World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(iv))

ヴァティカン市国

Vatican City
ヴァティカン市国
キリスト教世界で最も神聖な場所のひとつであるヴァティカン市国は、約2,000年の歴史とカトリック教会の精神性の証として存在しています。ローマ教皇を国家元首とするこの国は人口800人、総面積0.44km2と世界最小の独立国でありながら、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。サン・ピエトロ大聖堂の立つヴァティカンの丘は、イエス・キリストの最初の弟子であり初代教皇でもある聖ペテロの墓所であったとされています。4世紀になると、ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教を保護したコンスタンティヌス1世の命により、バシリカ式の教会堂が建てられました。主要な巡礼地でもあるヴァティカンは、キリスト教の歴史と直接的に結びついているのみならず、ルネサンスやバロック美術の理想であり、模範的な創造物でもあります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ヴァティカン市国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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ヴァイキング時代の環状要塞群

Viking-Age Ring Fortresses
ヴァイキング時代の環状要塞群
アッガスボー、フィルカット、ノンネバッケン、トレルボルグ、ボルグルングの5つの要塞は、970年から980年頃、ハーラル王(青歯王)の時代に建設されたもので、卓越した軍事建築技術の象徴となっています。これらの要塞は、現代のデンマークにおけるユトランド半島やフュン島、シェラン島の重要な陸路と海路の近くに戦略的に配置されました。5つの囲いは統一された正確で幾何学的な設計に基づいて構築され、防御目的のために自然の地形を組み込んでいます。これらの構造物は、四つの方位を基準にした門を備えた円形の防御壁で要塞化されており、ほとんどの場合、同心円状の溝、環状通りに囲まれた軸通り、および四つの区画に幾何学的に配置された長屋が含まれていました。
地域: ヨーロッパ / 国名: デンマーク王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ヴァッハウ渓谷の文化的景観

Wachau Cultural Landscape
ヴァッハウ渓谷の文化的景観
ドイツ南部から中・東欧を抜けて黒海へと注ぐドナウ川の流域のうち、オーストリア北東部の都市メルクとクレムスの間に広がるヴァッハウ渓谷は、特に風光明媚なことで知られ、訪れる人に感動を与えてくれます。この地域の歴史は非常に古く、先史時代の遺物が数多く出土しており、ガルケンベルクでは約3万2,000年前の、ヴィレンドルフでは約2万6,000年前のものと推定される像が発見されています。その後の青銅器時代、鉄器時代を経て、ケルト人の王国ノリクムや、ローマ帝国の国境都市マウテルンが置かれるなど、歴史の舞台となりました。中世にはバーベンベルク家の支配下で町や修道院が発展し、11〜12世紀には現在の街の基礎が築かれました。ヴァッハウはドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にも登場し、地域の歴史的重要性を物語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の都市景観群(シチリア島南東部)

Late Baroque Towns of the Val di Noto (South-Eastern Sicily)
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の都市景観群(シチリア島南東部)
イタリアのシチリア島南東部の諸都市はエトナ火山の噴火や大地震でしばしば甚大な被害を受けました。そのうちのノート、カルタジローネ、カターニア、ラグーザなど8つの町は、1693年の壊滅的な大地震の後、統一的に再建されました。町の再建に際しては、元の町跡や隣接する場所に再建されたり、別の場所へ移転したりと、やり方も規模もいろいろですが、すべて後期バロック様式で統一されています。ここは都市計画と都市再建における革新性を示す顕著な事例と言えます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)
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ウィーンの歴史地区

Historic Centre of Vienna
ウィーンの歴史地区
「音楽の都」として名を馳せるウィーンは、世間では「ウィーン少年合唱団」などでも有名でしょう。ウィーンの起源は紀元前1世紀までに遡り、ローマ帝国においては「ウィンドボナ」と呼ばれていました。13世紀以降ハプスブルク王家から神聖ローマ皇帝が選出されるようになってから、ウィーンは王都となりました。ウィーンが劇的な変貌を遂げるのは17世紀後半なのですが、それまでの歴史を語る建造物も多く残されています。例えばオーストリア最古の修道院であるショッテン修道院や、14~15世紀に建造された聖シュテファン大聖堂などはその代表例と言えます。
地域: ヨーロッパ / 国名: オーストリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)(vi)
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ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑

Wieliczka and Bochnia Royal Salt Mines
ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑
ヴィエリチカとボフニャの岩塩坑は、13世紀から20世紀末まで稼働していた、ヨーロッパで最も古く、最も重要な王立塩採掘施設です。両坑は同一の岩塩層に位置し、これらの坑道は、塩採掘技術の歴史的発展を示す貴重な遺産として評価されています。 ヴィエリチカ岩塩坑は、11~12世紀に本格的な井戸の掘削が始まり、塩水を加熱して塩の採取が行われるようになりました。13世紀には岩塩の塊が発見され、採掘によって直接塩を得ることができるようになりました。塩による収益は王室の財源の3分の1を占め、この収入を基に、ポーランド王カジミエシュ3世はポーランド初の大学(現ヤギェウォ大学)を創設することができたと言われています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (iv)
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ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋

Mehmed Paša Sokolović Bridge in Višegrad
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、オスマン帝国の大宰相メフメド・パシャ・ソコロヴィッチの命令により、16世紀末に宮廷建築家ミマール・コジャ・スィナンによって建設されました。この橋は、オスマン帝国の記念碑的な建築と土木工学の最盛期を特徴づけるものです。全長179.5m、11の石造アーチ(径間11m〜15m)からなり、川の左岸には直角に曲がった4つのアーチを持つアクセススロープが設けられています。橋全体の比類ない優雅な均整と荘厳な風格は、この建築様式の偉大さの証となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ボスニア・ヘルツェゴビナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園

Bergpark Wilhelmshöhe
ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園
ドイツ中部カッセルに位置するこの公園は、17世紀から19世紀にかけて造営されました。これは、ヨーロッパ庭園文化の発展を示す卓越した例とされ、バロックおよびロマン主義期の様式が複合して成っています。丘の頂上には高さ11.5メートルの銅板で作られたヘラクレス像が据えられており、数キロメートル先からでも見ることができるこの像は、技術的にも芸術的にも近世における最も洗練された像の一つとされています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ウィレムスタットの歴史地区:キュラソーにある内陸都市と港

Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao
ウィレムスタットの歴史地区:キュラソーにある内陸都市と港
ウィレムスタットの歴史地区は、1634年にオランダ人がカリブ海のキュラソー島のに設立した、植民地時代の貿易と行政の集落を代表する例です。セント・アナ・バーイの入り江の東岸にアムステルダム要塞が建設されたのを皮切りに、町はその後数世紀にわたって継続的に発展しました。現代の市街地は、プンダ、オトロバンダ、ピーターマーイ、スカローという4つの異なる歴史地区で構成されており、それぞれが異なる植民地時代の都市計画と開発の時代を反映しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: オランダ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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ウェールズ北西部の粘板岩の景観

The Slate Landscape of Northwest Wales
ウェールズ北西部の粘板岩の景観
ウェールズ北西部にあるスノードン山塊にある6つの地域で、粘板岩(スレート)の採掘や国内外への輸出によって農業景観から変容していった産業景観の好例を示しています。1780年から20世紀初頭にかけて山岳地帯で採掘されたスレートは、屋根材として世界に広く流通しました。採石の職人たちが米国などへ移住したことで技術が伝わっていき、スレート産業の発展の基礎をつくっていくことにつながりました。スレートを通じて、人々の交流や採掘技術の伝播へとつながった好例です。
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ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会

Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
ロンドン中心部のテムズ川沿いに位置するウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビー(修道院)、そしてセント・マーガレット教会は11世紀に建てられた歴史的建築物として世界中に広く知られています。何世紀にもわたって共に変化してきたこれらの建築物は、英国王室と議会、そして教会の絡み合った歴史を物語っており、今も英国の社会と政治において極めて重要な役割を果たしています。宮殿とウェストミンスター・アビーは、11世紀に敬虔なキリスト教徒であったエドワード王によって建てられました。前者は現在国会議事堂として使用されており、後者は国王及び女王の戴冠式、結婚式などの王室行事の場として機能しています。
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ヴェネツィア共和国の防衛施設群(16-17世紀):スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール

Venetian Works of Defence between the 16th and 17th Centuries: Stato da Terra – Western Stato da Mar
ヴェネツィア共和国の防衛施設群(16-17世紀):スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール
ヴェネツィア共和国は中世以来地中海東方貿易で繁栄してきましたが、16世紀から17世紀にかけて共和国防衛のための要塞施設を広範囲に建設しました。要塞群はイタリアの北部ロンバルディア地方から東アドリア海沿岸まで1,000㎞以上にわたって広がっており、そのうちのイタリア・クロアチア・モンテネグロの3ヵ国にある6つの要塞が世界遺産に登録されています。要塞には北西のヨーロッパ諸国からの防衛のための「スタート・ダ・テッラ」とアドリア海の航路と港を守る「スタート・ダ・マール」があり、それらはいずれも当時最新の設計様式「アラ・モデルナ(火器に対応した近代式デザイン)」で建設されています。
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ヴェネツィアとその潟

Venice and its Lagoon
ヴェネツィアとその潟
イタリアのアドリア海に位置するヴェネツィアは118の島と176の運河、400以上の橋からなる都市です。異民族の攻撃から避難したウェネティ人が潟(イタリア語でラグーナ)に都市を築きました。7世紀には本格的な建物が建てられ、8世紀には形式上ではビザンツ帝国に従属しつつも、実質的に独立を保ち、東方貿易の拠点として発展しました。10世紀には主要な海運国となり、1797年のナポレオン1世から侵略を受けるまで約1,100年間自治都市として独立し続けました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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ヴェルラの砕木パルプ・板紙工場

Verla Groundwood and Board Mill
ヴェルラの砕木パルプ・板紙工場
フィンランド南東部のヴェルラは、19~20世紀初頭にかけて北欧と北米で栄えた、パルプ、紙、板紙生産に関連した小規模な産業集落の典型例の一つです。この地に現存する砕木パルプ・板紙工場は、フィンランドの基幹産業であった製材・製紙産業を支えた工場の一つで、最初の砕木工場が建設されたのは1872年のことです。その後10年後に操業を開始した板紙工場と共に1964年に操業を停止しましたが、生産し使用された機械や備品は全て操業停止当時のままに工場内に残されました。1972年からは博物館として公開され建物や機械なども維持管理されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フィンランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)
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ヴェローナの市街

City of Verona
ヴェローナの市街
古都ヴェローナは、イタリア北東部、アルプス南麓を流れるアディジェ川のほとりに位置します。街の起源は紀元前1世紀のローマ時代にさかのぼります。ローマと北ヨーロッパを結ぶ要にあったので、以後、多くの勢力者の支配下にはいりました。最も繫栄したとされるのは、13~14世紀のスカーラ家が統治した時代で、北イタリアの政治と文化の中心となりました。15世紀の初めからの約400年間は、ヴェネツィア共和国の一部に属しました。多くの支配者を持ちながら、それぞれの時代の遺構を維持しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ヴォーバンによる要塞建築群

Fortifications of Vauban
ヴォーバンによる要塞建築群
ヴォーバンによる要塞建築群は、フランス国王ルイ14世に仕えた高名な軍事技術者、セバスチャン・ル・プレストル・ドゥ・ヴォーバンの作品の中で最も優れた事例であり、フランスの東西南北の国境沿いに位置する12の要塞群から構成されています。これらは、近代における西洋軍事建築の典型として、古典的要塞の頂点を物語るものです。この遺産には、ヴォーバン自身が一から築いた新しい町、城塞、稜堡式塔、山岳要塞、海岸要塞など、地形や目的に応じた多様な建築物が含まれています。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2008年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ヴォルビリスの考古遺跡

Archaeological Site of Volubilis
ヴォルビリスの考古遺跡
モロッコにあるヴォルビリスの考古遺跡は、古代ローマ、キリスト教、イスラム教さらにはアフリカ民族の歴史、建築、文化を示す重要な遺跡です。先史時代からイスラム期までの10世紀以上にわたり、この地域に存在した様々な文化の痕跡を物語っています。ヴォルビリスには少なくとも紀元前3世紀には人々が居住し、紀元前3世紀~西暦40年までのマウレタニア王国時代には、日干しレンガを積み上げた城壁を備える小さな街が存在したと明らかになっています。これらの古代ローマ以前のアフリカの文化は、現代では既に失われたものであり、このようなものに焦点を当てている点でもここは重要な遺跡のひとつです。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

Renaissance Monumental Ensembles of Úbeda and Baeza
ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
スペイン南部アンダルシア地方にある2つの小都市ウベダとバエーサは、スペインで初めてルネサンス様式の理念に基づいて改修された街です。9世紀にはイスラム教徒の支配下にありましたが、13世紀にレコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒のもとに戻ります。やがて、16世紀に都市改修計画が行われ、ルネサンスの影響を受けた街として発展を遂げました。ウベダのエル・サルバドル教会やバスケス・デ・モリーナ宮殿(現在の市庁舎)、パラドール、バエーサの大聖堂など8件が世界遺産に登録されています。改修では、建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの貢献が石工技術を大きく発展させ、後にラテンアメリカの建築へも大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ヴュルツブルクの司教館と庭園群

Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1981年 / 登録基準: (i)(iv)
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ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群

White Monuments of Vladimir and Suzdal
ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群
モスクワから東へ約200kmの場所にある『ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群』はウラジーミル、スーズダリ、そしてキデクシャの建造物から構成されるシリアル・サイトです。白い石灰岩の石積み、洗練されたプロポーション、精巧な石工彫刻、そして建物と周囲の自然景観の調和がこの遺産の特徴となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ロシア連邦 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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ヴルコリニェツの伝統的集落

Vlkolínec
ヴルコリニェツの伝統的集落
集落の起源は10~12世紀まで遡り、「ヴルク」がスロバキア語でオオカミを意味することからもオオカミ狩りの猟師が住む村として成立したとされています。現存する45棟の建物はそのほとんどが18~19世紀のものです。構成資産には43件の家屋と聖母マリア受胎告知教会、学校などが含まれています。山岳地帯特有の石積みの土台の上に丸太造りを組んだ伝統的な建築様式を持っており、それらが良好な保存状態で残されています。集落自体の起源は10世紀にまで遡りますが、1469年までに5本の道路が整備されたという記録が残っており、集落としての配置は14世紀後半頃に計画されたのではないかと考えられます。
地域: ヨーロッパ / 国名: スロバキア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1993年 / 登録基準: (iv)(v)
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ウルビーノの歴史地区

Historic Centre of Urbino
ウルビーノの歴史地区
イタリア中部、マルケ地方の都市ウルビーノは、ルネサンス芸術の中心地の一つとなった文化都市です。15世紀にモンテフェルトロ家の当主フェデリーコが文芸を手厚く保護したため、イタリア国内外から画家や建築家、学者などが来訪し、ルネサンス文化が花開きました。ヨーロッパ各地の文化発展にも大きな影響を与えましたが、16世紀以降になると、ウルビーノは経済的・文化的に停滞するようになりました。このことが皮肉にも、ルネサンス期の面影を色濃く残す街、ウルビーノを形作る要因となったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (ii)(iv)
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ヴロツワフの百周年記念ホール

Centennial Hall in Wrocław
ヴロツワフの百周年記念ホール
ポーランドのヴロツワフの百周年記念ホールは、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)の百周年を記念する展示会のために、1911年から1913年にかけて建築家マックス・ベルクによって建てられました。この建物は、鉄筋コンクリート建築の歴史において画期的な作品として位置付けられています。当時としては非常に大規模な構造を鉄筋コンクリートで実現し、その後の建築技術の発展に大きな影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2006年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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雲岡石窟

Yungang Grottoes
雲岡石窟
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)

Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
ヨルダン中部にあるウンム・アッラサスは、ローマ軍の駐屯地として始まり、5世紀以降町へと発展した考古学遺跡で、ローマ時代、ビザンチン時代、そして初期イスラム時代(3世紀末から9世紀)の遺構が残されています。16の教会があり、そのうちいくつかは保存状態の良いモザイク床を有しています。中でも聖ステファノ教会のモザイク床は特筆すべきもので、当時の町々の様子が描かれており、芸術的にも地理的記録としても特別な意義を持っています。しかし、要塞化されたローマ軍の駐留地を含む遺跡の大部分は未だ発掘されていません。
地域: 西・南アジア / 国名: ヨルダン・ハシェミット王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(iv)(vi)
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エーランド島南部の農業景観

Agricultural Landscape of Southern Öland
エーランド島南部の農業景観
スウェーデン南東部バルト海に浮かぶエーランド島の南部には、先史時代から現代に至るまで、人々が農業とともに生きたことを伝える景観が残っています。石灰岩質の痩せた土壌にもかかわらず約5,000年もの間、人々はこの島の地形に適応しながら暮らしてきました。現在見られる農業景観や地域社会には、鉄器時代にまで遡る土地利用・区分、地名といった独自の文化的伝統が残されています。また、青銅器時代や鉄器時代の墓所や、16~18世紀につくられた大小400基もの風車も残っています。島民は現在でも、何世代にも渡って耕されてきた土地を耕し、何千年と受け継いできた牧草地で家畜の放牧を行っています。この類稀な文化継承は「生きた農業景観」として将来世代へ受け継ぐ重要性を語っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スウェーデン王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (iv)(v)
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エアフルトの中世ユダヤ関連遺産

Jewish-Medieval Heritage of Erfurt
エアフルトの中世ユダヤ関連遺産
ドイツ中部のテューリンゲン州エアフルト旧市街の中心に位置する旧シナゴーグ、ミクヴェ、ストーンハウスから構成され、中央ヨーロッパにおけるユダヤ建築の希少かつ非常に良好に保存された例です。これらの建物は、その構造、建築的な細部、装飾プログラムを通じて、都市の特有の空間的・社会的条件への適応と、主にキリスト教徒が占める社会の中でユダヤ人コミュニティが共存していた様子を示しています。中世の中央ヨーロッパにおいて、重要な交易路の交差点に位置するエアフルトの都市発展の中で、これらの建物はその歴史を物語っています。この遺産は、11世紀後半から14世紀半ばにかけての中世において、貿易と交流に積極的に関わっていたユダヤ人コミュニティの最盛期の様子を伝えるものであり、ペストの流行に伴う迫害(ポグロム)の波が訪れるまでの時代を象徴しています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (iv)
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エヴォラの歴史地区

Historic Centre of Évora
エヴォラの歴史地区
なだらかな平原にコルク樫やオリーブの木が点在するアレンテージョ地方の中心都市、エヴォラ。紀元前2世紀から人が暮らしてきたとされるエヴォラの旧市街は、二重の城壁に囲まれています。ここには2000年におよぶ歳月のなかで築かれた各時代の多彩な建造物が残されており、「博物館都市」の異名も持ちます。コリント式柱頭が印象的なディアナ神殿や水道橋は、ローマ帝国時代からこの街が発達していたことを示すものです。また、イスラム教徒に支配された時代の城門やモーロ人街跡も残っています。 
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (ii)(iv)
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エッサウィーラ(旧名モガドール)の旧市街

Medina of Essaouira (formerly Mogador)
エッサウィーラ(旧名モガドール)の旧市街
絵描きやミュージシャンなど、多くの芸術家をも魅了するエッサウィーラは、モロッコの大西洋岸に位置します。ここが今のような街並みに形成されたのは、1765年です。当時この地域を支配していたアラウィー朝のスルタンは、外に開かれたモロッコ最大の国際貿易拠点にすることを目指しました。街の設計を担ったのが、フランス人建築家のニコラ・テオドール・コルニュです。ヴォーバン様式の影響を受けていたコルニュは、北アフリカにおけるこの港町にヨーロッパの機能的な軍事建築を取り入れ、再構築しました。イスラームの伝統的な街並みとそれらは調和し、異文化が融合した独自の景観を生み出しています。エッサウィーラという名は、「見事な設計」を意味します。
地域: アフリカ / 国名: モロッコ王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iv)
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エディルネのセリミエ・モスクとその関連施設

Selimiye Mosque and its Social Complex
エディルネのセリミエ・モスクとその関連施設
エディルネはブルサに代わるオスマン帝国2番目の都であり、1453年に都がイスタンブルに移るまで都として栄えました。そのエディルネに、オスマン帝国を代表する建築家、ミマール・スィナンがセリミエ・モスクを設計したのは16世紀後半。イスタンブルが都になってからもエディルネは副都として機能し、特にセリム2世がこの地を気に入っていたため、壮大なモスクの建設をスィナンに命じました。巨大なドームと4本の細いミナレット(尖塔)からなるこのモスクは、イスタンブルにある多くのモスクにも負けない存在感を放っています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2011年 / 登録基準: (i)(iv)
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