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ヴァティカン市国
Vatican City
キリスト教世界で最も神聖な場所のひとつであるヴァティカン市国は、約2,000年の歴史とカトリック教会の精神性の証として存在しています。ローマ教皇を国家元首とするこの国は人口800人、総面積0.44km2と世界最小の独立国でありながら、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。サン・ピエトロ大聖堂の立つヴァティカンの丘は、イエス・キリストの最初の弟子であり初代教皇でもある聖ペテロの墓所であったとされています。4世紀になると、ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教を保護したコンスタンティヌス1世の命により、バシリカ式の教会堂が建てられました。主要な巡礼地でもあるヴァティカンは、キリスト教の歴史と直接的に結びついているのみならず、ルネサンスやバロック美術の理想であり、模範的な創造物でもあります。
ヴァイキング時代の環状要塞群
Viking-Age Ring Fortresses
アッガスボー、フィルカット、ノンネバッケン、トレルボルグ、ボルグルングの5つの要塞は、970年から980年頃、ハーラル王(青歯王)の時代に建設されたもので、卓越した軍事建築技術の象徴となっています。これらの要塞は、現代のデンマークにおけるユトランド半島やフュン島、シェラン島の重要な陸路と海路の近くに戦略的に配置されました。5つの囲いは統一された正確で幾何学的な設計に基づいて構築され、防御目的のために自然の地形を組み込んでいます。これらの構造物は、四つの方位を基準にした門を備えた円形の防御壁で要塞化されており、ほとんどの場合、同心円状の溝、環状通りに囲まれた軸通り、および四つの区画に幾何学的に配置された長屋が含まれていました。
ヴァッハウ渓谷の文化的景観
Wachau Cultural Landscape
ドイツ南部から中・東欧を抜けて黒海へと注ぐドナウ川の流域のうち、オーストリア北東部の都市メルクとクレムスの間に広がるヴァッハウ渓谷は、特に風光明媚なことで知られ、訪れる人に感動を与えてくれます。この地域の歴史は非常に古く、先史時代の遺物が数多く出土しており、ガルケンベルクでは約3万2,000年前の、ヴィレンドルフでは約2万6,000年前のものと推定される像が発見されています。その後の青銅器時代、鉄器時代を経て、ケルト人の王国ノリクムや、ローマ帝国の国境都市マウテルンが置かれるなど、歴史の舞台となりました。中世にはバーベンベルク家の支配下で町や修道院が発展し、11〜12世紀には現在の街の基礎が築かれました。ヴァッハウはドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にも登場し、地域の歴史的重要性を物語っています。
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の都市景観群(シチリア島南東部)
Late Baroque Towns of the Val di Noto (South-Eastern Sicily)
ウィーンの歴史地区
Historic Centre of Vienna
ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑
Wieliczka and Bochnia Royal Salt Mines
ヴィエリチカとボフニャの岩塩坑は、13世紀から20世紀末まで稼働していた、ヨーロッパで最も古く、最も重要な王立塩採掘施設です。両坑は同一の岩塩層に位置し、これらの坑道は、塩採掘技術の歴史的発展を示す貴重な遺産として評価されています。 ヴィエリチカ岩塩坑は、11~12世紀に本格的な井戸の掘削が始まり、塩水を加熱して塩の採取が行われるようになりました。13世紀には岩塩の塊が発見され、採掘によって直接塩を得ることができるようになりました。塩による収益は王室の財源の3分の1を占め、この収入を基に、ポーランド王カジミエシュ3世はポーランド初の大学(現ヤギェウォ大学)を創設することができたと言われています。
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋
Mehmed Paša Sokolović Bridge in Višegrad
ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園
Bergpark Wilhelmshöhe
ウィレムスタットの歴史地区:キュラソーにある内陸都市と港
Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao
ウェールズ北西部の粘板岩の景観
The Slate Landscape of Northwest Wales
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ヴェネツィア共和国の防衛施設群(16-17世紀):スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール
Venetian Works of Defence between the 16th and 17th Centuries: Stato da Terra – Western Stato da Mar
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴェルラの砕木パルプ・板紙工場
Verla Groundwood and Board Mill
ヴェローナの市街
City of Verona
ヴォーバンによる要塞建築群
Fortifications of Vauban
ヴォルビリスの考古遺跡
Archaeological Site of Volubilis
ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群
Renaissance Monumental Ensembles of Úbeda and Baeza
スペイン南部アンダルシア地方にある2つの小都市ウベダとバエーサは、スペインで初めてルネサンス様式の理念に基づいて改修された街です。9世紀にはイスラム教徒の支配下にありましたが、13世紀にレコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒のもとに戻ります。やがて、16世紀に都市改修計画が行われ、ルネサンスの影響を受けた街として発展を遂げました。ウベダのエル・サルバドル教会やバスケス・デ・モリーナ宮殿(現在の市庁舎)、パラドール、バエーサの大聖堂など8件が世界遺産に登録されています。改修では、建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの貢献が石工技術を大きく発展させ、後にラテンアメリカの建築へも大きな影響を与えました。
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群
White Monuments of Vladimir and Suzdal
ヴルコリニェツの伝統的集落
Vlkolínec
ウルビーノの歴史地区
Historic Centre of Urbino
ヴロツワフの百周年記念ホール
Centennial Hall in Wrocław
雲岡石窟
Yungang Grottoes
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
エーランド島南部の農業景観
Agricultural Landscape of Southern Öland
スウェーデン南東部バルト海に浮かぶエーランド島の南部には、先史時代から現代に至るまで、人々が農業とともに生きたことを伝える景観が残っています。石灰岩質の痩せた土壌にもかかわらず約5,000年もの間、人々はこの島の地形に適応しながら暮らしてきました。現在見られる農業景観や地域社会には、鉄器時代にまで遡る土地利用・区分、地名といった独自の文化的伝統が残されています。また、青銅器時代や鉄器時代の墓所や、16~18世紀につくられた大小400基もの風車も残っています。島民は現在でも、何世代にも渡って耕されてきた土地を耕し、何千年と受け継いできた牧草地で家畜の放牧を行っています。この類稀な文化継承は「生きた農業景観」として将来世代へ受け継ぐ重要性を語っています。
エアフルトの中世ユダヤ関連遺産
Jewish-Medieval Heritage of Erfurt
ドイツ中部のテューリンゲン州エアフルト旧市街の中心に位置する旧シナゴーグ、ミクヴェ、ストーンハウスから構成され、中央ヨーロッパにおけるユダヤ建築の希少かつ非常に良好に保存された例です。これらの建物は、その構造、建築的な細部、装飾プログラムを通じて、都市の特有の空間的・社会的条件への適応と、主にキリスト教徒が占める社会の中でユダヤ人コミュニティが共存していた様子を示しています。中世の中央ヨーロッパにおいて、重要な交易路の交差点に位置するエアフルトの都市発展の中で、これらの建物はその歴史を物語っています。この遺産は、11世紀後半から14世紀半ばにかけての中世において、貿易と交流に積極的に関わっていたユダヤ人コミュニティの最盛期の様子を伝えるものであり、ペストの流行に伴う迫害(ポグロム)の波が訪れるまでの時代を象徴しています。
エヴォラの歴史地区
Historic Centre of Évora
エッサウィーラ(旧名モガドール)の旧市街
Medina of Essaouira (formerly Mogador)
絵描きやミュージシャンなど、多くの芸術家をも魅了するエッサウィーラは、モロッコの大西洋岸に位置します。ここが今のような街並みに形成されたのは、1765年です。当時この地域を支配していたアラウィー朝のスルタンは、外に開かれたモロッコ最大の国際貿易拠点にすることを目指しました。街の設計を担ったのが、フランス人建築家のニコラ・テオドール・コルニュです。ヴォーバン様式の影響を受けていたコルニュは、北アフリカにおけるこの港町にヨーロッパの機能的な軍事建築を取り入れ、再構築しました。イスラームの伝統的な街並みとそれらは調和し、異文化が融合した独自の景観を生み出しています。エッサウィーラという名は、「見事な設計」を意味します。
エディルネのセリミエ・モスクとその関連施設
Selimiye Mosque and its Social Complex