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ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地
Nan Madol: Ceremonial Centre of Eastern Micronesia
ミクロネシア連邦のポンペイ島の沖合には、およそ100を数える人工島があります。現地語で「ナン・マトール」と呼ばれ、「神々と人間との間に広がる空間」という意味を持つ遺跡群です。柱状玄武岩とサンゴの巨石や小石を積み上げてつくられた人工島は、幅が約1.5㎞、奥行約700mの海域に点在します。人工島にはそれぞれ宮殿や寺院、墓所、浴場や住居といった機能がありました。外海からの入り口は一つで、人々は、カヌーに乗り移動していたとされています。ナン・マトールは太平洋地域で最大規模を誇る遺跡で、今もなお、地元民によって神聖な場所とみなされています。しかし、マングローブなど植物の繁茂や、水路でのシルト堆積といった脅威により、世界遺産リスト登録と同時に危機遺産リストにも記載されました。
ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市
Nice, Winter Resort Town of the Riviera
地中海沿岸、アルプス山脈の麓に位置するニースは、その温暖な気候と、海と山に挟まれた美しい自然環境を活かし、18世紀半ば頃から冬のリゾート地として発展してきました。とりわけイギリスから訪れた貴族階級の家族に人気を集め、冬の避寒地として定着していきました。その後の約1世紀にわたり、滞在者の増加と社会的・文化的な多様性が、旧市街周辺での新たな都市区画の段階的な開発を促進しました。こうした冬の訪問者による影響に加え、気候や風景を最大限に活かそうとする意識が都市計画や建築様式に反映され、ニースは国際的な冬のリゾート都市としての地位を確立していきます。また、1860年までサルデーニャ王国に属していたこと、さらに欧州各地や世界中からの旅行者の流入により、ニースは特に建築の分野において、多様な文化的影響が交差する場ともなりました。
ニームのメゾン・カレ
The Maison Carrée of Nîmes
長らく共和政を行なっていたローマは「内乱の1世紀」を経て、紀元前27年、皇帝が政治を行うローマ帝国となりました。その初代皇帝となったのがオクタウィアヌスであり、彼は貴族の会議である元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号をもらい、伝統的な共和政を維持しながらも実質的には専制政治を行う元首政を展開していきました。現在のニーム市にあるメゾン・カレはフランス語で「長方形の建物」を意味し、アウグストゥスの治世時に建てられたと言われています。そして、彼の養子であったガイウスとその弟であるルキウス・カエサルが若くして亡くなると、彼らを祀る神殿となり、さらにアウグストゥスの統治が神聖化されるとともに、この神殿は皇帝崇拝の神殿となりました。
ニサのパルティア王国の要塞
Parthian Fortresses of Nisa
ニサはトルクメニスタン南西部に位置するパルティア王国最初期の重要都市です。紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけて政治・経済の中心として繁栄し、ローマ帝国の東方進出を食い止めた拠点としても知られています。現在は「旧ニサ」と「新ニサ」という2つの丘状遺跡から成り、旧ニサでは40もの塔に囲まれた王の城砦跡が残ります。ここからは宮殿・神殿・貯水池に加え、美術品が数多く出土しています。さらに、中央アジアの南北・東西の主要交易路が交差する都市として、文化と情報が行き交う拠点でもありました。自然侵食によって姿を変えていますが、城壁の規模や遺跡の配置は当時の威容が色濃く残されています。パルティア帝国の政治・経済の中心として栄えたこの場所は、ローマと対等に渡り合った富と文化の広がりを今に伝えています。
日光の社寺
Shrines and Temples of Nikko
ニュー・ラナーク
New Lanark
乳香の大地:交易路と関連遺跡群
Land of Frankincense
ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群
Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
ネセビルの古代都市
Ancient City of Nessebar
ネムルト・ダーの巨大墳墓
Nemrut Dağ
ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯
Nord-Pas de Calais Mining Basin
ヨーロッパ随一の農業国の印象があるフランスですが、工業の分野でも発展している地帯があります。フランス北端にある『ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯』はフランス屈指の工業地帯であり、1,200㎢の中になんと109もの構成資産が存在しています。カレ地方は百年戦争でイギリスに約200年近く占領されたことでも有名です。この地で石炭の層が発見されたのは17世紀。イギリスやベルギーが産業革命を迎え、19世紀半ばにフランスも産業革命を迎えると、この地域の石炭や鉄鉱石の重要度が急激に高まりました。1850年代にはフランスで最も重要な鉱山地帯となり、坑道や石炭輸出のインフラに加えて、労働者が暮らす住宅やコミュニティ施設も次々に作られていきました。現在は閉山しているものの、20世紀後半まで現役であったため、150年近くにわたって機能してきた炭鉱都市の姿を今でもうかがえるのが貴重です。
ノヴォデーヴィチー修道院関連遺産群
Ensemble of the Novodevichy Convent
ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群
Historic Monuments of Novgorod and Surroundings
バースの市街
City of Bath
イギリス南西部の都市バースは、1世紀に天然温泉をローマ式浴場に利用したローマ人によって築かれました。イギリス唯一の温泉地でありキングス・スプリング、ヘトリング・スプリング、クロス・バス・スプリングの3つの主要な温泉を有しています。アングロサクソン時代には、古英語で温泉を意味する言葉から「バース」と呼ばれるようになりました。また、バースの温泉には、壮大な浴場と社交場として建てられたローマ浴場のほかに、現代のサウナに似たテウダリウムや、水風呂のようなフリギダリウムも備えられていました。温泉が癒しとレクリエーションの中心となったこの街では現在でも、ローマ浴場やスリス・ミネルヴァ神殿が良好な状態で残っており、アルプス以北で最も有名かつ重要なローマ遺跡のひとつとされています。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley
ハーンの宮殿のあるシェキの歴史地区
Historic Centre of Sheki with the Khan’s Palace
カフカス山脈東部の南側斜面に位置する歴史都市シェキは、紀元前6世紀にまで遡る古い歴史を持っています。現在の歴史地区は、1772年の土砂洪水の後、それまでの場所より東にある山間の谷の高台に再建されました。重要な交易路に接していることから、多様な文化的影響を受けてきました。キリスト教は1世紀にはすでに伝わり、イスラーム教は7世紀に広まりました。18世紀まで、シェキはサファヴィー朝、オスマン帝国、カージャール朝など、さまざまな勢力の支配下にありました。1743年には、コーカサス地方で最初かつ最も強力なハーン国として独立し、その後19世紀初頭にはロシアの支配を受けました。こうした多様な文化の影響は建築にも見られます。ハーンの宮殿には、ムカルナスなどのイスラーム建築技法、美しい中庭、そしてヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状に組み込んだステンドグラス「シェベケ」など、18世紀アゼルバイジャン建築の粋が凝縮されています。
バアルベック
Baalbek
バアルベックはレバノン東部のベカー高原に位置し、ヘレニズム時代から「ヘリオポリス(太陽の都)」と呼ばれた宗教都市遺跡です。ヨルダンの「ペトラ遺跡」、シリアの「パルミラ遺跡」と共に「中東三大遺跡」のひとつに数えられることもあります。歴史を振り返ると、紀元前2,000年頃には人が住んでおり、後にフェニキア人によって宗教都市として発展しました。紀元前64年にローマに征服されると、この地にローマの神々を祀る神殿が建設されました。神殿の中で最大の「ユピテル(ジュピター)神殿」は、天空神ユピテルを祀る神殿です。外観はほとんど失われていますが、現在も残る6本の巨大な列柱が特徴的で、柱頭はギリシャ建築のコリント式で造られています。2世紀頃には酒の神バッカスの神殿、3世紀初めには菜園の守護神ヴィーナスを祀る神殿も完成し、バアルベックはローマ帝国領土内でも最大規模の聖域となりました。
バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、シャッヘン城、ヘレンキームゼー城
The Palaces of King Ludwig II of Bavaria: Neuschwanstein, Linderhof, Schachen and Herrenchiemsee
19世紀後半、バイエルン王ルートヴィヒ2世は、建築家・芸術家のように創造に没頭した独特な人物でした。政治よりも芸術や幻想の世界に心を寄せ、自らの理想を形にするため、アルプスの山々や湖に囲まれた地に4つの壮大な城を築きます。ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、シャッヘン城、ヘレンキームゼー城があります。それぞれの城は王が日常から離れ、理想や幻想の世界に没入するための舞台でした。しかし、バイエルン王国はドイツ帝国の編入によって主権を失い、王の政治的立場も弱体化しました。その後、ルートヴィヒ2世は幽閉され、短い生涯を終えます。ノイシュヴァンシュタイン城は、1886年にルートヴィヒ2世が崩御してから7週間後に一般公開されました。内気な王が人目を避けるために築いた隠れ家は、いまや世界中の人々を惹きつける象徴となっています。
ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区
National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers
ハイチ北部にあるラミエの国立歴史公園には、ハイチの独立に関連するシタデルとサン・ スーシ宮が残っています。17世紀末からフランス統治下のハイチでは、50万人もの黒人奴隷がいましたが、 その後奴隷が解放され、ハイチは1804年に独立しました。独立運動の指導者ジャン・ジャック・デサリーヌを倒して権力を握った黒人将軍アンリ・クリストフは、その権威の象徴としてヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮を建設しました。ポツダムやウィーンのものを彷彿とさせる階段状の庭園も特徴です。背後のラ・フェリエール山 にあるシタデルは、高さ50m、厚さ5mもの城壁を持ち、約5,000人を収容できる兵舎と365もの大砲を備えていた城塞です。現在はどちらも廃墟となっています。ハイチ唯一の世界遺産です(2025年11月現在)。
バイロイトの辺境伯オペラハウス
Margravial Opera House Bayreuth
ドイツ、バイエルン州のバイロイトにあるバロック劇場建築の傑作であるオペラハウスは、1745年から1750年にわたり建設されました。現在も完全な形で保存されている唯一の劇場であり、500人の観客を収容できます。内部は木材とキャンバスといった当時の素材が使われています。フリードリヒ辺境伯の妻、マルグラーヴィン・ヴィルヘルミーネの依頼により、著名なイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが設計しました。この劇場は宮廷オペラのための施設でありながら、公の場に建てられ、19世紀の大劇場の先駆けとなりました。木造の階層構造に幻想的なキャンバスの装飾が施され、王侯貴族の祭典や儀式の建築様式を表しています。
バウハウス関連遺産群:ヴァイマールとデッサウ、ベルナウ
Bauhaus and its Sites in Weimar, Dessau and Bernau
20世紀の建築と芸術、都市計画において世界的な影響を与え、モダン・ムーブメント(近代建築運動)の基盤となったバウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールで総合造形学校として設立されました。ドイツ語で「建築の家」を意味し、建築作業組合「バウヒュッテ」が名前の由来となっています。初代校長を務めた建築家ヴァルター・グロピウスや2代目校長のハンネス・マイヤー、独特な画風で近現代美術に影響を与えたパウル・クレー、画家・写真家で新興写真運動の中心人物を務めたモホリ=ナジ・ラースロー、抽象絵画の先駆者ワシリー・カンディンスキーといった当時を代表する芸術家たちが教鞭をとり、建築を軸に、デザイン、美術、写真、彫刻などの総合的な教育が行われました。ヴァイマールには、バウハウスの校舎となった旧美術学校と本館、バウハウスの理念に基づいて建てられた初期の建築物であるハウス・アム・ホルンがあります。1925年以降、拠点はデッサウへ移され、ヴァルター・グロピウスの設計でバウハウス・デッサウ校舎や、バウハウスの教員が暮らすマスターズハウスが建設されました。これらは、機能主義に基づく設計と新素材・技術の活用を通じて、モダン・ムーブメント(近代建築運動)を切り開きました。
バガン
Bagan
パキメの遺跡
Archaeological Zone of Paquimé, Casas Grandes
ハグマターナ
Hegmataneh
バゲルハット:モスクを中心とした歴史都市
Historic Mosque City of Bagerhat
バングラデシュのパグルハットは、13世紀前半に湿地帯であったこの地を開拓した、トルコ系の武将ウルク・ハーン・ジャハーンによって建設された都市の遺跡です。50㎢の敷地には、60のドームを持つシャット・グンバド・モスクをはじめ、モスクやダルガー(聖者廟)など約50の建築物が残されています。その多くがレンガ造りで多くのドームを持つハーン・ジャハーン様式と呼ばれ、イスラム建築の要素とインドの伝統的建築技術が融合した独特の様式を備えています。シュンドルボンの湿地帯が敵の侵入を妨げたため、バゲル・ハットには要塞はつくられませんでした。シュンドルボンはマングローブが生い茂る世界最大のデルタ地帯で、自然遺産にも登録されています。また、ベンガル地方におけるイスラム建築の発展において重要な建物群が含まれています。
パサルガダエ
Pasargadae
バターリャ修道院
Monastery of Batalha
『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺
Haeinsa Temple Janggyeong Panjeon, the Depositories for the Tripitaka Koreana Woodblocks
パッタダカルの寺院群
Group of Monuments at Pattadakal
バット、アル・フトゥム、アル・アインの考古遺跡
Archaeological Sites of Bat, Al-Khutm and Al-Ayn
オマーン北部、ハジャル山脈のアフダル山地には、前期青銅器時代にあたる紀元前3千年紀頃の集落と墓地遺跡群が残ります。1972年にデンマークの調査隊が発見し、同時代の集落・墓地遺跡としては、世界で最も完全かつ保存状態の良い遺跡群のひとつとされています。これらの遺構は、この地域で繁栄したマガン国と関連があるものとみられていますが、マガン国の人々がどこから来て、どのような系統に属する民族なのかは今でも詳しくはわかっていません。ただ、メソポタミア文明のアッカド帝国の記録によれば、マガン国は産出した銅をメソポタミアやインダス川流域に供給することで富を得ていました。記録があることからも、両文明とつながりのあった重要な国であったということがわかります。