1~30件を表示中(全36件中)
アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画
Cave of Altamira and Paleolithic Cave Art of Northern Spain
ヴァルカモニカ(カモニカ渓谷の岩絵群)
Rock Drawings in Valcamonica
ヴェゼール渓谷の装飾洞窟と先史遺跡
Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley
ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園
Waterton Glacier International Peace Park
オークニー諸島の新石器時代遺跡
Heart of Neolithic Orkney
オネガ湖と白海の岩絵群
Petroglyphs of Lake Onega and the White Sea
オモ川下流域
Lower Valley of the Omo
カルナックとモルビアン沿岸の巨石群
Megaliths of Carnac and of the shores of Morbihan
カルメル山の人類の進化を示す遺跡群:ナハル・メアロット/ワディ・エル・ムガラ洞窟
Sites of Human Evolution at Mount Carmel: The Nahal Me’arot / Wadi el-Mughara Caves
ギョベクリ・テペ
Göbekli Tepe
ギョベクリ・テペは、文明発祥の地とされるメソポタミア地域に位置し、アナトリア南東部シャンルウルファ県オレンジク村の近くにある遺跡です。ここでは、新石器時代の神殿と考えられている巨石建造物が発見されています。1994年、ドイツ考古学研究所によるの発掘調査の結果、人類がまだ狩猟採集の生活を営んでいた約1万1,500年前に、世界で最も古い信仰の痕跡が見られることが分かりました。それまでの研究では、農耕が始まることで人類が定住生活を送るようになり、貧富の差がうまれ、やがて宗教的権力者が現われ、神殿が建てられるという文明発達の過程が定説とされてきました。狩猟採集の時代、人々は食料を求めて移動生活を送っていたため、大規模な建造物は存在しないとされていたのです。しかし、ギョベクリ・テペの発見はこの定説を覆し、農耕が始まる以前から神殿を建設するほど発達した文明の存在を示しているのです。
ククの古代農耕遺跡
Kuk Early Agricultural Site
オーストラリア大陸の北、パプアニューギニアの南部に位置するククの古代農耕遺跡は、7,000~6,400年前頃に植物の利用から農業へと転換した技術革新を示しています。海抜1,560mのクク湿地帯は、ニューギニア高地の山間の谷に位置しています。ここに人類は2万5,000年前頃の更新世後期に定住したと考えられています。30年にわたる遺跡の発掘調査によって、少なくとも7,000年前、おそらくは1万年前までには、この遺跡で耕作が行われていた証拠が見つかっています。また、7,000年前から4,000年前までの間に、自生している植物の採集から、排水された畑での体系的な農業へと、独自の大きな進化が起こったことが明らかになっており、これはオセアニアにおける植物の栽培化に関する最古の証拠です。サトイモ、ヤムイモ、その他のデンプン質の食物の加工に関わる石器も発見されており、この地域の住民は大きな土塁の上でバナナとヤムイモを栽培し、土塁の縁などでは湿った地面に耐えられるタロイモを栽培していたようです。バナナの中には、後に世界最大の栽培化されたバナナの元となった野生種も含まれていました。最近の遺伝子研究は、バナナが当初ニューギニアで栽培化され、その後東南アジアに広まったことを示唆しています。
ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
Kernavė Archaeological Site (Cultural Reserve of Kernavė)
現代人的行動の出現:南アフリカにおける更新世の居住地軍
The Emergence of Modern Human Behaviour: The Pleistocene Occupation Sites of South Africa
古代エリコ/テル・エッ・スルタン
Ancient Jericho/Tell es-Sultan
ゴブスタン・ロック・アートの文化的景観
Gobustan Rock Art Cultural Landscape
アゼルバイジャン中部の半砂漠地帯に位置するゴブスタンは、巨石に彫られた岩絵の宝庫です。1930年に発見され、その後本格的な調査が行われました。最終氷期以降、数万年にわたって描かれた保存状態の良い岩絵が6,000点以上残されており、有史以前の狩猟の様子や動物、植物、生活様式などが表現されています。写実的な描写を特徴とするこれらの絵には、当時この地が湿潤だった時代に生息していたと考えられるスイギュウやヤギなどの野生動物、実物よりも大きく描かれた人間、船などが題材となっています。狩猟の場面や、シカなどの動物を生贄とした宗教的あるいは呪術的な集団儀式の様子を描いたものもあり、先史時代の人々の生活様式や信仰形態を伝えています。また、この一帯には最終氷河期以降、旧石器時代後期から中世にかけてこの地に暮らしていた人々の洞窟住居や埋葬地などの遺跡も点在しています。
コマニの文化的景観
ǂKhomani Cultural Landscape
シュヴァーベン・ジュラにある洞窟群と氷河期の芸術
Caves and Ice Age Art in the Swabian Jura
ストーンヘンジ、エイヴベリーの巨石遺跡と関連遺跡群
Stonehenge, Avebury and Associated Sites
イギリス南部のソールズベリー平原にあるストーンヘンジとエイヴベリーは、先史時代に築かれたとされる、謎を秘めた巨石遺跡群です。ストーンヘンジの建設時期は大きく3つに分けられています。第1期は紀元前3100〜前2200年頃の直径100mもの外周部が形成された時期、第2期は前2100〜前2000年頃のブルー・ストーンと呼ばれる青みのある石でメンヒル群(直立石の上に水平に石を載せて連結したもの)が形成された時期、第3期は前2000〜前1100年頃の直径30mの環状列石とその内側に3つの石を門形に組んだトリリトン(三石塔)5組が馬蹄形に配置された時期とされています。これらの巨石遺跡が担っていた役割については未解明ですが、夏至の朝に環状列石の外にあるヒールストーン付近から太陽が昇り、中心部を照らすことなどから石の配置には天文学的な意味があるのではないかと考えられています。
ストーンヘンジ周辺にはダーリントン・ウォールズなどのています。
スピエンヌにある新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)
Neolithic Flint Mines at Spiennes (Mons)
スホクラントと周辺の干拓地
Schokland and Surroundings
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
タオス・プエブロの伝統的集落
Taos Pueblo
タキシラの都市遺跡
Taxila
パキスタンの首都イスラマバード近郊のタキシラは、中石器時代の洞窟や4つの異なる時代の都市遺跡、仏教寺院やイスラム教のモスクなどを含む多種多様な遺跡が残されています。シルク・ロードの支流ながら重要な位置にあったタキシラは1世紀から5世紀頃に最盛期を迎えたとされています。特にサライカラ、ビール、シルカップ、シルスークの4つの居住地遺跡はインド亜大陸における都市の発展を示す重要な遺跡です。最も古いサライカラは先史時代の最古の集落跡で、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の居住の痕跡が残されています。次の時代にあたるビール(ビール・マウンド)は、紀元前6世紀にアケメネス朝が築いたとされるタキシラの「都市」としては最古のもので、石壁や家屋の基礎、街路などに都市化の遺構が残されており、紀元前326年にアレクサンダー大王が凱旋入場した地としても知られています。さらに時代が下ったシルカップは紀元前180年頃にギリシャ人によって築かれた都市で、碁盤目状の都市に配置された家屋や仏塔、寺院などにはヘレニズム時代のヨーロッパ建築の影響が強く見られます。シルカップはその後クシャーナ朝によって破壊されましたが、そのクシャーナ朝が残した都市が4つめのシルスークです。ここでは発掘調査によって不規則な長方形の切石積みの城壁と丸みを帯びた堡塁が見つかっています。これらには中央アジアの建築様式の影響が見られ、インド亜大陸と中央アジアとの関連を物語っています。
チャタルヒュユクの新石器時代の遺跡
Neolithic Site of Çatalhöyük
トルコのアナトリア高原南部に位置する『チャタルヒュユクの新石器時代の遺跡』は、紀元前7400年から前5200年頃の遺跡とされ、人類最初期の定住生活や農耕生活を伝える貴重な遺跡として評価されています。チャタルヒュユクはトルコ語で「分岐した丘」という意味で、ここには二つの丘(テル)があり、それぞれ年代が異なります。東側のテルは紀元前7400年から前6200年にかけて、西側のテルは前6200年から前5200年にかけて使用されたと言われています。トルコでは他にも人類史最古級の遺跡が発掘されており、それらは世界遺産にも登録されていますが、住民たちの当時の生活を垣間見ることが出来る点としては、本遺跡は特筆に値します。
チャン・アンの景観関連遺産群
Trang An Landscape Complex
バッファロー狩りの断崖
Head-Smashed-In Buffalo Jump
バンチェンの考古遺跡
Ban Chiang Archaeological Site
ヒロキティアの考古遺跡
Choirokoitia
ファヤの先史景観
Faya Palaeolandscape
北京原人化石出土の周口店遺跡
Peking Man Site at Zhoukoudian
北京の南西に位置する周口店遺跡は、東アジア最大の旧石器時代の遺跡です。1921年にこの地で未知の化石人類の臼歯が発見され、シナントロプス・ ペキネンシスと名付けられました。これは北京原人のことで、現在の学名はホモ・エレクトゥス・ペキネンシスと呼ばれています。化石人類とは現生人類(新人)に進化する前の猿人、原人、旧人を指し、打製石器を使用する旧石器時代に生存していました。1929年には頭蓋骨が発見されました。北京原人は約 70万年から約20万年前の原始人類で、直立歩行をして、道具と火を使用し、河岸や洞窟で集団生活をしていたと考えられています。周口店遺跡からは40体あまりの人骨、約10万点の石器、骨製道具などが発見されました。また、北京原人よりも現代人に近い、1万9,000年ほど前の山頂洞人の遺跡も見つかっています。山頂洞人とは、北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されたのでこう呼ばれています。ヨーロッパのクロマニョン人などの化石の現生人類と考えられています。