500年前にかけて、ほぼ現在の姿が形成されました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(vi)
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福建土楼群

Fujian Tulou
福建土楼群
『福建土楼群』は、中国福建省の約120kmの範囲に点在する、12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的集合住宅です。中庭を囲んだ円形や方形で、外側に設けられた180㎝以上の厚さを持つ土壁は、盗賊の侵入を防ぐ砦としての機能も持ち合わせていました。出入口は基本的に1ヵ所で、下の階には窓がなく、上の階に窓と狭間が設けられています。また消火用の水槽も上の階に設置されていました。1つの土楼には最大800人もの人々が集まって生活し、村のような機能を果たしています。質素な造りの外観に対して、内部は複数の家族が生活しやすいように工夫され、独特な装飾が施されるなど居心地にも配慮されていました。中央には庭があり、その周囲が住宅スペースで、各部屋は同じ大きさで同じ造りで平等に設計された構造になっています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(iv)(v)
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ブッダガヤの大菩提寺

Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
ブッダガヤの大菩提寺
今から2,500年ほど前、釈迦(本名:ゴータマ・シッダールタ)はここブッダガヤの地の菩提樹の下で瞑想しているときに悟りを開き「仏陀」となりました。「仏陀」とは「悟りを開いた人」という意味です。ここにはその菩提樹の子孫であるといわれる大きな菩提樹の木があります。紀元前3世紀、古代インドのマウリア朝のアショーカ王は深く仏教に帰依し、この瞑想場所の「金剛宝座(仏座)」を整備し、「欄楯(らんじゅん)」と呼ばれる石造の囲いで周りを囲いました。菩提樹と金剛宝座は、仏教における最高の聖跡とされ、世界中から巡礼者が集まります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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