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バンベルクの旧市街
Town of Bamberg
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州北部フランケン地方に位置しています。町の基本的な構造は初期中世の都市計画をよく残しており、中世の宗教建築や世俗建築が数多く現存している中央ヨーロッパの都市の好例となっています。バイエルン公ハインリヒ2世が1007年にドイツ王となった際、彼はバンベルクを司教座の所在地とし、「第二のローマ」とすることを意図しました。現在の町が示している、農業(市場向けの菜園やブドウ畑)と都市の流通拠点との結びつきは、特に興味深いものです。10世紀以降、バンベルクはスラヴ諸民族、特にポーランドやポメラニアの人々との重要な交流拠点となりました。12世紀以降の最盛期には、この町の建築は北ドイツやハンガリーに強い影響を与えました。18世紀後半には、バンベルクは南ドイツにおける啓蒙思想の中心地となり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルやE.T.A.ホフマンといった著名な哲学者や作家がここに住んでいました。
万里の長城
The Great Wall
ビーソトゥーン
Bisotun
イラン西部の古代の交易路上にあるビーソトゥーン(「神々の場所」の意)には、先史時代からメディア王国、アケメネス朝、ササン朝そしてイル・ハン国時代までの遺跡が残っています。中でも、紀元前6世紀にアケメネス朝のダレイオス1世(大王)が王位についたことを記念して彫られた摩崖碑は重要で、一般には英語読みの「ベヒストゥン碑文」として知られています。ここにはダレイオス1世の等身大の浅浮彫と並んで、彼の時代の帝国統治や歴史的事件等が楔形文字で記されています。1,200行に及ぶ碑文は、エラム語とバビロニア語そして古代ペルシャ語の3か国語でほぼ同じ内容が書かれており、この時代唯一残された歴史的文書であることもあり、古代言語学的にも歴史学的にもとても価値のあるものです。
ヒヴァのイチャン・カラ
Itchan Kala
ウズベキスタン、ホラズム地方のアムダリヤ川の南に位置するヒヴァは、16世紀初頭に成立したヒヴァ・ハン国の首都です。この国はウズベク人が興した国であり、隣国のブハラ・ハン国とコーカンド・ハン国で、領土をめぐって激しく争いました。首都ヒヴァは17世紀頃に首都となり、その旧市街で「内城」を意味するイチャン・カラは、二重の城壁で守られています。城壁の影響もあり、保存状態が非常に良いことから、1969年に「博物館都市」に指定されて、今も手厚く保存されています。また、イチャン・カラはヒヴァ・ハン国がこの地を治める以前から栄えており、2,000年以上の歴史を有しています。古来、ペルシア地方に向かうキャラバン達の休息地となっており、オアシス都市としても栄えていました。
ピエモンテとロンバルディアのサクロ・モンテ群
Sacri Monti of Piedmont and Lombardy
サクロ・モンテ(聖山)とは、聖書の物語を描いた絵画や彫刻を収める聖堂を山の中に築き、それらを巡礼することで信仰を深める宗教施設群のことです。サクロ・モンテを築く運動は、エルサレムやパレスチナなど聖地に代わる祈りの場をヨーロッパにつくるのが目的で、15世紀から16世紀初頭にかけて始まりました。当時、イスラム勢力の急速な拡大で、巡礼者にとって聖地へのアクセスが困難になっていたことが背景にありました。北イタリアのピエモンテとロンバルディアにある9つのサクロ・モンテには、16世紀後半から17世紀にかけての建築的特色が残る教会群があり、キリスト教信仰のさまざまな様相が表現されています。これらは、丘陵、森林、湖といった周囲の自然と見事に調和した景観を作り上げており、その深い美しさを可能にした技法も高く評価されています。
ヒエラポリスとパムッカレ
Hierapolis-Pamukkale
ピエンツァの歴史地区
Historic Centre of the City of Pienza
ビガンの歴史地区
Historic City of Vigan
フィリピン北部、ルソン島の南シナ海を望む港街ビガンは、スペイン植民地時代の面影を色濃く残しています。 16世紀後半にスペインの植民地として築かれ、中国やメキシコとの交易の拠点として繁栄しました。街はスペインの都市計画に基づいて碁盤目状に整備されています。石畳の通りには、外観はスペイン風だが、中国やフィリピンの伝統的な建築様式が採用された家屋が並んでいます。石と木を組み合わせた家屋はタガログ語で「バハイ・ナ・バト」と呼ばれています。中国やイロカノ、フィリピンの要素が混在しているという点で、スペイン植民地であったラテンアメリカの諸都市とは顕著な違いが見られます。イロカノとは、ルソン島北西部のイロコス地域に住むマレー系の民族のことです。
ビキニ環礁-核実験場となった海
Bikini Atoll Nuclear Test Site
日本から南東に約4,600㎞離れた太平洋の島国、マーシャル諸島共和国のビキニ環礁は、第2次世界大戦後に始まった冷戦下において、アメリカの核実験場となった場所です。アメリカは、住民を別の場所に強制的に移住させたうえで、1946年から1958年までマーシャル諸島のビキニ環礁及びエニウェトク環礁で合計67回の核実験を実施しました。一連の実験で使用された核兵器の累積は、広島型原爆の約7,000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、生態系、被曝による人びとの健康被害など、重大な影響を及ぼしました。特に、23回もの核実験が行われたビキニ環礁はその象徴的な場所で、1946年の実験で環礁の底に沈んだ船や、1954年の水素爆弾「ブラボー」の実験でできた直径約2㎞の巨大なブラボー・クレーターなど、核実験の威力を伝える上で非常に重要かつ直接的な痕跡が残っています。アメリカによって10年あまり続いた核実験は、ビキニ環礁とマーシャル諸島の歴史を変えました。そしてビキニ環礁は、その歴史を通して、平和と地上の楽園という矛盾したイメージを持ちながらも、核時代の幕開けの象徴となり、同時に、軍縮を推進する国際的な運動の発展にもつながっていきました。マーシャル諸島で初の世界遺産として、2010年に登録されました。
ピサのドゥオーモ広場
Piazza del Duomo, Pisa
ビスカヤ橋
Vizcaya Bridge
ヒッタイトの首都ハットゥシャ
Hattusha: the Hittite Capital
ビニャーレス渓谷
Viñales Valley
姫路城
Himeji-jo
ピュー族の古代都市群
Pyu Ancient Cities
ミャンマー中部に位置するピュー族の古代都市群は、紀元前200年頃から紀元後900年頃にかけて繁栄したピュー族の王国の遺跡です。ピュー族は、ビルマ族がこの地域に進出する以前からエーヤワディー川流域に居住していた、チベット=ビルマ系の民族です。ハリン、ベイッタノ、シュリ・クシェートラの3つの都市遺跡は、いずれもレンガ造りの城壁で囲まれており、内側には宮殿や埋葬地、ボーボージーパゴダと呼ばれる仏塔が残されています。城壁で街を囲み、中央に宮殿を配置する都市構造は、古代インドの宗教観に影響を受けたものと考えられています。交易の拠点として栄えたこの地域には、約2,000年前に東南アジアに伝来した仏教によって経済的・社会的・文化的な変化がもたらされました。文献記録によると、ピュー族の王国は東南アジア最古の仏教都市国家とされています。しかし、9世紀に入ると中国雲南地方を基盤に勢力を拡大した南詔からの攻撃を受け、急速に衰退しました。
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
ピリッポイの考古遺跡
Archaeological Site of Philippi
ビリニュスの歴史地区
Vilnius Historic Centre
ビルカとホヴゴーデン
Birka and Hovgården
スウェーデンで3番目に広い湖、メーラレン湖には「ビョルケー島」と「アデルスエー島」が浮かんでいます。ビルカとホヴゴーデンは、この2つの島に位置しており、ヴァイキングの交易地であった遺跡が残っています。ビョルケー島のビルカは、ヴァイキングの交易地として8~10世紀にかけて繁栄したほか、9世紀にはハンブルク=ブレーメン大司教のアンスガールが訪れたことで、スウェーデンのキリスト教化のはじまりの拠点となりました。ここでは城壁や2,000を超える墳墓、ゲルマン人が用いたとされるルーン文字の石碑などが見つかっており、墳墓の副葬品からはヴァイキングが遠く離れたビザンツ帝国とも交易を行っていたことが証明されています。また、アデルスエー島のホヴゴーデンではヴァイキング時代の王宮跡と思われる遺跡も見つかっています。
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミヒャエル聖堂
St Mary's Cathedral and St Michael's Church at Hildesheim
ピレネー山脈のペルデュ山
Pyrénées - Mont Perdu
ヒロキティアの考古遺跡
Choirokoitia
ブールジュの大聖堂
Bourges Cathedral
ブールジュは、古代ローマ時代には「アヴァリクム」と呼ばれていた都市で、現在のサントル=ヴァル・ド・ロワール地域に位置しています。ここはガリアで最初期のキリスト教共同体のひとつで、サン・テティエンヌ大聖堂は最初の殉教者である聖ステファノに捧げられ、3世紀から礼拝の場として使われてきた場所に建てられています。ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂は、12世紀末から13世紀末にかけて建てられたゴシック美術の傑作のひとつで、その均整の取れたプロポーションと統一感のある設計が高く評価されています。タンパン(半円形の彫刻部分)、彫像、ステンドグラスは特に印象的で、建築の美しさだけでなく、中世フランスにおけるキリスト教の力を物語っています。
ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観
Sassanid Archaeological Landscape of Fars Region
イラン南西部のファールス地方には、3世紀から7世紀にかけてこの地を支配したササン朝時代の要塞や宮殿など8カ所の考古学遺跡が点在しています。遺跡はササン朝の最古期のものと末期のもので、最古期のものはフィールズアーバードにあるササン朝の始祖アルダシール1世の城やレリーフと円形都市跡、そしてビシャプールにある第2代シャープール1世の都市遺跡です。これらは3世紀のものです。末期の遺跡はサルヴェスターンにある7世紀の宮殿跡です。都市遺跡はいずれも周辺の自然と地形を最大限活用して建造されています。建物にはアケメネス朝やパルティアの伝統様式に加えてローマの影響も見てとれ、さらにその後のイスラム建築に大きな影響を与えました。
ファールンの大銅山地域
Mining Area of the Great Copper Mountain in Falun
スウェーデン中部、ダーラナ地方の山あいに位置する「ファールンの大銅山地域」は、かつて全世界の銅の3分の2を産出した大銅山の跡地です。この地での銅採掘の歴史は古く、8~9世紀から1992年まで、約1,000年にわたって採掘が続けられました。銅山跡には、深さ90mもある露天掘りの採掘坑や廃石・土砂の山、工場、住宅、最盛期であった17世紀頃の採掘設備などが残っています。また、旧市街地には17世紀に計画され、ファールン大聖堂をはじめとする街の繁栄を物語る歴史的な建造物が現存しています。ファールンの大銅山地域は、自由な鉱山労働者が株式を所有する共同運営組織であったこともあり、世界有数の鉱山地域におけるかつての生活様式が鮮やかに描き出されています。
ファウンテンズ修道院の廃墟のあるスタッドリー・ロイヤル公園
Studley Royal Park including the Ruins of Fountains Abbey
ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群
Fasil Ghebbi, Gondar Region
ファテープル・シークリー
Fatehpur Sikri
ファテープル・シークリーは、インドの古都アーグラ近郊にあるムガル帝国の都の遺跡です。1571年、3代皇帝アクバルは、イスラム神秘主義者スーフィーの聖者シャイフ・サリーム・チシュティーが、息子(後の4代皇帝ジャハーンギール)の誕生を予言した場所に新たな都市の建設を開始しました。当時アクバルが西部グジャラート地方での戦いに勝利したことにちなみ、「勝利の都市」を意味するファテープル・シークリーと名付けられ、1573年に完成しました。しかし水不足や酷暑、またアフガン民族との戦いから、わずか14年後の1585年にラホールへと遷都されました。1619年には、疫病が流行したアーグラから避難したジャハーンギールが約3ヵ月間滞在しましたが、その後は完全に放棄されました。
ファヤの先史景観
Faya Palaeolandscape
ファン・ネレ工場
Van Nellefabriek