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ピントゥラス川のクエバ・デ・ラス・マノス
Cueva de las Manos, Río Pinturas
ビンベットカのロック・シェルター群
Rock Shelters of Bhimbetka
プー・プラバート:ドヴァーラヴァティー時代のセーマ石の伝統の証拠
Phu Phrabat, a testimony to the Sīma stone tradition of the Dvaravati period
ファールス地方にあるササン朝の考古学的景観
Sassanid Archaeological Landscape of Fars Region
イラン南西部のファールス地方には、3世紀から7世紀にかけてこの地を支配したササン朝時代の要塞や宮殿など8カ所の考古学遺跡が点在しています。遺跡はササン朝の最古期のものと末期のもので、最古期のものはフィールズアーバードにあるササン朝の始祖アルダシール1世の城やレリーフと円形都市跡、そしてビシャプールにある第2代シャープール1世の都市遺跡です。これらは3世紀のものです。末期の遺跡はサルヴェスターンにある7世紀の宮殿跡です。都市遺跡はいずれも周辺の自然と地形を最大限活用して建造されています。建物にはアケメネス朝やパルティアの伝統様式に加えてローマの影響も見てとれ、さらにその後のイスラム建築に大きな影響を与えました。
ファールンの大銅山地域
Mining Area of the Great Copper Mountain in Falun
スウェーデン中部、ダーラナ地方の山あいに位置する「ファールンの大銅山地域」は、かつて全世界の銅の3分の2を産出した大銅山の跡地です。この地での銅採掘の歴史は古く、8~9世紀から1992年まで、約1,000年にわたって採掘が続けられました。銅山跡には、深さ90mもある露天掘りの採掘坑や廃石・土砂の山、工場、住宅、最盛期であった17世紀頃の採掘設備などが残っています。また、旧市街地には17世紀に計画され、ファールン大聖堂をはじめとする街の繁栄を物語る歴史的な建造物が現存しています。ファールンの大銅山地域は、自由な鉱山労働者が株式を所有する共同運営組織であったこともあり、世界有数の鉱山地域におけるかつての生活様式が鮮やかに描き出されています。
ファジル・ゲビ、ゴンダールの遺跡群
Fasil Ghebbi, Gondar Region
ファテープル・シークリー
Fatehpur Sikri
ファテープル・シークリーは、インドの古都アーグラ近郊にあるムガル帝国の都の遺跡です。1571年、3代皇帝アクバルは、イスラム神秘主義者スーフィーの聖者シャイフ・サリーム・チシュティーが、息子(後の4代皇帝ジャハーンギール)の誕生を予言した場所に新たな都市の建設を開始しました。当時アクバルが西部グジャラート地方での戦いに勝利したことにちなみ、「勝利の都市」を意味するファテープル・シークリーと名付けられ、1573年に完成しました。しかし水不足や酷暑、またアフガン民族との戦いから、わずか14年後の1585年にラホールへと遷都されました。1619年には、疫病が流行したアーグラから避難したジャハーンギールが約3ヵ月間滞在しましたが、その後は完全に放棄されました。
ファヤの先史景観
Faya Palaeolandscape
ファン・ネレ工場
Van Nellefabriek
武夷山
Mount Wuyi
フィリピンのコルディリェーラの棚田群
Rice Terraces of the Philippine Cordilleras
フィリピンのバロック様式の教会群
Baroque Churches of the Philippines
フィレンツェの歴史地区
Historic Centre of Florence
紀元前7世紀頃から、アルノ川周辺の浅瀬にエトルリア人が暮らし始めたと考えられるフィレンツェは、12世紀に自由都市になると手工業が発展し、アルノ川や街道をつかった交易で栄えました。中世に毛織物業や金融業を通して商工業者や銀行家が力をもつと、彼らは教会や封建領主による古い社会を打ち破る強い熱気と自由な気風で、人文主義(人間主義)を中心とした芸術や思想を生み出していきました。これがルネサンスです。13世紀以降にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やサンタ・クローチェ教会、現在のウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿などが築かれ、15~17世紀に都市を支配したメディチ家の下でルネサンス都市としての地位を確立していきました。世界遺産には、14世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したとされる市壁内の歴史地区が登録されています。
フヴァル島のスターリ・グラード平地
Stari Grad Plain
クロアチア南部、アドリア海に浮かぶフヴァル島には、紀元前4世紀の景観を今に伝える街「スターリ・グラード」があります。その始まりは、パロス島のギリシャ人が農業目的で入植したことに遡ります。入植者たちはこの肥沃な土地を石壁で幾何学的に区分けしてチョーラと呼ばれる農地を形成し、そこでブドウやオリーヴを栽培しました。こうしたシステムによる農業は、およそ2,400年の時を経た今も続けられており、よそにはない独特の景観となっています。貯蔵庫として使われてきた石造りの建物などは、地中海世界における農業史とその進化を知る上でも興味深いものです。本遺産は古代から続く伝統的な定住地の一例ですが、今日では、過疎化や慣習的な農法の放棄などによって、集落の維持が困難になってきているようです。
フェズの旧市街
Medina of Fez
フェニキア都市ティルス
Tyre
フェニキア都市ビブロス
Byblos
レバノンの地中海沿岸に位置するビブロスは、人々の生活が継続して営まれてきた世界最古の都市の一つです。最も古い住居跡は約7,000年前のもので、泥土でつくられた簡素な小屋が集まった漁村でした。紀元前3,000年頃、地中海交易を担うフェニキア人によって港町として発展し、王墓やオベリスク神殿などが建造されました。神殿からは、経済的・文化的に強く結ばれていたエジプトのファラオからの貢ぎ物である、太陽を表す円盤やスフィンクスなどの遺物が出土しています。商業都市として栄えたビブロスはその後、アッシリアやギリシャ、ローマなど相次いで支配者が入れ替わり、636年にイスラム勢力の支配下に入りました。市内には、フェニキア時代やローマ時代、イスラム時代の建造物だけでなく、12世紀に十字軍が築いた要塞や城郭の遺構、そしてキリスト教の聖堂など異なる時代の遺構を見ることができます。
プエブラの歴史地区
Historic Centre of Puebla
フェルクリンゲンの製鉄所
Völklingen Ironworks
フェルクリンゲン製鉄所は、フランス国境に近いドイツ西部に位置し、6ヘクタールに及ぶ敷地を持つ、西ヨーロッパにおける銑鉄生産の独特な記念碑です。これほど完全な形で銑鉄生産の全工程を示し、かつ高い真正性と完全性を備え、さらに革新的な工学技術の数々を示す歴史的高炉施設は、他に例がありません。フェルクリンゲンは、19世紀の産業史全般、そして特にヨーロッパの中心に位置するザール地方からロレーヌ地方,そしてルクセンブルクまでの国境を越えた産業地域の歴史を象徴した製鉄所となっています。また、この製鉄所は、19世紀から20世紀初頭にかけての第一次・第二次産業革命における人類の技術的成果の象徴でもあります。当時の宰相ビスマルクが推進した富国強兵政策の後押しもあり、最盛期には1日に約1,000トンの銑鉄を生産しました。
フォンテーヌブロー宮殿と庭園
Palace and Park of Fontainebleau
ブコビナとダルマチアの府主教の邸宅
Residence of Bukovinian and Dalmatian Metropolitans
富士山─信仰の対象と芸術の源泉
Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
プスコフ建築派の教会群
Churches of the Pskov School of Architecture
ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り
Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue
ブダペストはドナウ川西岸のブダ地区と東岸のペスト地区で構成されていますが、もともとは、ブダとオーブダ、ペストという3つの街でした。この一帯はかつてのローマの都市アクィンクムの跡地でもありますが、13世紀のモンゴル軍の侵攻によって荒廃したこの地にベーラ4世によってブダ城が築かれました。彼は復興に尽力した王として知られていますが、ハンガリーはその後もオスマン帝国の興隆といった苦難の時代を経てきました。17世紀後半にハプスブルク家によって街が奪還されると荒廃していたブダ城はバロック様式で再建されました。ブダ城は時代とともに増改築が繰り返され、幾多の民族支配に翻弄されてきたハンガリーの歴史を象徴する建造物とも言えます。
福建土楼群
Fujian Tulou
『福建土楼群』は、中国福建省の約120kmの範囲に点在する、12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的集合住宅です。中庭を囲んだ円形や方形で、外側に設けられた180㎝以上の厚さを持つ土壁は、盗賊の侵入を防ぐ砦としての機能も持ち合わせていました。出入口は基本的に1ヵ所で、下の階には窓がなく、上の階に窓と狭間が設けられています。また消火用の水槽も上の階に設置されていました。1つの土楼には最大800人もの人々が集まって生活し、村のような機能を果たしています。質素な造りの外観に対して、内部は複数の家族が生活しやすいように工夫され、独特な装飾が施されるなど居心地にも配慮されていました。中央には庭があり、その周囲が住宅スペースで、各部屋は同じ大きさで同じ造りで平等に設計された構造になっています。
ブッダガヤの大菩提寺
Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya
仏陀の生誕地ルンビニー
Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前623年(生年については諸説あり)、カピラヴァストゥの王妃であったマーヤー(マーヤーデヴィ)が首都ティラウラコットから実家のあるデーヴァダーハへの里帰りの途中にあった、ルンビニーの庭園で夫人の右脇から生まれたとされています。この地は、ブッダの生誕地として仏教の重要な巡礼地の一つとされ、初期には中国から法顕(4世紀)や玄奘(7世紀)らもその巡礼の記録を残しています。しかし、15世紀以降は巡礼地として仏教徒が訪れることはなくなり、寺院は荒廃し廃墟となっていました。時代が下って、1896年にドイツ人考古学者のフューラーが地元の知事であったカドガ・シャムシェルとともにこの地を訪問し、埋もれていた石柱に古代のブラーフミー文字の碑文を発見しました。碑文の発見によって、この地がブッダの生誕地のルンビニーであることが確認されました。
武当山の道教寺院群
Ancient Building Complex in the Wudang Mountains
ブトリントの考古遺跡
Butrint
アルバニア南部にあるブトリントは、紀元前800年からローマ人が到来するまでギリシャ文化の影響を受け、円形劇場や医療の神アスクレピオスを祀る神殿が残っています。紀元前44年にブトリントはローマの植民地となり、湿地を埋め立てられて大幅に拡張され、水道などが建設されました。5世紀には司教区の中心地となり、要塞化が進み、バシリカ式の聖堂や礼拝堂が建てられました。一時放棄された時期を経て、9世紀にはビザンツ帝国の支配下で再建されました。その後、ブトリントはヴェネツィアやオスマン帝国といった各時代の大国の支配下に置かれました。この遺跡は地中海史の縮図であり、最古の居住記録は紀元前5万年から前19世紀頃まで遡ることができます。
ブハラの歴史地区
Historic Centre of Bukhara