World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(ii)(vi))

ボヤナの教会

Boyana Church
ボヤナの教会
ソフィアの郊外に位置するボヤナの教会は、3つの異なる時代に建設された建物で構成されていますが、特に1259年に描かれた第2の教会のフレスコ画は、中世の絵画の中で最も重要なコレクションの一つです。この絵画は、ビザンチン様式を継承しつつも、独特の表現力と生命力に満ち、調和のとれたプロポーションで描かれています。本遺産は、東ヨーロッパの中世芸術において、最も完全かつ完璧な保存状態を誇る建造物の一つです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ブルガリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ホラショヴィツェの歴史的集落

Holašovice Historic Village
ホラショヴィツェの歴史的集落
ホラショヴィツェは、チェコ共和国南部の南ボヘミア州で最も大きな街であるチェスケー・ブジェヨヴィツェの西15㎞に広がる田園地帯にある小さな村で、世界遺産で知られるチェスキー・クルムロフの北24㎞に位置します。この村の土地は、13世紀にボヘミア王がシトー会派のヴィシー・ブロト修道院に寄進したもので、中世から続く伝統的な農村の景観が今も残されています。南北に延びたほぼ長方形の共有の緑地広場の一角には小さな養魚池があり、その緑地を囲むように並木道に沿って120棟の民家が整然と並んでいます。そして、23の農場、ネポムクの聖ヨハネに捧げられた小さな礼拝堂、十字架、鍛冶場が配置されています。民家は18世紀から19世紀にかけてつくられた南ボヘミア地方特有の民族的バロック様式で、屋根や切妻の壁は黄色やピンクなどのパステルカラーに彩られ、装飾も施されています。礼拝堂は、高い鐘の形をしたファサードに特徴があり、屋根の上には鐘楼がもうけられています。平屋建ての鍛冶場と鍛冶屋の住居は、緑地広場の中央付近にあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: チェコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ボルガルの歴史的考古学的遺産群

Bolgar Historical and Archaeological Complex
ボルガルの歴史的考古学的遺産群
ヨーロッパ最長の河川であるヴォルガ川とカマ川が合流する南に、ボルガルの考古遺跡があります。それらからは、7世紀から15世紀に繁栄したヴォルガ・ボルガル文明の記憶をたどることができます。13世紀になるとモンゴル帝国の支配を受け、ジョチ・ウルスの最初の首都になり、カザン・ハン国の時代では交易中心地になりました。構成資産には、モスクやミナレット、霊廟などの宗教建造物や、浴場跡、塁壁などもあります。数世紀におよぶユーラシアの文化交流と変遷の歴史を刻むボルガルの遺産群からは、文化の多様性を汲み取ることができます。この地域では922年にイスラム教が受け入れられており、現在もタタール人のムスリムにとっては巡礼地になっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2014年 / 登録基準: (ii)(vi)
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ボルドー、月の港

Bordeaux, Port of the Moon
ボルドー、月の港
「ボルドー、月の港」は、世界的に有名なワイン生産地域の中心都市としての役割と、地域および国際レベルでの商業における港の重要性により、2000年以上にわたる人類の価値交流の卓越した例です。18世紀初頭から発展した都市計画と建築の集合体は、ボルドーを古典主義や新古典主義の傑出した例として位置づけ、都市や建築の統一性と調和を際立たせています。その都市計画を代表する場所が、ガロンヌ川に面してたたずむブルス広場です。大劇場(フラン・テアトル)は、建築家ヴィクトル・ルイによって設計された建物です。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)

Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
広くはリヴィエラと呼ばれた地域のうち、イタリアのジェノヴァを挟んで西側の一帯は、フランスのニースまで続く国際リゾート地帯となっています。一方、東側に当たるイタリア半島北西部のリグリア海の海岸線一帯は未開発なままで1,000年にわたり自然と共存共栄を図ってきた街並を残しています。ここでは現在も、ブドウ栽培や漁業などでの伝統的な生活を送る人々が暮らしています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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ホレズの修道院

Monastery of Horezu
ホレズの修道院
ルーマニア中部ワラキア地方西部のホレズ近郊に1690年に建てられた修道院です。当時の領主であったコンスタンティン・ブルンコヴァヌ公によって建造されたもので、彼とその家族はワラキアの多くの修道院や教会の建設に尽力し、それらは彼の名を取ったブルンコヴァヌ様式と呼ばれています。ホレズの修道院はこの様式を代表する建造物として知られ、ギリシャ十字型の土台の中央に主聖堂のカトリコン聖堂が置かれ、東西南北の四端に付属聖堂としての使徒聖堂、聖母聖堂、聖ステファヌス聖堂、天使聖堂が配置されています。主聖堂のカトリコン聖堂は1690年から1692年にかけて建設され、内装を含めてさらに2年後に完成しました。3つの側廊を持ち、非常に大きなナルテクス(拝廊)を持っており、これは16世紀初頭に建造されたクルテア・デ・アルジェシュ修道院の大聖堂に倣ったものです。内部下層の壁面は、コンスタンティン・ブルンコヴァヌとその妻、11人の子供達の奉納画で埋め尽くされており、エクソナルテクスの東壁には「最後の審判」が描かれています。これらの内部装飾や外観はワラキア独自の文化とギリシャから伝わった様式の融合が見られます。
地域: ヨーロッパ / 国名: ルーマニア / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)
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ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群

Episcopal Complex of the Euphrasian Basilica in the Historic Centre of Poreč
ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群
クロアチア西部イストラ半島のアドリア海に面する地、ポレチュは、紀元前2世紀に古代ローマ帝国が建設した街です。ここには4世紀から6世紀にかけて建てられた初期キリスト教関連の建造物群があります。エウフラシウス聖堂は、4世紀創建の礼拝堂を6世紀中ごろ司教エウフラシウスが改築したもので、同時代のビザンツ建築の中心地であったラヴェンナの影響が強く見られ、初期キリスト教建築とビザンツ様式が融合した宗教建築の傑作といわれています。バシリカ聖堂本体に加え、中央のアプスやアトリウム、そしてモザイク画などが良好な状態で保存されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: クロアチア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ボロブドゥールの仏教寺院群

Borobudur Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
地域: 東・東南アジア / 国名: インドネシア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1991年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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ポロンナルワの古代都市

Ancient City of Polonnaruwa
ポロンナルワの古代都市
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
地域: 西・南アジア / 国名: スリランカ民主社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1982年 / 登録基準: (i)(iii)(vi)
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ポントカサステ水路橋と運河

Pontcysyllte Aqueduct and Canal
ポントカサステ水路橋と運河
ウェールズ北東部には、英国で最長かつ最も高い水路橋があります。それが19世紀初頭に開通したポントカサステ水路橋と運河で、それは産業革命の時代における土木技術の結晶とされています。橋を設計したのは、土木技術者のトマス・テルフォードです。彼は、水が流れる橋の上の水路部分に鍛鉄を使い、軽くて頑丈なアーチ構造で完成させました。また、地形的な条件に合わせて、運河には閘門を省くといった大胆な解決策も取り入れました。200年以上も昔に、土木技術と金属構造を融合させたことは画期的であり、後の世界の土木建築に多大な影響を与えたとされています。
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マウルブロンの修道院関連建造物群

Maulbronn Monastery Complex
マウルブロンの修道院関連建造物群
1147年に設立されたシトー会のマウルブロン修道院は南ドイツに位置します。アルプス以北で最も完全かつ保存状態の良い中世修道院群とされています。城壁に囲まれた主要な建物は12世紀から16世紀にかけて建造されたもので、ロマネスクからゴシックへの過渡期にあたります。聖堂は三廊式で、縦に長いラテン十字型のプランを持つロマネスク様式で創建されましたが、13世紀の初めにゴシック様式の柱廊玄関ホールなどが加えられました。北ヨーロッパから中央ヨーロッパの多くの地域のゴシック建築の普及に大きな影響を与えたと考えられています。修道院は町外れに位置し、かつ城壁に囲まれていることから市街地とは明確に区別され隔たれており、これは第一世代のシトー会建築の典型例の一つです。また、併設されていた神学校は、作家のヘルマン・ヘッセや詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンなどが学んでいたことでも知られています。ヘッセの自伝的小説である『車輪の下』はマウルブロン神学校での体験を元にしているとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マカオの歴史地区

Historic Centre of Macao
マカオの歴史地区
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2005年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市

Portuguese City of Mazagan (El Jadida)
マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市
カサブランカ南西90kmに位置するアル・ジャジーダ市の一部であるマサガンは、16世紀初頭に大西洋沿岸の要塞植民地として建設されました。マサガンとはベルベル語で「たてがみをもつ女性」という意味ですが、19世紀にスルタンであったアブルドゥ・ラフマンによって「新しい」という意味の「アル・ジャジーダ」と名づけられました。ポルトガル占領時、マサガンはインドへの航路上に位置する、西アフリカにおけるポルトガル人探検家たちの重要な拠点として機能しました。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iv)
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マサダ国立公園

Masada
マサダ国立公園
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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マトボの丘群

Matobo Hills
マトボの丘群
ジンバブエ南西部に位置するマトボの丘群は、ジンバブエの大部分を覆う花崗岩の楯状地で、丘の海のような独特の地形が広がっています。ここには天然の岩窟(ロック・シェルター)がいくつもあり、岩窟内には素晴らしい岩絵のコレクションが残されています。これらの岩絵が描かれたのは少なくとも1万3,000年前に遡り、アフリカ南部において最も集中的に残された岩絵群のひとつとなっています。岩絵からは芸術様式の変遷や信仰を読み取ることができ、石器時代の狩猟採集社会が農耕社会へと移り変わる過程を伝えています。
地域: アフリカ / 国名: ジンバブエ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
エル・エスコリアール修道院は、マドリードの北、シエラ・デ・グアダラマ山脈の麓にある非常に美しい場所に佇んでいます。修道院の他にも、王宮や神学校、王立図書館、施療院などを持つ複合施設であり、これらの建造物が11の主要な中庭と3つの修道士の中庭を中心に見事に構成されています。この修道院は、16世紀半ば、国王フェリペ2世が礼拝の都合を考え、王宮と修道院を合体させたことが始まりとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(vi)
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マハーバリプラムの建築と彫刻群

Group of Monuments at Mahabalipuram
マハーバリプラムの建築と彫刻群
インド南東部ベンガル湾に臨むマハーバリプラムには7世紀から8世紀のタミル系パッラヴァ朝のヒンドゥー教関連建築が残されています。ラタ(「山車」または「戦車」の意)と呼ばれる1つの巨大な花崗岩の塊を彫ってつくられた5つの寺院と動物の石像が祭りの行列のように並んでいます。そして寺院には古代の叙事詩「マハーバーラタ」に登場する神々や王族の肖像をはじめ、芸術的な彫刻が全面に施されています。その壮麗さはこの時代の優れた工芸技術を示しています。またマンダバと呼ばれる岩窟寺院や優れた岩面レリーフも残されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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マプングブエの文化的景観

Mapungubwe Cultural Landscape
マプングブエの文化的景観
ジンバブエとボツワナに接する南アフリカの北端には、南部アフリカ最古の王国とされるマプングブエの遺跡があります。シャシェ川とリンポポ川の合流地に広がるサバンナの景観に、宮殿や集落、古代首都の遺跡が残っています。10世紀頃に農村社会から王国へと発展したマプングブエには、東アフリカの港湾を経由するインド洋交易によって、莫大な富がもたらされました。マプングブエからは金や象牙が輸出され、インドや中国からは磁器やガラスビーズなどが輸入されたようです。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(v)
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マラケシュの旧市街

Medina of Marrakesh
マラケシュの旧市街
モロッコ史における重要な歴史的都市 マラケシュはモロッコでフェズに次ぐ2番目に歴史を持つ都市です。ムラービト朝時代の1070~1072年にかけて建設され、以後長きにわたりモロッコの政治、経済、文化の中心地でした。赤土色の
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)
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マルボルクのドイツ騎士修道会の城

Castle of the Teutonic Order in Malbork
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
マルボルク城は、13世紀に建設が始まったドイツ騎士修道会の要塞化された修道院です。1309年に総長の座がヴェネツィアからマルボルクに移されてから大幅に拡大され、装飾されました。ドイツ騎士団特有の独特な様式で建てられたゴシック様式のレンガ造りの城郭群の中でも、最も完成度が高く精巧なもので、当時の西ヨーロッパや近東で一般的だった城の様式とは独立して発展したものです。その壮大な要塞は、14世紀に最大の勢力を誇ったプロイセンにおけるドイツ騎士修道会国家を物語る建造物です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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マントヴァとサッビオネータ

Mantua and Sabbioneta
マントヴァとサッビオネータ
北イタリアのポー川渓谷に位置するマントヴァとサッビオネータは、ともに14~17世紀にこの地を支配したゴンザガ家ゆかりのルネサンス都市です。両都市は、ゴンザガ家が領土内で行ったルネサンス期の都市計画における2つの主要な形態を示しており、マントヴァは「既存の都市の再生と拡張」を、サッビオネータは「当時の理想の都市計画の理念の実現」をそれぞれ象徴しています。2つの街はルネサンス都市としての形成過程こそ異なるものの、ともにゴンザガ家の下でルネサンス期の都市、建築、芸術の理想が具現化されており、ルネサンス文化の発展に大きな影響を与えたのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ミーソン聖域

My Son Sanctuary
ミーソン聖域
ミーソン聖域は、4世紀から13世紀にかけて、現在のベトナムの沿岸地域で発展した独自の文化の場所です。この文化は、インドのヒンドゥー教に精神的な起源を持ち、特にシヴァ神を崇拝する神殿が多く建設されました。これらは、聖域に残る印象的な塔状寺院の遺跡によって鮮やかに示されています。この場所は、チャンパー王国が約10世紀にわたって継続的に発展した宗教的および政治的な首都であり、インド亜大陸からの影響が芸術と建築に適応した、文化交流を示すものです。
地域: 東・東南アジア / 国名: ベトナム社会主義共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (ii)(iii)
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ミール城と関連遺産群

Mir Castle Complex
ミール城と関連遺産群
ミール城は、ベラルーシに位置する、中世から近世にかけての中央ヨーロッパの政治的・文化的対立と融合を物語る、類いまれな城塞です。15世紀末にゴシック様式で建設が始まり、その後ルネサンス様式やバロック様式の影響を受けて拡張・再建されました。その建築様式の中に、ゴシック様式の堅牢さと、ルネサンス様式の洗練された優雅さ、そしてバロック様式の装飾的な要素が調和して共存しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ベラルーシ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林

Sacred Mijikenda Kaya Forests
ミジケンダ諸族のカヤ聖域森林
ケニア南東部のインド洋沿岸の200㎞にわたる森林地帯に、16世紀以降他民族に追われここに住みついたミジケンダ族がつくった「カヤ」と呼ばれる要塞化した村落が残されており、そのうちの10カ所が世界遺産に登録されています。森林の中に円形に防御用の石壁を巡らし木製のドアを設けたもので、神聖な墓所や森を守るために築かれました。周囲の森は埋葬や共同の祭祀が行われた聖域であり、20世紀に入って村が放棄された後も、先祖の住まう聖なる森として神聖化され、いまでも長老たちの寄合いが行われています。
地域: アフリカ / 国名: ケニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (iii)(v)(vi)
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ミストラの考古遺跡

Archaeological Site of Mystras
ミストラの考古遺跡
古代ギリシアのポリスであるスパルタから西へ約5kmの位置に、ミストラはあります。かつて「ビザンツ帝国最後の輝き」と言われたこの都市は、13世紀初頭の第4回十字軍の際、アカイア公国の君主によって築かれました。その後、ビザンツ帝国の皇帝ミハイル8世がこのミストラを手中におさめ、ミストラはビザンツ帝国軍総督の本拠地となりました。14世紀から15世紀にかけてはモレアス専制公領の都となり、専制公らは大きな政治力と軍事力を背景に富を蓄え、ミストラを要塞都市だけでなく、文化の中心地としても発展させようとしました。建築家や芸術家を集めて、古代ギリシアに倣ってアカデミアなどを建築しますが、1453年にビザンツ帝国が崩壊すると、ミストラは衰退の一途を辿りました。そして、19世紀には廃墟と化してしまったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ミディ運河

Canal du Midi
ミディ運河
フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー湖までを結ぶミディ運河は、ブルボン朝絶頂期の太陽王、ルイ14世の治世時である1694年に完成した、世界最古級の運河です。総延長は360kmで、東京から三重あたりまでの距離に相当します。当時フランスはスペインに対抗するために、地中海と大西洋を結ぶ国際通路を必要としていました。実はローマ帝国の時代から、地中海と大西洋を結ぶ運河の建設計画があったのですが、技術的にも予算的にも非常に困難なものでした。そこで立ち上がったのが当時、塩税徴収人として財をなしたピエール・ポール・リケでした。彼は1667年に運河の着工をし、約30年かけて完成させました。運河はトゥールーズで大西洋に注ぐカロンヌ川と繋がり、この事業は新しい時代を象徴するものとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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南アフリカの人類化石遺跡群

Fossil Hominid Sites of South Africa
南アフリカの人類化石遺跡群
南アフリカ北東部のスタークフォンテン渓谷一帯には多くの石灰岩洞窟があります。ここからは、400万年前から100万年前の間に生きていた初期人類の化石が多数出土しており、アフリカ大陸が人類発祥の地であることを明らかにするものです。スタークフォンテン渓谷は、1999年にスワートクランズ、クロムドラーイ地区とともに世界遺産登録され、2005年にはマカパン渓谷、タウング頭骨化石遺跡が追加登録されました。これらの遺跡群では、現在もなお新しい発見が続いています。20世紀末には「リトル・フット」と称される367万年前の猿人の骨格化石が、2013年には「ホモ・ナレディ」と命名された、新種のヒト属の化石も発見されています。
地域: アフリカ / 国名: 南アフリカ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(vi)
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ミノア文明の宮殿群

Minoan Palatial Centres
ミノア文明の宮殿群
ミノア文明とは古代ギリシャ文明のひとつで、エーゲ海のクレタ島を中心に栄えた青銅器文明です。ミノアとは伝説上の王であるミノス王からきていますが、島の名をとりクレタ文明ということもしばしばあります。この文明を築いた民族については残念ながらあまりわかっていませんが、紀元前1900年頃から栄え、世界史の教科書でもお馴染みのクノッソス宮殿などの壮大な宮殿が築かれました。当時の民族が使用した文字を線文字Aと言いますが、未解読のため、早急な解読が期待されます。しかし、城壁がなく、多数の壺に海の生物が描かれていることから、開放的で海洋的な文明だったと推測されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』

Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with “The Last Supper” by Leonardo da Vinci
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
ミラノの中心部に位置するサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会は、15世紀の半ばに完成した教会です。敷地内にはドミニコ会の修道院があります。その食堂の壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から97年にかけて描いた『最後の晩餐』が残ります。縦4.2m×幅9.1mの巨大な壁画で、「遠近法」と「明暗法」を取り入れ、イエスとその弟子たちをリアルに浮き立たせた名画です。壁画は、壁の漆喰が乾ききらないうちに描くフレスコ画ではなく、卵などを絵具に混ぜて固定材として使用するテンペラ画の技法で描かれました。速乾性に優れ、細やかな筆遣いを可能としましたが、壁に描く場合は耐久性に劣るため、「最後の晩餐」も早くに損傷が進み、20世紀後半には修復作業が行われました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (i)(ii)
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