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北京と瀋陽の故宮
Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang
北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群
Beijing Central Axis: A Building Ensemble Exhibiting the Ideal Order of the Chinese Capital
中国の首都・北京の中心部を南北に貫く中軸線は、北の鐘鼓楼から万寧橋、景山公園、紫禁城(故宮)、天安門などを経て、南の永定門に至るまで、全長7.8kmにわたって延びています。この都市軸は、北京の歴史的中核を形づくるとともに、中国の皇帝制と伝統的都市計画の理念を現在に伝えるものです。歴史的には、元代(1271~1368年)の首都・大都の建設とともに1267年に初めて建設され、明代(1368~1644年)、清代(1636~1912年)にかけて拡張・形成されました。元代に大都が建設された際、現在の什刹海(シチャハイ)東岸周辺を基準点として、南方向に都市の軸線が設定されました。これに沿って宮城が築かれ、都市の四方の境界が画定されるとともに、街路は碁盤目状に整備されました。この軸線は中国古代に編纂された、儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルが具体化されたものでした。明代に入ると、紫禁城を中心とする内城とその南側に外城が建設され、南北へと延長されました。15世紀前半には、紫禁城の北側に景山が築かれ、東西には太廟と社稷壇(しゃしょくだん)が配置されました。さらに内城の南には天安門と正陽門が整備され、16世紀半ばまでに外城が完成すると、中軸線は永定門まで延び、現在見られる7.8kmの全体像が成立しました。その後の清代にかけて、建造物の改修や景観の整備が進められ、中軸線は皇帝制のもとで維持・発展していきました。
ペタヤヴェシの古教会
Petäjävesi Old Church
1763年から1765年にかけて、フィンランドの伝統的な木造建築技術を用いて建造されたルター派の教会です。教会の建設は、地元の建築職人であったヤッコ・レッパネンの指揮の下に行われ、鐘楼と渡り廊下は彼の孫であるエルッキ・レッパネンによって1821年に増築されました。この教会は針葉樹林地帯に住む地元の農民が用いてきた伝統的な丸太造りの建築技術の独特な形状を有しており、教会部分はギリシャ十字型の身廊を持ち、丸太を横に組んだ日本の校倉造に似たような外壁と板をうろこ状に並べた寄棟造が特徴的です。教会のレイアウトや内装は、ヴォールトや中央のクーポラなど、ルネサンス、バロック、ゴシックといった各建築様式の影響を受けつつ、フィンランド特有の木造技術の伝統が融合しています。
ヘブロン:アル・ハリールの旧市街
Hebron/Al-Khalil Old Town
パレスチナ西岸地区の南部に位置するヘブロンは、マムルーク朝時代に築かれた市街地です。しかし、それより以前にも隊商交易の要衝でもあり、紀元前1世紀には最初の預言者とされるアブラハムとその家族の墓も築かれました。『旧約聖書』によると、アブラハムは「マクペラの洞穴」に葬られたとされ、その洞穴がヘブロンにあると信じられたため、ここに墓が築かれました。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒にとって、「啓典の民」の始祖とされるため、ヘブロンは三つの宗教の巡礼地となっています。都市の構造としては、マムルーク朝からオスマン帝国と、やはりイスラム王朝の支配が続いたので、イスラム都市の要素が多いです。マムルーク朝時代のスークやモスク、ハマムなども現存しています。
ベラトとギロカストラの歴史地区
Historic Centres of Berat and Gjirokastra
ベラトとギロカストラは、オスマン帝国時代の建造物が良好な状態で残されている貴重な遺産です。アルバニア中部に位置するベラトは、要塞としての機能を持ちながらも開放的な雰囲気の街で、古くから職人や商人たちが暮らしてきました。丘一帯には、オレンジ色の屋根に白い壁、そして大きな窓が特徴的な同じ形の建物が立ち並んでいます。その特徴的な景観から、ベラトは「千の窓の町」という名で親しまれています。地元で「カラ」と呼ばれる城の起源は紀元前4世紀にまでさかのぼりますが、現存するものの多くは13世紀に建てられたものです。城内の地区には、主に13世紀のビザンチン様式の教会が数多く残されているほか、1417年からのオスマン帝国時代に建てられたモスクも点在しています。
ベリンツォーナ旧市街にある三つの城、城壁と要塞群
Three Castles, Defensive Wall and Ramparts of the Market-Town of Bellinzona
スイス南東部、ティチーノ州にあるベリンツォーナ城塞群は、アルプス山麓においてかつて渓谷全体を封鎖し、市民を守るために町ごと取り囲む城壁で結んだ城塞からなる中世ヨーロッパの軍事建造物群です。この一帯はイタリアと西ヨーロッパを結ぶ交通の要所であったことから、古代ローマやミラノ公国をはじめとする国々の支配を受け、多くの城塞が築かれてきました。13世紀にティチーノ渓谷全体を見渡すように築かれた「カステル・グランデ」、グランデからムラータと呼ばれる城壁で結ばれた14世紀建設の「カステッロ・ディ・モンテベッロ」、そこから少し離れた場所に建つ1480年建設の「カステッロ・ディ・サッソ・コルバーロ」の3つの城が世界遺産に登録されています。グランデを中心に、いずれも岩山の頂上にそびえ立ち、外敵の侵入に目を光らせていました。
ペルガモンとその周辺:様々な時代からなる文化的景観
Pergamon and its Multi-Layered Cultural Landscape
トルコ西部、エーゲ海地域の丘の上に位置するペルガモンのアクロポリス遺跡は、紀元前3~前2世紀に栄えたアッタロス朝(ペルガモン王国)の首都の都市遺跡です。この都市を築いたのはアッタロス朝の創始者であるフィレタイロス。彼は、アレクサンドロス大王の死後、後継者の一人であるリュシマコスに仕えていましたが、リュシマコスが殺されてからはこの地の統治者となりました。ここには記念碑的な聖堂群や劇場、教育機関、図書館などの遺構が、大規模な市壁に囲まれた傾斜地に残ります。紀元前133年になると、ローマに組み込まれますが、それ以降も文化都市として栄えました、やがてビザンツ帝国やオスマン帝国の時代では教会やモスクも建造されたため、この地には様々な時代の遺構が残っています。
ベルギーとフランスの鐘楼群
Belfries of Belgium and France
ペルシア庭園
The Persian Garden
ペルシアのカナート
The Persian Qanat
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)
Museumsinsel (Museum Island), Berlin
ベルリンを流れるシュプレー川の中州にあるベルリンの博物館島(ムゼウムスインゼル)は、都市の中心に位置する歴史的および芸術的に重要な個別の博物館群で構成された建築群です。これらの5つの博物館は、1824年から1930年にかけて著名なプロイセンの建築家によって建設されました。ベルリンの博物館島は、都市公共フォーラムの都市および建築的実現の驚くべき例であり、都市にとってアクロポリスのような象徴的価値を持っています。その希少な計画と建築の連続性、および1世紀以上にわたるコンセプトの一貫性が高く評価されています。建築的価値は、5つの博物館が所蔵する重要なコレクションと切り離せないものであり、それらは文明の進化を証明しています。展示されるコレクションとの有機的関係を設計した博物館内の建築空間は、内装の一部として組み込まれるか、枠組みとして解釈されるなど直接的なつながりを持っています。
ベルリンのモダニズム公共住宅
Berlin Modernism Housing Estates
ドイツの首都ベルリンのモダニズム住宅団地は、1910年から1933年にかけて建設された6つの建物で構成されており、特にヴァイマール共和国時代には社会的、政治的、文化的に進歩的だったベルリンの革新的な住宅供給政策を証明するものです。この集合住宅は、低所得者層の住宅と生活環境を改善するための都市計画、建築、庭園設計の新しいアプローチを通じて建築改良運動の模範的な例となっています。集団住宅は新しい都市と建築の典型例を提供しており、斬新な設計ソリューションや技術的、そして美的な革新を備えています。ブルーノ・タウト、マルティン・ワグナー、そしてヴァルター・グロピウスなどの著名な建築家たちがこれらのプロジェクトに携わり、世界の住宅開発に多大な影響を与えました。
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟
Mausoleum of Khoja Ahmed Yasawi
カザフスタン南部、ヤシという町にあるホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟は1389年から1405年にかけてつくられた、現在も重要な巡礼地です。ホージャ・アフマド・ヤサヴィーとは、12世紀に中央アジアの遊牧民にイスラム教を広めたイスラーム神秘主義の指導者のことであり、中央アジアと西アジアを征服し、帝国を築いたティムールが命令を出して、もともとあった小さい廟の後に建築されました。ティムールが廟を造らせた理由として有力なのが、遊牧民に崇拝されているヤサヴィーの廟を造ることで、東方の遊牧民の支持を得るためであったということです。建設にはティムール自身も携わり、腕の立つ職人が数多く集められましたが、1405年にティムールが亡くなったことにより建設は中断され、未完成となっています。
ボイ渓谷のカタルーニャ風ロマネスク様式教会群
Catalan Romanesque Churches of the Vall de Boí
ホイサラ様式の信仰関連遺産群
Sacred Ensembles of the Hoysalas
法隆寺地域の仏教建造物群
Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
『法隆寺地域の仏教建造物群』は、法隆寺に属する47棟と法起寺の三重塔1棟の合計48棟で構成されています。法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔など、7世紀後半から8世紀にかけて建立された11棟の建造物は、現存する世界最古級の木造建造物です。中国の優れた政治や文化、仏教を積極的に取り入れていた厩戸王(聖徳太子)は、601年に斑鳩宮を築き、推古天皇と共に移り住みました。そして、その西に607年頃、若草伽藍(斑鳩寺)を建立しました。これが法隆寺の起源とされています。同じ頃に中宮寺や岡本宮(法起寺)も建立され、斑鳩伽藍群が完成したと考えられています。622年に厩戸王が没すると、643年には蘇我入鹿の兵によって斑鳩宮が焼き払われ、斑鳩寺も670年に焼失しました。若草伽藍の遺構は、法隆寺境内の地下に「若草伽藍跡」として残されています。現在の法隆寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、現在の法隆寺西院の位置に再建されたものです。
ポツダムとベルリンの宮殿と庭園
Palaces and Parks of Potsdam and Berlin
ポトシの市街
City of Potosí
ポブレの修道院
Poblet Monastery
ホベルト・ブールリ・マルクスによる庭園
Sítio Roberto Burle Marx
ポポカテペトル山麓の16世紀初期の修道院群
Earliest 16th-Century Monasteries on the Slopes of Popocatepetl
『ポポカテペトル山麓の16世紀初期の修道院群』は、メキシコ北部領土における福音伝道と植民地化の一環として建築されました。メキシコのモレロス州、プエブラ州、トラスカラ州に位置する15の構成資産で成り立っています。それらは16世紀前半にメキシコへ最初に辿り着いたフランシスコ会(1524年着)、ドミニコ会(1526年着)、アウグスチノ会(1533年着)の修道士たちが築いた修道院でした。いずれもスペイン本国やヨーロッパなどにおける従来の建築プランとは異なる、この地域で急速に広まった新たな建築様式が採用されました。またすでに先住民が密集して暮らしていた場所に修道院を設立し、都市集落の中心となることを目指していました。
ホヤ・デ・セレンの考古遺跡
Joya de Cerén Archaeological Site
エルサルバドル西部の「ホヤ・デ・セレンの考古遺跡」は600年頃のロマ・カルデラ火山の噴火によって埋もれた農村集落の遺跡です。200人ほどの住民が暮らしていたと考えられていますが、突然の火山の噴火によって急に集落を放棄せざるを得なかったためか、豆の入った鉢などが散在した状態で見つかるなど、当時の生活の様子をそのまま伝える貴重な遺跡です。この集落跡は1976年に穀物貯蔵庫を建設する工事の際に偶然見つかったものですが、その後の発掘調査により、スペイン到達前のメソアメリカにおける村落の様子が非常に良好な保存状態で見つかっています。日干しレンガでつくられた住居跡や共同浴場跡、木製農耕具がほぼ完全な状態で発掘されたほか、陶器や香具、染料などの日用品やトウモロコシやカカオ豆といった食料までもが発見されています。
ホラショヴィツェの歴史的集落
Holašovice Historic Village
ホラショヴィツェは、チェコ共和国南部の南ボヘミア州で最も大きな街であるチェスケー・ブジェヨヴィツェの西15㎞に広がる田園地帯にある小さな村で、世界遺産で知られるチェスキー・クルムロフの北24㎞に位置します。この村の土地は、13世紀にボヘミア王がシトー会派のヴィシー・ブロト修道院に寄進したもので、中世から続く伝統的な農村の景観が今も残されています。南北に延びたほぼ長方形の共有の緑地広場の一角には小さな養魚池があり、その緑地を囲むように並木道に沿って120棟の民家が整然と並んでいます。そして、23の農場、ネポムクの聖ヨハネに捧げられた小さな礼拝堂、十字架、鍛冶場が配置されています。民家は18世紀から19世紀にかけてつくられた南ボヘミア地方特有の民族的バロック様式で、屋根や切妻の壁は黄色やピンクなどのパステルカラーに彩られ、装飾も施されています。礼拝堂は、高い鐘の形をしたファサードに特徴があり、屋根の上には鐘楼がもうけられています。平屋建ての鍛冶場と鍛冶屋の住居は、緑地広場の中央付近にあります。
ボルドー、月の港
Bordeaux, Port of the Moon
ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)
Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)
ポルトの歴史地区、ルイス1世橋とセラ・ド・ピラール修道院
Historic Centre of Oporto, Luiz I Bridge and Monastery of Serra do Pilar
ホルトバージ国立公園:プスタ(大平原)
Hortobágy National Park - the Puszta
中央ヨーロッパ西部から東ヨーロッパにかけて、プスタという大平原が広がっています。その大部分をハンガリーが領有していますが、ハンガリー東部のプスタは『ホルトバージ国立公園』の名で世界遺産に登録されています。なお、同国立公園はハンガリー初の国立公園であり、湿地林や三日月湖、沼地なども広がり、1979年にラムサール条約にも登録されています。ただ、世界遺産に関しては、プスタ自体の遺産価値は現在認められておらず、この地で2,000年以上にわたって伝統的な牧畜利用がされてきたことや、人と自然が調和した文化的景観が認められ、自然遺産ではなく文化遺産として登録されています。この地は放牧に適しており、何と紀元前2000年頃から遊牧民が移住してきたということもわかっています。
ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群
Episcopal Complex of the Euphrasian Basilica in the Historic Centre of Poreč
ボローニャのポルティコ群
The Porticoes of Bologna
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
Pont du Gard (Roman Aqueduct)
フランス南部オクシタニー地域に位置する「ポン・デュ・ガール」は、紀元前19年頃に古代ローマの政治家アグリッパが建設を命じた水道橋です。古代ローマの植民都市ネマウスス(現在のニーム)に水を供給するために1世紀中頃に建設された全長約50kmの水道の一部で、ユゼス近郊のウールの泉から水を運ぶ役割を果たしていました。水道橋は三層構造となっており、最上部までの高さは49m、水路部分の長さは下層から142.35m、242.55m、275mと上層になるほど長くなっています。岩盤の上に築かれた水道橋は、地形と調和しながら力強いラインを描いており、ローマ建築技術の偉業であると同時に、風景を一変させる芸術作品でもあります。