World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(vi))

トロイアの考古遺跡

Archaeological Site of Troy
トロイアの考古遺跡
「トロイアの考古遺跡」は、トルコ西部、ダーダネルス海峡の南入口から4.8km離れたヒサルルック(トルコ語で「城塞のある丘」)の地に位置し、紀元前3000年頃から500年頃までの9の層を成している東西約240m、南北180mの都市の遺跡です。紀元前8世紀頃、ホメロスは、紀元前1250年頃の出来事とされるトロイア戦争を『イリアス』で描きました。特に、「トロイの木馬」とその陥落劇はよく知られています。しかし、長い間これらは、過去の神話上の物語であるとみなされてきました。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iii)(vi)
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トンガリロ国立公園

Tongariro National Park
トンガリロ国立公園
ニュージーランドの北島の中央部のプレート境界には、タウポ火山帯という火山台地が広がります。先住民マオリは、ここを聖地として信仰していました。しかし、18世紀に著名なイギリス人探検家ジェームズ・クックが調査に入ります。イギリス人の入植の始まりでした。1840年にニュージーランドは英国の植民地となり、マオリの聖地は放牧地へと変えられてゆきます。マオリの首長テ・ヘウヘウ・ツキノ4世は、この土地を将来にわたって守り抜くため、英国女王に土地を寄進する代わりに、国家の保護下に置くことを考案。1894年に、ニュージーランド初の国立公園として保護されることが決まりました。
地域: オセアニア / 国名: ニュージーランド / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (vi)(vii)(viii)
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敦煌の莫高窟

Mogao Caves
敦煌の莫高窟
莫高窟は、中国甘粛省敦煌市郊外にある仏教遺跡で、五胡十六国時代の前秦(351~394年)の4世紀半ばから元代の13世紀までのおよそ1,000年にわたって造営された、世界最大級の仏教石窟寺院です。鳴沙山の東側断崖面の南北1,700mには735の石窟があり、そのうち492の石窟が保存されています。敦煌の歴史は、前漢(前202~後8年)の武帝が辺境の軍事拠点として築いたことに始まり、シルク・ロードの中継地点として発展しました。莫高窟が掘り始められたのは、366年のことで、西方出身の仏僧・楽僔が築いたとされています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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ナーランダ・マハーヴィハーラの遺跡群

Archaeological Site of Nalanda Mahavihara at Nalanda, Bihar
ナーランダ・マハーヴィハーラの遺跡群
インド北東部ビハール州のナーランダ(「蓮のある場所」という意味)には紀元前3世紀から紀元後13世紀にかけての仏教の学術・修道活動が行われた遺跡があります。ストゥーパ(舎利塔)や霊廟、ヴィハーラ(僧院)などの他、多くの貴重な美術品も残されています。ここはインド亜大陸における最初の大学として、5世紀から13世紀までの800年間、途切れることなく体系的な知識の伝承が行われた地です。7世紀にははるばる中国から玄奘三蔵が来て、ここで学んだと伝わります。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ナウムブルクの大聖堂

Naumburg Cathedral
ナウムブルクの大聖堂
ナウムブルク大聖堂は、1028年に建設が始まったチューリンゲン州の大聖堂で、ロマネスク後期からゴシック初期にかけての建築様式の変遷を示しています。内部の西側聖歌隊席や創設者像、ロッドスクリーンは無名の「ナウムブルクのマイスター」と呼ばれる彫刻家の傑作で、建築、彫刻、ステンドグラスを一体化した中世美術の頂点を示しています。特に12体の等身大創設者像はリアリズムを追求し、自然観察や古典文化を反映しています。建築全体が調和する様子からは、13世紀の宗教・芸術の変化を感じることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2018年 / 登録基準: (i)(ii)
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ナスカとパルパの地上絵

Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
ナスカとパルパの地上絵
ナスカとパルパの地上絵は、ペルー南部の乾燥したナスカ高原とパルパ平原に広がる約450㎢の地域に点在しており、紀元前500年から紀元後500年にかけて、数千点以上の地上絵が描かれました。この地は年間平均降水量が10mm以下の乾燥地帯で、台地の表面に広がる褐色の小石を取り除くと、白い砂が露出するため、この色の違いを利用して地上絵が制作されました。
地域: 南米 / 国名: ペルー共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1994年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場

Place Stanislas, Place de la Carrière and Place d'Alliance in Nancy
ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場
フランス北東部ロレーヌ地方のナンシーには、世界遺産となっている3つの広場(スタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場)があります。これらは、フランス国王ルイ15世の義父でありポーランドの王位を追われて亡命したスタニスラス・レシチニスキーが、ロレーヌ公としてこの地を終身領有することとなり、新たな都市づくりを進めた際につくられたものでした。3つの広場は、500mほど離れていた新市街と旧市街を結ぶかたちで1752年から1756年にかけて建設されました。これらの広場は、設計の多様性、景観の壮麗さ、建築と装飾の豊かさといった点において価値のあるものです。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(iv)
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ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地

Nan Madol: Ceremonial Centre of Eastern Micronesia
ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地
ミクロネシア連邦のポンペイ島の沖合には、およそ100を数える人工島があります。現地語で「ナン・マトール」と呼ばれ、「神々と人間との間に広がる空間」という意味を持つ遺跡群です。柱状玄武岩とサンゴの巨石や小石を積み上げてつくられた人工島は、幅が約1.5㎞、奥行約700mの海域に点在します。人工島にはそれぞれ宮殿や寺院、墓所、浴場や住居といった機能がありました。外海からの入り口は一つで、人々は、カヌーに乗り移動していたとされています。ナン・マトールは太平洋地域で最大規模を誇る遺跡で、今もなお、地元民によって神聖な場所とみなされています。しかし、マングローブなど植物の繁茂や、水路でのシルト堆積といった脅威により、世界遺産リスト登録と同時に危機遺産リストにも記載されました。
地域: オセアニア / 国名: ミクロネシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)(vi)
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日光の社寺

Shrines and Temples of Nikko
日光の社寺
『日光の社寺』は、栃木県の豊かな自然の中に位置する「二荒山神社」「東照宮」「輪王寺」の二社一寺と、それらに付随する103棟の建造物から構成されています。うち9棟が国宝、94棟が重要文化財に指定されており、17世紀を中心とする宗教建築と装飾美術の粋が凝縮されています。社寺群は山の斜面に巧みに配置され、自然景観との調和によって独自の美しさを実現しています。この場所は、長きにわたって信仰が守られてきた証であり、各社寺をめぐることで、信仰と芸術が融合した空間の奥深さを体感することができます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 日本国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ニュー・ラナーク

New Lanark
ニュー・ラナーク
英国スコットランドのグラスゴーの南にある美しい渓谷に綿紡績工場を中心とした村があります。紡績工場は1785年の設立で、リチャード・アークライトが開発した水力紡績機を導入し、品質の向上と大量生産を可能にしました。紡績工場や付属設備の他に、工場労働者のための住宅や諸施設があります。ここを建設したのは実業家のデヴィッド・デイルで、その娘婿のロバート・オーウェンの人道主義思想を取り入れ、数々の労働者福祉の施設を設けました。
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ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで

Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
地域: アフリカ / 国名: エジプト・アラブ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群

Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群
ベラルーシ中央部に位置するネスヴィシにあるラジヴィル家の建築群は、16世紀から20世紀にかけてヨーロッパで絶大な権力と影響力を持ったラジヴィル家が築いたものです。この一族は、この町を科学、芸術、工芸、建築の主要な中心地へと発展させました。彼らがここに招いた傑出した文化人や芸術家たちの手によって、西欧の建築様式と地元の伝統が見事に融合し、東欧における建築思想の伝播と新たな建築様式の発展に大きな役割を果たしました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベラルーシ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ネムルト・ダーの巨大墳墓

Nemrut Dağ
ネムルト・ダーの巨大墳墓
トルコにネムルト山という山があります。ここは古来、信仰の対象とされてきた聖なる山でした。標高約2,200mの山頂には、噴石が50m(当時は75m)の高さに積み上げられた、直径150mの巨大な円錐型の墳墓があります。この墓が築かれたのは紀元前1世紀。コンマゲネ王国という小国の王であったアンティオコス1世が自らのために築いたものです。この墳墓は1881年に発見され、1953年には調査が始まりますが、その全貌はいまだに解明されていません。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(iii)(iv)
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ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯

Nord-Pas de Calais Mining Basin
ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯
ヨーロッパ随一の農業国の印象があるフランスですが、工業の分野でも発展している地帯があります。フランス北端にある『ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯』はフランス屈指の工業地帯であり、1,200㎢の中になんと109もの構成資産が存在しています。カレ地方は百年戦争でイギリスに約200年近く占領されたことでも有名です。この地で石炭の層が発見されたのは17世紀。イギリスやベルギーが産業革命を迎え、19世紀半ばにフランスも産業革命を迎えると、この地域の石炭や鉄鉱石の重要度が急激に高まりました。1850年代にはフランスで最も重要な鉱山地帯となり、坑道や石炭輸出のインフラに加えて、労働者が暮らす住宅やコミュニティ施設も次々に作られていきました。現在は閉山しているものの、20世紀後半まで現役であったため、150年近くにわたって機能してきた炭鉱都市の姿を今でもうかがえるのが貴重です。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ノヴォデーヴィチー修道院関連遺産群

Ensemble of the Novodevichy Convent
ノヴォデーヴィチー修道院関連遺産群
モスクワ南西部に位置する、ノヴォデーヴィチー修道院は、16世紀から17世紀にかけて建設されました。この修道院は、都市の防衛システムに組み込まれた修道院群の一部であり、要塞としても機能しました。その建築は、壮麗な外観と豪華な内装を持つロシア建築の最高峰の一つであり、17世紀後半のモスクワ・バロック様式の最も傑出した代表例の一つでもあります。これらは、モスクワで再建された他の修道院よりも完全な形でその統一性を保っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群

Historic Monuments of Novgorod and Surroundings
ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群
ノヴゴロドは、9世紀にロシアで最初の首都となり、中央アジアと北ヨーロッパを結ぶ古代の交易路に位置していました。教会や修道院に囲まれたこの都市は、正教の精神性の拠点であるとともに、ロシア建築の中心地でもありました。ノヴゴロドは、ロシアの石造建築様式の発祥地であるとともに、この地を中心に盛んとなったノヴゴロド派は最古のロシア絵画流派の一つでもあります。そのため、ノヴゴロドは中世を通じてロシア美術の発展に影響を与え、文化的創造性の発展を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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バースの市街

City of Bath
バースの市街
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡のひとつとされています。
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。 バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
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バアルベック

Baalbek
バアルベック
バアルベックはレバノン東部のベカー高原に位置し、ヘレニズム時代から「ヘリオポリス(太陽の都)」と呼ばれた宗教都市遺跡です。ヨルダンの「ペトラ遺跡」、シリアの「パルミラ遺跡」と共に「中東三大遺跡」のひとつに数えられることもあります。歴史を振り返ると、紀元前2,000年頃には人が住んでおり、後にフェニキア人によって宗教都市として発展しました。紀元前64年にローマに征服されると、この地にローマの神々を祀る神殿が建設されました。神殿の中で最大の「ユピテル(ジュピター)神殿」は、天空神ユピテルを祀る神殿です。外観はほとんど失われていますが、現在も残る6本の巨大な列柱が特徴的で、柱頭はギリシャ建築のコリント式で造られています。2世紀頃には酒の神バッカスの神殿、3世紀初めには菜園の守護神ヴィーナスを祀る神殿も完成し、バアルベックはローマ帝国領土内でも最大規模の聖域となりました。
地域: 西・南アジア / 国名: レバノン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(iv)
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ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区

National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers
ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区
ハイチ北部にあるラミエの国立歴史公園には、ハイチの独立に関連するシタデルとサン・ スーシ宮が残っています。17世紀末からフランス統治下のハイチでは、50万人もの黒人奴隷がいましたが、 その後奴隷が解放され、ハイチは1804年に独立しました。独立運動の指導者ジャン・ジャック・デサリーヌを倒して権力を握った黒人将軍アンリ・クリストフは、その権威の象徴としてヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮を建設しました。ポツダムやウィーンのものを彷彿とさせる階段状の庭園も特徴です。背後のラ・フェリエール山 にあるシタデルは、高さ50m、厚さ5mもの城壁を持ち、約5,000人を収容できる兵舎と365もの大砲を備えていた城塞です。現在はどちらも廃墟となっています。ハイチ唯一の世界遺産です(2025年11月現在)。
地域: 中米・カリブ海 / 国名: ハイチ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (iv)(vi)
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ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群

Bahá’i Holy Places in Haifa and the Western Galilee
ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖所群
バハイ教の2大聖地であるイスラエル北部のハイファと西ガリラヤ地方のアッコ周辺には多くの聖地が点在しています。一神教であるバハイ教は、イスラム教から派生したバーブ教を前身として19世紀に発祥しました。世界中から訳500万人もの信者を集めるバハイ教ですが、毎年、聖地巡礼を目的に訪れる人が絶えません。また、世界遺産としては26の構成資産が登録されています。アッコにある創始者バハウッラーの霊廟や、ハイファのバーブ教の祖であるバーブ(サイイド・アリー・ムハンマド)の霊廟をはじめ、様々な建物や記念碑が点在しています。さらに、ハイファの万国正義院は近代的な新古典主義様式が特徴の建物として知られています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(vi)
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バイロイトの辺境伯オペラハウス

Margravial Opera House Bayreuth
バイロイトの辺境伯オペラハウス
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(iv)
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バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ

Bauhaus and its Sites in Weimar, Dessau and Bernau
バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ
20世紀の建築と芸術、都市計画において世界的な影響を与え、モダン・ムーブメント(近代建築運動)の基盤となったバウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールで総合造形学校として設立されました。ドイツ語で「建築の家」を意味し、建築作業組合「バウヒュッテ」が名前の由来となっています。初代校長を務めた建築家ヴァルター・グロピウスや2代目校長のハンネス・マイヤー、独特な画風で近現代美術に影響を与えたパウル・クレー、画家・写真家で新興写真運動の中心人物を務めたモホリ=ナジ・ラースロー、抽象絵画の先駆者ワシリー・カンディンスキーといった当時を代表する芸術家たちが教鞭をとり、建築を軸に、デザイン、美術、写真、彫刻などの総合的な教育が行われました。ヴァイマールには、バウハウスの校舎となった旧美術学校と本館、バウハウスの理念に基づいて建てられた初期の建築物であるハウス・アム・ホルンがあります。1925年以降、拠点はデッサウへ移され、ヴァルター・グロピウスの設計でバウハウス・デッサウ校舎や、バウハウスの教員が暮らすマスターズハウスが建設されました。これらは、機能主義に基づく設計と新素材・技術の活用を通じて、モダン・ムーブメント(近代建築運動)を切り開きました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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バガン

Bagan
バガン
ミャンマーのエーヤワディー川沿いに位置するバガンは3,000以上の仏塔(パゴダ)が立ち並んでおり、カンボジアのアンコールワットとインドネシアのボロブドゥールと並んで世界三大仏教遺跡の一つに数えられています。上座部仏教の功徳を得るために数多くの仏塔が建設され、他に例を見ない仏教芸術と仏教建築の神聖な景観が構築されていきました。構成資産には仏塔だけでなく、寺院やフレスコ画、考古遺跡や彫刻も含まれています。
地域: 東・東南アジア / 国名: ミャンマー連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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パサルガダエ

Pasargadae
パサルガダエ
「パサルガダエ」とは「ペルシャ」人の本営という意味です。イラン南西部ペルセポリスから車で北東80kmほどのところにある遺跡で、古代ペルシャ帝国(アケメネス朝)の最初の首都があった地です。紀元前6世紀に初代のキュロス大王がペルシャ人の故郷とされるファールスと呼ばれたこの地に首都を建設しました。ここには6段の方形壇上に墓室がある墓廟が残されており、キュロス大王の墓と伝わっています。また「ソロモンの玉座」という意味のタレ・タフト要塞やペルシャ古来の四分庭園のデザインの原形とされる庭園があります。ここでは古代ペルシャ建築のさらに初期段階の建築物を見ることができます。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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バターリャ修道院

Monastery of Batalha
バターリャ修道院
バターリャの修道院は、ポルトガルの歴史において最も重要な出来事の記憶を刻む場所です。「バターリャ」とは「戦い」を意味します。1385年、王位継承問題で攻め入ってきた大国カスティーリャ王国軍に、ジョアン1世率いるポルトガル軍は奇跡的に勝利し、危機にあった国の独立を守りました。ジョアン1世は、戦いに赴く前に聖母マリアに戦勝祈願の祈祷をしたので、この度の勝利は聖母マリアのおかげだと感謝しました。そこで、これを記念して戦場の近くに建設されることになったのが、バターリャの修道院です。これはドミニコ会に寄贈され、「勝利の聖母マリア修道院」という正式名をもちます。着工されたのは1388年でした。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(ii)
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『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺

Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon, the Depositories for the Tripitaka Koreana Woodblocks
『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺
韓国南部の伽耶山の麓に建つ海印寺は、802年に創建された由緒ある寺院です。この場所に収められている「八萬大蔵経」は、仏教経典の集大成として世界にその存在を知られています。この版木は、高麗時代の13世紀、モンゴル軍の侵攻という国難に際して、仏の加護を願うために彫られました。初めに彫られたものは戦乱により失われましたが、その後15年をかけて復刻され、1251年に完成しています。約8万枚に及ぶ木版は、その正確さと美しさにおいて他に例がなく、今日でも高い学術的価値を持っています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 大韓民国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (iv)(vi)
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バッサーリ地方:バッサーリ族とフラ族、ベディク族の文化的景観

Bassari Country: Bassari, Fula and Bedik Cultural Landscapes
バッサーリ地方:バッサーリ族とフラ族、ベディク族の文化的景観
セネガル南東部に位置するこの遺産は、バッサーリ族、フラ族、ベディク族がそれぞれ居住する三つの異なる地理的地域を含んでいます。この地域は、フータ・ジャロン山塊の北の丘陵地帯に位置し、沖積平野と準平野、そして山岳地帯という異なる地理的環境を特徴としています。11世紀から19世紀にかけて定住を始めたこれらの人々は、周囲の自然環境と共生する独自の文化と生息地を築き上げ、山地には、天然の洞窟が点在しており、異なる文化集落の設立と防衛に非常に有利な環境を提供してきました。
地域: アフリカ / 国名: セネガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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バッファロー狩りの断崖

Head-Smashed-In Buffalo Jump
バッファロー狩りの断崖
カナダのアルバータ州カルガリーの南約150㎞の平原には、先住民ブラックフット族が5,000年以上前からアメリカバイソン(バッファロー)の追い込み猟を行っていた場所があります。先住民たちにとって、バッファローは生きる糧そのものでした。彼らは、バッファローの群れを砂岩の断崖に追い込み、〝血に染まった深い淵〟と呼ばれる高さ10mから15mの断崖下に飛び込ませました。崖下で槍や石斧などで息の根を止められたバッファローの肉は食料になり、その皮は衣類やテントに、そして骨は針やナイフに、さらに角は食器やコップにと、余す所なく利用されました。
地域: 北米 / 国名: カナダ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (vi)
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パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟

The Historic Centre (Chorá) with the Monastery of Saint-John the Theologian and the Cave of the Apocalypse on the Island of Pátmos
パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟
エーゲ海東部のドデカネス諸島にあるパトモス島は、神学者聖ヨハネが「福音書」と『新約聖書』の「黙示録」の両方を書いたと伝えられる、キリスト教史上非常に重要な場所です。聖ヨハネとはイエスの十二使徒の1人で、イエスに最も愛された弟子のひとりでした。西暦95年、ドミティアヌス帝によってパトモス島に流刑となった聖ヨハネは、この地で「黙示録」などを書き、弟子プロクロスに口述したとされています。7世紀にはイスラーム教徒の襲撃を受けて一度は無人島となったものの、11世紀にビザンツ帝国のアレクシオス1世がパトモス島を植民地にしてからは、この地はギリシャ正教の学びと巡礼の地となりました。最初の修道院である「神学者聖ヨハネ修道院」は、1088年に修道士ホシオス・クリストドゥロス・ラトリーノスによって建てられました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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